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【島根県】日本神話の本当の意味 3 出雲國総社 六所神社(出雲)

ここからは沖縄、長野、埼玉、神奈川、東京、愛知、大阪、北海道から集まった地球創生の仲間たちが一緒に行動した2013年 出雲神事の記録として残します。

 

2013年12月11日、出雲国の総社(母神)である「六所神社」に向かうと雨が降り始め、祈りの最中、ずっと雷音と共に龍が空を駆け巡っていました。






この日が偶然、何かのお祭りだったようで禰宜(ねぎ)さんと氏子さんたちがお祭りの準備をしてましたが、わざわざ禰宜(ねぎ)さんが私達の為に、六所神社と出雲に伝わる重要な事を教えて下さいました。

神事の中で起きることは全て「神計らい」ですので、大切なことを教えて頂いたことに感謝します。

(六所神社の神有紋の意味)

((六所神社 吉岡禰宜さんのお話)) 
※市の教育委員会の文化財課長をされている方です
※青文字は吉岡の補足説明

出雲の国の総社は、出雲の国の神様を全てをお呼びしてお祀りをする神社として全国にひとつづつあり、ここは出雲の国です。

他に、伯耆の国、石見の国、ひとつづつあります。関東だと、大国魂神社さんが「六所神社」なんです。

社名というのはその時代によって変わっていきますので、意味がわかると、なぜそういう名前になったのかがわかってきます。

この「六所神社」の名前も六つの神を合わせた意味で伝えられていますが、本当の意味は違います。

大和朝廷が全国制定した時に、出雲は抵抗していないんですけど(戦が嫌いだから)、中国山脈がずっとあって(出雲の南側)、日本海がある(出雲の北側)ので、大和朝廷からすると、なかなか、こっちへ来にくい訳です。

今でも山陰(←明治時代に政府が「陰」と名付けたんですけど)と言って・・・、陰というのもいろいろあって良い意味も悪い意味もあります。もう少しカッコイイ名前にすれば良かったのになぁと思いますが・・・(笑)

 

●家紋のお話

今、風が吹いてますけど、この風は神様なんです。 

※自然神や龍を信仰する古神道の民族だという意味。

旧暦で10月は、神有月ですが、「十」という字と、「月」という字をひっつけると、「有」という時になります。

家紋の有を囲む六角形の意味は、「六」の力によって、「八」の上に位置して守るという意味があります。

※「八」の意味は八方位の方位番を使う中国系の民族の力を「六」の力で押さえ守るという意味。

※「六」の力を使う民族とは六次元、つまり、自然界を宇宙の神力で動かせる民族だという意味。

「六の力で守る」という紋がついている社は限られていて、
1,神魂(かもす)神社、
2,真名井(まない)神社(茶臼山という神奈山)、
3,六所神社(総社)で、もう1つは、どこだと思います??
これは、皆さんご存知でない。

「出雲大社」です。出雲大社のご本殿の中だけにあります。

 

それは、何故かというと、今の宮司さんは大庭(おおば)におられたので「千家」さんっていうんですけど、ご先祖さんは、出雲の造(ミヤツコ)、国造(コクゾウ)さんが、もともとここにおられたので、代々のお墓も、このすぐ近くにあります。

王宮・古墳群は、そのもうひとつ前のご先祖さんです。

※出雲族が入る前にいた民族が、九州にいた王宮・古墳文化を持つ民族だという意味

 

国譲りをした時に天まで届く高い建物を立ててくれという条件を出されましたが、それを大和朝廷が約束を守ってくれたので、杵築の地・稲佐の浜というところへ国造さんは引越しをされました。

ここから向こうへ(出雲大社の場所へ)引越しをされたので、元々の出身地である紋、「神有」を示す紋は、ご本殿の中に必ず有り、代を引き継がれる時の覚え書きがありまして、それに必ず書かれる事になっています。

外の人には、わからない・・・すると、どうしても見たいと思われますよね?(笑)

出雲大社の鳥居を入って右側に「宝物館」があります。

あそこに、伊勢と一緒で神様が使われる調度類は先祖ごとに変わりますが、その代ごとに展示してあります。

箱に入って展示してるのですが、その箱に螺鈿(貝細工)に、ちゃんと、この家紋が入っております。

嘘は言ってません(笑)ご覧になって下さい。

出雲大社の外に向かっての表紋は、明治時代に変えられました。

幕末に入ると、「大」という字。

熊野大社(島根県)、祭神:素戔嗚尊(スサノオノミコト)が、今、この紋です。

明治になると、明治政府が神社を統制し、自分達の配下に置こうと神社に対していろんな命令書を出します。

その中のひとつが、「一村一社制」というのがあります。

薩長の方いらっしゃいます?

※誰もいません

「中央の縁のある神様をちゃんと中に入れなさい」と、ハッキリ書いてないですけど、そう読み取れる通達が出ています。

そのために、神様の名前が結構、変わりました。
元々の古い神様は、おられるんですけど、
国内・八百万の神様をまとめる役、というのが本当の神様の御役目です。

これを勘違いされていたのは、決して現在のことでは無くて、江戸時代から勘違いされています。

すでに江戸時代には、一生に一度は、伊勢に参ろうという「おかげ参り」というのがありました。

出雲大社にも、似たような時期にありました。

その頃、全国の旅ブームというのがあって、お伊勢さんは四回は、そういうブームがありました。

旅に関するガイドブックのようなものが、江戸時代にも出されました。

出雲は、「出雲神社巡拝記」。

伊勢は、さすがに違う。

江戸から安藤広重が東海道五三次を描いたのは、お伊勢さんの宣伝の時期です。

併せてブームになって、出雲でも、それがブームになりました。

その理由はもうひとつあって、あの頃、外国の大きな黒船が日本のまわりをウロウロし始めて、神仏に対する信仰が高まっていた時期です。

それで、政治をやっている各藩は、ここは出雲藩になりますけども、(ここで、大きな雷が鳴り・風雨が!)大砲を用意します。

日本海に向けて、いくつもの砲台を用意しました。

いつでも来いといって用意しましたが、結局、打ってないです。まあ、威嚇ですね。

信仰の世界では、お遍路さん(ちょっと趣旨が違いますけど)・神社参拝が大変ブームになった時期です。

それで、人が動くからお金が動いて経済的には、日本は豊かになって幕末を迎えました。
そして、明治も文明開化が出来るようになりました。

結局、心はどうかわからないけど、経済的に豊かになりました。

お金が出来ると海外の文化を取り入れる資金源が出来るという事で、オランダとかフランスとかの書物がたくさん入り、その中のひとつ代表的なのが、「解体新書」という医学の本。

いろんな効果があったんですけども・・・※雨がとても激しくなってきた!

・・・あんまり大和朝廷の事をいうと、どうも、いかんみたいですね(笑)

ただ、大和に対して文句が言える、苦言を呈する事が出来るのは限られていて、出雲の国造さん(今でいう宮司さん)と、ウチ総社(六所神社)ぐらいです。

討ち滅ぼすと、出雲の国全体が怒るので、絶対に手を出せない。

だから、江戸時代の古文書では、結構、「おとなしくしてなさい」とか、源頼朝もいじめられたりしてました。

 

政治とからむと良く無いので、出雲は戦いは大嫌いなので、これまで戦いをした事が無いので、だからこそ、平和にいくように続いてるし、こっちから攻める事も絶対にしてないです。

ただ、人の繋がりは大切にしてますので、これは古代から、縄文・弥生時代から丸太舟で、日本海を逆流でも帆を立てると、進む事が出来るという文化を持っています。

 

※丸太舟で世界を横断する技術を日本に継承した事実は、北海道のアイヌ民族や沖縄の民族資料として丸太舟が残っていますが、縄文時代に宇宙神や自然神と交信しながら丸太舟で世界中を航海する能力を先住民に伝えた民族だと言う意味。

この特別な技術を「出雲民族」は持っています。

 

それで、朝鮮半島との交流がありました。

 

※朝鮮半島の王国文化、つまり、天皇家のルーツにも大きな関わりがある民族だという意味。

もうひとつが、鉄・青銅文化で、日本中の銅剣は364本ほど見つかっています。

 

それは、中国大陸との交流がこの地域には古くからあったからなんです。その一族ですよ。

 

※青銅器文化を発明した民族は、5000年以上前のシュメール民族であり、朝鮮半島の高句麗一族が有名。

昔はね、日本人は純粋に「みんな日本人なんだ」というこの話は、神社関係の人との会話で、途絶えてしまいました。

※この言葉の意味はアイヌのエカシ(長老)が教えてくれましたが、「人間全てをアイヌと呼ぶ意味」と同じで、全世界の人間を平等に扱う知恵と思想を持っていた博愛主義、つまり、原初キリスト思想を5000年以上前に世界中に伝えた民族だと言う意味になります。

出雲は、お正月やお祭りには、「ウラジロ」で飾るんです。

 

裏白とはね、葉っぱは青かったり、茶色かったりするので載せる物が引き立たないので、大きな葉っぱを見つけて裏にして使うという意味です。

 

今の時代はお皿に盛ってお供えしますが、ガラスだとか陶器だとかが無い頃は、自然の中にあるものでお皿の代用をしてお祭りしたのです。

 

なるべく大きな葉っぱで、青々しい葉っぱを使ってお供えするのは焼き物がない時代からの風習です。

※これは沖縄全土に残っている古代祭事の方法で、今も沖縄の古い神人(かみんちゅ)たちは、この方法でご先祖たちに祈りを捧げます。この意味は、船で南方系から渡ってきた民族であるという意味になります。

 

宮司さんが教えて言葉があとでさらに大きな展開になり、出雲の神職たちが裏で守り続けている本当の神力の意味が最終日にわかりました。

 

お祭りの日にお話いただいたお礼として奉納金を納めたのですが、後日、Facebookで「代官家」というお名前で、吉岡禰宜さんがお礼の言葉を伝えて下さったので皆様にもご紹介します。

 

<出雲国 総社 吉岡禰宜様のお礼メール>

本日は、御参拝頂き、ありがとうございました。丁度、出雲国総社の「新嘗祭斎行と荒神祭」の日でした。

これも何かの御縁かも知れませんね。一時は、俄かに冬空吹き荒びましたが、祭典の際には、雨も上がり、無事お祭りを御奉仕出来ました。

今後の御参考になればと思い、我々、神職が唱和する「敬神生活の綱領」を掲載させて頂きます。

 

神道は天地悠久(てんちゆうきゅう)の大道(たいどう)であって、崇高なる精神を培(つちか)ひ、太平を開くの基(もとい)である。

神慮(しんりょ)を畏み(かしこみ)祖訓(そくん)をつぎ、いよいよ 道の精華(せいか)を発揮し、人類の福祉を増進するは、使命を達成する所以(ゆえん)である。

ここにこの綱領をかかげて向ふところを明らかにし、実践につとめて以て大道を宣揚(せんよう)することを期する。

 

一、 神の恵みと祖先の恩とに感謝し、明き清きまことを以て祭祀(さいし)にいそしむこと。

 

一 、世のため、人のために奉仕し、神のみこともちとして世をつくり固め成すこと。

 

一 、大御心(おおみこころ)をいただきて、むつび和(やわ)らぎ、国の隆昌(りゅうしょう)と世界の共存共栄とを祈ること。

これからも頑張って下さい。ありがとうございます。

つづく

 



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