【京都府】京都御所にある三つの宗像三女神
2013年12月8日、京都御所内を案内してくれた地元の女性の氏神へ挨拶しに行きました。
そこは、平安時代の貴人の怨霊(八所御霊)を祀り疫病災厄から都を守る神社、江戸時代まで御所と公家町も氏子区域であったことから古来より崇敬されてきた「下御霊(しもごりょう)神社」です。
神々と対話して細かいことはわかりましたが、結果として「恐れるに足らず」の良い場所でした。
写真のあちこちに大きなオーブが写っているのが、この神社を守る神様達です。
まず最初に、京都御所にある「厳島神社」へ行きました。
平清盛のお母さんと宗像三女神と一緒に祀っている変な神社ですが手を合わせると、「ここの祭神は違う!!」と怒りを混めた女性の言葉が降りました。
やはりなあと思いましたが、この場所に立ってすぐ変なエネルギーを感じた意味はこれかと思い、全員で池へ向かって祈りを捧げてみると・・・
柵の向こう側に巫女が三名埋められていることと、この池くらいの大きな白い蛇が映像で見えました。
一般的に、白い大きな蛇は土地神の最高位の意味ですが、あとでわかったことですが、京都御所の土地はもともと秦氏の重要な祈り場所だったのに、あとからやって来た民族に土地を奪われ、もともと居た神巫女が白蛇となってここに押さえつけられていることがわかったので、良い場所に移動してさしあげました。
奴国について、重要なメッセージが降りたのは、「宗像神社」です。
(宗像神社の神メッセージ)
うつむきかけた 時代のことの話ですね、その時のことについてお話をしましょうか。
淡路の国にあった奴国のことですか、その事について、宗像との関係についてですね。
その事については 我々が一言で申すにははばかるところがあるのですが、ひとつだけ言える事は その国の王が運んできた、といってもいいでしょう。
その時の王が、九州の宗像三女神の巫女集団の中から大事な巫女を1名授かりたいと言い、国家安泰の為に最も力のある巫女を選び、王に差し出しました。
だからこそ それが我々の一族であるかといえば、そうであります。
それが鏡族であるかといえば、鏡族という大きな言い方の中にある一部分に関してはそうであると言えますが、鏡族全体に関してはそうではないという部分もあります。
鏡族とは、たくさんの民族の神巫女のことを言っているからであります。
そして、その奴国の国家平定において、土地に住んでいたものたちがいたかと言えば、いたといえるでしょう。
それは、どこからともなく現れたというか、各地に住み着いた者達という言い方が正しいでしょう。
当時は色々な国から逃げてきた民達が必死で住む場所を探し、出来れば人里から離れて住みたいというものたちもおりましたし、支配体制から逃げたいという方達もたくさんいたのは確かであります。
その大きな体制とは、中国からの制圧によるものでございます。
そして、その奴国王が制定した国家につきましては、我々が知るなかではその王は九州についてばかりではなく、この地を、この地日本国をおさめるために神が勅命として託宣を受けた巫女の言葉と、王の、王としての勅命を受けたものが一致したからこそ、移動した過程の結果でありまして、その時にはそれほど多くない民を引き連れ動いた結果によるものでありまするが、民たちの多くは陸地から渡りましたが、王と王妃は船で渡りましたし、淡路の国の荒れようをみた時に民百姓に斬りつけられる事がないようにと王と王妃の為に沼島という島を選んだわけでございます。
そして、その後に訪れた民が誰かと問われれば、それは、多くの体制派の流れのなかにある民たちのなかで特に、百済派の流れを持つ権力武装に関係した武士集団の中堅の者によって連れ去られたと聞いております。
しかしながら、その後は都に運ぶことなく、妾とすることもなく、その霊力を奪うこともなく、ただ女としてしか扱わず、ただの道具として使い捨てたのでございまする。
それが故に、その魂は未だにさまよっておりまする。
その想いをひとつ、どうにか成し遂げて下さいませ。
その奴国王となる血筋についてでございますが、そこには新羅の血が入ったから消されたと言ってもいいでしょうか。
時の時代においては、一度、二度に及ばず、進軍の過程において幾度も新羅と百済の争いがあったからこそ、王が正規な新羅の王の血を引く者だからこそ、「隠された王」とも言えるかもしれませぬが、そのことについてはどこにも書いたものはないのでしょうね。
捨て去られ置き去りにされたのではなく、親となる人達の想いを汲んだからこそ、自らがその道を選んだのだと理解して下さいませ。
時に、その時代においてどれほど古いかと言えば、4000年近くにひとつの出来事がありましたし、その因果関係となったことが、6000年前の繰り返しであるという意味であれば、あなた方のいう言い方もあり得るでしょうが、我々が伝えるべきことの想いとしては、その新羅の王の血筋の民族が持ってきたと言われています。
ヒエとアワ、そして、麦にいたるまでには長い時間がかかっておりまするし、そのあとに豆の伝来があったからこそ、時の権力者はその種の奪い合いをしていたことも事実としてありましたが、多くの民を救い導くことができたのも、一縷にはインドやカルカッタという島国からきたもの達の想いでもあり、そしてそこが、シュメールにつながるかと言われれば、「それは確かにある」とまでは言えると想いまするが、民一団として動いたのではなく、その中にシュメールのの血の想いをもつ者があったのだということをご理解下さいませ。
血筋においては複雑にからみあっておりますので、その1本の血筋だけを問うことは難しく思いまする。
私たちの力のルーツや巫女達のルーツを問う事は出来ぬように、それぞれが両親を捨て、勢力図の中で必要な場所に運ばれた 幼子や少女達だったからこそ、その想いの純粋さは今も変わらず、大きな魂となり、輝いていると信じておりまする。
自分という我を持てば、死をもって決別せねばならぬほど神の力は大きく、しかしながらそれよりも、天賦と地位をおさめる男達の勢力図の方が上回ったというべきでしょうか。
私はもう何も言うことがありません。
ここに置かれて祀られている意味さえ、もう、とうに多くの民が忘れ去られているのだと思いまするが、それでもこの想いと力だけは九州の宗像三女神につながっておりまするが故に、ご理解下さいませ。ありがとうございます。
ほぼ、私達が事前に読み取ったとおりでしたが、色々な思いをひとつにする必要性を感じたので、縦一列になって宗像神社の神様の思いを全員の体に愛で繋ぎました。
この時に宣言したのは、「私達は、必ず、さまよっているお妃様の思いを歓びになるような祈りを行います。」です。
最後は、市杵島姫命と皇后邦子内親王(第86代・後堀河天皇准母)を祀る「白雲神社」です。
ここには、翌日、池にいた秦氏の大きな神巫女(白蛇)を運び入れましたし、過去の全ての因縁を愛でまとめて下さるよう皇后邦子内親王にお願いしました。
全てを引き受けて下さるお言葉を頂きましたので、大きな御仏と杵島姫命が守って下さいますので、淡路島の神事のあとに奴国のお妃様の御霊をここに納めるつもりです。
懇親会で、お妃様の思いをさらに読み取ると、百済の兵隊たちに連れ去られたあと、お妃様をずっと守っていた巫女たち全員が自害したことまでわかりました。
その巫女達の御霊は、今も、沼島と淡路島を自分の御霊で繋いでいるからこそ、諭鶴羽山の頂上から沼島を見た過去世で王様だった男性にカカリが入ったのです。
巫女達の魂は、何とかお妃様の魂を愛に変えて欲しいと言っていましたので、もう一度、諭鶴羽山に登る事が決まりました。
沼島にいたお妃様の御霊と巫女達の御霊を納める神事ワークは、2014年2月以降に実施しますが、4000年前に淡路島を日本の中心とした方達の思いを全て愛に変える決断をして神事にご協力下さる方は、2月の関西勉強会(2/15)と神事ワーク(2/16)にご参加下さい。
過去に大切なものを守った全ての巫女達の思いを愛に変えるために、私達はこれからも頑張ります!