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自分を感じるとき

みなさんは、「自分を感じるとき」って、どんなときですか?

楽しいとき?うれしいとき?

いや、素敵な風景を見たときかな?

中には、素敵な人に、出会えたときという人もいるでしょうね。

 

私は、少し変なのかもしれませんが、物事が自分の思うように行かないときに、それを感じます。

これは、いつも繰り返される自分のため気づきだと知っているからです。

 

思うようにいかないときは、基本的に自分からは何もしないようにして、自然の流れに身を任せながら、ゆっくり時間が流れていくのを感じることにしています。

こんな桜がきれいな時期ですが、私が一番好きな桜は、実は、普通の家の軒先にある1本の木なのです。

 

それは、家主が長年大切に手をかけているせいなのか、木の精霊が違うんです。

 

一生懸命、期待にこたえようと、エネルギー全開で、笑っているようにさえ見えてきます。

そんな時間をすごしながら、少しゆっくり生きてみると、大切なことが見えてきたりします。

「自分らしさ」を、よく若いころ、探していたことを思いだしました。

場所や人を変えて、探してみたときもありました。

でも、どうにもうまくいかなくて、ちょっとだけゆっくり生きてみたときに、本当は、自分の中にあったことに気づかされたりします。

 

『自分に、「ありがとう」を言ってくれる人がいるおかげで、自分の存在価値が見つかる』

 

こんなことを気づいたとき、自分の人間臭いところを、少しだけ許せたりします。

 

今月の自分のカレンダーのテーマが、『出会う人が、すべて自分の鏡』なので、出会うすべての人とのことで、毎日、つまずいたり、転んだりしながら生きている私は、それも、人間らしさや男の愛嬌かなと、自分でそっと許してあげたりすることもあります。

 

また本当は、人間として、とてもちっぽけなんじゃないだろうかと、思ったりすることもあります。

 

だって、相手が私に期待していることを感じるわりに、僕のちっぽけさを許してくれることが少ないからです。

そういう人がいくら幼い魂だとわかっていても、自分の何かの面の鏡となってくれている、その人との出会いの意味を、私はいつも探します。

 

でも人間として、ちょっとだけ傷ついたりする、そんなときだけが、一番、自分を感じるときなのです。

孤独で人生を暗く生きている人に、今までたくさん出逢ってきました。

 

反対に、明るさを装いながら、心の奥底に、深い悲しみを押し殺している人にも、たくさん出逢ってきました。

 

でも、そういう人に、出あったときこそ、自分の存在価値なんだと、つい、自分の心が動いてしまいます。

その理由は、自分自身が誰よりも、その苦しさを長く深く感じて生きてきたからです。

霊的な感覚をお持ちの方の心の苦しみは、普通のこの世で感じることの苦しみの比ではありません。

 

でも、それさえ、人の役に立つのだからと、自分を選んでいただけたはずなのに、悩んだり、苦しんだり、辛いと感じるこんな自分もいるのなら、これから先の自分の喜びを、どこに置くかを決めなければいけなくなります。

 

愛のすべてを知っていても、愛を実践できる人があまりに少ないこの世は、いつまでたっても、愛の奪い合いなのかと、思えたりするときがあります。

 

愛は、与えて与えて、与えあうことからしか、感じられないものなのに、もらってばかり、欲しがってばかりでは、私も、その人の魂も辛すぎます。

 

「あせるんじゃないよ」と、心の中から声が聞こえてきても、実践する自分が、愛の循環を感じられなければ、それ以上の愛をこの世に降ろすことができなくなってしまうからです。

 

これを読んで下さっているあなたに、ひとつだけ質問させてください。

 

あなたがこの世界を一人で、変えられる力を与えられているとしたら、あなたは、今、何をしますか?

 

世界を変える方法と、今、自分の目の前にいる人にしてあげることが、もし同じだとしたら、あなたは今、何をするのでしょうか?

 

それが、人の出会いの本当の意味だと、いつかあなたに気づいてほしいと心から願っています。

 

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