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「神仏習合」にして下さい

普段、神社(神)やお寺(仏)に行かない方も足を運ぶのが新年の特徴だと思いますが、最近は家に仏壇や神棚もないうえに、神や御先祖(仏)に手を合わせる習慣がない大人や子供が増えています。

そういう人が増えたのも、親がその姿を見せなかった事が最大の理由ですが、神やご先祖に手を合わせる理由を明確に伝えることができない大人が多いことも原因でしょう。

子供が生まれて成人するまでに、親や祖父母が神社やお寺に行った回数はとても多いはずですが、なぜその意味を子供たちに伝えることができないのでしょうか?

時代が変わったから、思想の自由化、宗教の多様化、宗教嫌い、子供の意志を尊重などなど神仏を大切にできない理由は山ほどありますが、最も多くはその親自体がそれほど重要だと思っていないことに問題があります。

沖縄の大事な行事の場所で小学生の子供が走り回ると、90歳のオバーは顔をしかめて「この子の親は何しとるか!」と親たちを叱ります。

 

年寄りが若いものを叱る姿こそ、いくつになっても大切な教えだと思いますが、年寄りの言葉から素直に学ぼうとしない大人が多い事も問題です。

年老いた人をただの老人だと扱うのではなく、たくさんの経験をしてきた生きた財産、生き神様と考える精神が沖縄の先祖神信仰にはありますが、その伝承も現在では難しくなってきているのを肌で感じます。

また反対に、神仏や宗教を一切、信じていないうえに一生、手も合わせないと言う方ほど「困った時の神頼み」をこっそりとしているようです。

自分の仕事が成功したい時、自分が病気になった時、自分の子供の合格祈願、大切な人の病気が治ってほしい時・・・・この無くならない人間の欲求に合わせた「御利益主義の神社やお寺」のままでいると、いつかそのご利益さえ感じなくなると、当たらない宝くじと同じように足をばない世代が増えることは確実です。

私自身は神社仏閣などの建造物はもっと少ないほうがいいという考えですが、それでも先祖を大切にして年長者を大切にする心を伝えることは絶対に必要なことです。これはまもなくやってくる団塊の世代の一斉定年退職によって、若者が支えなければいけない60歳以上の方たちが増える事にも大きく関係します。

今、日本のほとんどの家では子供が家を出て離れて暮らしています。だからこそ、親が住む地域を守るのは、その土地に住む若い世代なのです。「年長者は遠くにいる自分の子供ではなく、自分の土地に住む若者たちを導き育て、若者は地域の年長者に学ぶ精神」を育てなければ、親にしたことが自分にされるように、これからの親子の溝はさらに深くなることは確実です。

年長者の方に話を聞くと、昔は遠くに住む自分の子供が誰かに世話になっているからこそ、自分の土地にいる若者を自分の子供と考えて面倒を見たそうです。

この精神こそ、年長者を大切にする心を育てますし、大きな意味で地域社会の誰もが自分の家族である安心感を得られます。

もうひとつ、神と仏、神社とお寺を一緒のものと考える「神仏習合」の考え方が必要な時代になりました。地域で考えてみると冠婚葬祭をひとつの場所で行うことで、まず人が足を運ぶ習慣がつきます。

人が集まると必ず、色々な人の出会いから多くを学ぶ場所にもなるからです。自分の親に言われると素直に聞けない話も、他人の年長者から言われると不思議に素直に聞く若者は多いものです。

個人の家の中においても同じ問題が起きています。

 

核家族化・少子化・結婚しない子供たちは、親が守ってきたお墓や仏壇や神棚を守ろうとは一切しません。だからこそ、宗派の違いや作法の違いに囚われるのはなく、子供たちへ伝えるべき事をどう残すのか、年長者たちが考えなくてはいけない時代になっています。

もともと神道・神社があった日本に取り入れられた仏教は、人間の心の迷いについて釈迦の悟りを説いたものですが、その仏教の導入によってたくさんの人が救われた事も事実です。

 

しかし宗教法人化によって経済的に安定した反面、神仏を扱う精神が失われてきたことも関わる当事者が、一番よく知っています。

思想や宗教は、時代に合わせて信仰の対象を変えることも時代の流れですが、もともとやおよろずの神々を祀る民族であり、神仏混合であった日本だからこそ、家長制度の考え方がくずれると、お墓やお寺や神社を守ることもできない時代がすぐそこまできています。

御先祖が大切にしたお寺や神社を守れないのは、沖縄も同じです。沖縄独自の神仏の対象となるお墓やウタキでさえ、先祖供養や家長制度の崩壊によって、御先祖ごとの精神の伝承ができなくなっています。

 

これからの時代を考えて年長者たちは、古い精神から大切なことを学び、新しい知恵とルールが必要になるでしょう。

神やご先祖のことを教え導く役目のユタ・神人(カミンチュ)でさえ、30年後に存在できなくなることを考えると、指導する人たちが真剣に手を取り知恵を生み出さなければいけない時代に入っています。

北海道の祈り仲間の中に女3姉妹の為、ご先祖の仏壇を守っている独身女性がいます。彼女は神も大切にすることを神事で学び、今回、初めて神棚を買い求めました。

 

女性が神棚を扱う事をとやかく言う人もいますが、男性が家にいて神棚を触らない方が多い事を考えると、言える立場ではありません。

彼女は神様に「神仏習合」という言葉を教えて頂き、自分の家の仏壇の上に神様を鎮座させました。

神棚の飾り方などお手伝いしましたが仏壇の上の神棚にお札を入れて祈りを捧げてみると、毎日、仏壇に手を合わせているこの女性に対して、ご先祖も神様も喜びの言葉を伝えてくれました。

 

形にこだわらず、精神を一番大切にすることで形は変わっても伝承するべきものは残ります。

今回、60歳以上の方を「長老会」という呼び名で神が名付けた理由も「人生50年」と言われた時代から永生きした意味が、先人の知恵を残す役目であることを教えてくれたと感じます。

 

過去のルールに縛られた考え方から、次の世代が神仏を守れるように知恵を出すことが、世の中の60歳を超えた「長老会」の大きな役割だと思います。

「神仏習合」は、これからの新しい日本が目指す姿であり、また世界のいくつもの宗教が聖地の奪い合い戦争をしている方たちを教え導く役目として、日本人がその先陣を切る役目であるとも感じています。

他を受け入れ、自らを重んずるがごとく、隣人を愛する人々が増えることを願います。

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