【宮古諸島】伊良部島 乗瀬御嶽(ヌーシウタキ)
「ヌーシウタキ」のある場所は、伊良部島の中で最高にきれいなビーチの入口にあります。
足元の真っ白な砂浜は、左手に海までカーブして続いていて、正面の海のブルーの色変わりをみながら、右手に、川状になって流れ込んでいる入り江のそばに近づいて、海の中をのぞいてみると、写真でよくみた真っ青な熱帯魚たちが、群れをなして泳いでいます。
その美しい海のすぐそばにあるのが、「ヌーシウタキ」です。
この「ヌーシウタキ」は、とても意味のあるウタキだと、ユタが話してくれました。
「昔昔、中国・シナ・台湾からこの島に船に乗った男たちが、米俵と野菜と果物も持ってこの場所に上陸しました。
目的は、島の女たちです。
作物が思うように取れないこの島の人たちにとって、、それは心からありがたい品物でした。
島の女たちは、やってきた男たちと交わり、子供を宿しました。
その子孫たちが生きながらえたおかげで、今の島の住人がいるのです。
だから、その男たちのやってきた、私たちのご先祖の住む、中国・シナ・台湾に、感謝するための大切なウタキなんです。
私は、この島が隆起したサンゴの島のために、通常の作物がとれず、土の部分も極端に少ないことを知っていますので、当時の生活の苦しさもよくわかります。
ユタは続けて、「ただ、残念なことに、このウタキは、今、閉ざされてしまっているんです」
驚きのあまり、「エ~!」と声を上げてしまいました。ご先祖を大切にするこの島の人たちの生活の中で、一番大切なことのはずなのに、なぜなんですか?とユタに詳しく話を聞きました。
するとまず、「ウタキ」は、必ず一人の「ユタ(女性)」が、担当で守っています。
だから自分がユタだからと言って、人様のウタキの場所で勝手な行動はできません。
さらに、ユタ一人に、「司(つかさ)」と呼ばれる、55歳から60歳の女性が、毎年の祭りのたびに、2人任命されます。
この3人が、ウタキを直接管理をしていて、このヌーシのウタキは、その70代のユタの女性が、なぜか、ずいぶん昔にこのウタキを閉めてしまったんです。
この土地を管理している神様も、あまりに村人たちが自分たちを大切にしてくれていないと怒っているし、私も直接、そのユタの女性に逢って話をしてみましたが、理解してもらえず、残念でしかたがないと話していました。
そういったあとユタが、祈りを奉げに鳥居に歩み寄ったので、私も後に続き、鳥居の前に座りました。
今までの人々の間違いを謝り、自分にできることをさせて欲しいとお願いしました。
すると、目をつむって祈っている前の方から、「光の玉」が、ゆっくり現れてきました。
その玉は、ウタキの奥のほうから、しだいに私に近づき、どうやら私に下さるように感じました。
遠くから見ていると、水晶の玉のように見えていた玉を、両手で頭の上で受け取り、自分の身体の中に収める前に眺めて見ると、それは、「金の玉」たどわかりました。
それが、何の意味かはわかりませんが、きっと、これから使うことがあるからだろうと思って、一応、受け取っておきました。
そのことをユタに話すと、すぐに、「あなたの前にきれいな女性が出てきましたよ。その女性が、あなたに、玉を授けたのです。私もそれを見ていました。」
私は実は、この玉は、龍をつかさどる「金の玉」だとわかっていましたし、だからこそ、本当は、この地元を守るこのユタの女性に、後であげようと思っていました。
お昼が近づいたので、一旦、ホテルへ戻って、食事をしながら、午前中に起きたことをユタの女性と話し合っていました。
話の中心は、、あの閉ざされたヌーシウタキの横のウタキのことです。
私は、琉球王国の流れがあるこの土地で、この島々の問題に、直接、関わることは、しないほうがいいだろうとも考えていました。
理由は、様々な事があった結果の上に生活している人たちの責任は、自分が取れないと考えていたからです。
しかし、こと、ユタのに関してと、神に関してだけは、別のようです。
それは、同じ世界につながっている人ですから、意識レベルは別として、当然、目的は、同じはずです。
もし、その人たちが、道を間違っているとしたら、私が直接、大きなエネルギーを動かしてでも、気づかせてあげようとて思っていました。
ここでウタキのことをもう少し、詳しく説明しておきます。
前回、ウタキのことを、神社のようなところと言いましたが、もっとわかりやすいイメージでは、神社とお寺の両方の機能を備えていると考えてください。
年に一度のお祭りには、その中にの庭で、踊りや唄を行ったりしますし、祝事、仏事に関わらず、必要に応じて利用しています。
さらに、この「ヌーシウタキ」には、その中央の大きな庭の横に、こんもりした森があって、その部分の奥に、中国・シナ・台湾へつながる祈りの場として祭られていたウタキだけが、閉ざされてしまっているのです。
人間はいつも、自分たちが楽しむ為の都合のいいところだけを利用して、ご先祖の歴史の扉にふたをしてしまっている形です。
本土でも同じですが、人間は、いつも自分たちの都合のいい解釈と、理由をつけて勝手な行動をとってきています。
災害や天災の時こそ、大切なことを思い出すチャンスなのに、いつも、対処の方法ばかりを考えていて、大切なことを学ぼうとしていません。
苦しい歴史や、辛い過去があったからこそ、「今」があるはずなに、過去にあった出来事に感謝できない人間の未来が、幸せに暮らせるはずはありません。
現在、伊良部島には、未来に関わる大きな問題が降りかかろうとしています。それは、沖縄にある米軍基地の移転先の予定地として、なんとこの伊良部島の名前があがっているのです。
今も沖縄本島のある港に、新しく米軍の滑走路を作ろうという動きに反対して、地元市民や全国から集まった人たちが、反対運動と座り込みをしています。
これに困ったアメリカは、伊良部島にあるもっとも長い滑走路(離着陸の訓練用に3000mもあります)に目をつけて、つい先日、移転先は、沖縄の那覇だけにこだわっているわけではないというメッセージをアメリカの政治家がTVで会見しました。
敗戦当時、このアメリカの基地を設置する背景には、当時の敗戦国日本の縮図があります。
冷戦問題や、アジアの脅威、そして経済支援を前提としたときに、受け入れなくてはいけない事情があったからです。
でも現在の日本は、アメリカが恐れるくらいの経済大国になり、世界への影響も大きい国に成長してきています。
ではなぜ、日本が完全に撤退を要求しないのかというと、沖縄を見ていてわかるとおり、地元にも大きな経済効果があることも事実だからです。
ですから実際、地元で争っているのは、地元の人同士なんです。経済人、有力者、政治家などの大きな力を欲しがる人たちと、さらに一般市民の中で、今よりお金を欲しがる人たちがいます。
反対に、歴史から学び、同じ事をくりかえすな!と叫ぶ人たちもいます。
沖縄の問題は、ある意味、北海道と似た過疎地域の問題で、国の支援金を多く必要としていた地域です。
でも沖縄の人たちにしかない特別な感情は、実は、敗戦のときに、日本に見捨てられた国として、復帰までに長い時間、放置されてきました。
この感情は、北海道のアイヌの人たちも、受け入れてきて知っていますが、決してお金だけでは解決できない深い問題があります。
私は自分のことを考えてみて、今、幸せに暮らせている日本のほとんどの人は、こういう一部の人たちの犠牲において成り立っていることを、歴史から学ばなければいけないと思っています。
そして、その恩返しの時期が、今、来ていると感じています。
伊良部問題に戻りますが、このまま進むと、沖縄の那覇基地と同じ問題が、この伊良部島にも起きてしまいます。
確かに、経済が豊かになることはいいことですが、それが歴史や過去の偉人たちの業績を塗りつぶすものであってはいけないと思います。
さらに、この伊良部島は、現在の空港を建設するときに、もともとあった小さな「下地島」という島を、沖縄県が買い取ってしまって、住人たちを立ち退きさせた結果、今の下地島に住んでいるのは、ガソリンスタンド1軒しかありません。
私の大好きな「ホテル てぃだの郷」は、町営だったから、下地島に今でもありますが、働いている人全てが、伊良部島の方から通っています。地図によっては、この下地島という名前が載っていない地図さえあるほどです。
人間の欲は、過去の歴史を消してしまう事もあるのです。
こんな状況で、私は自分に何ができるかを、もう一度、考えました。そして、すぐできることがあるとわかりました。
ユタと、ウタキの神様から、たくさんのことを教わりながら、次第に、今回、自分に求められている役目の大きさを実感しはじめていました。