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  3. ◯1977年(18歳〜)岡山理科大学・防衛省特別統合幕僚長・地方防衛局X8・警察庁特別長官・インターポール特別捜査官・米国国防総省特別長官・NASA特別長官・FBI特別長官・CIA特別長官(全て永久資格)
  4. 世界のコンピューター関連企業は、全て私のお友達です。

世界のコンピューター関連企業は、全て私のお友達です。

「防衛省・ペンタゴン・Microsoft ・Apple・IBM・インテル・NEC・Amazon」など世界のコンピューター関連企業に最も深く関わった人間は、誰だと思いますか?

「世界のコンピュータの実態の裏表」を全て知っているのは私だけなので、全ての企業と私の「守秘義務契約」をしてからいくつも「特許」をタダであげた関係なので私は全ての企業の友人です。

どういうことかを考える前に、世界のコンピューターの進化を「年代別」に確認してみましょう。

 

①1911年6月16日、米国IBM社設立。

(コンピューターの製造&ハードプログラムの開発)

 

②26年後、1937年6月17日 日本アイ・ビー・エム株式会社設立(コンピューターの製造&ハードプログラムの開発)

日本IBM 椎名武雄(元社長)の略歴

  • 1929年5月 岐阜県関市に生まれる。祖父・椎名若乃助は千葉県横芝町の庄屋を務めた家系出身。
  • 慶應義塾普通部(旧制中学)卒業
  • 1951年3月 慶應義塾大学工学部機械工学科卒業
  • 1953年1月 バックネル大学工学部機械工学科卒業
  • 1953年6月 日本アイ・ビー・エム株式会社入社
  • 1960年 千鳥町工場工場長
  • 1962年5月 取締役(生産部門担当)
    • その後人事、営業、財務部門等の取締役、常務取締役、副社長を歴任

 

③6年後、1943年1月15日、米国国防総省(ペンタゴン)完成

 

米国ペンタゴンが、世界で初めて単独のコンピューター同士を繋ぐ「サーバー概念(データ保存連結概念)を開発しました。

この「サーバーの概念」がアメリカ全土の一般市場に出回り、「レンタルサーバー」として世界の企業もペンタゴンと契約したサーバーを個人に貸す「レンタルサーバービジネス」が広がり、庶民もコンピューターに触れるキッカケになりました。

しかし、「レンタルサーバー」のおおもとは「ペンタゴンのサーバー」なので、世界の全てのコンピューターの情報は「ペンタゴン」に自動的に収集されています。

 

 

④17年後、1960(昭和35)年1月から、「防衛庁本庁」は霞ヶ関から移転して以来、約40年間、「東京都港区檜町地区」に所在していましたが、現在は檜町駐屯地」となっています。

 

⑤1968年(昭和43年)7月18日、米国インテル社設立(コンピューターの頭脳のCPU(中央高速演算処理を開発)

 

⑥32年後、1975年マイクロソフト社 ビル・ゲイツポール・アレンが創業。(ハードプログラムとソフトの開発)

 

⑦1年後、1976年4月1日、Apple Inc.は、スティーブ・ジョブズスティーブ・ウォズニアック、およびロナルド・ウェインの3名により創業。(ハードプログラムとソフトの開発)

 

「マイクロソフトのビルゲイツ」も、「Apple社のスティーブ・ジョブス」も友人と開発した「自作コンピューター」を作って、「独自のハードプログラム」を打ち込んで売っていた人たちなので、「ソフトの開発」は他の企業に委託していたライバル同士でした。

 

⑧同じ年の1976年、日本電気(NEC)が日本のマイコン市場に進出。旧社名は「住友通信工業株式会社」なので、「吉岡一門の資産運用企業」だからこそ、たくさん「私の特許」をプレゼントして飛躍してもらいました。

 

⑨1977年(18歳)に岡山理科大学応用数学科1年生の私が、毎日のように火を吹く「大型コンピューターの問題点を解決」したことから、「防衛省の陸将補」となり、防衛省の全てのパソコンの根本的な修理と設計をする責任者になりました。

 

しかし、防衛省のコンピューター端末は、「米国IBM社のパソコンとソフトを100年契約」をした「防衛大臣」と「外務省官僚」がガッポリ賄賂をもらったので、「日本企業のパソコン」に入れ替えることができない状況でした。

 

仕方がないので「IBMパソコン」のハードプログラムを1行づつ調べてみると、全てのIBMパソコンに情報を抜き取る「搾取プログラム」が入っているのを見つけました。

 

すぐに、1975年2月に日本IBM社長就任した 「椎名武雄社長」に会いに行き、徹底的に「IBMパソコンの問題点」を追求すると、日本IBMの椎名武雄社長」「パソコンは触れない」うえに「経営も部下任せ」だったのでボロクソに言ってから、アメリカ本国のIBMパソコンに入っていた「搾取プログラム」を勝手に削除する許可を出させました。

 

そんなことをしたら俺がクビになる!」と泣くので、私が遊びで改良した「障害者用の聴覚ソフト」をタダであげたことが、アメリカIBM本社に認められて「米国の副社長」に昇格しました。

こういう貸しが「日本IBM」にはあるので「椎名武雄社長」以降の社長も役員も全て私の言いなりです。

日本にもいろんなコンピュータ一関連企業がたくさんできたので、アメリカに対抗するために日本企業から優秀な人材を知人を通して集めてもらい「選抜試験」を行うと、私の説明がわからないバカたちは一発退場してもらい、私の指示を理解できる人を16名ほどだけ「専門部隊」として働いてもらいましたが、「私が求める結果が高すぎる!」と文句を言うし、「開発期間も短すぎる!」と文句を言う先輩たちだったのでこう言ってやりました。

ねえ、皆さん、日本のコンピューター企業でもズバ抜けて賢い人たちに集まってもらったつもりなのに、18歳の私でもわかる「吉岡コンピューター理論」を理解できないのですか???

この「理論」はですね、私が一晩で6冊のコンピューターの本を読んで自分で作った「理論」なので、今のアメリカのコンピューター理論よりも早くて簡単なんですが、それを理解できても現実化できない何か特別な理由があるのですか?

もしそうなら、もともと頭が悪いか?仕事ができないか?他に問題があるはずなので、今、ここでできない理由を正直に言って下さい。

私は岡山理科大学の応用数学科の人間ですが、たまたま情報処理の授業を受けて楽しかったので、「月5万円で食費込みのボロアパートに住む貧乏大学生の身分」なのに、タダで防衛省の仕事をしている人間です。

だから、皆さんのように一流企業の給料をもらって仕事をしている賢い人には憧れますが、こんな簡単なこともすぐにできないのなら「皆さんを選んだ責任」は私にあるので全員クビにして他の人に頼もうかな?

これは質問なんですが、何年ひとつの仕事に時間を賭けたら結果を出せるのですか?

子供が生まれてからですか?孫が生まれてからですか?

寝すぎじゃないですか?あなたは太っているので食べ過ぎで眠いんじゃないですか?それともモテないので毎晩、飲み屋で女あさりをしているのですか?

もし、自分がやりたいことと私が望むことの優先順位が違うなら、どうぞ、ご自分のやりたいことをやって、このチームから外れて下さい。

あ!でも言っておきますが、皆さんの名前は皆さんが勤めている全ての会社の社長に「名簿」で提出しているので、ものすごい重要な「防衛上の仕事を請け負う契約」に繋がる可能性がある仕事ですが、結果を出せない人間と契約するつもりはないので、どうぞ、お引き取り下さい。

でもきっと、私のチームを抜けた人の出世は一生、無くなるだろうなあ・・・、だって、全ての社長たちからトコトンこき使って下さいとFAXが入っていますもの、辞めたら大変だろうなあ。

あなたたちみたいなバカがもし「日本一」だと言うのなら、もう日本のコンピュータ業界の未来は真っ暗ですね。

私は日本を裏から守り続けた「武士の吉岡一門の最後の頭領」なのでバカは切り捨てますが、ここまでバカだとは思っていなかったので残念でたまりません。

情けない、いやあ、本当に情けないわ・・・。

大人って仕事もできないくせに「出身大学の自慢」をよくするし、仕事をやらせたら上司の顔色を見ながら手を抜くバカが多いので、大人になりたくない子供の気持ちがとてもよくわかりますわ・・・。

と私が会議で毎回、先輩たちを責めるのでよく先輩たちとは揉めましたが、「ネット会議」なので頭に来た人たちは、急にシャットダウンするので、あとでメールでフォローしておきました。

1977年当時、私の「特別スタッフ」は20代、30代、40代が中心だったので、もう年をくって死んでるかもしれません。よく働いてくれました、ご愁傷様です。

 

私の役目は、目的達成のために問題が起きると「新しい解決策を瞬時に答える役目」なので、「私が編み出した新理論」を明確に伝えて結果を求める「結果主義者」で、それはどんな仕事をしても同じです。

「一度、自分が口にした期限」までにできない人間は、次の会議の間中、ずっと名前を呼ばれず、全員から「バカ」と呼ばれるルールがあるので、「王様ゲーム」と同じでとても厳しい会議なのです。

全員が私より年上だし、それぞれの会社ではエリートなのに、誰も私に理屈では敵わないし、実際に、プログラムを組めば私の方が早いので、最終的に徹夜が続いて倒れる人も出たので、全員、自分の会社を辞めてもらって「NECの特別チーム」として高給を与えたのでとても喜ばれました。

私は18歳から「防衛省の専属プログラマー」になった人間なので自動的に「自衛隊サイバー防衛隊」と「自衛隊情報保全隊」のトップにもなりました。

「数学」は好きでしたが、「コンピュータープログラム」は誰にも習ったことはないので、「Fortran」、「COBOL」、「マシン語」、「C言語」の本を自分で勉強して特徴を把握したあと、「吉岡特別言語プログラム」を自分で開発して防衛省の「ハードコンピューターシステム」や「攻撃シュミレーションシステム」を完成したので、私にしか理解できないし、修理できないプログラムが動いているのです。

世界には私より先にコンピューターの世界で活躍している人がいたので「困った時は先人に聞くのが早い」と思い、ビル・ゲイツやスティーブ・ジョブスとすぐに仲良くなり、「ハードとソフトの両面」から完成度を高めるプログラムを二人のスタッフと組み上げたので、大学時代から世界のコンピューター業界の社長たちとやりとりすることが私の仕事なので、当然、日本のコンピューター業界からも注目の人間でした。

結果的に、個人情報を抜き取る「搾取プログラム」が2004年に大問題となり、「アメリカIBM」は世界から多額の訴訟を受けたので、中国に身売りして「LENOVO」となりましたが、その助け船を出したのも私です。

この「身売りの相談」に乗ったのは私なので、本社は「中国北京」にしておき、シンガポールとアメリカに「オペレーションセンター」を置いたので、全てに私の子供がいる国なので今も思いのままなのですが、「防衛上の守秘義務契約」があるので解約はできません。

 

防衛省の話に戻りますが、1988(同63)年度から、石井政雄統合幕僚会議議長(陸将)が、防衛庁本庁庁舎などの移転計画を決めて、「東京都新宿区市ヶ谷地区」に移転すると、私に相談もなく勝手に決定されたので、新しいスパコン」を置く場所と「必要備品の購入」を指示しました。

同年、1988年(29歳)の私は入社3店舗目の「ダイエー苫小牧店 玩具売り場マネージャー」として働きながらだったので、自宅に「東京都新宿区市ヶ谷地区の全体の設計図」を送ってもらいました。

内部部局、統合幕僚会議事務局、情報本部、陸・海・空各幕僚監部(ばくりょうかんぶ)及び調達実施本部並びに防衛施設庁の「8個機関全てのフロア配置場所」を設計図に書き込んでFAXしてやらせました

 

私一人しか打ち込めない「吉岡極秘プログラム」なので、ゴールデンウイーク+週休二日制+有給休暇を全て使って入力作業をするために東京へ定期的に自費で通う生活でした。

 

◯1989年10月、ダイエー労働組合中央執行委員、「外務省官僚」の仕事を無償で手伝う。

 

◯1990年(31歳)「防衛省 特別統合幕僚会議議長」に任命。全ての全ての省庁の「特別上級国家公務員任命」、「ダイエー札幌店」のマネージャー時代

 

◯1990年(31歳)「ダイエー札幌店」のマネージャーとして着任

 

◯1993年3月末、防衛省の庁舎など主要施設が完成。内部部局、統合幕僚会議事務局、情報本部、陸・海・空各幕僚監部(ばくりょうかんぶ)及び調達実施本部並びに防衛施設庁の8個機関・約7,000人が4月26日から5月7日にかけて移転。

 

◯1997(同9)年1月の新設時から「防衛庁情報本部」の一部は業務を行っており、技術研究本部も三宿(みしゅく)地区(東京都世田谷区)から本年2月末までに移転しました。

 

1997年(38歳)の私は、Amwayビジネス2年目で、1998年3月に、ダイレクト・ディストリビューター(DD)を達成。

 

 

◯2006年9月26日、マーク・ザッケンバーグが Facebook 2004年2月4日スタート

2006年の制度改正により、「統合幕僚会議議長」から「統合幕僚長」に名称変更。2007年1月に「防衛庁」から「防衛省」に格上げした。(私の命令)

 

 

マイクロソフトビル・ゲイツが、ビル&メリンダ・ゲイツ財団共同会長となる(これがマーゴの会社で裏切らないための契約)

 

2007年10月24日、マイクロソフトが広告に関する独占的契約、Windows LiveおよびXbox Liveとのシステム統合を含み、Facebookに2億4000万(約264億円)ドルを出資し、同社の株式1.6%を取得した。MicrosoftはFacebookの時価総額を150億ドル(約1兆6500億円)と評価している。ちなみにGoogleは、米Yahoo!とともに米MySpaceと広告を契約中(3年契約、9億ドル約990億円)。MicrosoftがYahoo!買収にあたって提示した金額は446億ドル(約4兆9060億円)であり、FacebookはYahoo!の3分の1の市場価値があると見られている(2008年4月)。

 

2008年5月19日、マーク・ザッカーバーグが来日し講演。その場で日本語版が一般公開された。

2010年9月24日、Facebook創設への経緯を描いた映画「ソーシャル・ネットワーク」が公開された。日本では2011年1月15日公開された。

Facebookのセキュリティの脆弱性はたびたび指摘されている。2011年になってHTTPS常時接続を導入した[51]が、依然として携帯電話などのモバイル端末にとってはもっとも深刻な脅威を招くサイトと考えられている[52]

「HTTPS通信」は暗号化されているため、通信内容を読み取ったり改竄したりすることはできない。そのため、基本的に通信内容を検閲することはできないように、「吉岡特許」をタダでプレゼントした。

 

2013年6月、加入者の個人情報がアメリカ国家安全保障局等により運用されている大量監視プログラムPRISMにより、アメリカの情報機関に提供されていたことがワシントン・ポストガーディアンよって報道される。

2013年6月27日、Android用の公式アプリが無断で端末の電話番号を送信していたことがシマンテックの解析により判明する。これに対して、Facebookは事実を認め、電話番号を収集・送信したのはプログラムのバグであると弁明した。収集した電話番号は削除したとされるが、第三者による確認は取れていない。

 

1988年に、日本で初めて「POSレジ」を導入したのは「ダイエー苫小牧店」ですが、私がいるので何とかなるだろうと中内功社長が何も言わずに導入したので、苫小牧店のPOSレジ担当といつも喧嘩になるので、問題が起きるとパートさんから電話が来て、私が先にIBMに電話して対処法を聞いてから自分で直していた時代でした。

このダイエー苫小牧店の成功があったおかげで、全国のスーパーやコンビニに「POSレジ」が導入されることになり、レジのメーカーの「TEC(東芝テック)」とも大喧嘩になり、勝手にレジの記録を吸い上げていたので、「多額の損害賠償金」を請求する代わりに私の奴隷になり、日本中のイトーヨーカ堂やセブンイレブンの売上データをタダで送る契約をしたので、ダイエーの売上日本一は最後まで続きました。

 

この流通業にパソコンが入った状況を冷静にまとめてくれた大竹佳憲が「札幌の社長会」に来たので、「私塾・寺子屋」と名付けて一儲けしました。

最も正しく日本のコンピューター産業の変化を記録したものなので、興味がある人はじっくり勉強して下さい。

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