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【島根県】日本神話の本当の意味 6 石見國一宮 物部神社(出雲)

12月12日朝6時に、山の中の宿を出発すると道路は凍結してアイスバーンになっていましたが、スタッドレスタイヤの冬道に慣れた私が運転したので安全です(^^)

1時間ほどで着いた場所は、壮言な空気に包まれている「石見国一宮の物部神社」です。

暗闇の中を本殿左にある末社にひとつづつ、ご挨拶しました。

左側から山を登ると「降臨地」がありますので、物部一族に関する重要な質問をすると、驚きの新事実がわかりました。

◯御神墓の神言葉

◎物部の祖神は、ニギハヤヒでしょうか?

しかにして、その名を唱えるという事は、その名について問い合わせをする事があるという事か?

その名は、我々が付けたものではなく、後から付けたものだという事は言っておこう。

ここの地に来るまで沢山の地をまわり、いろいろな名で呼ばれたからこそ、その名の時もあると言える。

◎フツヌシとの関係を教えて下さい。

いかにも!その名は、我々の仲間である。

その名をおいて東方へ向かいたまいた者達が、我々の思いを馳せ賜いたと感謝しておる。

その事を宜しく伝えておくれ。

◎物部一族は、ヨーロッパから来られたのですか?

いかにも、ヨーロッパといえば広く、その地域を指すには難しいが、西方より少し南下し、小さな島とも言われる文明が発祥した所から伝わる知恵、知識、科学、農業、宇宙、そして、神の繋がり方を伝え続けた神である。

だからこそ、世界中に物部一族と言われる者のルーツはあると言える。

その光は、天自らが選び、降りられた光の地だからこそ、その地を聖地と呼ぶ者達が沢山いる事も知っておろう。

イスカンダルの星も懐かしいのう、よろしく頼むぞ。

◎その光とは、原初キリストですか?

その意味が少しわからぬ。

よいか、原初キリストとお前達が呼ぶその光は、みな同じではないのだぞ。

降りた光は一つであるが、その知恵、託宣をもって、おのずの判断をもって行いをした者達が、それぞれの道を歩き進んだ過程において、いずれの地へ文化、風習を組み入れながら変化したからこそ、その原初なるものの光はといえば、それは「御光(おんひかり)」、イエス様と言ってもよかろう。

しかし、意味をはき違えるなよ。

マリアがどうだとか、うまやのこやねの話や、他の話しは、別な事だ。

我が天なる御光の御柱は、地球存亡のため、人類存亡のために降りられた御光であると言っておこう、よろしく頼む。

◎この地に来られた時、先住民に「神」という概念を教えられたのですか?

いかにも!

この地は、我々が教育、教養を与え、文化の種を芽生えさせるために、多くの民達が何度も足を運んだ。

その事が広く知られるためには沢山の者達の犠牲があり、船が難破し、遭難し、消えてしまった者達の数が多かったからこそ、我々はまず、この地に着き、その弔いをするがごとく、その御光を天に返すための、御光の地を、まず最初にたて奉るのだ。

その地が、この地の意味だという事も覚えておけよ、よろしく頼む。

◎この地に出雲国を造られたのですか?

何を言いたいのかわからぬ。

出雲国とは、誰の事じゃ?

我が国をもって、制する事を目的に来たわけではないからこそ、この地の制圧においては、さほど興味はなく、その後、何が起きたかは、わしはよく知らぬ。

その名は、遠く後の時代に来た者の名であろう。

我々は、この地に「原初文明」を運んだ者であると言えるであろう。

このあと、右手の末社を回り、いくつかのお言葉を頂きました。

(吉岡が参加者へ伝えた話し)

今回の祭祀役である関西男神が物部一族の魂記憶を持つ方だからこそ、皆さんをここへ連れてきたようですが、時代の影に消えた一族と言われている物部一族の本当の神意を聞くことができて感動しましたね。

歴史では蘇我氏と物部氏の争いだけが書かれていますが、全国に残っている物部一族の思いを正しく書いたものがないからこそ、今回、伝えてくれた博愛主義の精神と、物部一族の神ルーツのメッセージの意味は大きく、古い時代に東の果ての日本の先住民に知恵を授けてくれた人たちがいたことに感謝が溢れます。

物部一族とは、日本へ入ってから呼ばれた名前ですが、そのルーツは、6000年前にヨーロッパから船で世界中の先住民に自然崇拝の精神、「アミニズム」を教えた民族だと思って下さい。

沖縄ルートで「刺青文化」を持つ古い民族がいた証としては、アイヌ人と沖縄人だけが刺青文化を継承しています。

アミニズムの自然崇拝の精神」は、日本神道のもとになった「古神道(こしんとう)」の考え方と同じですし、沖縄では琉球古神道として自然崇拝は継承されています。

また、物部一族は、先日、公開した「沼島にあった王国の紐解き」の民族にも繋がっていると言えます。

九州に集まった多くの民族が日本国家統一を企てるまえに、「争わず、全てを受け入れる博愛の精神」の思想を持っていた民がいたからこそ、信じる神の名前が変えられても、あらゆる民族の思いの統合によって産まれた神思想の理想の国が、現在の日本国であり、それは、宇宙の大神の悲願なのだとご理解下さい。

6000年前に多くの死者を出しながら何度も、宇宙の大神の「博愛の精神」を伝える為にやってきた人たちが居た事を心から感謝し、多くの皆様の先祖ルーツにも関わっていることを感じて、どうぞ、物部一族に対する「感謝の祈り」をお願いします。

物部神社は、争いの心を一切、持ち込まない博愛の精神で祈りをする聖地だとご理解下さい。

つづく

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