1. HOME
  2. ブログ
  3. ・2006年〜出雲伊勢大巫女倭姫命天皇家神事
  4. 【三重県】伊勢神事 月読宮・倭姫宮

【三重県】伊勢神事 月読宮・倭姫宮

1/11、月夜見宮、猿田彦神社の参拝あと、月読宮へ向かいました。

◎月読宮  三重県伊勢市中村町742-1

この社の問題は、鳥居を潜ってすぐ右手にある葭原神社(あしはらじんじゃ)です。

2008年10月に参拝した時に夕方だったこともあり、この社に女性の御霊が三柱入っていることを確認しました。

葭原神社(あしはらじんじゃ)をウイキペディアでは、

祭神は、佐佐津比古命(ささつひこのみこと)、宇加乃御玉御祖命(うかのみたまのみおやのみこと)、伊加利比賣命(いかりひめのみこと)。3柱とも田畑の守護神で五穀豊穣のとされる。佐佐津比古命は大歳神の子であると『皇太神宮儀式帳』に記されている。宇加乃御玉御祖命は名前に「御祖」が入っているもののウカノミタマと同神だと『大神宮儀式解』で言及されている。伊加利比賣命の「伊加利」は「稲刈り」を意味するか、そうでなくとも田と関係するものと『神宮典略』に書かれている。

とされていますが、実際には、三名の女性の魂がこの場所に固定されていました。

神巫女三名の魂を手水舎の手前に祀る意味は、手水舎の清め払いの前に余計な因縁を持ち込まぬよう見張りをする意味で置かれていますし、悲しい気持ちが女性達に乗って来たため、その思いを全て感謝の光に変える為にも感情にカカリが出た三名の人たちに神巫女の魂を運んでもらう役目をお願いしました。

奥へ進むと、向かって左から伊佐奈弥宮(いざなみのみや)、伊佐奈岐宮:伊弉諾尊いざなぎのみや)、月讀宮:月讀尊(つきよみのみこと)、月讀荒御魂宮:月讀尊荒御魂(つきよみのみことのあらみたま)の四神が、別宮として祀られています。

最初に、女性達だけで祈りをしてもらったあと、男性二名は過去の男たちの愚かな争いを土下座をしてお詫び回りをしました。

それぞれの神様から赦しのお言葉を頂きましたが、最後の「月讀尊荒御魂」からは、「巫女となった娘達を産み育てた母の気持ちがわかりますか?」と問われました。

一心に神に向き合うだけの人生を選ばざる終えなかった女性達が、男達の争いの影で神や男の為に命を捧げた気持ちを理解しきれていないことを問われたのです。

改めて心からのお詫びを伝えたあと、過去、命を捧げた全ての巫女の魂を解放し、歓びにできるように命をかけて神業に向き合うことを誓いました。

巫女全員をまとめる筆頭巫女と媒体巫女に、もう一度、最終承認を取ってもらう祈りをしてもらいましたが、やはり、「月讀尊荒御魂」が、何か伝えたいことがあるようだと言います。

全体を見渡しながら、何を気付けばいいのか読み取っていると、ひとつ、重要な事を見つけました。

左から二つ目の伊佐奈岐宮:伊弉諾尊(いざなぎのみや)は男神のはずなのに千木が女切りだということは、ここにも巫女が祀られていることを表していますが、このことを巫女達とサニワした内容を公開します。

(月読宮のサニワ内容)

(筆頭巫女)伊佐奈岐宮:伊弉諾尊(いざなぎのみや)はお父さんというより、男の守る男性性の力を感じました。承認をとりに行く前に、ここも千木が女ということに気付いてお参りさせて頂いたんですけど、ちょっとわからなかったです。月読はすぐOKだったんですけど、となりの伊弉諾について教えてくれようとしているのですが、ちょっとわからなかったです。そこがわかれば承認がとれると思うんですけど。

(吉岡)女性達に承認をとらせた理由は、前に書いてある神の名前ではなくて、後ろに祀られているのは全部巫女だからです。だから、千木が女なんです。それを気づいたので男たちでお詫びしにまわったんだけど、伊弉諾は表に男って書いてあるけど、後ろには女神がいます。それが、ご神体です。そのご神体と話をしたの?男に許可を取れって言ってるんじゃないの、後ろのご神体に許可を取ればいいの。

(筆頭巫女)許可は出てるんだけど、伊弉諾のところの巫女は男の子を育て守った巫女で、お母さんはお母さんで、大お母さんがいらっしゃるんですけど、おばあちゃん、乳母というか、その方をここが教えてくれようとしたんです。ここ(月読)で、子供がでてきたんです。となりのことを教えようとして、子供が出てきて・・・。

(吉岡)書かれてる祭神の女性たちの関係性…。ここに四社祀る理由があるので、その理由がわからなきゃだめだね。

(筆頭巫女)あとひとつ今、言っておかなければならないことは、ここのお宮で最初に入る前に道中で言われたことは、月夜見宮と月読宮と倭姫宮の三か所の巫女さんの思いでやってきたこととか、繋がっているそれぞれの世界を「鏡」というひとつの世界にして倭姫のところに差し出すので、私の神鏡にみなさんの光を入れて下さい。

*このあと、まだ腑に落ちていない事があるので、もう一度、男二人だけで話しをしに行きました。

(二人が行ったあとの女性だけのサニワ)

・すごく女性、女性っていうのがずっと来てる。今世、女性に生まれた意味っていうか、そこがずっときている。
・ここでは(伊弉冉)白い光のような、結んだなかっていうか、十字架みたいな形が見えた。こちらでは(月読)黒い結んだ何か、かた結びのような、竹に紐をくくりつけたかた結びのようなものが見えた。
・関係性をここにいる全員がしっかりとわかりなさいという感じ。いままで説いてきた歴史どうのこうのではなくて、もっとすっごくわかりやすく単純に関係性っていうところをしっかりと・・
・入口の三人の埋められた巫女というのは、ここの神様を守るために入口で守っているのか、まったく関係のないものなのか。それがどういう関係性になってくるのか。
・それはこちらとは別だと思う。
・温かく感じた。
・赤い色がみえた
・一番奥が一番感じた。みんな来てくれてありがとうと、涙ながらにうれしかった感じがした。
・月っていうのは宇宙のエネルギーを照らしてそれを地球に降ろしている。だからここに来たみなさんにも、そのものをわたします、という感じ。みなさんのエネルギーを照らし出しますという感じ。
・一番感じたところは、一番右端(荒魂)。あそこに他の三つの社が並んで繋がっている感じ。あそこがキーになっていると思う。多分物部のエネルギーがある。あそこのとがっている石がいろいろ知っているような感じがしました。
・静か、静かでよくわからない感じ。この辺からちょっとなにかあたたかい柔らかさを感じた。

(読み取り後の吉岡の説明)

右端の荒魂には、「物部の巫女」が入っています!

月読と荒魂は、物部からきた巫女が運んできているということがわかりました。

男二人で拝んだ時に僕が出したエネルギーが祭祀に曲がって入ったので、祭祀は物部の魂を持つ人なのでそれを拝んでいた巫女がいるはずです。

ここで四社を祀って、この序列を作るために、なぜ入り口で三名も殺さなきゃいけなかったのか?

絶対にしゃべらせないようにするためには、その身内を殺すのが一番早いので、当然、葭原神社(あしはらじんじゃ)の三名も物部の巫女だと思います。

秘密をしゃべらせないために外に置いているんですよ。すごい扱いです、神としては扱ってない状態ですから。

(女性達で改めて参拝後)

(吉岡)なにかありますか?

(筆頭巫女)特に無念とかそういうのは全然なくて、繋がりたがっているという感じ。レインボーの光が見えた。すっとまっすぐ縦に。

(巫女A)やっとわかってくれましたかと、ほっとされた思いがふわっと伝わってきてとても喜んでいた。過ちはもうよいと。しっかりとみんなの光を合わせてお届け下さいととても熱い思いが伝わってきました。

(吉岡)あなたたちはそれでいいけど、僕にはまだすごくカカッてるんですよ、いま。伊弉冉が母なのはわかるし、伊弉諾のところが乳母でその関係性はある・・・物部の母元、物部の巫女・・・三番目のツクヨミがずっとしゃべっている・・・。

(巫女B)奪い合いみたいなことがあった・・・、取り合いというか、争いみたいなもの。

(吉岡)一番右端のところはわかりました。昔ながら手で十字架のようなものを持ってるのが見えたから・・・、そうなると物部系で原初キリストの十字架をここでツクヨミに守らせてるということは・・・、生贄の男の子だ!

(巫女A)私が見えたのは、男の子の顔が見えた。

(吉岡)伊弉諾というのは、その生贄になった男の子だ。

ツクヨミはこの儀式をして、一番大事なことを守っている。絶対に出ちゃいけない事だから隠している。

伊弉冉は母だからなんだ。本来の力は、それです。

このツクヨミは十字架を守っているんです。

絶対にでないようにしているのは、それです。

だからこそ、物部でないとできない祈り方なので・・・男の子の戦いをしてるし・・・お兄ちゃんか弟かを選んでる戦い・・・。

(巫女B)エネルギーとして戦いがあった、奪い合いがありましたっていうような感じ。だからほんとにその男の子が奉納されるようにして、何かを付けてて・・・。

(吉岡)ロザリオつけてるな・・・すごいわ。

すごい儀式をしてる・・・ここでしてる。

ここの月読宮と、さっきの月夜見宮が全く違う理由はそれだ!

その儀式をここでやって納めてる。

神の天皇家の元の奥底にある十字架をここで守らせている・・・こういうことだったんだ。

(巫女B)争いというか巫女の無念というか、巫女はひれ伏して回りにざっと円を描いて差し出している状態なんです。争いと言っていいかどうかわからないですが。

(吉岡)誰の子を出すか争うからなあ。祭祀はこのことをどう納めますか?

何かあとすることありますか?わかっただけでいいですか?

この四つのお宮の意味は、左から母、生贄、十字架、ルーツの意味なのですよ。

(祭祀の男性に対して)

ここはあなたが一人で行って、十字架の分はあなたが運んだほうがいいのではないですか?右端はルーツだし、やらせているのはやっぱりトップは男だもの。物部は物部の中で男が指示をして女たちがそれに従がわなきゃいけないルールなので、十字架を運んで内宮に持って行くのは祭祀であるあなたがやった方がいいと思うよ。そうでなければ、女性たちがかわいそうすぎるので一人で貰ってやって下さい。

 

男の子を生け贄にする儀式は諏訪神事でも見つけましたが、この方法は原初キリストの独特の祈り方法ですし、物部一族の古い祈りの中にもある為、母の思いと共に生け贄になった男の子たちの魂を転生させる祈りを伊勢内宮で行うことが決まりました。

この読み取りの結果と、男たちのお詫びの心を添えて、最終的な許可を女性たち全員で「月讀尊荒御魂」の神様に確認して頂きました。

まだまだ気付いて欲しい細かいところはあるようですが、一応、許可が出ましたので、この思いを「倭姫宮」の神巫女に繋いでひとつにする目的で向かいました。

 

◎倭姫宮  三重県伊勢市楠部町5

◎倭姫宮に繋ぐ全ての思いを列記します。

1、出雲族の巫女となった物部巫女の思い
2、宍道湖に入水した巫女達の思い
2、出雲に同行した邪馬台国の巫女達の思い
3、伊勢に来るまでに色々な場所へ移動し祀られた巫女達の思い
4、関東に入った安房族や大国魂市神社の巫女たちの思い
5、滋賀県や奈良県など関西全域の巫女たちの思い
6、琵琶湖に沈められた巫女たちの思い
7、中四国・九州にいた多くの巫女たちの思い
8、諏訪の巫女たちやヌナカワヒメの思い

常に、天皇家や男達の権力争いに巻き込まれた神巫女たちの純粋な思いを全てひとつにまとめるための許可を頂くつもりでここに来ましたが、祈りを始めると、媒体巫女に強力な思いが乗ってきて倒れ込んでしまいました。

動けなくなった巫女の身体から読み取りをする女性や身体が辛そうだからと癒そうとする女性同士のエネルギーが混在し、媒体巫女はさらに苦しみましたが、読み取りの仕方を知らない人たちの同情の思いが、人も神も苦しめることを学びあう時間になりました。

本気で、神に向き合う人たちにとって大切なことは、色々なエネルギーに感応しながら神や霊の思いを読みとる力を磨くことは大切ですが、その思いをどう裁くのかのほうが重要です。

私はこの力のことを「神裁き」と呼んでいますが、神や霊の思いを感じ取った時に、どう判断して愛に変えるのかは、その人の人間としての心の状態が影響するからこそ、感情だけを掴むだけでは良しとしません。

私達が神事を行っている理由は、過去の全ての悲しい辛い苦しい思いを愛に変えるためだからこそ、それは同時に、自分自身の過去の思いを愛に変える作業でもあります。

少数の知り合い同士で行う神事なら一緒に行った人が了解すれば前に進めますが、多くの人が心をひとつにして行う大きな神事の場合、全員の魂の学びが同時に起きるからこそ、感じた思いを本音で語り合い、お互いの思いを完全に理解し合うための時間を「人裁き」の時間と呼んで大切にしていますが、人を導くリーダーやサポーターとしての資質も同時に学べる時間です。

全国で行っている地球創生神事に参加した方達には、常に、お伝えしていますが、自分という個の主張や我神を主張するなら、相反する思いも受け入れなければ大神の思いに気付けないからこそ、他人に心を開いて人間としての成長を求められるのが地球創生神事だと理解して下さい。

神や霊や人の思いや場所のエネルギーをそのまま感じ取る媒体体質の能力を持っている人たちは、神や霊に乗られるととても苦しみますが、全ての思いを理解してあげるだけでものすごく身体は楽になります。

相手を癒す前に、まず、自分を癒し、そして、相手の思いをそのまま受け取る勇気が求められます。

受け取った思いを全て愛に変えると決めて参加している人たちだからこそ、神や霊たちはわかってくれた段階で心の底から歓びを表してくれますが、それは同時に肉体を持たない神や霊の気持ちをそのまま皆さんへ伝えることができる「魂の歓びを感じる時間」だからこそ、どんなに重く苦しい体験をしたとしても、神に向き合うことを続ける人たちが多いのです。

「地球を救う」ためには、まず自分を救うことだと気づく必要ですし、自分を救うことは他人を救うことに繋がるとを早く気付いて下さいね。

私も生まれながらの媒体体質ですので、一人で苦しみもがきながら自分で身につけた裁き方や絶対に倒れないような訓練を重ねていますが、それでも神事のあとは身体の痛みや感情の乱れは激しく、通常生活で感じる苦しみのレベルではありません。

起きた物事や感情を左脳で処理することに慣れた人にとってはわからない感覚かもしれませんが、右脳で全ての感情をキャッチする能力こそ人間の生命力を司る力であり、神や宇宙に繋がる能力ですし、人間が脳が数パーセントして使われていないと言われる理由は、右脳の本当の能力を測定できないからなのです。

2014年からは、右脳の力をさらに活性化させて、互いのテレパシーで様々なものと交信できる時代になりますので、今まで以上に右脳活性をしなければいけない時期に入ったことを認識して、日常生活でも左脳と右脳のバランスを磨きながら、現実を上手に裁けるような柔軟な心を育てて下さい。

神に向き合う時間は、自分の心の底の思いに向き合う大切な時間だからこそ、本気で地球を愛する人たちの意識覚醒の連動がこれからさらに大きく、そして、早くなりますので、テレパシーで受信した「ふと思った思い」を大切にするようお願い致します。

倭姫宮で気付くべきことは、ほぼ読み取れましたので、伊勢神宮の下宮と内宮へご報告に向かいました。

つづく

アーカイブ