「四方文殊褒章」をもらった祖父 2
「祖父の勲章体験談」の続きです。
私が中学生の頃は、ほぼ毎週のように祖父の家に行っていろんな知らないことを教えてもらったので、「学校の勉強より、人生の勉強のほうが大事」だと、この頃に気づきました。
「人生を生き抜いた人たちの体験談」に勝る学びはありませんし、お金を払ってでも聞くべき価値があると、私は今も思っています。
実際に、一度だけ、堂垣内尚弘知事が祖父の家に尋ねた時に同席したこともありますが、家の外に真っ黒な高級車が何台も止まっていて、北海道の各政党の代表と、中央の国会議員が、祖父に挨拶にきた現場に立ち合いました。
私は中学生ですが、バカな大人たちには負けない気迫で生きていたので、黒塗りの車で待っている運転手や部下たちに、
『どいて下さい!邪魔だあな、こんな細い道に大きな車を並べるなんて、非常識だわ。』
と呟きました。
偉そうな顔をした数名の男たちが文句を言いたそうだったので、
「あなたたちのお偉いさんは、僕のじいちゃんに会いに来たはずなので、僕はじいちゃんの客人として、今日、呼ばれたので、良いのかな?
こんな場所に、大きな車を何台も並べておけば、この家の子供たちは道を塞がれて困るし、じいちゃんは足が1本しかないので、こんな迷惑な駐車の仕方をしていると、あなたたちの親分は、きっと、怒られると思いますよ!」とだけ言って、家に向かいました。
※車の運転手たちは、急いでバックして見えない場所に駐車していました。
玄関には、たくさんのピカピカの黒い靴が並んでいるので、自分の汚い運動靴を端に置いて、汚れた靴下も脱いで「じいちゃん、マナブがやってきました!」と、玄関の土間から声をかけました。
じいちゃんは、「ちょっと、待て!」とだけ言って、会話がひと段落するまで話し続けていました。
しばらくしてから声がかかり、「マナブ、入ってきなさい!」と言われたので、ばあちゃんがそっと出してくれた綺麗な靴下を履いて真っ黒なスーツの人たちの後ろに座りました。
「おい、マナブ、前に来い!
俺が来いと言ったら、すぐに俺の前に来るのが礼儀だろう。
そんなこともわからんか、馬鹿者!」
もう、1発目からお叱りを受けてしまいました。
今日は、この偉そうな人たちの前で怒られる覚悟をして、じいちゃんの前に座ると、こう言われました。
みなさん、今日は、よくこんな汚い家にお越し下さいました。
この子は、わしの娘の次男坊で「マナブ」と言います。
こいつは、まだ中学生ですが、こいつがもし、困ったことがあった時は、いつでも力を貸してやって下さい。
俺は、頭を下げるのが苦手な人間ですが、このマナブと毎週のように会うようになって、いろんな話をしている時に、ふと思ったんです。
俺が生き残った意味は、こうして、自分の体験談を全て教え与えることだと・・・。
そして、このマナブは自分が言うのもなんですが、よくできた子供です。
体はまだ子供ですが、心は俺と同じ、戦争に行けば誰よりも前に出て鉄砲を撃つ人間だし、もし、誰かを救おうとしたら、命を投げ出して人を救う人間なので、どうか、ワシが死んだあとは、こいつを支えてやって下さい。
どうか、よろしくお願いします、と、椅子に座っていた自分の体を折って、みなさんと同じで高さで土下座しようとしたので、堂垣内尚弘知事が、じいちゃんを止めました。
岩渕さん、わかりました。
この子がどういう子供なのか、これからどういう人間になっていくのかはわかりませんが、私の家族親族をかけて、この子を一生、お守りいたします。
どうか、私の名にかけて、ここに誓いますので、この心を持って契約とさせて下さいませ。
次回は、私の子供をここに連れてきますので、このことをよく言い聞かせておきます。
足りないことがあれば、私と同じようにしっかり、叱って下さい。
私も足りない人間なので、こうして、岩渕さんからお勉強させてもらっていますが、この「恩返し」は、私の子供がこのマナブ君を陰で支えることで「恩返し」とさせて頂きます。
どうぞ、よろしくお願いします、と詫びの土下座ではなく、兵隊が上官の言うことを100%受け止めた姿勢の土下座をしました。
※土下座にも、いろいろな作法があるのです。
堂垣内尚弘知事の横にいたのは、北海道の社会党のトップ、共産党のトップ、そして、中央から来た自民党の国会議員でした。
全員が、堂垣内尚弘知事に合わせて、戦時中と同じ、「承りました」の意味の土下座をしました。
私は祖父からこの「戦時中の土下座」を習っていたので、さすが、全員、戦争体験者だと思い関心しました。
じいちゃんは、この一言のお願いをしたくて、珍しく、「今日のこの時間に俺に家に来い!」と電話をくれた意味がわかりました。
全員が玄関に向かって行き、靴を履いている時に、堂垣内尚弘知事は私に一言だけ、こう言いました。
「俺は人の顔は一生、忘れないタイプだが、お前はどうだ?」
はい、私も一瞬で人の顔は覚えてしまいます。
これは、昔から特技のようで、覚えようとしなくても、すぐに覚えてしまうんです。
でも、お名前だけは何度、聞いても忘れてしまうのが悩みなんです・・・と言うと、ポケットを探って、自分の名刺を一枚、下さいました。
俺は、本当に大事に付き合う人間にしか、名刺は渡さん!
だから、この名刺は、お前を大事にするという契約書だ!
いいか、忘れるなよ!俺の顔を!
お前が本当に苦しい時か、死ぬほど辛いことがあったら、この知事直通電話に電話していいぞ!
いつでも、飛んできてやる!いいな、覚えておけよ!
俺は、堂垣内尚弘だ! ハハハ(^^)
とても器のでかい人なのは覚えていますが、知事に着任早々、それまでの北海道の政治の流れを全て変えて、経済のお金の流れも変え、地域の人たちに喜ばれる人間として、長く堂垣内尚弘知事は北海道民に愛されました。
もともと建設業にいたので、知事になってからは、談合禁止、賄賂禁止、その代わりに、中小企業の仕事は、直接、誰でも入札できる仕組みに変えました。
それまで北海道の多くの建設業は、国の仕事の下請けをするしかない状況だったのに、大きな企業が小さい企業を潰さないために、大手企業が入札できる件数を1年に一回と決めて、中小企業との合併吸収を影で推進し、北海道の建設業の体質を変えました。
※知事時代まで、自民党にお世話になっていた堂垣内尚弘知事は、「国会議員」になることを決断した時に、北海道の自民党に脱退手続きをし、社会党と共産党の協力を得ながら、第13回参議院議員通常選挙に自由民主党の比例代表候補として立候補しましたが、名簿搭載順位が27位と低く落選しました。
しかし、北海道で知事を三期も続けると、中央に太いパイプも持ちますので、官僚たちの人脈を使って、「祖父の勲章」を直訴したそうです。
最初は、いくつか勲章の名前の候補を上げたそうですが、祖父は、それはダメだ!ワシが貰う価値は無い!と言い、また、次の勲章候補の名前を言うと、それもワシには不似合いだから受け取れん!、と突っぱねたそうです。
堂垣内尚弘知事は、意地もあって、粘りに粘って、祖父の思いを汲み取り、結局、今までにない、誰ももらったことがない勲章ならもらってもいい、と言ったので、全く新しい勲章の名前を決めて、新しいデザインを作り、官僚指示で授与式の日程を決めたそうです。
北海道民に「勲章」を授与するのは、当時は、北海道知事が普通ですが、堂垣内尚弘知事は裏から手を回して、
「天皇から直々に、岩渕さんに勲章を渡すので、東京まで来て下さい。」と言ったそうです。
旅費も宿泊費もこちらで出しますので、どうか、この日だけは絶対に、ずらさないで東京に来て下さいと、言われたそうです。
新聞やマスコミには、載らんのだろうな!
もし、どこかの記事にワシのことが書いてあったら、お前を殺しにいくぞ!
ワシは本当は、貰いたくないのじゃ。
でも、一度でいいから天皇様をこの目で見たいと思ってはいた。
俺と一緒に戦った多くの兵隊たちの無念も含めて、きっちり仕事を果たして命を捧げた奴らの、したかったことを代わりにしてやりたいんだ。
それも、「生き残った兵士の覚悟」だと思ったから、俺は東京へ行ってやる!
でも、変な高級車で、迎えを寄越すなよ!
お前たちのように、えばり腐った人間と同じ車には乗りたくないので、自分の金でタクシーで行くから場所と時間だけ教えろ!
婆さんと、二人だけで行くので、家族にも内密にしておけよ!
実際に、東京に行った時の話を隣にいたおばあちゃんに聞きましたが、この話は家族にも言ってないので、「珍しいねえ」と言いました。
あんたがこの勲章をもらうために東京へ行けるというので、私もうれしかったけど、あんたはもらった航空券をJR代と船賃に変えてしまうし、綺麗なホテルを予約してくれたのに、そこには行かず、ボロで安いホテルに自分で見つけて泊まるし、晩御飯もそこいらの食堂で済ますので、私は何も東京に良い思い出はないよ。
確か、3泊4日のチケットだと思ったけど、あんたは授与式が終わると、その足でJR駅に向かっ、「帰るぞ!」と一言、言っただけだもんね。
まあ、夫婦二人で初めての旅行だから、これが新婚旅行だと思っていますよ、と教えてくれました。
それを聞いた祖父は・・・。
俺は、「傷痍軍人」として、国から死ぬまでお金をもらえる身分だ。
それなのに、さらに国の金を使うのは、死んだ奴らに申し訳ないだろう。
俺は自分が死ぬまでは、国のお金は自分のためには使えん!
だから、子供や孫たちのために貯めているので、俺が死んだら、少しはお前にも分け前がもらえるかもしれんぞ!
と祖父は笑っていました。
祖父がもらった「四方文殊褒章(しほうもんじゅほうしょう)」の意味を聞くと、こう教えてくれました。
「文殊褒章」とは文化的な面、つまり、人間が生きていくうえで役に立つことをした人に贈るものだが、この文字の前に書いてある内容がどれも俺にはふさわしくないので、新しい文字を入れてもらったんだ。
何がいいかを考えた時、俺は農家だからお天道様と大地の恵みはあるので、あとは、「四方の方角の神様のお力」が必要なので、「四方八方」の「四方」を前に書いてもらったんだ。
じゃあ、この勲章は世界にひとつしかないの?
そりゃそうだ、俺が決めて、俺がもらった勲章だから、ドブに捨てようが、砕いて売り払おうが誰も意味がわからんだろう。
俺が死ぬ時に、棺桶に入れてくれと、婆さんに言ってあるので、頼むな、婆さん。
わかってますよ、あんたは、本当に人に誉められるのが嫌な人だから、私も自分の息子にも娘にも孫にも、一切、言ってません。
私たち二人だけが知っている勲章だと思っていたけど、これでマナブも同罪だね、うふふ。
ばあちゃん、「同罪」って言ったら、何かじいちゃんが罪を犯したみたいだから言葉を変えてよ!
そうかい、罪かい・・・。
こんな体の弱い婆さんを嫁にもらってくれて、子供を二人も産ませたのも、罪かもね、ウフフ。
もう、こういう夫婦の会話はまだ理解できない年頃だったのですが、じいちゃんが笑っていたので、良い思い出です。
この続きは、明日です!