【愛知県】三河大島 島産み神事(愛知県)
7月24日午前10時、愛知県蒲郡駅に関西から7名、地元愛知から8名の合計15名が集まってくれました。
お互いに初めて会う方も多かったのですが、ほとんどの方が「地球創生SNSの仲間」なので顔と名前が一致するので安心です。
家族を置いて、仕事を休んで、一番、危険な時間にその場にいる覚悟をした人達は、決して「自己犠牲」から動いてる訳ではありません。
自分に出来る愛を、行動で示す気持ちが溢れた方たちです。
三河大島へ渡る前に竹島の女神へ挨拶に行くべきなのですが、誰も渡った事がない三河大島の時間配分ができない為、事前通し祈りで竹島の神様に許可を頂きました。
横一列に並んで竹島に挨拶すると、関西で一番頑張っている神媒体巫女に神エネルギーがかかり、「竹島の巫女として承認する」と神言葉が降りました。
本人は、「本当に私でいいんかいな?」という感じでしたが、それはそれは大きな役目を頂いた訳です。
神様たちは、魂に正直に動く人の行動の積み重ねをちゃんと見ているということですね。
蒲郡駅に一番近いところに住む男性も参加したので、地元を代表する神男役をお願いしました。
地元の男性が土地を代表する男神として正式に神事に入る場合、全体の為の塩・水・酒とは別に連れて行く地元の女性達の分の筋を通す必要があるので、別に自分のお金で塩・水・酒・供物を用意する必要があります。
愛知の女性二人にも、この男神を支える巫女役目をお願いしました。
正式な神事の場合、塩・水・酒や供物を出す人は、直接、神と対話する代表としての意味を表しますので、誰もが供物を出して良い訳ではありません。
先祖の神番や魂の神番、さらに、土地役目と男女の序列を正しく理解して立ち位置を間違わないようにしなければ、仲間の先祖を倒す事になるので、正式な神事ではとても気にかけることが多いという点を覚えておいて下さい。
こういう神事ルールは、個人一人で祈っている人にはわからないと思いますが、現実の大きな会社同士が大切な契約を交わす時も同じように、座る位置さえ問われるほどの厳しい男の縦社会ルールが暗黙のルールとして守られていることを覚えておいて下さい。
これが、陸地から歩いて渡れる女性の竹島(弁天)です。
肉眼でも見えるこの島が、男神の三河大島です。
船は15分程度で三河大島に着きますが、神事で海を渡る場合は海の底を守る「龍宮底神(りゅうぐうすくしん)」に許可を得ないといけませんので、私の役目として祈りました。
潮干狩りと海水浴の7月、8月しか船が出ない無人島なので、とても貴重な体験です。
船に乗って空を見上げると、太陽の周りに日輪が出ていましたので、天の神々も今日の神事を祝福してくれていることを表しています。
三河大島に着くと、すぐに手足を海水で禊いで、「大島神社」へ向かいました。
「大島神社」の神様には、この島へ渡らせて頂いたお礼、今回の神事の目的、参加した仲間たちの心を伝え、祈りの許可を頂きました。
その奥にある「五社神社」の意味は、天から降りた五神の神柱を守る重要な神様ですので、さらに、心と頭を低くして許可を頂きました。
この白く写った蜘蛛の巣に見える写真は、神と精霊達が歓びで姿を見せてくれた様子です。
この島を守る神の気持ちを理解し、心と頭を下げてくれたことにお礼で見せてくれたのです。
一番奥に鎮座している神は、この島最大の「宇賀龍神」が祀られています。
宇賀神は、体が蛇、頭が人間の体をしている神ですが、顔は男と女の二種類あります。
ここの神様は、蛇から龍に昇格した神だとわかるほど神格が高い波動が出ているので、まずは、石畳の落ち葉を拾って、全員、裸足で入る為の準備をしました。
神格が高い場所は、沖縄でも裸足で入らなければいけない社がありますが、その神格に気づかず入る事はとても失礼な事だと思って下さい。
とても厳しい神様ですが、心は大きく、我々の気持ちを理解して下さったおかげで、私の挨拶はスムーズに済みましたが、私が祈りを終えて戻ろうとすると、竹島の弁天巫女が、「愛知の女性たちの心がひとつになっていない!」と、先ほどの「五社神社」の神様が怒っていると言います。
こうなると、大変です。神心を伝えなければいけない巫女も大変なのですが、誰か一人の心でさえ問われた場合、全員の責任になるからです。
まず、愛知の女性達だけでお詫び祈りをしてもらいましたが、許しが降りませんでした。仕方が無いので、愛知の男性にもお願いして頭を下げてもらい、やっと、許可がおりました。
後ろで見守る関西の人たちは、こういう厳しい体験を何度もしているので、自分のことのように、手を合わせ祈りで仲間の心を支えてくれました。
神事は、神に向き合う人の心が問われるものだと初めて参加した方もわかったと思いますが、それは、現実社会の中で周りの人とコミュニケーション出来ない人が問われるのと同じです。
我神は、神にあらず。
大勢の人の為に働く人は、このように天に心の奥底を問われるの事が起こりますので、我神・我心の愚かな心を抑えて、大きな心に調和を合わせることが神事の心構えだと覚えておいて下さい。
これでやっと祀られている神々に許しを得られたので、次は、この島の神々や精霊たちに歓んで頂ける自然神祈りをしました。
最初は、竹島弁天巫女が読み取った人霊の場所の御霊上げです。
以前、ここに住んでいた方たちの匂いがする場所へ行くと、生活した思いと亡くなった方の御霊がいたので、弁天巫女の許可が出た女性に龍を使って御霊を上げる方法を教え、土地番の男神と二人で御霊上げをしてもらいました。
ビーチへ降りる道の途中にも、土地龍が居る場所も見つけましたので挨拶をしてから、三河大島と小島へ繋ぐ祈りを一列になって行いました。こちら側が、三河大島の突端です。
そして、小島です。
この祈りが終わると午後2時を過ぎていたので、島の反対側にある海岸へ向かいました。
先ほど反対側へ出た時に、岩の先に神エネルギーを感じたので、そこで、3時の祈りをしようと決めていました。
初めての島ですが、神が呼ぶままに歩いて行って見つけた場所の素晴らしさに驚きました。
自然神の大切な物が全てが揃っている神場所です。
これが、男岩。
こちらが、女岩。内側は、スッポリへこんでいます。
男岩と女岩が対になっているうえに、その近くには、龍が出入りする「龍の産道」と「龍の卵を守る場所」も見つけました。
この「龍の産道」と呼ばれる道は龍の出入り口なのですが、三河大島の全ての自然神エネルギーは、ここから入ってきます。女性達には、時間まで龍の産道で祈りをしてもらいました。
こういう場所は、沖縄本島で見つけた事がありますが、子供を流したり堕ろしたりした女性の子宮洗いができますし、新しく子供を授かる為の命の繋ぎ祈りが出来る場所として、地元の女性たちに教えました。
偶然、神に導かれたこの場所は、今日のこの時間が一番の干潮ピークだった為に見つけられた場所ですが、普段は、海の中にある為に見つけられません。
もし、ここに祈りにくる方は、干潮の時間に合わせてお越し下さい。
午後2:45、男と女に別れて祈りが始まりました。
私は、海に一番近い岩に座り、海の底へ向けてあらゆる存在たちと対話しました。
時間を忘れて宇宙祝詞上げ続けていると、突然、咳き込み喉の奥から塩水が出てきました。
この海水が繋がった合図だとわかり、あとは、言葉を出さずに無言で祈り続けました。
女性達は、出産経験がある人が伊豆諸島の島産みの場所へ向けて祈り、他の女性は竹島に繋ぎ祈りをしてくれました。
男達は、山の上から天と自分を繋ぎ、地の底まで神の意思を体に通して祈りました。
島産みの目指す場所は、神が教えたラインと重なる「須美寿島」に意識を合わせています。
全ての祈りを終えると、私の足元に素敵な龍宮のお礼がありましたが、取らずに、そのまま残しておきました。
ワカメだけは、みんなで頂きましたが美味しいワカメでしたよ。
地元の方の為に素晴らしい神場所も教えて頂き、全国の皆様と素晴らしい祈りが出来た事を心から感謝いたします。三河大島の神々、本当に、ありがとうございます。
三河大島を離れて港へ戻り、竹島へ向かいました。
竹島へ渡る場合は、必ず、藤原俊成卿にご挨拶が必要ですので、上方の関西の人達に先頭になって頂き、筋を通して頂きました。
竹島の空には、龍が立ち上がっていますし、目を開けた龍の子供も出てきました。
竹島の宇賀神(龍蛇神)に繋がる場所に、最初にご挨拶するのが祈りのルールです。お供えした生卵を、とても歓んで頂けました。
地元の男神と竹島弁天巫女が、先頭に立って全てのご報告をしてくれました。
竹島の八代竜王からの神言葉
うちやまのあるじ給われば神の玉
うちわずらいの神、給わし神結び
おこない給いて 神結び
おこない給いて 神結び
御苦労であったと 我申す
御苦労であったと 我申す
竹島の八百富神社の神言葉結びのたまやのこと始め
結びの飾りを締めなおし
自ずの心の中に生きるとしこの飾りを 締め繋ぎ
神の締め縄 心に結び
本結び給いて 繋ぎ給いて
感謝申しあげたてまつりあげ申す御やおろずの神々と共に
ここにおわします皆々様方
心より立ちあえとお伝え申し上げます福禄 右手に赤の印
福禄 左手に白の印
御玉の光と給いて入れたまえ
結びの飾りを締めなおし
自ずの心の中に生きるとしこの飾りを 締め繋ぎ
神の締め縄 心に結び
本結び給いて 繋ぎ給いて
感謝申しあげたてまつりあげ申す御やおろずの神々と共に
ここにおわします皆々様方
心より立ちあえとお伝え申し上げます福禄 右手に赤の印
福禄 左手に白の印
御玉の光と給いて入れたまえ
御働き御苦労様でございます
ありがとうございます
白く体が光っているのは、神が体に乗っている証拠です。他の写真で白くなっている部分も、全て神の御姿の現れです。本当に本当に、ありがとうございます。