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  3. ◯1982年(23歳〜)ダイエー・中内功・松下幸之助・ロジワン・ダイエー労働組合中央執行委員・UAゼンセン・連合・民社党・自民党
  4. 1990年から「一部上場企業の賃金妥結率」は私が決めていました。

1990年から「一部上場企業の賃金妥結率」は私が決めていました。

私は1989年10月から「ダイエー労働組合の中央執行委員」になり、同時に「全ての省庁のキャリア官僚」になりました。
 
1990年1月にダイエー札幌店に転勤したので「札幌の社長会」を毎週2時間開き、日本中の一部上場企業の社長たちにアドバイスして「裏からお金を貸した私」なので、大手企業の妥結率に文句を言える唯一の人間です。
 
 
「会社を赤字」にしたり「長期借入金を払えない社長」たちには、こう伝えました。
 
これからデフレが続くので、「従業員の給料」くらいあげてやらないと「ライバル企業」に移るか、優秀な人材ほど給料が高い「アメリカ企業」に行くので、「優秀な人材確保の作戦」だと伝えて、
 
「日本中の一部と二部の上場企業の妥結率を決める役目」になりました。
 
 
 
 
「日本の産業別経済指標」が「労働賃金に影響を与える仕組み」について、直近の経済動向を踏まえて解説します。
 
 
産業ごとの業績(付加価値額や労働生産性)の格差は、そのまま労働賃金の格差や二極化に直結しています。
 
 
産業別の経済指標が賃金に影響を与える主なメカニズムと現状は以下の通りです。
 
 
 
1. 労働生産性と付加価値の格差
 
「賃金の原資」となるのは、企業が生み出す付加価値です。
 
 
労働者1人あたりがどれだけ効率的に付加価値を生み出したかを示す「労働生産性」が高い産業ほど、賃金が高くなる傾向があります。
 
 
  • 製造業・IT産業(高水準):DX(デジタルトランスフォーメーション)の進展や海外需要の取り込みにより、1人あたりの付加価値額が高く、賃上げ原資を確保しやすい特徴があります。
  • 対個人サービス業・飲食・宿泊(低水準):労働集約型であり、価格転嫁が進みにくい構造があるため、生産性が上がりにくく、ベースアップの原資が限られがちです。
 
2. 物価変動と価格転嫁(実質賃金への影響)
 
近年の消費者物価指数(CPI)や企業物価指数(CGPI)の上昇は、賃金に二面的な影響を与えています。
 
  • 価格転嫁ができる産業:原材料費やエネルギーコストの上昇を製品価格に転嫁できた産業(化学、機械、卸売など)は、業績を維持・拡大し、インフレ率を超える賃上げ(名目賃金の急上昇)を達成しています。
  • 価格転嫁が困難な産業:医療・介護・福祉など公的価格で料金が決まる分野や、競争の激しい小売業では、コスト高が利益を圧迫し、物価上昇に賃金の伸びが追いつかない(実質賃金の低下)状況が生まれています。
 
3. 労働需給(有効求人倍率)の影響
 
産業ごとの有効求人倍率や人手不足感(日銀短観の雇用人員判断DIなど)も、賃金決定の大きな要素です。
 
  • 人手不足が深刻な産業:建設業、運輸業(物流の2024年問題・2030年問題)、IT産業などでは、労働力を確保するために初任給の引き上げや中途採用市場での賃金高騰が起きています。
 
 
 
 
逆に、増収増益だった「アパホテルの元谷芙美子社長」や「トヨタの豊田章夫会長」にも多額のお金を裏から貸したほど、「増収増益企業は株価に影響するし、「日本の産業別経済指標にも大きな影響を与える」ので有名企業を支えるのも「日本国を守る吉岡一門頭領の仕事」なのです。
 
 
 
 
アパホテルの元谷芙美子社長は「地獄耳」なので、「誰かに裏からお金を貸してくれる人がいる」と聞きつけて電話してきた人です。
 
「日本のホテルチェーン」や「観光地の高級ホテル」には「全て私が融資した」ので、きっと「ホテル関係の誰か」だと思います。
 
アパホテルの本社に会いに行き、いろんな話をすると面白がられて仲が良くなり、「好奇心が強い女性」だと思いましたし、「旦那がいる前で私を誘う人」なので面白い人だと思いました。
 
お互いに「安倍晋三首相の講演会」に行くと、遅れてやってきた元谷芙美子社長が一番前のテーブルに陣取り、私を見つけて呼ばれるほど「日本中の政治家には有名な女性」です。
 
 
 
元谷芙美子社長は「自民党議員にとても多くのお金を出している」ので、国会議員をアゴで使うのは当然と言えば当然です。
 
日本中でアパホテルが多い理由は、「倒産したホテルの情報」を誰よりも先に政治家から聞き付けて値踏みをして安く買い、時期を考えて一気に改装するので大儲けしています。
 
 
 
「アパホテルが導入」している、予約の入り具合や需要に応じて料金が自動で変わる仕組みは「ダイナミックプライシング(変動価格制)」は、私が教えた料金システムです。
 
仕組みの基本
  • AIとアルゴリズムによる自動変動:予約の進み具合(残室数)だけでなく、周辺のホテルの空室状況、地域のイベント・ライブ情報、曜日、過去の販売実績などをAIが分析し、リアルタイムで価格を変動させます。
  • 売れ行きに合わせた価格調整:
    • 予約が早いペースで埋まる場合(または残り部屋数が少ない場合):価格が自動的に引き上げられます。
    • 予約の伸びが鈍い場合:価格が下がることがあります。 
  • 価格差の大きさ:
    • 同じ部屋であっても、閑散期の平日と、大型連休やイベントが重なる繁忙期では、料金が3倍〜4倍以上違うケースもあります。
    • 対照的に、東横インなどの「一物一価(定額制に近いスタイル)」とは異なり、アパホテルは「稼げる時に最大限稼ぐ」方針をとっています。
 
 
 
 
豊田章夫会長は、2023年4月1日付で「会長」になりましたが、私からの借金を返せた証拠です。
 
 
 
私は1989年10月から「労働組合の自動車労連担当」になったので、日本の全ての自動車会社の社長と名刺交換した仲です。
 
 
1989年(平成元年)当時のトヨタ自動車の社長は豊田章一郎社長です。
 
 
 
 
第6代〜第11代:豊田章一郎(1982年〜1992年・工販合併後初代)、
豊田達郎(1992年〜1995年)、奥田碩(1995年〜1999年)、張富士夫(1999年〜2005年)、渡辺捷昭(2005年〜2009年)、
 
 
 
「愛知県のトヨタの本社」に何度も行きましたが、
 
豊田章一郎さんが話していた「豊田手帳」は素晴らしいですが、「トヨタイズム」を従業員に感じなかったので、「従業員にこれと言った精神性の筋がないので、やっぱりトヨタの血筋に戻すべきだと思います」
 
と私がアドバイスした結果、豊田章男(2009年〜2023年)が社長になりました。
 
 
「トヨタイズム」とは、トヨタ自動車が脈々と受け継いできた「もっといいクルマづくり」へのこだわりや、それを支えるトヨタ生産方式(TPS)という思想、および各職場や現場が大切にする独自の行動哲学の総称です。
 
 
同時に、「トヨタのかんばん方式」の問題点を追求しました。
 
「自動車関連の取引先にも「札幌の社長会」でたくさん会いましたので、「”乾いたタオルをさらに絞る”と言われるように「取引先の原価をさらに下げて利益を出す体質を改善して下さい。」とお願いしましたが「出来るだけやってみます」という返答で終わりました。
 
「トヨタのかんばん方式」とは、必要なものを、必要なときに、必要なだけ作る「ジャスト・イン・タイム」を実現するための生産管理方式です。
 
 
 
1990年代 アメリカトヨタの進出の問題
 
1990年代におけるトヨタ自動車(以下、トヨタ)の米国(アメリカ)進出は、1980年代後半からの本格的な単独現地生産の流れを引き継ぎ、市場シェアを急速に拡大した華々しい時代でした。
 
しかし、その裏では激化する日米貿易摩擦への政治的対応、急激な生産拡大に伴うマネジメントの現地化、そして米国特有の市場嗜好(大型車)への出遅れという3つの大きな問題(課題)に直面していました。 
当時の主な問題とトヨタの対応は以下の通りです。
 
 
1. 深刻化する日米自動車部品摩擦と政治的圧力
 
1980年代の完成車輸出から現地生産へシフトしたものの、1990年代に入るとアメリカ側は「自動車部品の調達」や「系列(ケイレツ)取引の不透明さ」を新たな障壁として激しく批判するようになりました。 
 
  • 問題点: 1989年から始まった「日米構造協議(SII)」において、米国政府はトヨタをはじめとする日本メーカーが日本のサプライヤー(部品会社)ばかりを優遇していると主張し、米国製部品の購入拡大を強く迫りました。
  • トヨタの対応: 1992年の日米首脳会談(ブッシュ・宮沢会談)に伴い、米国製部品の購入目標を大幅に引き上げる「自発的計画」の発表を余儀なくされました。また、同年ケンタッキー州に「トヨタ・サプライヤー・サポート・センター(TSSC)」を設立し、米国の部品メーカーにトヨタ生産方式(TPS)を無償で指導するなど、現地調達率の向上と関係改善に奔走しました。 
 
2. GMとの協力関係と政治的妥協の産物(キャバリエの悲劇)
 
貿易摩擦の緩和を目的とした政治的な妥協から、米国ビッグスリーとの協調が強く求められました。 
 
  • 問題点: アメリカ側の「日本市場は閉鎖的でアメ車が売れない」という不満を和らげるため、トヨタは提携先である米ゼネラル・モーターズ(GM)製の小型車を日本へ輸入してトヨタの販売網で売るという契約を結ばされました。 
  • 結果: 1996年から「トヨタ・キャバリエ」として日本国内で大々的に販売したものの、右ハンドル化などの仕様変更が日本の顧客ニーズに合わず、右肩下がりの大赤字となり、わずか4年(2000年)で撤退へと追い込まれました。
 
3. 急激な現地化に伴うマネジメント(経営体制)の限界
 
1990年代、ケンタッキー工場などの増強により現地生産比率は急速に高まりましたが、組織のコントロールにおいて課題が生じました。
 
  • 問題点: 1993年時点で米国内の販売に占める現地生産比率は45%に達していました。しかし、それまでの生産準備、部品調達、物流といった重要プロセスの意思決定は、日本(愛知県豊田市)の本社が主導していたため、現地での迅速な判断や米国社会に根ざした経営に限界を迎えつつありました。 
  • トヨタの対応: 1996年に北米製造事業の統括会社(TMMNA)をケンタッキー州に設立し、日本主導からマネジメントの現地化(現地人トップの登用や権限委譲)へと体制を大きくシフトさせました。 
 
4. 商用車・大型車(ピックアップトラック)市場での出遅れ
 
1990年代のアメリカ市場は、景気拡大を背景に「SUV」や「フルサイズ(大型)ピックアップトラック」が爆発的なブームを巻き起こしていました。 
  • 問題点: トヨタは乗用車(カムリやカローラ)部門では高い競争力を持っていましたが、利益率が最も高い「大型商用車・SUV」の分野では、デトロイトのビッグスリー(GM、フォード、クライスラー)に大きく遅れをとっていました。 
  • トヨタの対応: 1990年代後半にようやく本格的なフルサイズピックアップトラック「タンドラ」や大型SUV「セコイア」の現地生産・投入を決定し、アメリカ市場の主流トレンドへ必死に追従しました。 
 

1990年代のトヨタのアメリカ進出は、単に「車を作って売る」だけでなく、「米国の雇用を守り、現地企業としていかに受け入れられるか(良き企業市民)」という政治的・社会的な摩擦の解決に最もエネルギーを費やした時代と言えます。
 
 
 
 
日本の自動車をアメリカで売るにはいろんな問題があったので、アメリカの「大統領補佐官のジョン・ボルトン」に頼んで一緒に「デトロイト」に行き「自動車企業の社長会」を行いました。
 
 
 
各社の経営数字を見ながら「車種別の売上と在庫」と「お客のクレームの内容」を追求して、「車種の統廃合」と「部品を日本製にする」ことで契約させて利益を出させました。
 
 
 
 
1990年代にアメリカのデトロイト(およびその周辺のデトロイト都市圏)に本社を置いていた自動車メーカーは、通称「ビッグスリー(Big Three)」と呼ばれる三大巨頭です。当時、これら3社でアメリカ国内の自動車市場の圧倒的なシェアを握っていました。
 
それぞれのメーカーの1990年代当時の特徴は以下の通りです。
 
 
1. ゼネラル・モーターズ(General Motors / GM)
 
当時、世界最大の自動車メーカーとして君臨していました。
  • 1990年代の本社所在地: デトロイト市内の「GMビル(現在のタカ・コミューン)」、のちに1996年にデトロイトの象徴的な超高層ビル群「ルネサンス・センター」を買収し移転。
  • 当時の主なブランド: シボレー、ポンティアック、オールズモビル、ビュイック、キャデラック、サターンなど。
  • 1990年代の動向: 経営効率化の波の中で、若者向けの先進的な新ブランド「サターン」を軌道に乗せようと奮闘していました。また、1990年代後半には大型SUV「シボレー・タホ」や「キャデラック・エスカレード」が大ヒットしました。
 
2. フォード・モーター(Ford Motor Company)
GMに次ぐ全米第2位の自動車メーカーです。
  • 1990年代の本社所在地: デトロイト郊外のミシガン州ディアボーン(世界本社ビル「グラスハウス」)。
  • 当時の主なブランド: フォード、リンカーン、マーキュリーなど(当時は日本のマツダや、英ジャガー、アストンマーティンなども傘下に収めていました)。
  • 1990年代の動向: 1990年に発売したSUV「フォード・エクスプローラー」が歴史的な大ヒットを記録し、1990年代のアメリカにおける「第一次SUVブーム」の火付け役となりました。乗用車でも「トーラス」がベストセラーとなっています。
 
3. クライスラー(Chrysler Corporation)
 
ビッグスリーの中では最も規模が小さかったものの、高い開発力と先進的なデザインで1990年代に急成長を遂げました。
  • 1990年代の本社所在地: デトロイト近郊のミシガン州ハイランドパークから、1996年に同州オーバーンヒルズの新本社へ移転。
  • 当時の主なブランド: クライスラー、ダッジ、ジープ、プリムス、イーグルなど。
  • 1990年代の動向: ミニバンの先駆者である「ダッジ・キャラバン」や、無骨なデザインで大ヒットしたピックアップトラック「ダッジ・ラム」が好調でした。
  •  
  • さらに1998年、ドイツのダイムラー・ベンツと合弁(実質的な買収)し、「ダイムラー・クライスラー」となったことは自動車業界に大きな衝撃を与えました。(私がドイツのダイムラー・ベンツの社長に電話して合弁させました)
 
 
 
 
「豊田章夫社長への私の経営アドバイス1」
 
せっかく、世界一の自動車メーカーになったトヨタは、夢がないといけません。
 
「夢の街」がどういうものかをぜひ「現実」で作って見せて下さい。
 
それが、「ウーブンシティ構想」で私のアイデアです。
 
 
 
トヨタ自動車の豊田章男会長が主導する実証実験都市「ウーブン・シティ(Woven City)」は、静岡県裾野市でフェーズ1の街開きを経て本格稼働しています。
 
2025年1月にCESでフェーズ1エリアの竣工が発表され、同年9月に本格始動。現在は約100人(将来的にフェーズ1で約360人、全体で約2,000人予定)の住民(ウィーバー)が暮らしながら実証実験に参加しています。
 
 
 
 
「豊田章夫社長への私のアドバイス2」
 
私は昔から自動車が大好きなので、「日産のスカイライン」と「ドイツのベンツ」しか乗ったことがありません。
 
昔は「ヨタハチ」と呼ばれるスポーツカーがトヨタにあったはずなのに、「スポーツカー」はトヨタで売れないのですか?
 
 
 
それとも豊田章夫社長はスポーツカーが嫌いなのですか?
 
できれば、自分でレースを体験して「レースの楽しみを味わえる車」を作って下さい。
 
 
私は本田総一郎社長と「F1レースで勝負して勝った男」として有名ですが、聞いていませんか?
 
 
 
 
 
 
→豊田章夫 ドライバー名(レーサーネーム): 「モリゾウ」
 
 
 
あとは、メルセデスベンツに負けない技術はあるはずなので、「クラウン以上の高級車」を作って下さい。価格はベンツを同じでいいと思います。
 
→1989年(平成元年)9月に北米市場(アメリカなど)で「レクサス」を発売。
 
 
 
 
 
 
本田自動車は、創業者の本田宗一郎さんととても仲良くなったので、よく電話がきて、東京本社に行き、アドバイスしました。
 
 
 
 
 
 
「日産自動車は取締役員に親族が多い」ので利益が出ない体質を改善しようとしなかったので、「フランスのルノーと提携」させてカルロス・ゴーンにバッサリやってもらいましたが、最後はカルロス・ゴーンが「株式証券を持ってフランスに逃げた」ので捕まえて盗んだ証券は取り戻しました。
 
 
日産自動車の1990年からの歴代社長一覧
 
 
久米 豊(1985年6月 ~ 1992年6月) 、辻 義文(1992年6月 ~ 1996年6月)、塙 義一(1996年6月 ~ 2000年6月) 、カルロス・ゴーン(2000年6月 ~ 2017年3月 / ※1999年10月からCOO、1999年執行体制)
 
西川 廣人(2017年4月 ~ 2019年9月) 、山内 康裕(2019年9月 ~ 2019年12月 / 社長代行) 、内田 誠(2019年12月 ~ 2025年3月)、イヴァン・エスピノーサ(2025年4月 ~ 現在)
 

 
歴代社長の主な経営数字・業績推移
 
バブル崩壊後の販売不振、ゴーン改革、近年の業績悪化に至るまでの主な連結決算数字(単位:億円)です。
 
久米 豊 期(1990年~1992年)
  • 1992年3月期:売上高 6兆4,179億円 / 当期純利益 1,012億円 
  • 1993年3月期:売上高 6兆1,975億円 / 当期純利益 ▲559億円(赤字転落)
 
辻 義文 期(1992年~1996年)
  • 1994年3月期:売上高 5兆8,008億円 / 当期純利益 ▲869億円
  • 1995年3月期:売上高 5兆8,341億円 / 当期純利益 ▲1,660億円(座間工場閉鎖などのリストラ断行)
  • 1996年3月期:売上高 6兆0,391億円 / 当期純利益 ▲884億円
  • 1997年3月期:売上高 6兆6,588億円 / 当期純利益 777億円(一時的な黒字転換) [1, 2]
 
塙 義一 期(1996年~2000年)
  • 1998年3月期:売上高 6兆5,646億円 / 当期純利益 ▲140億円
  • 1999年3月期:売上高 6兆5,800億円 / 当期純利益 ▲277億円(巨額の有利子負債を抱え仏ルノーと資本提携)
  • 2000年3月期:売上高 5兆9,770億円 / 当期純利益 ▲6,843億円(ゴーン氏のCOO就任とリバイバルプラン発動による巨額損失処理) 
 
ゴーン期からエスピノーサ期までの業績推移
 
ゴーン改革期(2000年~2017年)には有利子負債の完済や過去最高の営業利益を記録するなど業績が回復し、その後も堅調に推移した。しかし、西川期から内田期にかけては減益やコロナ禍による赤字転落、黒字回復を経て、直近の期では販売低迷等により再び厳しい業績となった。詳細は The社史 をご参照ください。エスピノーサ代行・就任後(2025年~現在)は構造改革が推進されている。

 
 
 
元日本楽器製造(現ヤマハ)社長の河島博(かわしま ひろし)氏が、1982年にダイエー創業者である中内功氏の要請を受けてダイエーの副社長に就任した出来事は、私がお願いしてダイエーに来てもらった結果です。
 
 
河島博の主な経緯
 
  • ヤマハでの経歴: 1977年に46歳の若さで日本楽器製造(現ヤマハ)の第5代社長に就任しましたが、1980年に川上源一氏との方針の違いにより解任されました。
  • ダイエーへの招聘: 1982年、業績不振に陥っていたダイエーの中内功氏に請われてダイエーの副社長に就任しました。
  • V字回復(V革)の達成: 生え抜きの若手幹部の抜擢や在庫削減、関連会社の整理などを進める「V革作戦」を主導し、ダイエーの業績を短期間で見事に黒字転換・V字回復させました。
  • その後の展開: 1987年には経営危機にあった「リッカーの管財人社長」も務めましたが、その後にダイエー中枢からは外れることとなりました。
  •  
  • V字回復して儲けたあとは「優秀な人材を使い捨てにする中内功」なので、最低の人間です。
  •  
  • 誰もが次の社長は「河島博さん」だと思っていた時代です。
  •  
  • 最後に私がいる札幌店までやってきて、「私の力不足なのだと思います」と挨拶しれた素晴らしい人です。
 
 
 
 
 
「労働組合はいろんな政治家と会合することが多い」ので、私は佐藤栄作首相から「首相専用裏番頭」なので、「裏金の采配情報」や「政治家の裏情報」が集まる立場なので、よくいろんな「政治家の秘書」たちから電話がきて相談される立場でもあります。
 

佐藤 栄作(さとう えいさく、旧字体: 佐藤 榮作、1901年〈明治34年〉3月27日 – 1975年〈昭和50年〉6月3日)は、日本の政治家、鉄道・運輸官僚。 東京帝国大学卒業後、鉄道省に勤務した。

 
 
 
「国民は全員労働者」なので、まずは将来設計が作れる「賃金確保を優先」しました。
 
 
1989年12月から「1990年の春闘」までだけは真面目に労働組合の仕事をしましたが、常に「会社の人事担当と書記長の事務局折衝」が続くし、北海道ダイエーの委員長と専務の話しあいは、「最後に妥結数字が出てから」という時間の無駄が多い仕事を経験したので、北海道ダイエー労働組合の委員長と中内功社長にこう伝えました。
 
 
 
翌年の春闘は年末から始まるので、私たち「平中央執行委員」は現場も忙しいので、「来年の春闘に妥結率は組合の要求通りの満額でいいですよね?嫌なら私はヨーカドーに行きますよ!」
 
と伝えたので「毎年要求額の一発回答」になりました。
 
 
 
 
1982年のダイエー入社時から中内功社長とは「特別な関係」だし、「全ダイエー労働組合の足立委員長」からもご指名を受けて「ダイエー労働組合の裏のトップ」となり、「ダイエーグループの賃金妥結率を決める役目」になりました。
 
 
 
1990年3月に「北海道ダイエーを全ダイエーが吸収する話」が出たので、この時だけは本気で喧嘩腰になりました。
 
勝手に会社を統合しても組合員は納得しないし、「私が作った手当」もあったので、最後の最後まで私は戦いました。
 
全ダイエーの中央執行委員は100名以上いたので、その会議の席で勝手に了承したような発言を書記長がしたので、「意義あり!!」と大声で会議を何度も中断させたので全国には有名でした。
 
 
 
足立 委員長(前任):1970年代〜1980年代前半にかけてダイエー労働組合の委員長を務め、組合の基盤を築きました。
 
勝木 健司 氏(後任);足立氏の跡を継いで中央執行委員長に就任。その後、ゼンセン同盟の流通部会長などを経て、1986年の参議院議員選挙に当選し政界へ進出したので、実務は足立 委員長に一任されていました。
 
 
 
当時に、「上部団体のゼンセン同盟(UAゼンセン)の裏のトップ」にもなり、「民社党の裏のトップ」にもなったので、「民社党員」にも勝手に登録されたので、「民社党の政治家」たちが私を恐れるのは当然です。
 
 
「日本中の労働者の票」を動かせる唯一の人間だからです。
 
 
 
 
 
「経団連の社長」たちは「札幌の社長会メンバー」なので、経団連の会合に呼ばれたこともありますが、「私がダイエーユニオンの妥結率」を決めていたし、一部上場企業は、前年度の妥結率にダイエーと同じ妥結率をかけるのが「暗黙の了解」になり、誰も私に文句を言える人はいません。
 
 
私が決めた妥結率に文句がある人は「貸したお金をすぐに全額返金する約束」だからです。
 
 
 
「毎年、春闘の妥結率が決まる時期」にはいろんな人から電話が来るので、「全国一斉FAXでダイエーユニオンの妥結率」を書いて一括送信で送っていました。
 
 
 
 
 
 
 
 
日本における1990年以降の「一部上場企業(大手企業)」の春闘における平均賃上げ率(妥結率・アップ率)の推移は、バブル崩壊後の長期低迷(デフレ期)を経て、近年の物価高を受けた歴史的な高水準へと大きく3つのフェーズに分かれて推移しています。
 
大手経済団体である日本経済団体連合会(経団連)および厚生労働省の「民間主要企業春季賃上げ要求・妥結状況」に基づいた主な推移は以下の通りです。 
 
 
1. 1990年代〜2000年代(バブル崩壊からデフレ期へ)
 
1990年のバブル絶頂期には5.94%(厚労省主要企業集計)という高い妥結率を記録しましたが、バブル崩壊後の景気後退や雇用維持を最優先する労使交渉へのシフトにより、妥結率は急速に低下しました。 
 
  • 1990年:5.94%(バブル期のピーク) 
  • 1995年:2.83%(3%台を割り込む)
  • 2002年:1.66%(過去最低水準へ) 
 
2. 2010年代(官製春闘・2%前後の横ばい)
 
デフレ脱却を目指す政府の働きかけ(官製春闘)や企業業績の回復により、数年ぶりにベースアップ(ベア)が復活したものの、妥結率は長らく2%前後で足踏みを続けました。 
 
  • 2014年:2.19%(13年ぶりの2%超え) 
  • 2018年:2.46%
  • 2021年:1.86%(コロナ禍による一時的な落ち込み)
 
3. 2020年代(30年ぶりの高水準へ)
 
※個別に妥結率を決めて良いとFAX
 
世界的なインフレと深刻な人手不足に対応するため、2023年以降はそれまでの「定期昇給の維持」から「大幅なベースアップ」へと構造が変化し、30年ぶりとなる5%超の極めて高い妥結率に達しました。
 
  • 2023年:3.60%(1994年以来の3%台) 
  • 2024年:5.33%(1991年以来、33年ぶりの5%台) 
  • 2025年:5.52%(ここ30年の最高値) 
  • 2026年:5.18%(厚労省最終集計・3年連続の5%台維持) 
 
 
 
 
「定昇とベア」の違いもわからない「労働者の賃金と家族」を守っていたのは私ですが、誰にも感謝されたことはありません。
 
「労働組合の人間」は、いつも酒ばかり飲んでまともな仕事はしていないと有名なので、確かに事実なのですが、あまりに強いプレッシャーなので、「酒で誤魔化すしかいない」というのが実情です。
 
私も「急性アルコール中毒」で腎臓と肝臓が壊れたので「1ヶ月間お酒禁止」になった経験をするほど、毎日、誰かと飲む機会が多い仕事でした。
 
 
 
 
一部上場企業の妥結率は、「公務員の給料」にも影響した
 
結論から申し上げますと、一部上場企業(現・東証プライム上場企業など)の春闘などの妥結率は、公務員の給料に直接そのままの数字で反映されるわけではありません。ただし、それらの大企業の賃上げの動きは、結果として公務員の給与改定に間接的に強く影響を与えています。 
 
 
 
公務員の給料が決まる仕組みと、大企業の妥結率がどう関係しているのかは以下の通りです。
 
 
1. 公務員の給与は「民間準拠」が原則
 
公務員にはストライキ権などの労働基本権が制限されているため、代わりに人事院(地方公務員の場合は人事委員会)が、民間の給与水準に合わせて給与を改定するよう国や自治体に求める「人事院勧告(人勧)」という仕組みがあります。 
 
2. 調査対象は「一部上場企業」だけではない
 
人事院が毎年実施する「民間給与実態調査」の対象は、一部上場企業だけではなく、企業規模50人以上、かつ事業所規模50人以上の全国の民間企業(約1万事業所)です。


役職、学歴、年齢などが同じ公務員と民間企業の従業員の「4月分の給与」を精密に比較(ラスパイレス方式)して、その差を埋めるように改定されます。 
 
3. なぜ大企業の妥結率が影響するのか?
一部上場企業をはじめとする大企業の高い「妥結率(賃上げ率)」は、以下のようなルートで公務員の給与に波及します。
  • 民間全体の給与水準を押し上げる:大企業の賃上げは、徐々に中小企業や市場全体の4月給与、および夏のボーナス支給実績に影響を及ぼします。 
  • 人事院勧告の方向性を決める:近年(2024年〜2026年など)の大規模な春闘での賃上げ好調を受け、人事院勧告でも高水準のベースアップ(月例給やボーナスの引き上げ)が算出され、公務員の給与へと反映されています。
 
 
 
つまり、日本国で働いている人の給与は、私が「ダイエーユニオンの妥結率」を決めることで決まっていました。
 
同時に、「年金制度や保険制度の改革」も無償でやりましたが、誰にも感謝されない「全て無償の仕事」です。
 
 
 
 
 
 
「経団連や労働組合」の言うことを聞かない産業が「インターネット関連産業」ですが、一晩で立ち上がる企業でも3年以上続く会社は少ないのが実情なので「労働環境の悪化」は止められません。
 
 
インターネット産業やIT業界の労働環境の悪化は、多重下請け構造、深刻な人材不足、そして「常時接続」を強いるデジタル文化など、複数の構造的要因が絡み合って引き起こされています。 
 
 
「働き方改革」による残業規制が一定の進展を見せる一方で、現場では負荷の偏りや見えにくい形でのメンタルヘルス悪化が新たな課題となっています。 
 

 
労働環境が悪化・過酷化する4つの主な原因
 
1. 構造的な「ITゼネコン(多重下請け)」と短い納期
 
日本のIT受託開発で根強い多重下請け構造(元請け、一次・二次・三次請け)が最大の要因です。
 
下流にいくほど予算(単価)が削られる一方、厳しい納期や顧客からの急な仕様変更への対応を丸投げされやすく、結果として現場エンジニアへの長時間労働のシワ寄せを生んでいます。
 
2. スキルの偏在と属人化による「運用の崩壊」
 
経済産業省の試算を背景に、IT人材は数万人〜数十万人規模で不足し続けています。特にレガシーシステムの老朽化への対応(2025年の崖)やAI運用の急増に対して、対応できる熟練者が限定されているため、一部の優秀なエンジニアや運用保守担当者に過度な業務負担が集中(属人化)しています。 
 
3. リモートワークが招く「つながらない権利」の侵害
 
テレワークやフレックス制の導入により柔軟な働き方が可能になった一方で、「いつでも、どこでも働けてしまう環境」が裏目に出ています。深夜や休日でもビジネスチャット(SlackやTeams等)への即時反応を求められる「常時接続のプレッシャー」が、隠れ残業や慢性的疲労を助長しています。 
 
4. 生成AI導入による役割の変化と「選別型」への移行
 
AIによるコード生成や自動化の進展に伴い、単に仕様書通りに実装するだけの汎用的な仕事が縮小し始めています。一方で、AIが作成したコードの品質担保やセキュリティ設計など、より高度な技術選定ができる「質の高い人材」への要求値が上がっており、スキルアップや実績作りのための学習負担がエンジニアの精神的プレッシャーとなっています。
国や企業による改善への動き
 
 
 
 
厚生労働省による「時間外労働の上限規制」の厳格化に加え、2026年現在、労働基準法のさらなる改正議論のなかで「13日超の連続勤務禁止」や「勤務間インターバル11時間の原則化」、「つながらない権利のガイドライン策定」といった、より実効性のある法規制の検討が進められています。 
 
企業側にも、ただ制度を導入するだけでなく、ストレスチェックの集団分析を活かした職場環境の改善や、客観的な復職基準の設定、評価軸の明確化など、産業医や人事労務が一体となった「人的資本」のケアが強く求められています。
 
 
 
 
 
 
 
 
インターネット関連産業(情報通信業・インターネット附随サービス業)の営業利益率は、一般的に約8%〜10%程度です。
 
 
業界全体の利益率の目安
  • 情報通信業全体(総務省・経済産業省等の調査):売上高営業利益率は約8.9%です。
  • インターネット業界(業界動向サーチ等):平均的な利益率は約2.5%〜10%程度で推移しており、サービス内容や企業規模によって幅があります。
    • ECモールや決済、大規模プラットフォームなど投資や競争が激しい分野では低め(数%程度)になることがあります。
    • ソフトウェア・SaaS・情報処理・受託ではない特化型システム(オービックやGMOペイメントゲートウェイなど)では20%〜50%前後の高い利益率を叩き出す企業も多く存在します。
 
主な特徴
  • 製造業との比較:製造業(約5.7%)や小売業(約4.2%)などに比べ、在庫を抱えにくいビジネスモデルのため、全体的に営業利益率が高めな傾向にあります。
  • 二極化:インフラや大規模サービスへの投資負担が重い企業と、高付加価値なクラウド・SaaS・プラットフォームを提供する企業とで利益率の差が激しいという特徴があります。

 

 
 
 
 
 
 
 
PER(株価収益率)とは、株価が企業の利益に対して何倍にあたるかを示す、株式投資の代表的な指標です。
 
英語の「Price Earnings Ratio」の頭文字をとった言葉で、現在の株価が割安か割高かを判断するために使われます。 
 
 

 

企業に就職する前や転職する時に、「会社四季報」や「賃金上昇率」を見るのは常識です。

親も一緒に「子供の就職先」を調べる知識がない人は、「子供の責任」として何も言わないことが賢明です。

 

「休日や初任給」だけ見ても、実態とは大きくかけ離れている企業がたくさんあるからです。

おっしゃる通り、求人票の「初任給」や「休日数」の数字だけを額面通りに受け取ると、入社後に大きなギャップを感じるリスクが高まります。
 
 
企業の実態を見抜くためには、表面的な数字の裏にある「内訳」や「条件」を細かくチェックすることが重要です。
なぜ数字だけでは実態が分からないのか、その理由とチェックすべきポイントをまとめました。
 
 
1. 「初任給」の落とし穴:総支給額の内訳
 
初任給が高く見えても、基本給が低いケースが多々あります。
  • みなし残業代(固定残業代): 「初任給25万円」とあっても、その中に45時間分(5万円)の残業代があらかじめ含まれている場合があります。この場合、45時間残業しても給与は増えません。
  • 一律手当の構成: 住宅手当や営業手当などが最初から組み込まれているケースです。基本給が低く抑えられていると、ボーナス(賞与)の計算や退職金の算出額が少なくなってしまうデメリットがあります。
 
2. 「休日数」の落とし穴:カレンダーの運用実態
 
「年間休日120日」と書かれていても、実際に休めるかどうかは別問題です。
  • 有給休暇の計画的付与: 年間休日120日のうち、5日分が「有給休暇の消化」として強制的に組み込まれているケースがあります(本来の会社の休みは115日)。
  • 休日出勤の常態化: カレンダー上は休みでも、繁忙期や顧客対応、店舗応援などで休日出勤を余儀なくされ、代休も消化できないケースがあります。
  • 「完全週休2日制」と「週休2日制」の違い: 「週休2日制」は「1ヶ月の間に週2日休みがある週が1回以上ある」という意味に過ぎず、毎週2日休める(完全週休2日制)とは限りません。
 

 
実態を見抜くためのチェックリスト
 
企業の本当の姿を知るために、以下の方法で情報収集することをおすすめします。
 
  • 「基本給」がいくらか確認する: 求人票の手当の内訳や、固定残業代の有無・時間数を確認する。
  • 「月平均残業時間」と「有給消化率」を見る: 就職四季報や企業の採用データで公表されている数値を確認する。
  • 口コミサイトを活用する: OpenWorkや転職会議などのOB・OGのリアルな声を調べ、サービス残業や休日出勤の実態がないか確認する。
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