【宮古諸島】2005年10月28日 『天龍の台座』 と「大調和の庭」
「石庭(いしにわ)」の持ち主 新城定吉さんとの会話は、会うたびに大きな確認と自分の役目を実感させられる場所です。
三回目になる今回、新城さんに挨拶すると、「新しい場所が奥にあるから感じてきなさい」とおっしゃったので、伊良部島の豊年祭(ゆーくい)に参加した北海道の皆さんを連れて石庭のサークル内での瞑想を含め、ひとつひとつの場所の説明とエネルギーを感じてもらいました。
今回、この石庭全体のエネルギーは、前よりも、やさしくおだやかになっていました。
それは、もう自分だけの癒しの時代ではないことを示しています。
新しく正面奥に作った場所は、新城さんが天から降りてきた名前の「天龍の台座」と命名しています。
天龍の台座
この場所は、ものすごく強く、そして高いエネルギーの場所です。
人によっては近づけない人もいると、サポートの女性(濱本政美さん)が、話してくれました。
これは、とてもうれしい名前です。
今年の4月、石庭に来て新城さんと話した中で宮古島・伊良部島の地球上の役目や龍の意味、そして、この石庭の石の役目を二人で話していたからです。
今回、もっと驚いたのは、新城さんがまた新たな場所を掘り始めていたことでした。
新城さんのサポーターをしている濱本さんに尋ねると、今年の6月から突然、密林を伐採して掘り始めたと話してくれます。
新城さんご自身も掘り始めた理由が、「わしにも、わからん。この年(84歳)で、こんなエネルギーがあるとは自分でも不思議に思う」とおっしゃってました。
新城さんとの対話の中で今、掘っている場所の石はタテ石で、とても手がかかると話します。
※石庭の石は、宮古島が三度隆起した名残りとして、タテ石とヨコ石と斜め石があるそうです。
新しい場所の意味とタテ石を立てる意味を私に問われたので、私はこうお答えしました。
掘り始めて3ヶ月になるタテ石と穴
「この石庭の役割は、時代と共に変わってきています。
今までの場所のエネルギーが穏やかになった事はもう自分のための癒しではなく、新しい「天龍の台座」のように、個人と全体がつながるエネルギーを求めてくる人たちがやってくるでしょう。
そして今、切り開いている場所のエネルギーは、「大調和」のエネルギー場です。
そこに新城さんがタテ石を立てることで、宇宙の大調和が、ここに実現されます。
どうぞ、お体を大切にしながら、石を立ててください。
この石庭には、すばらしい木や石が、それぞれ全く違う役割として存在しています。
その一部もご紹介ごしましょう。
この石庭のジャングルの一番奥にある「緑の石を抱いたガジュマルの樹」のことを、新城さんは、どういうエネルギーに感じるかと、私に問いました。
私は、この石を見たときに、「命そのもの」と感じましたし、樹全体と石の関係は、「宇宙の力、命そのもの」だとわかりました。
「大調和の庭」の奥にある大きな緑の石を抱いたガジュマルの樹
それがどういう意味かというと、宇宙根源の創造主の命=宇宙のすべての命の根源、そのものであるということです。
普通は、その部分を実体化する必要がないのですが、この場所には、その役割が与えられているようです。
それはとても大きな命の力であって、この全宇宙のつながりを動かす力を持っているということです。
石庭内にある持ち主の拝所(立入禁止)
この大きな気づきと感動にひたっていると、新城さんが、また質問をしてきました。
「アマミさんには、石をあげたか?」今まで石をもらってはいないし、もらうつもりも無いので、「いいえ」とお答えすると、「ちょっとまってろ」と言って、奥へ行かれて、ひとつの石を感じてみろと手渡されました。
手のひらに収まるこの石は、「大きな愛、とても大きな愛、そして、とても、強い愛の石です」とお答えすると、「それは陰の石だから、太陽に当ててごらんなさい」というので、外へ出て、太陽に光にしばらく当ててから感じると、とても陽の大きなやさしい愛のエネルギーを出しています。
そう新城さんにお伝えすると、「じゃあ、それをアマミさんにあげるよ」と言われました。
「大調和の庭」に入口にある精霊のいる場所
まったくもらうつもりも、欲しいという欲もなかった私は、突然、与えれたこの石の意味と役割と責任に対して、瞬間的に覚悟と決断をして、ありがたくいただくことにしました。
この石が、どういうエネルギーかというと、私自身に与えられている力と全く同じエネルギーなのです。ただし、私自身が意識してこの石のエネルギーを使うと、私の最大エネルギーの100倍まで動かせる力があります。
頂いた石
この石は、陰の世界にも、陽の世界にも使えるエネルギーです。
いずれ世界を守るために、使わなければいけないときがくるかもしれません。
世の中のエネルギー安定と、そのことをサポートする大切な人たちのために使わせていただきます。
今後、私のところに来られた方には、見せる機会もあるでしょうが、触ることはできないことをご理解ください。
私が手に乗せているだけでも、ボロボロ砕けてくるからです。
これは光そのものであり、闇そのものでもある石、そして使う人の意識エネルギーで、すべてを操作して動かす方法は、マヤの時代にも使われていた方法です。
水晶と同じ成分らしく、純粋になる、輝くために使わせていただきます。