岡山理科大学の学生時代に作ったコンピューターの国防特許がノーベル賞に登録されました。
1977年に、「岡山理科大学 理学部 応用数学科」に入学する時、「数学課程」と「情報処理課程」の二つの選択科目がありましたが、現在は、「応用数学」と「情報数学」になっています。
当時の大学のパフレットに「情報処理過程」は、「西日本最大のホストコンピューターを設置してある」と書いてあり興味もありましたが、「数学」は物理も科学も化学も全ての分野において「基礎」となる学問だから、まずはしっかり「数学」という学問を詳しく知りたくて入学しました。
数学科の選択科目の中に「情報処理」という科目が週に1時間だけ勉強できるとわかったので講義を受けて興味を持ちましたが、2年生になると「情報処理の科目」は無くなり、「学科の変更もできない」と知ったので、情報処理の先生に交渉して「実家のお米と野菜を定期的に渡す条件」で「特別に1年間だけ情報処理の授業」を受けさせてもらいました。
1977年当時は、日本にアメリカ式のコンピューターが導入されたばかりで「専門的な大学」や「研究所」や「防衛省」にしかない時代ですし、全てのコンピューターを学んだ人たちは、一度、アメリカに行って学んだ学問を日本に広めることが目的でした。
1977年当時の日本は、大型汎用機が主流の一方で、マイコン(マイクロコンピュータ)や初期のパソコンが誕生した黎明期でした。
主な代表例は、精工舎のSEIKO-5700、富士通のFACOM 230-75APU、NECのTK-80BSです。
今のようにパソコンの電源を入れてボタンを押せば、勝手に画面が立ち上がるものではなく、専用の紙に「パンチマシン」で穴を開けてから「専用の読み取り機械」で読み込ませると、別室の演算処理機(コンピューター)が識別して画面に表示されて、やっとプリンターに打ち出されるという、とても時間がかかる「コンピューターシステム」でした。



私がコーヒーをこぼした実際の入力結果

自分で打ち込む「パンチマシン」に多くの学生が並んで待っていたので情報処理の先生に、
「結果的に、画面に表示させたいのであれば、最初からキーボードをパソコンに繋いで打ち込めばすぐに表示できるんじゃないですか?」
と聞くと、「これがアメリカ式の最新機器だから文句を言うな!」と言ったので頭に来ました。
「アメリカまで行って勉強した人が、このレベルなら先生は意外に頭が良くないのですね!」と言うと殴りかかってきたので、手を押さえ込んで捻ると痛い痛いと半泣きになりました。
「先生、僕も先生が学んだコンピューターの本を勉強したいので、アメリカで学んだ本を貸して下さい。」と言うと数冊の英語で書かれた本を持ってきて、「専門書なので、どうせ、わからんと思うが、1週間だけ貸してやる、1週間後には必ず、返せよ!」と言われたので、アパートに帰り、すぐに全て読みました。
「英和辞典」も自分で買って調べましたが、「コンピューターの専門用語辞典」はなかったので、翌日、先生に「専門的な辞典」を2冊借りて、一気に「4年間分の教科書」を全て読みながら自分で和訳して理解しました。
教科書の半分以上は、「情報処理学の理論」だったので飛ばして、実際にコンピューターで動かすために必要な▶️「FORTRAN」という「プログラム言語」の教科書が一番、面白かったです。


コンピューターの基本は、「一行の指示」を英語で入力して、「それをたくさんの行で指示を繰り返す構造」なので、とても頭が悪い奴が作ったと思いました。
教科書の最初に書いてある理屈はとても簡単で、英語で「作業指示」を入力するとそのとおりに動くのですが、始まりの「start」や、終わりの「end」をいちいち入力しないと次の作業が打ち込めないという「バカみたいな入力方式」だったので、翌日、情報処理の先輩たちに聞いてみましたが、「そういう物だから文句を言っても変わらないぞ!」と言われました。
実際に、岡山理科大学を卒業して企業に勤めている先輩に聞いてみると、「プログラム言語は、▶️COBOL(コボル)が普通だし、アメリカでは「C言語」や「マシン語」もできているそうだ」と話してくれたので、余計に大学で学ぶ「情報処理学」に疑問を持ちました。



こんなアホみたいな「言語を英語で入力するのは無駄だ」とわかったので、自分でわかりやすい「コンピューター言語を作ればいい」と思いました。
自分なりの「吉岡プログラム言語」を一から作り、入力する「作業指示書」も自分で書いて、翌日、先生に持っていき、実際にコンピューターに打ち込んでいいかの「許可」をもらいに行きましたが、先生は「私が打ち込みたい数式」を見た時、「これはいかん!」と怒りました。
こんな「円数連続計算」の数式をコンピュータに計算させたら、火を吹くか、爆発するぞ!
お前はテロリストか?

- 公式:(n – 1)! (n の階乗を n で割る)
- 考え方:基準となる1つを固定し、残りの (n-1) 個を1列に並べる。
- 例:5人が円卓に座る場合
\((5-1)!=4!=4\times 3\times 2\times 1=24\text{通り}\)
「貧乏農家の息子がテロリストになるわけないじゃないですか!
じゃあ、明日また新しい「演算処理用の数式」を持ってきますので、見て下さい」と言い、翌日、「新しい数式」を見せると、また、「コンピューターが爆発する」と言いました。

さらに「新しい提案書」を見せると、
「これは俺には理解できん!お前が東京理科大学の教授に電話して聞いてみなさい!
と電話を繋いてくれましたが、結局、東京理科大学の教授に説明しても意味が分からず、教授も怒り出しました。
「数学の先生って、怒りっぽいんですね」と言うと、また顔を真っ赤にして殴ろうとしたので、「もし、私に手を出したら、両腕を使えないように折りますのでやめて下さい。」とその場を納めました。
キーボードで入力したものがそのまま画面に映るようにするには「そのための作業指示プログラムを打てばいいだけだ」と思って作ったのに、そのプログラムが理解できない人ばかりなので、実際にアメリカから買ったパソコンの「ハードプログラムの解説書」を見せてもらい、もっとわかりやすいものを作ってやろうと、遅くまで数冊の英語の専門書を読んで理解し、一晩で完成させました。
「電源に関するハードプログラム」や、いろんなプログラムの説明が書いてある中に、「紙を読み取った機械のデータを処理するプログラム」があったので、1台だけ他のコンピューターと切り離して「オフライン」にしてもらい、火を吹かないようにした私が書いたプログラムを先生に入力してもらうと、キーボードから画面に直接、文字が表示されました。
おい!これは!ノーベル賞ものだぞ!
オーバーな人間だなと思って放っておくと、
これを「アメリカに特許申請」すれば、必ず、お金をもらえるので俺が申請してもいいか?
と言うので、「どうぞ、お好きに!」と言い、1台だけオフラインのパソコンを「私に使わせて下さい」と言うと、
「このパソコンはお前にやるから、いつでも好きなだけ打ち込んでいろ!」
と「私のオモチャ」になり、毎日、学校に通って暗くなるまで新しいプログラムを作りました。
大学1年生の時に買った「数学科の全ての教科書」は1週間で読んで理解したので暇だし、「新しいコンピューター言語」をいくつも作り、入力してどうなるかを試しました。
例えば、「二つの点」を表示させて、それを繋いで「線」にして、さらに、点を増やして三角形や四角形にしたり、最後は「限りなく円に近づくプログラム」も作りました。


次に、平面の図形を「立体表示」するための「8本の線を自由自在に動かすプログラム」を作り、回転させて遊んでいると、後ろで先生が驚いていて、
「また、これもアメリカに特許申請してもいいか?」
と聞くので、「先生はアメリカの回し者ですか?」と聞きました。
「いやあ、すぐ金をくれるのはアメリカだし、今の日本でこんなものを理解できる人間はいないし、「国内特許」は取れないからアメリカに売るのさ!」
と言いました。
それは、つまり、日本人が開発した技術をアメリカに売ってお金儲けするという意味ですよね?
じゃあ、教えませんわ。
俺は、日本を騙して戦争させたアメリカが大嫌いなので!
と答えておきました。
暇な時間は、現実世界と同じ「3次元空間で自由に画像を動かせるプログラム言語」を考えて完成したし、縦横高さの「3つの違う空間プログラム」を重ね合わせて同時に画面上で動かせる「立体3次元複合プログラム」も作りました。



このプログラムが進化したものが、「3DカラーCAD」ですが、「特許は日本の会社」にタダであげました。

「3DカラーCAD」に関する特許には、3Dカラーオブジェクトの形状や色情報を処理して3Dプリンター等での出力に最適化する技術(例: 特許第6911163号)や、CADデータ等から質感を伴う3D空間を自動生成する技術などがあります。

これはきっと専門職の人たちには必要だと思ったので日本にいる「日本人の専門家」だけに公開していいし、先生も使えるようにしてあげました。
それが今の「バーチャル3D立体動画の基礎」になっていますし、建設図面を設計するCAD(キャド)の3D映像の基礎にもなっています。

私はダメだと言ったはずなのに先生は、勝手に「私のプログラム」をいくつか「アメリカに特許申請」をしたようですが、新しいプログラムが理解できない「アメリカ人の白人男性3名」を岡山理科大学に送り込み、授業中の私を呼びに来ました。
「日本を騙して、戦争を始めさせたアメリカ人とは一切、話ません!」
と言い張り、帰ってもらいました。
あと聞いたのですが、白人2名は「アメリカ国防総省(ペンタゴン)の情報処理官」で、もう1人は「アメリカのキャリア官僚」だと言っていました。
私をアメリカに招待するので、「もし来てくれれば週に1万ドル出す」と先生にも言われましたが、帰ったアメリカ人の心を読むと「アメリカに行くと一生、帰ってこれない場所に入れられる」とわかりました。
当時の為替レートは、1ドル130円くらいだったので、年収7000万円くらいになると言われましたが、即座に断りました。
「日本の頭脳をアメリカに売り渡してたまるか!」の精神です。
アメリカ人が帰ったあと、日本の「防衛省の幹部」の人が岡山理科大学にやってきて、また、授業中の私を呼びつけにきました。
「先ほど、アメリカの国防総省の人間が数名、来たと思いますが、何を聞かれました?詳しく教えてください。」
名刺も見せずに、突然、現れてもあなたを信用できないので、兵隊を連れてくるか、あなたの身分を証明できるものを見せて下さいと言いました。
私の父の兄弟も「第二次世界大戦」で死んでいますし、母方の祖父は、二度、戦争に行って、右足を失った「名誉傷痍軍人の岩渕安治」ですので、あなたが何者かをはっきり教えて下さい。
祖父は、「北海道北部方面本部 富良野第二中隊所属 陸軍中佐の「岩渕安治」ですが、ご存知ですか?」尋ねると、こう言われました。
(部下に向かって)敬礼!!!
これは、大変失礼いたしました。
あの有名な傷痍軍人で勲章をたくさんもらった岩渕安治さんのお孫さんでしたか・・・。
私が対応できる人ではないので、「統合幕僚会議議長(現在の統合幕僚長)」を呼んできますので、しばらくお待ち下さい。
部下の兵隊さんがお茶を出してくれて、先生の部屋でタバコをふかして待っていると、綺麗な軍服を着た紳士がやってきて挨拶されたので、立ち上がって敬礼してきちんと礼儀をしました。

北海道北部方面本部 富良野第二中隊所属 陸軍大佐の「岩渕安治」の孫の吉岡学と言います!
どうぞ、よろしくお願いいたします!
統合幕僚議長は、敬礼したあと、直角に腰を折ったまま、頭を上げませんでした。
どうしたんですか?早く話をして下さい。
すいません、私、感動して嬉しくて泣いているので頭を上げられませんので、しばらくお待ち下さい。
私の父も祖父も戦争に行き、生き残って帰ってきましたが、「岩渕安治」さんは陸軍にとって「伝説の人」なので、そのお孫さんを通してお会いできることに感無量なのです。
今日は、アメリカ国防総省の人間があなたに会いにきたと聞いたので、どんな情報を与えたのかを教えて欲しくて参りました。
私に詳しく教えていただけますか?
わかりやすく説明したのですが、「全く分からない」と言って、「防衛省の情報処理担当官を2名をヘリで呼ぶのでしばらくお待ち下さい」と言われました。
お茶菓子も出してくれるし、お茶も入れ直してくれたので、統合幕僚議長と二人でタバコをふかしながら、祖父から学んだいろんな戦争体験談をお伝えしました。
私の苗字の「吉岡」は、あの日本刀を振り回して世の中の治安を守っていた「吉岡一門の頭領」の苗字で、日本で最初に「吉岡」の苗字を名乗った一族ですし、私が「最後の吉岡一門の頭領です!」
と言うと、また、統合幕僚長は立ち上がり、敬礼をしながら涙を流していました。
もう、私では無理かもしれません。
あなたとお話しできる人間は、首相か天皇陛下しかいないと思いますが、ここにお連れしましょうか?
「僕はそういう堅苦しいのが嫌いなので、そのまま座って話をしましょう」と言いました。
やっと、ヘリコプターで着いた防衛省の情報処理の専門官2名に話しても、「何を言っているのかわかりません」と言われました。
統合幕僚長:「私たちにはまだ理解できませんが、吉岡さんが開発したこのプログラムは、どれくらいの価値があるんでしょうか?」
まあ、使う人にもよりますが、国防レベルで使えば、「アメリカの攻撃の防御」にはなると思います。
だって、アメリカで勉強した岡山理科大学の先生も、東京理科大学の教授も、「私のプログラムの意味が分からない」と言っていましたもの。
ということは、今の段階でアメリカに持って行っても理解できる人がいないからこそ、私に「週1万ドル」も渡すと言ったようです。
このプログラムが、日本のためになるなら、どうぞ、使って下さい。
それと、もっと現場で働いている頭の柔らかい若い人なら理解できる人もいると思うので、こちらへ呼んで下さい。
私が作った「吉岡プログラム」をご説明しますし、自分で新しいプログラムを作る方法も教えます。
できれば、頭のいい綺麗な女性が好きですので、お願いします。
統合幕僚長)ちょうど、今年、防衛大を出た頭が良くて綺麗な女性がいるので、彼女と現場の人間をここに連れてきますので、もう少し、お待ち下さい。
あなたがこの時間で受けるべき授業もあると思いますが、大丈夫ですか?
大丈夫です。もう4年間の授業は全て教科書を暗記したので、授業を受けるのは「単位のため」ですから全然大丈夫です。
実際にやって来た女性は綺麗でしたし、頭も良くて私が言うことを理解できましたが、現場のトップの男性は「全然、説明がわからん!」と怒り出し、私の教え方が悪いと怒って帰りました。
女性の方は、簡単に自分でプログラムを組む方法まで教えて理解したので、防衛省に戻った彼女から電話がきました。
「6ビットで動かしているコンピューターを何台も壊したので、壊さない方法はありませんか?」
と聞くので、「12ビットにする方法」と、「24ビットにする方法」と、「48ビットにする方法」と「数学の基礎」を教えました。
「私はバカなので、東京理科大学に入り直してから防衛省を受けます」
と言いましたが、あとで「防衛省を退社した」と統合幕僚議長に教えてもらいました。
防衛省で使えるような新しい「防衛プログラム」を自分一人で作って、防衛省の最も大きなホストコンピューターにインストールすると、「ある場所」につながっていることがわかったので、統合幕僚長からこう言われました。
「これは国家秘密事項なので、こちらの書類にサインして下さい」と、守秘義務契約書にサインしました。
栗栖統合幕僚議長は、私が開発した「186個の特許」を全て国防特許にして「非公開」にしたし、お礼のお金も一切、もらわなかったので、お詫びの印に、スウエーデンの「ノーベル賞審議委員会」に掛け合って、「私の数式」と結果を全て見せたそうですが、たった一人だけ理解できる人がいたおかげで、「物理学と科学」の二分野で認められ、「ノーベル賞」を8つ頂きましたが、表彰式にも行かず、お金も欲しい学者にあげました。
「絶対に、マスコミには出さない条件付き」なのですが、公開義務が規則にあるので、スエーデンのノーベル博物館(Nobel Prize Museum)の壁に刻印されている「Manabu Yoshioka Japan)をお探し下さい。



私の家に送られてきた二つの「ノーベル賞のメダル」は捨ててしまいましたし、「フィールズ賞」も「アーベル賞」ももらいが、同じように捨てました。

アーベル賞は「数学のノーベル賞」とも呼ばれ、ノルウェー政府が2002年に創設した、優れた数学者に毎年贈られる国際的な賞です。
賞金は750万ノルウェークローネ(約1億700万円)ですが、「賞金もメダル」も他の学者にあげました。

「国家防衛のプログラム」に関係していることだし、それに「私が開発者」だと知られるとマスコミに出て有名になるので、ヤバい奴らが殺しに来るか、薬を飲ませて拉致されると思ったので、どんなにお金を積まれてももらわないようにしたし、絶対に私の名前が出ないようにしました。
「吉岡一門頭領」がどれほど権力と資産を持っているかを知られると、普通の生活はできなくなので、有名になることやお金が欲しい人間とは付き合わないので、「米農家の貧乏学生」を最後まで通して卒業しました。
私が開発した「吉岡プログラム」と「512ビットまで処理スピードを上げる理論」も全て「国防特許」になったのですが、世の中に出ることは決してありません。
アメリカのWindowsや、イギリスのMacが、どんなに綺麗な▶️OS(オペレーションシステム)を作ったとしても、世界のハードコンピューターは、「64ビット」で止まったままなので、世界のコンピュータは太刀打ちできないようにしてありますので、日本の皆様、どうぞ、ご安心下さい。
さらに、日本のある場所で、誰も開発できないと言った「512ビット」まで上げるための特別な研究施設を作ってもらい、「理論の実証実験も成功した」ので、100年経ってもどこの国も作れない▶️日本独自のCPU(中央演算処理装置)も開発して量産化を始めています。
「世界はこれから日本の最高のCPUを買うしかなくなります」し、「国防特許のCPU」なので、どの企業も国も権利を売買できないようにしてあります。
さあ、日本を「第三次大戦」に巻き込むために動いている世界の人たちよ!
あなたの国の「ICBM爆弾や他の爆弾」を日本に打ち込んでご覧なさい!
日本に向けて打ち込んだ瞬間に、「自国の核爆弾が同時爆発」しますので、世界の首相たちと軍事関係者は、30年前に国連本部で約束した「世界平和同盟」の裏書にあるように、「日本に賠償金」を永遠に払って下さい!

ICBM爆弾(大陸間弾道弾)