大神島の役割

宮古諸島の北に位置する大神島は、宮古諸島(宮古島・伊良部島・来間島・池間島)全体のエネルギーを司るほど、とても強い霊的パワーを発しています。

今日は、地元の方々から聞いたこの島にまつわるお話を少しご紹介しましょう。
この島は、宮古諸島の方でも、ほとんど島へ行かないという場所です。
それは、神人(カミンチュウ)=ユタでさえ、特別な何ことがなければ、足を踏み入れないというほどです。

 

それに、神人(カミンチュウ)に言われたのは、この島は女性しか入れない島だとも言われました。
なぜこの大神島が、女性限定で、特別に扱うかというと、今でも、とても大きな力で守っている神さまがいらっしゃるからです。
この力は霊的なものを感じられる人にとっては、、その重圧に耐えられないエネルギーの重さを感じます。私も2004年に初めてこの島へ渡ると決断したときには、その日の朝から食べものを食べられなくなるくらいに、そのエネルギーがずっしり身体にのしかかってきました。
私もユタもそうですが、霊的なことを仕事にしなければいけない運命で生まれた人は、肉体を動かす前に、思った瞬間にそのエネエルギーが身体に入ってきます。
クライアントさんの場合でも、その方の身体の不調箇所が先に痛くなったり、ご先祖が先に、ご挨拶に来たりしますし、話の途中で、どこかの場所を想像するだけで、その場所のエネルギーが身体に流れ込んできます。
霊視・透視や強い神つながりの力を持つということは、そののしかかる重く苦しいエネルギーに対応できなければいけないので、沖縄地方のユタには人の苦しみを乗り越えるための経験時期としてユタの3年修行があるのです。
初めて伊良部島のユタに逢ったときに、大神島へ行ったことを伝えると、先ほどの注意をまず最初に言われましたが、私の役割や行く意味を伝えると、「吉岡さんは、どこのウタキにでも入っていいと神様が言っています」と言ってくれました。(あまり入りたくはないのですが・・・)
初めて大神島へ船で渡って、展望台の遠見台頂上の手前にある小さな拝所(ウガンジョ)に、ご挨拶してから、やっと身体が軽くなってきました。
船着場から島の左右へぐるっとまわれるところまで歩いてみましたが、その途中に、見てはいけないところや、近づいてはいけないことろもあります。
あとでユタに聞いた話ですが、大神島の最強のウタキは、現在、閉ざされているので、絶対に近づいてはいけないと、厳しい顔で言われました。
そのウタキのことをどうにかできるのは、島に住む人だけですが、もうこの島にはユタもいませんし、現在住んでいる方も数家族の老人だけです。島には廃校になった小学校が、この島の人たちの時代の移り変わりを感じさせます。
ウタキの神さまや島自体の存在にも、それぞれ役割があります。
宮古諸島の表の最大の神さまが、来間島にあるウハルズウタキだとすると、裏を守る最大の神様が、この大神島のウタキにいらっしゃる神様です。
昔から、女性がなぜ霊的に生まれる人が多いのかということも、この裏を守り続けるためですし、先祖供養をするのが女性なのも、自分が命を産み育てる役目として感謝をしながら、先祖の女性たちの供養も含めて祈っているのです。
琉球民族と北方民族のルーツは同じですので、その風習が今でも残っている北海道のアイヌ民族の儀式にも、先祖供養は、女性がするところが多く残っています。
私は何も感じないからいいだろうと思って、ウタキに勝手に足を踏み入れた人が、大変なことになった話を多く聞きますが、今の時代の付き合い方をここで覚えておいてください。
目に見えない神さまの代わりをしてくれる一番近い分身が、実は、その場所で生まれて、今でもその場所に住んでいる方たちなのです。
だから、あなたが大神島や大切な場所へ行くときには、その神さまのの分身であるおばーやおじーたちに出逢ったら、きちんご挨拶をしてください。
よく沖縄方面へ旅をした方が、地元のおじーやおばーに、とてもやさしくご馳走してもらった話を聞きますが、おじーやおばーたちは、そのことをお返ししてほしいとは思っていません。
それは自分の家族も、島を離れてどこかで、誰かにお世話になっていることの恩返しも含めて、今、自分にできることをしているだけだからです。
誰かに恩を受けたことを、その人に返すほど、簡単なことはありません。
現代では、お金という対価で何ごとも解決していましますが、実は、お金では返せない恩や気持ちのほうが、もっともっと尊いのです。
そのことを知っている昔の人は、出会う人みんなが自分の家族のように振舞ってくれます。
だから、現代の価値や対価しか見えなくなった人たちは、そのことを感じさせてもらったら、自分の家にもどって、どう周りの人や親や家族に恩返しするか、また新しく出会う人たちに、お返ししていくのかを考えることが大切なことなのです。
思いやりは、普通のことです。そして、何気ないことです。
この島の人たちが、台風のときにどくれらい苦しい生活をしていたか、そして、どれほどの家族が亡くなったかを知らなくても、あなたが感じようと思えば、そのなかを生きてきたことを感じることができるはずです。
苦しみは乗り越えることで、生きる力になります。
悲しみは、受け入れることで、思いやりが深くなります。
そのことを普通に生活しているなかで、自然に先祖に感謝し、今、生きていることに感謝して、今、出会う人全てが、自分の家族のように付き合うやさしさこそ、これからの時代に必要なことではないでしょうか?
その大切なことを思い出させてくれるのが、宮古諸島であり、それぞれの島の役割なのだと私は感じています。
ウハルズウタキは父だとすると、大神島は、この宮古諸島の大きな大きな母だと思ってください。それは、あなたのずっと昔のご先祖の大おばー様かもしれません。
私も子供の頃の記憶に、父の兄弟が12人いましたので、本家にお正月に親族全員が集まると、総勢40人ほどになりました。戦争で祖父が早くに他界していましたので、農業や家計のすべてを取り仕切っているのが、本家のおばーさまでした。
お正月の2日には、吹雪の中を馬そりで1時間かけて本家へご挨拶にいくと、玄関の土間の囲炉裏のそばにおばーさまが座っていて、自分できちんと履物をそろえて、ご挨拶ができないと、やり直し!と怒鳴られたことを思い出します。
おばーさまに、一人一人ご挨拶してから、すぐに、奥にある仏間の仏壇に、家族でご挨拶にいきます。
戦争で亡くなったおじいさんや父の兄弟、また、子供の頃、亡くなった孫たちの分も、一生懸命に生きることで、日々の感謝が深まります。
親族全員が揃うと、今度は、長男家族から順番に、おばーさまに、ご挨拶の時間です。
子供たちの成長を報告し、健康であることの感謝を伝える時間です。
家族ごとのご挨拶が終わると、今度は、男たち兄弟だけを集めて訓示があります。それが終わると、女姉妹・嫁が集められ、とても厳しい訓示が言い渡されます。
この長い時間、私たち孫たちが隣の部屋で騒いでいると、よく、おばーさまの雷が落ちました。
長い長いご挨拶の時間を終えて、やっと食事になりますが、40人が一同に並ぶその大きな部屋の上座には、おばーさまが座っています。
その回りには、、兄弟の男たちが並び、その次に、兄弟姉妹の上から順番に、母と子供が座ります。

 

私の父は7番目に生まれていますので、父は、おばーさまのすぐそばにいますが、母と私は、もうおばーさまが見えないくらい遠いところの末席に座ります。
食事ができること、家族が健康でいられること、仕事があることを喜びとして、また来年、この顔を全員が見れるように、みんなで協力しあって生きていきなさいと、おばーさまから訓示をいただきます。
こんなに厳しい親子関係ですから、当然、おばーさまのおひざに乗ったり、触れたりすることは、ほとんどできません。
でも自分が小学生になって、家族ごとのご挨拶のときに、ちゃんと一人でおばーさまにご挨拶を言えた時、頭を”なぜなぜ”してくれたことが、とてもうれしい記憶として残っています。
この体験は私にとって、家族のとの接し方や人との付き合い方で、とても大切なことを感じさせてくれた貴重な体験になっています。
大神島に足を踏み入れて感じるあの懐かしさは、きっと、大昔の先祖の大おばーさまのふところのやさしさなのでしょうね。
宮古島に足を踏み入れた方が、みなさん感じるあの暖かさも、きっと、皆様の先祖につながる暖かさなのでしょう。

 

このとき感じるなんとも言えない暖かさ、やさしさ、懐かしさが、ふるさとへ戻ったという証なのだと思います。
どうぞ、遠く離れているあなた家族や、ご先祖に向けて、手を合わせて感謝する時間を、ときおり、とってみて下さい。
あなたのご先祖だけは、あなたがどこで何をしていても、いつも、見守ってくれています。
すべてを守り、命をつないでくれたすべてのご先祖・神さまに、心からありがとうございます。

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