神降りと神守り

5/14、苫小牧市内にある青年会会長の自宅の土地の祈りを行いました。

若夫婦がそれぞれ人間と動物のカットを仕事として始める大切な仕事場兼自宅ですので、土地神様やご先祖様、また集まる人たちのご先祖の繋がりが、歓びと愛になるよう心から土地祈りを行いました。

この家に住み始めてから神棚を祀るようになり、家を与えて下さった祖父母に感謝の祈りを捧げる素晴らしいお二人です。

5/22の正式なオープンの日までは、以前、床の間だった場所に今回祈った神様を仮祀りしています。



各部屋には、お正月のように〆縄も付けました。この〆縄も、青年会が集まって藁から手作りで作った心のこもった〆縄です。

〆縄の本来の意味が理解できる方はわかると思いますが、知らない方はとても重要な意味があるのでお勉強して下さいね。

翌日、偶然訪れた人が若夫婦の土地に入っただけで、何か以前よりもスッキリ澄んだ空気になっと気付く人が居たくらい、土地は神社地と同じくらいに神聖な土地になりました。

若者たちが集まるといつも何を大切に生きるべきかを話す機会が多いのですが、神様を大切にする心と人間を大切にする心が同じである事にもう気づいている素敵なお二人です。

こういう土地祈りをしていると新しい神様がご降臨されたり、以前、居た神様がより大きくなってお働きになる事がありますが、神様を降ろす「神降り」は私の意思で降ろしたのではなく天の意思だからこそ、その扱いにはとても気をつけます。

その理由として、神様は役目の違いによって「神格」が違いますし、その「神格」の理解度によっても神様のエネルギーが変わってしまうからです。

人間から神様を見た場合と、神様を産み出した大元から見た場合の存在意味の違いもありますが、本来、神様エネルギーと呼ばれる「神気」は大きな「摂理」によってに働くようになっているからです。

信仰する宗教によって神様の名前や意味が違うのも、その神様を降ろした人が違うからですが、大切な事は一番最初に降ろした人が伝えた神様の意味を正しく理解する事が重要です。

最初にご降臨された大神様の意思を正しく理解せずに、人間の道理で神様の意味を変えた場合、必ず神様エネルギーが変わってしまい、その影響はこの現実世界にも出てきます。

宗教や人が違うと必ず神様の意味が違う訳も、その人を導いている守護神の「神格」の違いがあるからですが、どれが正しいかを争うのではなく、もともとご降臨された神様がその場所へ降りた意味を正しく理解する事が必要です。

時には、その神様のエネルギーが人間にとって不都合な場合もありますが、大神様の意思がわからずに人間が勝手に意味を変えたりすると、その責任は一人のお詫びや祈りでは済まない結果になってしまいます。

これはご先祖を祀っている仏壇やお墓の扱いにおいても、同じ事が言えます。

父母や祖父母の扱い方が「家のルール」になってしまうからそ、祈り方を指導をした方の思想の違いによってご先祖たちのもめごとが増えてしまい、結果として家族や夫婦内のトラブル、人間関係に傷が入るケースがよくあります。

問題や悩みが出た場合、その事に対応する専門職の方がたくさんいますが、問題を回避する対応を繰り返すと、必ず、大神様の意思を変えてしまうことになり、根幹的な宇宙の意思や神様エネルギーが崩れる結果になってしまいます。

問題が起きた場合は、人間が気付くべき事を気づき、行いや心構えを変える事で解決するケースがほとんどだからこそ、私は必ず仏壇や神棚に手を合わせる人が何に気付き、何をするべきかを指導します。

しかし、形を変えたり祈りでエネルギーを変えた場合、問題が起きた理由に気づかなかった為に、さらに問題がひどくなったケースも何度も見てきました。

神仏の扱いは、そこに触れ合う人と人の心のあり方が、そのまま写しにもなっている「意識エネルギー体」だからこそ、人間都合で判断することだけはご遠慮下さい。

人間はいつの時代も自分たちにとって都合の良い結果になるように神仏の形や意味・宗派を変えてきましたが、その結果がどうなったかと言えば、神仏の扱い方がわからない大人が増えたことや、子供たちが親の守った大切な神仏を守らない子供に育ってしまいます。

「思想や信仰のあり方は宗派の違い」と狭い概念だけで物事を考えるのではなく、人生を生き抜く大切な精神性を育み、困った時の道しるべになるからこそ、本来、神仏がなぜ存在したのかを考える事も必要です。

神仏の意識に繋がる役目の人たちは、人に道を示す役目があるからこそ、その事を正しく理解する必要があります。

日本人が失ってしまった「家長制」の本来の意味は、先住民族たちが大切にしてきた神仏の扱い方にこそ、命を守り育む神仏の知恵があり、それが神仏の存在意味だと学んで下さい。

ひとつの視点だけで物事を判断するのではなく広く理解を広める努力こそ、意見の違う相手を受け入れる心を育てますし、互いに学び合う心を育みます。

神仏が望む事を理解できる心を育てること、そして、神仏の扱い方を学ぶ心こそ、人間の心のあり方を示す道であるとご理解下さい。

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