1. HOME
  2. ブログ
  3. 2004年〜ヤマト民族のカルマの解消神事
  4. 【東日本大地震】から二年目の現状 2 宮城県:岩手県

【東日本大地震】から二年目の現状 2 宮城県:岩手県

翌朝一番に、仮設住宅の現状を知りたかったので、「にっこりサンパーク団地の仮設住宅」を見せてもらい、ボランティアで食料支援をしていた方に現状を聞きました。
 

 

 

 

 

 
仮設住宅には電化製品が付いてますので生きるための最低限は確保できますが、食料を買うお店が近くにありません。
 
車を持っていない方の為に週に一度、食品を売りに来るようですが、電気・ガス・水道の光熱費は個人負担ですし、暖房費がかからない集会所に老人達は集まっているそうです。
水が美味しくなかったり、通常より、個人負担の共益費(電気・ガス・水道)が高かったり、アパートが不足して家賃が高いのも、行政が管理する最低限の給付金額の考え方と、個人のニーズに連動する社会の需給のバランスの違いなので、ある意味、仕方がない部分だと言えますが、三年目はニーズの多様性に対応する難しさが出る特徴だと思います。
また、生活保護を申請する人が多すぎるため行政は車を持っている人は絶対に認めない決まりですが、東電や国の援助金をうまく手にした人たちは仮設住宅の電化製品を持ってアパートへ引っ越した方もいるようです。
いつでもどこでも、必ず、光と影の話しがありますが、弱者の視点を大切にしながら子供達に希望の光を与える為に頑張っている人たちを応援したいと思います。
子供がいる方には、もっとも心が傷む現状をお知らせします。
 

追波湾から北上川をさかのぼった大津波は、古川橋の近くにあった「大川小学校」を突然、襲いました。

海から10km以上離れた大川小学校の先生たちは、児童を校庭に集めてどう対処するか考えていたところに、突然、数十メートルの津波が襲ったため、生き残った児童は、たった二名だけだったようで、現在、親達が学校を訴えているそうです。

 

「子まもり地蔵」を見ていると、親御さんたちの怒りや悲しみ苦しみが体の中に溢れてきてたまりませんでした。

子供達の御霊は、静かに上がっているのに・・・。

 
 
大川小学校の奥にあった村は全滅したようで、今でもたくさんのトラックがガレキや石を運び出していました。
女川町(おながわちょう)もガレキの分別撤去が進んでいて、ポツンポツンと壊れた建物が残っているだけでしたので、昨年、見つけた山側の一番奥の祈り場所で祈りをさせて頂きました。

 

(この祈りで降りた神言葉)

私たちは静かにこの場所から天へ昇っていく御霊を見守っていますのご安心下さい。

多くの人たちが手心を合わせてくれたおかげです、ありがとうございます。

今はただ、この場所が懐かしいだけですが、生き残った人たちが元気に明日を生きてくれることだけを願っています。


 

唯一、丘の上に残っていたお寺は壊されて無くなっていましたが、きっと、仏様が女川町の御霊たちを見守ってくれていると思います。
昨年、道路脇に見つけたヘルメットを被った小さなお地蔵様は、心が疲れた人たちに希望と歓びを感じさせてくれますが、今も大切にされていました。
海側の風景は、どこも同じようにガレキの撤去が進み、高台に住みながら漁業関係の施設だけ港側に再開しているようです。

 
雄勝の山越えルートを抜けて、気仙沼市の岩井崎にある「琴平神社」へ向かいましたが、昨年、このお寺の「祈りの広場」で祈らせて頂いて、全員の辛い心が静まった思い出があります。祈りの場所を作って下さり、ありがとうございます。
 
途中の海岸淵には津波で壊れた墓碑を集めた場所がありますが、大きな慰霊塔がご先祖を見守ってくれていました。
 

 

(琴平神社の神言葉)

たくさんの御霊達が天へ上がる為に私は見守っていますので、ご安心下さい。お越し下さいまして、本当にありがとうございます。

海側の道を北へ走り続けていると、「世界のみなさんありがとう」と書かれた文字を見つけました。地元の小学校児童の作だと思いますが、とても心が癒されました。
南三陸町には、復興支援の方達が自力でお店を作ってサポートしていますが、お店の上に大きな白いオーブの神様が見守ってくれていたので、うれしくなりました。頑張って下さいね!
海側の道路には、今回の津波が到達した地点を示す看板が多く設置されていますので、なるべくなら低い土地に住まないよう行政指導も含めてお願いします。

 
陸前高田の海側のガレキはほとんど無くなっていましたが、マスコミで有名な「奇跡の1本松」は、一旦、樹を切って中に鉄を入れて、新たに立ち上げる工事中でしたが、総工費8000万円以上かかったと聞いています。本当に、必要なものなのかどうか難しい問題ですね。
昨年は、釜石市に夕暮れに着いて幽霊屋敷に入ったかと思うほど御霊が溢れていた港でしたが、あえて同じホテルに泊まって感じてみても、今回は静かに夜を過ごせました。町もゆっくり再生の道へ進んでいるのか、港に船も付いていましたし、交通量も増えていました。
なるべく海に突き出た神社の神様と話しをしたかったので、東の海を見下ろす「尾崎神社」へ向かいました。

 

(神言葉)

ここの皆様はとても大切にして下さるので、私たちも色々な思いを持っている人たちの心を見守っています。見下ろす全ての海の恵みも人の命も同様に見守っていますので、ご安心下さい。

もうひとつ、「天照御祖神社」(岩手県釜石市唐丹町片岸30-1‎)にも行きましたが、ここは「常龍山」と呼ばれている山のようです。

雨がちらつく曇り空だったのに、カメラを向けると突然、光を放たれて、神々が歓迎してくれているのを感じました。
人が願いを込めて、川の下流から運んで来た丸い石が本殿横に置かれていました。丸い石は、人間の思いであり、御魂を意味し、命の再生を自然界の神に願いをする古神道の祈り方です。

 
本殿の右手に黒い鳥居を見つけましたが、そこは古神道の祈りをしていた場所がありました。
天から降りた神エネルギーを男女の二本の樹に繋いで降ろし、命を産み出すエネルギーを石に固定した修験系の祈り場です。
今も気持ちのいい神エネルギーが流れていましたので、これからも御霊の再生、命の循環を宜しくお願いしますと祈りました。
昨年は、不浄御霊達の思いを聞いてあげることが目的でしたが、二年目は、御霊や人の思いを見守る神様に土地の思いを繋ぐ形になりました。
これから大切なことは、地元で必死に頑張る人たちの心と日本全国の人の心が、他人事ではなく繋がり続けることだと思います。
福島県には今回、行けませんでしたが、現地を良く知る人の話しでは、現在、住民の意見が二つに分かれているそうです。
危険地域が狭くなったせいで、町に戻れた人たちは何とか地域再生をしようと頑張っていますが、お金が出る家と出ない家の境界線で大きな収入の差が生まれてしまい、中には一軒で年間1000万円を超える補助金をもらっている家もでているそうです。
お金が出ているのだからこのままでも良いじゃないかと言う人と、福島県や町を何とか再生させようとしている方達との意見が分かれている状況だそうです。
人間は、突然、収入が増えてしまうと、未来に希望を持たず目の前の生き方だけにこだわり、人が変わったように自分や家族の事ばかりを考える人たちが増えますが、こういう場合の地域再生には、外の援助だけではなく、自力で生きる道を見つける人たちを支援することが絶対に不可欠です。
日本全国から通っていたボランティア団体の人たちも、1年を超えると激減して多くの団体が撤退しましたが、今の時期は、地域の人たちが自分たちで出来る事と出来ない部分を明確にして、未来のために何が必要かを具体的に示さなければ、再生の原動力である「やる気」さえ、失ってしまいます。
ロシアのチェルノブイリ爆発を考えると、決して簡単に福島県の被爆地域の再生はできないと思いますので、どうか、短期間で戦争の敗北から乗り越えた日本人の強いリーダーシップを発揮して、国家プロジェクトとしての県の再生計画を全国へ示してほしいと思います。
勝手な言い分さえまかり通るほど個人主義が強い時代ですが、このままでは地元の人たちの生きる気力や団結力が弱まり、土地を離れる人が増えることで先祖の思いも消えてしまい、子供達に希望の生き方を示す道が無くなります。
阪神大震災を考えても、3年を超えると、多くの人たちの記憶が薄れ意識しなくなりますので、今こそ、地元の人たちが孤独になりやすい時期だからこそ、全国の人たちも他人事ではなく、自分のこととして考えて行動してみて下さい。
現状の被災地の影の問題は、復興に頑張っていた人たちが疲れてしまい、引きこもりになっている人が増えていると聞きましたが、大切なことは目の前のお金ではなく、もっと先に希望を持てる仲間が増えることですし、依存ではなく、共存の精神で共に大きな夢を叶えるリーダーシップと仲間が必要です。

その為には、行政と個人の話し合いだけだけではなく、民間主導の創造力溢れる人たちの知恵を借りながら、個人でするべきことと、地域でするべきことと、行政がするべきことを明確に示し、未来へ向けた明るいゴールを設定することが必要です。

どんな話し合いでも、全員の人が賛成することは決してありませんので、自分の不満ばかりこを言う人たちの言葉よりも、発展的に地域の未来を考える人たちが、「社会と子供の未来」を軸にして発言する大人たちが動き出すことで、未来の光は産まれます。
弱者保護は常に必要なことですが、前向きに物事を考える人たちだけが未来を作るからこそ、どうか、マスコミが流す情報だけで判断するのではなく、自分の足で現地を見て、人に触れて、もし、自分の町に起きたらどうするかを考えられる「まともな大人」が増えることを願って、天無神人の東日本大震災二年目のご報告に変えさせて頂きます。

アーカイブ