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【宮古諸島】宮古上布と琉球王朝

宮古島から琉球王朝や薩摩藩へ献上していた最高級織物の「宮古上布(みやこじょうふ)」制作現場で、直接、手に触れる機会を頂きました。

チョン麻と呼ばれる植物の繊維1本1本をほぐして織る宮古上布は、反物の幅で10cmが1万円で取引されていますので、触わった反物の値段を考えると、頭がくらくらしそうでした(^^)

お会いした方は、現在、宮古上布を一手に制作している宮古織物事業組合の理事長でもある上地ツルさんですが、15代前のご先祖が琉球王へ献上したことから宮古上布が世の中に初めて出たそうです。

琉球王朝と御先祖の御縁は、故障した琉球王朝の船を直して全員を助けたのが、上地ツルさんの15代前の先祖である真栄さんですが、2007年に龍球王国の新しい王としてご降臨された真栄王と同じ名前だということが、今回、お会いしたきっかけでした。

宮古空港に着くと、すぐに真栄さんのお墓に行こうということになり、上地ツルさんのご案内で、初めて古い個人のお墓を見せてもらうことになりました。

お墓がある場所は、土地に功績のある方だけが眠る大切な聖地のすぐ横にありましたが、建物は一切、ありません。

理由は、数十年前まで宮古島は土葬だった為に、穴を掘って埋めた場所をいくつもの石で囲んだ形がお墓だからです。

戦後は、この積んだ石さえ高価に売れたらしく、知らない間に、誰かが大きな石をいくつも盗んでいったと話してくれました。

お墓に手を合わせると、確かに御霊がいらっっしゃいました。

真さんから始まる15代前からの家系図も頂きましたが、戸籍にも残っていない人の古い文献を調べあげたお孫さんも、とても素敵です。現在は、家の近くに先祖を祀る為のウタキも作って大切に御霊と宮古上布を守っています。

伊良部島へ渡る前に、石垣島のオヤケアカハチの思いを宮古島へ繋ごうと、漲水御嶽(はりみずうたき)の神様にご挨拶に伺いました。

神様は、「あなたが大切に運んできた思いは、ここでは受け取れませんので、どうぞ、お持ち下さい。」と言葉を添えた後、私に正式な宮古番の証を下さいました。

この後、向かう沖縄本島の神様へ繋ぐ仕事が残っているからなのでしょう。漲水御嶽の神様、ありがとうございます。

5か月ぶりの伊良部島ですが、相変わらず神々のエネルギーは強く、ご挨拶することを怠るとすぐに体が重くなります。

神事であった方にはよく話すことですが、初めての土地を訪れた時や聖地に入る時に、住所と名前、そして、目的を告げてから入る許可を得ないと、よく頭が痛くなったり、体が重くなることがありますので、神様に挨拶する機会がある方は忘れないで下さいね。

今回、伊良部島を訪れた理由のひとつに、伊良部島全体の祭り事の最高責任者である皿主(サラシュ)の男性とお話する目的がありました。

理由は、今まで沖縄のユタや神人たちと話してわかったことですが、沖縄生まれの一般の人たちでさえ、神様を心から信じる人たちが減っていることを知ったからです。

先祖神でも自然神でもいいのですが、神様を信じる心がなくなると、自分を信じたり、他人を信じる心が弱くなりますので、誰かがやってくれるだろうという依存心や無責任な行動をする人が増えてしまいます。

地球がこれだけ崩壊している事を知りながら、何も変えようとしない大人たちの心の中に、神様や先祖たちを信じる心が薄れたことも、大きな原因だと思っています。

私の言う神は、宗教的な神の意味ではなく、自分の心の中にある魂という意味で言っていますが、自分を信じられず、未来に希望を持てない大人たちが増えた事が原因で、考えられない事件が続いていることはあなたも御存じのはずです。

伊良部島のユークイ(豊年祭)を調べると、700年間続いている事がわかりましたので、沖縄で最後と言ってもいいほど、土地の人の心の中まで浸透している神心は、絶対に守らなければいけないと思っています。

皿主(さらしゅ)の男性に、神様ルールや今の現状を詳しく尋ねると、年間に60回近く仕事を休んで神ごとをしなければいけない為に、収入がなくなったり、職を失うこともあるそうです。

そんな現状でも、この役目を一生懸命に果たす彼は、心底、神と御先祖を守る心が強いからですが、神の島と呼ばれている沖縄全土の大切なお祭りも、お金や生活を優先した結果、どんどん消えてしまっていることを御存じでしょうか?

神様やお祭り(神業)を守ることは、人間が生かされていることに感謝する最低のルールだと私は思います。

神様を信じない人は、神様を自分のおじいちゃんやおばあちゃんだと思ってみて下さい。

どんなことがあっても、いつも私たちを見守ってくれているのが、神様や御先祖です。

本来、神様は、人間の御利益主義で存在していませんので、日々、生かされている感謝の心が全ての祈りの基本のはずです。

立派な建物や祭壇を望むのは、人間の我欲の心でしかありません。

神様は立派なお墓も建物も位牌も、何も必要としていません。

ただ、欲しいのは、あなたがまっすぐに向かう神心・仏心だけなのです。

伊良部島の祭りごとを守る為に、何ができるかを島の人たちと話しました。

一番、大切なことは、全国の皆さんが沖縄を守る心を持つことが必要だと思いました。

沖縄は、何度も、大和(日本)の犠牲になった歴史があります。

私がいつも心がけていることも、今の沖縄の人たちが耐えてくれたおかげで、日本はここまで成長できたのだと思っています。

日本を支えてくれてた大きな母親とも言える沖縄の神様、そして、今も、沖縄の神々を大切に守り、次の世代へ残す為に御尽力されている人たちの思いをいつも感じています。

皿主(さらしゅ)の男性に、「今年のユークイに参加できなかったので、神様へお礼を言いたいのですが、どこがいいでしょう?」と尋ねると、「伊良部島全てのウタキの大もとは、比屋地(ピャーズ)ウタキです」と教えてくれました。

翌日、比屋地(ピャーズ)ウタキの神様にお礼を言いに行くと、この5年間のお礼の言葉に添えて、今後もさらに、伊良部島や宮古島の為にお力をお貸しくださいと頼まれました。

神様が言われる言葉は天の言葉ですので、自分にできる精一杯の事をしようと改めて決意しました。

牧山展望台のウズヌシュ様にもご挨拶をしてから、伊良部島のとても大切なウタキである乗瀬(ヌーシ)ウタキへ向かいました。

現在、乗瀬(ヌーシ)ウタキは工事中で、鳥居と建物を全て取り壊していますが、ここへ来た目的は、すぐ隣にある中国・シナ・台湾に繋がるウタキのフタをあけることが目的でした。

伊良部島の御先祖が、中国・シナ・台湾に繋がる血筋を持っていることは何度も話ましたが、その御先祖に繋がるウタキが閉められている為に、神様たちが泣いていると、2005年に出逢った伊良部島のユタは泣いていました。

神様がユタの言葉を借りて、私に伝えたことはほとんど叶えましたが、最後の約束がこの「唐の神(とうのかん)」のウタキのフタを開けることでした。

これまでの5年間、全国でたくさんの神業をしたおかげで、見えない神と神を結びつけたり、神降ろしまでできるようなったことも、この瞬間の為だと感じています。

草むらの入り口に昔の塀の残骸を見つけましたが、このウタキだけは、女性しか入れないと皿主も言っていたので、入り口の前に座って祈りを始めました。

今まで唐の神(とうのかん)に繋がるウタキを閉めたお詫びと、土地神様へのお詫び、そして、唐の神の故郷へ使いを出して、神の繋がりを復活させる祈り言葉を唱えました。

風が吹き、光が照らされた瞬間、あたりの波動もやさしくなり、「唐の神と繋がりました。唐の神のフタが開きました」と、神言葉が降りました。

ようやく、五年越しの依頼を達成できて一安心しました。

人の心は、人が問うもの。

神の心は、神心が問うもの。

だと、神は教えてくれました。

常に、自らの神心を問い続ける生き方をしていきたいものですね。

沖縄を大切に守りたい、伊良部島・宮古島の神々を守りたい皆様のお気持ちを伊良部島の神や人に伝える為に、地球創生基金のお金を今回、使わせて頂きました。

今後も、新しい日本の心の再生の為に、伊良部島へ皆様の御心をお届け下さることをお願いします。

渡口の浜

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