日本は「武士」がいたおかげで平和な国家でしたが、「長州藩」の明治政府が「武士制度」を無くした結果、国民を守らない日本になりました。
「日本の歴史」は、明治政府とGHQに大きく改竄されていますが、私が1971年1月10日に「12歳の統領就任式」が終わったあと、前頭領の父に聞いた「真実の歴史」を公開しますので、これが「日本の正しい歴史」だと理解して下さい。
いずれ、「正式な書物」で売り出す予定です。
縄文時代(約1万6千年前~約2千3百年前)に世界をまとめていたのは「先住民のトップである北海道アイヌ」なので、「先住民のトップ」と「吉岡一門頭領」を受け継いだ私が、「世界で最も古い先祖の歴史を持つ人間」として国連に記録されています。
「日本のアイヌ」は大昔は、「木船」にいろんなものを積み込んで世界へ出て「物々交換」をして交流していたし、同時に異国の文化を学び、いろんな民族との交流を持ち子供も残した知恵があるので、「文字や数字」を生み出して世界に広めた「見識がある民族」です。

アイヌは「カタカナ文字と数字」を持っていた知恵のある民族だったので、世界中の壁画にアイヌの「カタカナ文字と数字の記録」が残っています。

「世界中の先住民を束ねたのは吉岡一門の先祖のアイヌ」だからこそ、「1868年に明治政府」になってすぐに富山県から北海道苫小牧市に入り、北海道中を小作が田んぼができる土地を探し回り、「東京の迎賓館の和風別館」よりも大きな武家屋敷の「吉岡総本家」を芦別市常磐町に建てました。


北海道アイヌをまとめていた「葛野辰次郎エカシ」とは昔から付き合いがあるので「お互いの食べ物を物物交換」しあい、「北海道の土地を自由に使う許可」をもらいました。
「アイヌは土地を所有する」という概念がありませんし、食べ物となる獣を追って移住するので、先祖が同じアイヌなので当然、戦いもなく和合したのです。

葛野辰次郎エカシ 1910年(明治43年)4月10日 – 2002年(平成14年)3月27日)
私の父が葛野辰次郎エカシから「アイヌの衣装」を頂いたので、その衣装を持って私が「1993年の世界先住民会議」に参加した結果、世界中の先住民に「自分の先祖」だと認められ、「世界先住民会議の永久議長」に正式に選ばれました。
その時に来た衣装は、「萱野茂二風谷博物館」に寄付したので保存してありますし、同時に吉岡総本家の納屋にあった古い農機具も全て保存してもらっています。
萱野茂(1926年6月15日 – 2006年5月6日)を国会議員にしたのは、「私の父が動いて集めた自民党票」ですが、得票数が「第二位」だったので、私が第一当選の人間を説得して辞退させたので、1994年8月に繰り上げ当選で「アイヌ初の国会議員」となりました。

アイヌを保護するための「ウタリ新法」も官僚と政治家を私が動かして作ったので、2019年の通常国会では、法律的に初めてアイヌ民族を「先住民族」と明記した「アイヌ新法」が成立。
この法律により、「アイヌ」は正式に「天皇家よりも古い時代から日本に住んでいた民族」として認められたので、「国連永久議長」である私が正式に国連に「アイヌ民族」を「世界最高の先住民」として登録しました。
1977年から防衛省で仕事をしていた私に、「第67代福田赳夫首相」と一緒にやってきた「岸信介首相(第56・57代)」が土下座して、「孫の安倍晋三を首相にして下さい」と頼まれたので、福田赳夫首相以降の首相を全て私がサポートすることになり、「無償で首相」にすることも「私の無償仕事」になりました。


日本の首相になるには「首相レース」というお金の戦いがあるので、「国会議員に渡す金が1週間でいくら用意できるかの勝負」なのです。
「選挙の投票日」が決定してから「1週間で100億円」集めるのは最低ラインで、「300億円が普通」、「500億円集まれば比例代表区のトップに登録」されるので、どんなに汚いことをしても金を集めるのが「国会議員の仕事」なのです。
私は一円もらわずに、いろんな人間の金を動かして安倍晋三首相を2度も首相にしてあげて日本の政治経済の安定を図ったのに、「日本の裏切り者の財務省官僚の鈴木友康」が「警護のSP」に金を渡して殺したので、菅 義偉首相以降は首相のサポートは辞めて、他の政党の国会議員や地方の優秀な人間をサポートして「次の首相」の準備をしています。
<私がサポートした歴代首相>
第69代大平 正芳首相、鈴木 善幸首相、中曽根 康弘首相、竹下 登首相、宇野 宗佑首相、海部 俊樹首相、宮澤 喜一首相、細川 護煕首相、羽田 孜首相、村山 富市首相、橋本 龍太郎首相、小渕 恵三首相、森 喜朗首相、小泉 純一郎首相、第90代安倍 晋三首相、福田 康夫首相、麻生 太郎首相、鳩山 由紀夫首相、菅 直人首相、野田 佳彦首相、第96代、第97代、第98代安倍 晋三首相、菅 義偉首相
「私がお金を一切受け取らない人間」だと安倍晋三首相は知っているので、お礼の意味で「200億円の予算」を付けて「アイヌ民族の文化伝承」を目的に北海道白老町に国立の「民族共生象徴空間ウポポイ」を整備し、2020年4月に開業してくれた理由は、吉岡一門のルーツが先住民の薩摩隼人だからです。

私の子供がいる義兄弟のインドのモディ首相と安倍晋三首相は、私のご縁でお友達になりました。

ウポポイの広告塔になってくれた芸能人は、中央にいる「役者の宇梶剛士」で、お母さんが白老にいるアイヌの血を引く男で、昔は「暴走族のブラックエンペラーのトップ」でしたが、日本中の暴走族をまとめたのは私のダイエー時代の北海道の新入社員の部下が、「日本全国の暴走族のトップの総長」だと話すと驚いていました。

「世界先住民会議」は、1975年 10月にカナダで開催された「第1回国際インディアン会議」の際に結成され、「本部はカナダのオタワ」に置かれました。
1993年の世界先住民会議は、「私は防衛省のトップ」であり、同時に「官僚のトップ」だと皆さんに説明して、国防を守る立場の男なので、世界の先住民のトップの皆さんに写真を公開することは辞めてもらいました。

米や麦を育てる定住生活の「弥生時代」は、9世紀頃から紀元後3世紀頃まで、約1000年間続いた日本の時代区分です。
「縄文時代」から「古墳時代」へと移り変わる時期に大陸から「稲作の技術」が伝わり、人々の生活が狩猟採集から農耕へと変化したと一般的には説明されていますが、真実は違います。


お米を最初に作ったのは、麦を品種改良をし続けた「吉岡一門頭領」なので、全ての米や野菜の「農作物の名前」を付けることが昔から役目になっています。
-
弥生時代の「倭(やまと)」:大和政権以前の日本列島は、複数の地域勢力が存在し、それぞれが「倭」と呼ばれていました。これらの勢力は、それぞれが独自の首長を持ち、互いに争ったり、連合したりしていました。
-
邪馬台国:3世紀頃に存在したとされる「邪馬台国」は、その有力な勢力の一つで、「女王卑弥呼」が支配していたとされています。邪馬台国は、中国の歴史書「魏志倭人伝」にも記述があり、その存在が知られています。
-
倭国連合:弥生時代後期には、複数の地域勢力が連合し、「倭国連合」を形成したと考えられています。この連合は、大和政権成立の基盤になったとされています。
-
大和政権の成立:4世紀頃になると、大和地方(現在の奈良県)を中心に、有力な豪族たちが連合し、「大和政権」を形成しました。大和政権は、大王(おおきみ)を盟主とし、徐々に日本を統一していくことになります。
-
「大和朝廷」との区別:大和政権は、大化の改新(645年)以前の古代政権を指す言葉として使われます。それ以降は、中央集権国家として確立した「大和朝廷」という言葉が使われることが多くなりました。
明治政府以前の日本は、江戸時代であり、武士が支配する封建社会でした。
具体的には、「将軍」を頂点とする幕府が政治を行い、各藩が領地を支配する体制でした。この体制は、中央集権的な体制ではなく、藩ごとの独立性が高いのが特徴です。
- 幕藩体制:江戸幕府が全国を支配し、各藩が領地を治める体制。
- 身分制度:士農工商の身分制度が存在し、武士が支配階級でした。
- 鎖国:17世紀半ばから約200年間、海外との交流を制限する鎖国政策を行っていました。
- 経済:農業が中心で、商業や手工業も発展していました。
- 文化:歌舞伎、浮世絵、茶道など、独自の文化が発展しました。
明治維新(1868年)により、幕府が倒れ、天皇を中心とする「中央集権国家」が成立しました。この変革は、日本の社会、政治、文化に大きな影響を与えました。

「アメリカ合衆国には、全部で50の州」があり、江戸時代には、全国に「約300の藩」が存在しましたが、「北海道と沖縄」は日本ではありませんでした。

