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【三重県】伊勢神事 豊受大神宮(下宮)

1/11、女性達全員が全ての民族の巫女達の思いを身体に載せて、下宮へ向かいました。

まずご挨拶したのは、この土地にもともと住んでいた秦氏一族に御挨拶するため、「豊川茜稲荷神社」へ向かいました。

ここは地図にも載っていませんが勾玉池を裏側で守る大切な場所に「あこねさん」の愛称で大切に祀られています。

太い杉の木と楠の根が繋がっている意味を以下のように説明していますが、これは民族同士が戦わず、共に生きる意味を伝える大切な神メッセージだと思いました。

当社のご親睦は大変珍しい根元が交わった杉の木と楠の木です。古来より、日本の風土として根付く共存共栄(違いを持つものがお互いを認め、共に生き、栄えていくこと)の美しく平和な姿がそこにあります。

◎度会国魂神社(わたらいくにみじんじゃ)

祭神は彦國見賀岐建與束命(ひこくにみがきたけよつかのみこと)。鎮座地である度会国の守護神で、代々、外宮の祭祀を務めてきた度会氏の始祖、天日別命(あめのひわけのみこと)の子とされる。

豊受大神を守ってきた神官の一族は度会(わたらい)氏ですし、度会氏の土地へ伊勢神宮を導いた目的を確認したいと筆頭巫女が強く望むので、私が神媒体となって直接、度会氏の神を下ろして質問する形式を取りました。

1月11日12:32

●どこからこの土地にやってこられたのですか?

どこからとは、どの事を聞いているのかな?

●ご先祖さまは、どこの地からどこを渡り、この場所にいらっしゃったのですか?

度会という字は、思えばそれは、遠き時代に残された、数少ない一族の1つの名前であり、その一族が移動して来たと言うべきかな。元々は、我々だけではなく、もっと多くの士族が集まり、その氏を併せた大きな力の繋がりがあったが、それをあなた達の言葉でいえば、豪族の繋がりと呼ぶのかな。しかしながら、そこにはもっと古い時代に流れついて来た民の思いがあるからこそ、朝鮮の地に母を持ち、出雲の地に父を持ち、その子が繋いだ思いが繋がっているというだけは、わかって下さい。

●父が出雲という事は、出雲族でいらっしゃいますか?

その出雲族というのもまた然り、九州の地を纏めた民達の事を言っているのか?そうであれば、違うという事になるな。元々、島根県にいた古い土地の民族だと理解して欲しい。

●朝鮮から来られたという事ですが、物部一族ですか?

その民の名は、知らぬ。しかし、後から混じり合った中に、その一族の女がいて、そこから生まれた血筋がある事だけは、知っているが、元々の男種の血筋は違うぞ。

●奈良の三輪山と繋がりはありますか?

奈良には、よく行くが、あそこには、我々が守ってきて繋いだものがある。

それが、我々だけのものでは無く、もっと大きな力や命令があったからこそ、その役目を果たす事でしか、我々が生きる道が無かったのだとまずは分かって欲しい。

そのことをわからねば、何故、我々が動いたのか、動かなければいけなかったのか、その土地の勢力図における天皇の位置関係において、どこに立つかで、抹殺されるか残るかが決まった時代だったからこそ、その事をよく調べて理解しておくれ。

 

●大きな権力とは、出雲にあった権力ですか?

違う! 伊勢の地、つまり、天皇家の血筋にかかわる権力である。

●島根・奈良・伊勢に移動して来られたという事ですか?

伊勢には、後から来たというべきかな。

時において豪族同士は、お互いの利害を守るために条約を結んでいた関係上、その互いの娘や息子を嫁がせることでうまくバランスをとっていたという事がまずある。

その時に、誰が父で誰が母か、いろいろな名前も出てくるが、しかしながら、土地の者の名前を出せば、それを没収されるからこそ、古き時代に繋がる苗字を守る者達の名前にしておいたという上で、大切なものを守る為には、仕方無く家族さえも殺さねばいかぬ時もあるし、時には敵となる子供を我が子にせねばならぬ時もあるのだ。

我々には、それしか生きる道が無かったのだ。時の権力を崇拝するか、しないか、それだけによって、命、一族が関わるからこそ、仕方が無かったとしか言えないが、申し訳無いという思いが沢山ある。

●伊勢に来られた時、他の民族がいらっしゃったのですか?

土地の民は、まだそれほど栄えてはおらぬが、当時、稲作を始めた秦氏達が多くの信仰を持ちながら、平安な暮らしをしていたが、我々が来た時には、その平安を奪わなくていはいけない程、権力が動き、その配下に納める為に、多くの者達を殺しましたが、その者達の思いさえも我々の思いと同様、沢山の命が失われた分、どうかその一族の魂を守り繋いでくれとだけは願い賜うてございます。そのことだけは、ご理解下さいませ。

●伊勢には、倭姫命と一緒にいらっしゃいましたか?

倭姫命たちを直接、連れてきたのは、他の者達だが、その繋ぎをした役目というべきでは合っているであろう。

我々が繋いだのは、ただ単に、土地の導きをし、その計らいをするために働いた民だからこそ、倭姫命達の側近にいた者達は、全く見も知らぬ者達が沢山ついておったぞ。

●猿田彦について教えて下さい。

いかん。その名を出せば、もっと古く、もっと後と民が動くが、よいか、その民がいたことさえも、消せぬ程強い力があったからこそ、その名にしておるが、その民の力はものすごく強かったからこそ、今も、その神力がこの地にも生きているのだ。だから、納めようにも納められず、その上にも乗せる事も出来ず、別格扱いでしか扱えない民族がいたということだけは、覚えておけよ。

●その民族と朝熊山(アサマヤマ)は、関係ありますか?

朝熊山は、知らん。

その民族は、南部・中部・北部と呼ばれた時代に来た民族だぞ。

そうそう、沖縄でいう三山時代だ。

よろしくたのむ。

●なぜ伊勢神宮は、この地にできる事になったのですか?

その遷宮における話は、まだまだ古い時代の思いがいくつかあるが、その事を理解せねば、その質問には答えられぬ。

まだ、わかっておらぬであろう。どんな思いがあってこそ、遷宮をせねばいけなかったのか、その事が大切なのだぞ。まずその事から調べよ。

●その事は、奈良について調べたらわかりますか?

奈良については当然だが、その前に動いた土地、その宮を動かした遷宮をしなければいけなかったその背景にある理由、そしてそこに関わった一族・民その思いを理解する事だ。

皆に伝えておく事がある。

愛知の民にはよく理解して欲しいからこそ伝えておくが、わしらがこの地を守らなければ、とっくにこの地は他の民族に滅ぼされており、そして、今のような繁栄さえ無い程、強力な力が働いたという事をまず知っておいて欲しい。

だからこそ、政治・権力であり、神にかかわる者達であれ、民・百姓の思いを考えれば、どんな手を使ってでも守らなければいけない事もあるのだ。

それ程、窮地に追い込まれた思いがあったからこそ、今もその割れた事について問われる事もあり、国を奪う・取る話しかしないが、本当は民達が、どう生き残るかを一生懸命考えなければいけない者達がいたことを覚えておいておくれ。

その後に来た強力な力は、全ての事を書き換え・消したからこそ、民の思いでは無い思いで伝えられている事がとても悲しいのだ。その事をせめて土地の者達にはわかって欲しいのだ。その事だけは、よろしく頼む。ありがとう。

※教えて下さった思いを理解するために、今後はさらに深く調査していきます。

 

◎大津神社

祭神は葦原神(あしはらのかみ)。もとは五十鈴川の河口にある港町神社(かみやしろ)や大湊守護神である。

◎風宮(かぜのみや)
祭神:風宮の祭神は、風雨を司る神とされる級長津彦命と級長戸辺命(しなつひこのみこと、しなとべのみこと)である。本来は農耕に適した風雨をもたらす神であったが、元寇以降は日本の国難に際して日本を救う祈願の対象となった。

◎土宮(つちのみや)
祭神:土宮の祭神は外宮所在地の地主の神である大土乃御祖神(おおつちのみおやのかみ)とされる。度会行忠1285年弘安8年)に記した『神名秘書』では、山田原地主の大年神、字迦魂神、土御祖神の土宮3座であった。

◎多賀宮(たかのみや)
祭神:豊受大御神荒魂(とようけのおおみかみのあらみたま)

◎御正殿(ごしょうでん)

ご正殿の中は撮影禁止ですので、中央で参拝後、出雲神事から今までわかった全ての思いを豊受大神に繋がせて頂き、内宮の天照大神へ繋ぐための許可を頂くことができました。

最後は、出産経験がある女性達によって産道を通して命の再生をする「御霊再生の祈り」を行って頂きましたが、祈りが終わると天から七色の御光が降りてきて感謝と祝福の証を示されました。

内宮へ続く

 



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