【四国神事】隠された日本人の心の鍵を開く 6 伊邪那岐神社

伊邪那岐神社の神々に向き合う私たちの宣言はとても重要なので、昼食をとりながら一人一人の神役目を確認する時間を取りました。
沖縄本島生まれで、関東生まれのご主人と家族を持っている巫女は、沖縄(琉球)と日本(大和)を繋ぐ役目を果たす覚悟を決めました。
訳がわかりませんが、何とかと頼み込んで一緒の飛行機に乗せてもらおうとしていると、冷静な女性が出てきてこう言います。
「お客様、お客様はレンタカーの鍵を返す為に待っていらっしゃいますし、ご予約頂いた便を変更する手続きもしなくてはなりませんので、今、出発する便にはお乗り頂けません。どうぞ、次の便にお乗り下さい。」
次の便がまだ、あったんだ!それならいいです。はい、宜しくお願いします!
90分後の便を手配した後、やっと現実の自分に戻りましたが、とても体がきつくてたまりません。
この背中の重さは、神々が何かを伝えたくて乗っているのはわかるのですが、言葉がでないほど強い重さが背中と腰にのしかかっています。
必死に耐えて、やっと飛行機に乗った瞬間、意識はすぐに薄れました。
東京で一旦、降りると背中の重さが無くなっていたので、さっきの重さは、四国と淡路島の神々の言葉にできない思いだとわかりました。
神々が伝えたい思いは、朝方、夢の中で映像とともに言葉で伝えられました。
男と男、女と女、共に愛し合う人たちの事を中性と呼ぶとしたら、男と女と中性を超える愛の形を考えて欲しいですね~!?
この言葉を聞いた瞬間、神々が言葉に出来なかった思いがわかりました。
4000年前のエジプト時代から家族の命を繋ぐ考え方は、「家長制」が基本であり、家長、つまり、一番最初の男種が家督を守る役目という考えは、世界全ての民族、王族、皇族、一般庶民が守り続けたルールだからこそ、財産分与などの日本の法律も「家長制」が基本になっています。
しかし、この「家長制」には様々な弊害があり、多くの人たちが苦しんでいる事を神々が気づかせてくれました。
まず、基本的に結婚をした女性はご主人の名字を名乗る訳ですから、その名字を守る男種の男子が生まれる事を親たちは祈願します。
長男の嫁なら特に、親族の女性たちに厳しく「男の子を産め」と言われます。
ご先祖を神と祀る沖縄の女性にとっては、今も厳しい世間の目が向けられるのは昔と同じです。
沖縄で「門中(もんちゅう)」と呼ばれる一族は、公家・貴族と同じ位の高い一族だからこそ、男の子を産めなかった母の気持ちは複雑です。
今回の神事に参加した巫女の一人も、この事を母に聞いたそうですが、母の答えがとても辛かったと言います。
お母さんは、こう言いました。
私が生んだ子供は皆平等に愛しているし、生まれてくれた事には感謝しているけれど、主人のご先祖たちに申し訳ないと思っていると。
男の子が生まれない女姉妹だけの家族は、名字を受け継ぐ人がいませんので、その名字はそこで途絶えます。
ご主人の兄弟に一人でも男の子が生まれていればまだ救われますが、男子が生まれない場合は、正式に仏壇や墓を守る人がいなくなるのです。
今まで女性たちが先祖を守り続けて祈ってきたからこそ、結婚したとはいえ、自分の旧姓の男種が途絶える恐ろしさは、先祖たちの思いがわかるからこそ辛い思いを一生抱える人生になっています。
現代はさらに、結婚しない人たちや結婚しても子供を産まない人たちが増えていますので、自分を産んでくれた先祖から見れば親不孝ではなく、「先祖不幸」の行いと見られます。
妻になっても子供を産めずに離婚された人たちの辛い思いは、いつの時代もありますし、逆に、本妻に子供ができず、側室に産まれた妻同士の嫉妬争いや、兄弟同士の跡継ぎ争いは一族の血肉の争いにまでなった歴史があります。
天皇家の歴史を調べると、同じような血肉の争いがあった為にそのカルマは大きく今も残っています。
この問題の根底が「家長制」による弊害なのは事実ですが、母たちが必死に守り続けた男種に対する思いは、次男以降の問題も含めて4000年間の民族カルマが背景にあるとも言えます。
近年の日本の法律は、男女同権に基づいて夫婦別姓や財産分与の権利も変わりましたが、未だに男性同士、女性同士の愛の形は認めていません。
子供を愛する同性愛者が居たとしても、社会における地位は得られず、譲り受けた子供が周りの親たちに虐待されることのほうが不安なようです。
私自身が同性愛者に違和感を持っていたのは事実ですし、家長制を基本として先祖が守ったルールでトラブルを解決してきたからこそ、大きく自分自身の価値観や概念を変える必要があることを感じています。
これまでの社会通念ルールによって誰かが苦しむ人がいるのなら、それは、概念やルールがおかしいと考えて、ルール自体を見直す時期に来たのだと思います。
最も大きな問題は、
女性が母になること以外、社会にもお母さんたちにも認められない
という点だと思います。
子供が大好きでも結婚しない(できない)人たちや、子供が居ない夫婦はどのようにして子供たちへの愛を表現したらいいのか迷っています。
子供が居なくても先祖を守り、神仏に手を合わせる心の教えが必要だと思いませんか?
人間や地球生物全てを見守る自然神として太陽神を祀るのならいいのですが、実際に日本神道が天照大神だけを祀る理由は、男種だけに手を合わせて「家長制」を浸透させているとが考えるべきかもしれません。
クリスチャンの方も、マリア様を祀る宗派と、イエス・キリストを祀る宗派の違いがありますが、根底には母神思想か?男神思想かの争いがあると思います。
私は男女どちらの神が正しいのかを説いている訳ではなく、どちらも同等に重要だし、実際はその男女から産まれた子供こそ、もっとも尊い命であり、神であることを伝へるべきなのだと気づかされました。
神は、
人間のルールで人々をどんな扱いにしようとも、この世に産まれた全ての命を神々は平等に守っていることを伝えて欲しい
と言っています。
4000年の呪縛にとらわれず、過去に感謝する気持ちを持って、新しく産まれる地球の子供たちに新しい命を育む考え方を私たちは提案する責任があるのだと思います。
兄弟姉妹に子供が居なくても、神や先祖に感謝できる命の守り方や考え方が必要なの時代なのです。
結婚していないくても、子供を愛する人たちの生き甲斐となる生き方や考え方が必要です。
家族を持っている人と持っていない人が優劣を争うのではなく、誰もが神の子として産まれた喜びと感謝を感じられる考え方を提案して欲しいと神々は気づかせてくれたのです。
4000年間の民族カルマ、命のカルマ、男女のカルマの根幹は、私たちが新しい神仏の扱い方を学べば解消されるはずです。
全ての命が平等であり、どんな生き方や愛し方をしていても、神が産み出した人間全てを平等に愛し感謝し合える生き方を見つけなければなりません。
今も毎日、ひとつひとつ、気づきのメッセージを受け取っていますので、全国の勉強会で会う人たちと一緒に答えを見つけていきましょう。
最後に、親が言う言葉の背景には常に「家長制」の考えが根本にありますが、それは親自身が周りの人たちに言われた苦しみやカルマを超えられないからこそ、子供たちに同じ事を問うのですが、親が学びきらなかったことを超える為に私たちは産まれたのですから新しい愛の形を示さなければなりません。
4000年間続いた人間全体のカルマを外すことこそ地球創生の目的であり、私たちが現代に産まれた役目だと気づいた方は、どうぞ各地の勉強会にご参加下さい。
未来を創造する子供たちの心に傷を残さない大人として、伝える言葉に責任を持って愛のバトンを渡す人間になりましょう!