私とロシアのプーチン大統領との関係
ウラジーミル・プーチンのプロフィール
1952年、レニングラード(現:サンクトペテルブルク)に生まれ、レニングラード大学法学部(現:サンクトペテルブルク大学法学部)で法律を学び、1975年に卒業した。
KGBの対外情報部員として16年間勤務し、中佐まで昇進したものの、「1991年に辞職」し、サンクトペテルブルクで政治活動を開始した。
※1991年は、私が32歳で「5つの省庁の特別上級国家公務員(キャリア官僚)」と「防衛省の特別統合幕僚長」になった年。
その後、1996年にモスクワに移り、ボリス・エリツィン政権に参加した。連邦保安庁長官、連邦安全保障会議事務局長を経て、1999年8月に首相に就任した。
※1996年は、「私の37歳の誕生日」をアメリカのブルーノートで「マライヤ・キャリーとビヨンセ」が主催してくれた年です。
プーチンと私の関係
私が岡山理科大学に入学した1977年に、従兄弟の中で一番年上の北山雅俊さんから電話があり、「学ちゃん、岡山なら東京までは新幹線で一本なので、お金は送るから遊びにいでよ!」と言われたので、防衛省の仕事のついでに東京の従兄弟の家に行き、酒を飲んで泊まりました。
翌日、「従兄弟は講道館に柔道を教えに行く」と言うので、私も一緒についていくことになり、練習している人たちと一緒に柔道を練習しました。
嘉納治五郎師範が1882年に創設した柔道の総本山・講道館(東京都文京区)

「8歳年上の従兄弟は柔道五段」で世界柔道選手権で2度も優勝した人なのに、オリンピックで2度も負けたので「指導員」になり、日本大学の高校の先生になっていました。
吉岡総本家のルールは、「年に2度、盆と正月は全員集合」と決まっているので、叔父叔母と従兄弟も全員が盆おと小学に集まるので、とても大変で40名以上が集まり先祖にお礼をする大事な日なのです。
「年の始まりの1月1日」は、家を出て他人に会うと1年が忙しくなるので、家を出てはいけない。1月2日は、午前10時までに吉岡総本家に全員集合」
と決まっているので、遅れた人は、「吉岡あや婆ちゃんの許し」が出るまでマイナス30度以上の外で昼飯も食えずに立ちぼうけになります。
小学生の頃から従兄弟の北山雅俊さんとは気が合うので、私によく本をくれたりお小遣いをもらいましたが、その中に「古い柔道の本」をもらったので毎日、自分一人で訓練していました。
私は小学校も中学校もほとんど行かせてもらえない生徒だったので、唯一、自分だけの得点です。
0歳から両親が私を毎日殺そうとするので、いつも山に逃げ込んで「熊の穴」で生活していたので、子供の頃から「山の熊」と戦って遊んだり、「納屋の柱」に縄を巻いて敵に見立て「蹴り倒す訓練」や、60kgのお米が入った米袋を「敵」に見立てて「蹴る払う投げる締める訓練」を毎日していた子供時代でした。
毎日、自分の体を使って戦いに備えた理由は、「北朝のバカな武士や小作たち」が日本刀を持って「父を殺し」にくるので、私にできる訓練を自分で考えながら「朝昼晩100回づつ腕振り訓練」を3歳からしていた子供でした。
それほど「日本の武士をまとめた南朝の吉岡一門頭領が怖い」のと、明治政府を作って「農家の土地」を全てタダで奪って「小作」にやったので、「恨み返し」が怖くて父を殺しにきたのと、父が先祖から引き継いだ「吉岡一門資産」を自分のものにしようとした結果です。
私が3歳の誕生日を迎えるまでは、親に殺されそうになる毎日が嫌だったので、「山に隠れて家にいない子供」だったので、父からこう言われました。
「もう山で生活しなくていいぞ。
今まで3年間、お前を殺すためにいろんなことをしたのに、お前は先祖が守っているのか、石は割れるし、毒を飲ませても死なないし、南朝の硬い日本刀も2本折れたので、もうお前を殺すことはやめにする。
「お前の食いぶち」くらいは食わせてやるから、もう夜中に山に逃げ込む生活を辞めにしろ。
もし、俺の言うことを聞かない場合は、今、ここでお前の首をこの日本刀で跳ねてやる。
俺がお前を殺す理由は、自分の見た目を考えればわかることだが、俺としても切ないので、もう2度と山に戻って生活することはやめてくれ。
吉岡一門頭領の子供を自分の手で殺さなければいけない辛い親の気持ちもわかってくれ。
そう父に言われたので、3歳からは家にいられる代わりに、「親の手伝い」をしながら「武士の剣術訓練」が始まったので、日本刀がなくても相手を殺せる訓練をする必要があると自分で気づき、毎日、痛みを感じないで戦い続ける体を作るためにできることは全てやりました。
高校生になり、体育の授業で「柔道」があり、同級生に「柔道部の背負い投げの瀬川」がいたので柔道の時間に「背負い投げ」をしてもらい、「受け身の練習」を何度も繰り返ししました。
私の得意技は、「大外刈り」と「小内刈り」と「絞め技」です。
いろんな人を絞めては落とすので、背中から「カツ」を入れて起こすのも上手になりました。


私の従兄弟も「私が子供の頃に3度絞め技で落とされた」ので、2度と組ませてくれませんでしたが、講道館柔道を習いに来る警察官や消防隊員たちをメタメタにしてやりました。
「学ちゃん、どうせなら階級をあげるからコイツと勝負しなよ」と言われた相手は3級、1級、初段、2段、3段、4段と勝ったし、「5段の大人3人」にも勝ったので、従兄弟は私に「講道館柔道の5段の黒帯」をくれました。

私は「5段までの認定」はできる「資格保有者」なので、大学生の時に出会ったプーチンには初段の黒帯に「プーチン」と名前を入れた「柔道着」をプレゼントしたので、大喜びで「私の弟子」になりました。
1992年から全ての省庁のキャリア官僚資格をもらったので、ロシアのプーチンにも会いにいく機会も増えたし、一緒に酒を飲みながらいろんな話を聞いてやるのも、私の兄弟子の仕事になりました。

弟弟子のプーチンは「犬好き」だったので誕生日に「犬もプレゼント」してあげました。
「純潔のアイヌ犬」はもういないので、「純潔の秋田県」にしました。


ロシアのプーチン大統領の結婚歴は、1983年に客室乗務員だったリュドミラ・プーチナと結婚し、約30年間の連れ添いを経て「2013年に離婚を発表」したのが唯一の公式な記録です。
二人の間にはマリアとカテリナという2人の娘がいます。

https://jp.reuters.com/article/world/-idUSTYE95508V/
プーチン大統領の元妻、21歳年下と再婚か 露誌報道 2016.2.1
https://www.cnn.co.jp/world/35077148.html
プーチン氏の娘はどんな人? 家族について分かっていること
https://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-61019297
私が大学生の時は「プーチンはKGB職員」だったのに、2001年の解脱後、「プーチンがロシアの大統領に就任」したのでお祝いを持ってロシアまでF15戦闘機で行き、観光案内もしてもらい、娘たちにも会いました。

プーチンは、1999年12月31日の「エリツィン大統領辞任」に伴って「大統領代行」となり、翌年2000年3月の選挙で当選して正式に就任しました。
あっというまに大統領になったので、ロシアのプーチンの部屋で「大統領になるまでの経緯」を酒を飲みながら色々聞き出したので、「自分は世界の支配者マーゴの商品だ」と聞いた時からプーチンの対応を一緒に考えるようになりました。
「俺も実は日本の総理大臣を裏でサポートする役目」なので、お互い戦いたくないので上手にロシアと日本の国交や北方領土返還に向けた話し合いをしようとか、年に一度、北方領土に遺骨を拾いに行きたい人達の船を受け入れる許可をとりました。
1996年に出会った「世界の支配者マーゴ」から「WarGame」の話を聞いた時に、必ず、気が弱いプーチンが口火を凝って戦争を始めるとわかったので色々対応策を考えてアドバイスしました。
「アメリカのトランプ大統領もマーゴの商品だ」と聞いたので、「きっと、最後はアメリがロシアを攻撃してお前は殺されると思うぞ!」と教え、WarGameがどのようになるか「未来を霊視」して対策を考えました。
ロシアがウクライナへの全面的な軍事侵攻を開始したのは、2022年2月24日です。


世界中の国のトップも私の知り合いなので、「いかにしてWarGameに勝つか?」「電磁パルス攻撃はいつなのか?」を未来を何度も霊視して、現実を動かして、また未来を霊視することを繰り返した長い日々でした。
「日本の国防」を守りながら世界の戦争の勝利者になる方法を気づくまでは悩み続けましたが、あるとき、ふと思いついたことが「ゴール」だとわかったので、全ての命令を部下にしてから「自分で記憶を消した」ので、自分でもいつどうなるか覚えていません。
しかし、どんなことがあっても日本を守る!
それが天皇家が日本にやってきた時に「国を譲り」、裏から日本を支える武士の頭領の役目なので、「最後の頭領」としてできることは全てやりました。
2026年8月15日の終戦記念日は、1945年から81年目。

日本を守るために命を落としたご先祖に感謝し、生き方を変える宣言をご先祖に宣言する日です。


