【愛知県】徳重熊野社の紐解き 名古屋市
これまで日本中の多くの聖地や神社を巡りましたが、自分が住む土地の歴史や氏神の神社の意味さえ知らない大人が多いことに驚きます。
学校教育で国歌や国旗の意味と神仏の重要性を教えなくなったことも問題ですが、先人達がどう生きたかを子供達に教える知恵を持たない大人たちのほうが問題だと思いますので、自分の住む土地の歴史くらいは先輩達の話しをたくさん聞いて学んで欲しいと思います。
日本人は世界の人たちから「先祖崇拝や自然神信仰を大切にしてきた民族であり、神道や仏教や他の宗教も同等に扱う心の広い信仰心のある国民」だと思われているのに、自分が住む土地の歴史さえ知らずに、神社の神札だけ祀っている人たちが多いからこそ、志しある愛知県の人たちと一緒に氏神の調査を行うことにしました。
2013年6月に、地球を愛する仲間たちの氏神回りをしている時に問題だと感じた神社は、愛知県名古屋市にある「徳重熊野社」(愛知県名古屋市緑区鳴海町字神ノ倉2)です。
長い参道を歩いて行くと山の裾野右手に、中山神社、山の子神社、熱田神宮、秋葉神社の四社が並列で並んでいますが、熱田神宮と秋葉神社の強い神を山の下に祀るほど、ここの祭神は強いのか?と、まず違和感を感じました。
山の傾斜に沿って長い階段を登る左手に素晴らしい「霊水」が湧き出ていますが、この「霊水」は強い力がありますので、神棚に祀ったり、土地の浄化に使ったり、直接、身体にふりかけるだけで邪気や魔払いができますので感謝して使わせてもらって下さいと、皆さんにはお伝えしました。
山の上に祀られている祭神は、伊弉冉尊(イザナギのミコト)と伊副利部連命(イフクリベのムラジミコト)とされていますが、神と対話した感じが変ですし、本殿左にある「籠(この)神社」の扱いも気になりました。
◎私が問題だと感じた点は・・・
1、この山のエネルギーが素晴らしいからこそ、神社を造る前から神山として大切にされていたはずなのに、その印がない。
2、伊副利部連命(イフクリベのムラジミコト)は地元を納めた功労者ですが、本殿に祀るイザナギ神と同格に扱うことは愚かだと感じます。
3、聞くところによると、本殿の祭神はイザナギ神(男)ではなく、本来は、イザナミ神(女)だということを氏子も知っていて変更しない点は特に問題です。
4、本殿左手にある「靇神社(ろうじんじゃ)」の配置を見ると重要なことは理解しているようですが、説明書きもなく、祭神の意味を正しく理解していないと感じます。
5、山の上には広いスペースがあるのに、なぜ、同列で中山神社、山の子神社、熱田神宮、秋葉神社を山の上に置かないのか?神力が強い秋葉神社と熱田神宮の二社と、中山神社と山の子神社の二社の扱いは通常、違うはずです。
今まで回った愛知県の氏神の祭神が神功皇后や応神天皇があまりに多い事に違和感を感じていましたが、伊勢神宮を遷宮させた愛知県の豪族【度会氏(わたらいうじ)】の動きは、「熱田神宮の隠された秘密」を紐解く為にも今回の調査が重要だと皆さんが感じています。
この調査を地元の皆さんに依頼してから数ヶ月間、神社を支えている氏子さんに話しを聞いたり、神社庁へ電話したり、図書館に通って古い地図や歴史を紐解いたり、周辺神社を回ってみた結果、古い時代の勢力図と分村の影響が見えてきました。
◎(歴史資料の聞き取り調査報告)・・・徳重熊野社が氏神にあたる女性が調査
図書館の資料で熊野社を調べました。昔は、熊野社の守りを熊野比丘尼(巫女)がして居り、比丘尼屋敷あったとありました。土地は海の干潟で開墾で田を尾張藩を支えていて、昔の集落の地図を見ると田んぼと池ばかりです。現在の籠神社(アマテラス)は、徳重地区と、隣村の相原郷の氏神とされていました。地元の人は「水の神様」としてお祀りしてたのちに、相原郷は熊野社を氏神としましたが、(1336年)地頭として来た本多右馬充助定が新たに戦いの神として信仰の厚い諏訪社を勧請。相原郷の氏神としては、熊野社のほうが古いです。
1)熊野社の鎮座する地は本社に似た山奥深いというので、相原村の人々が高いこの地に祀ったという話し
2)徳重の氏子さんは、相原郷には熊野、諏訪と二つの神様を持っていたため、ひとつもらったという話し
本殿、末社の配置については、大正時代に建てられた本殿が伊勢湾台風で被害を受け末社となる。同社の創立は不明。今の本殿は、昭和44年(1969年)新しく造営された。熊野社、社殿の棟札には、明和8年(1771)年の記録がある。台風の被害で山が崩れ、末社の配置が下にしたとは考えがたいが、なぜ、末社が今の場所なのか不明。秋葉社(昭和61年現在名古屋最古のアピタ店舗跡地)に祀っていましたが、市街化のため今の末社に(中山神社)も同じ理由だと思われます。
碑の文字の彫り間違いと、氏子さんが話したそうですがありえません。熊野社の土地一帯は、江戸時代、尾張藩の御林だった山。明治になり官林から民間に払い下げられる。ここの土地の天保12年(1841)の地図を見ますと、尾張藩の御蔵地(尾張藩の田んぼ)と池が多くありました。それ以前は、阿由知潟、後に鳴海潟という海でしたが、沖積(川の水などで土砂がつみ重なる)され、陸地となり、今では地続の土地になっています。
これらの情報をさらに精査する為に、2014年2月18日、地元巫女4名と一緒に神と対話しました。
1、針名神社(尾張氏の氏神)
2、成海神社(熱田の東宮)
3、相原諏訪社(ここの熊野社が徳重熊野社と関連あり)
4、徳重熊野社
☆ 毘沙門天・龍神祈り
本殿 主神:尾治針名根連命(おわりはりなねむらじのみこと) 配神:大己貴命 少彦名神 合祀:八幡神(応神天皇) 末社 *神明社: 天照皇大神知立社:鵜葺草葺不合神(うがやふきあえずのかみ)山神社:大山祇神 御鍬社:豊受比売神洲原社:菊理比売神 金刀比羅社:大物主神 *天王社:建速須佐之男命 *針名天神社:菅原道真公 *針名稲荷社:宇賀能美多麻神(うがのみたまのかみ)
氏子総代さんたちの話しでは、針名神社は元々800メートル北、天白川左岸に祀られていた。徳川家康の時代に今の場所へ移された。祭神は、尾治針名根連命(おはりはりなねむらじのみこと)で、尾張氏の氏神とされています。配神として、大巳貴命、少彦名命、また応神天皇〔品陀和気命〕を明治42年に合祀。
○稲荷社・・・いち早く物事を解決するには 知恵が必要でしょう。知恵を授けます。
○神明社・・・皆さんが一緒に働けるよう力をお貸ししますよ。
○本殿・・・先魂、先に進む為に大事な意思と思い、国魂、国を守る魂、自分の魂、全ての物のバランスの整えがとても大切だからこそ皆の思いが上手く整うように力を貸しますよ。
※土地の親分である「尾治針名根連命」は神として祀られているので、神祝詞を唱えると、「力を貸します!』と言って下さいました。
主祭神:日本武尊 配祀:宮簀媛命、建稲種命 摂社、末社:神明社、熊野日向社、宝田社、白山社、山神社、道祖祓島社、御井社、日割金刀比羅社、今宮社、氷上社・源大夫社合殿、八幡社、八劔社、住吉社、多賀社、愛宕社、風神社、北野社、子安社、境外社:天神社、東宮稲荷社、だるま塚成海神社 祭神:日本武尊・宮簀媛命・建稲種命 成海神社は、「鳴海天神」
「何かお聞きになりたいことはありますか?」と聞かれ、今、土地のことを調べていて、最終的に徳重熊野社のことをわかるために来ているんですけどと言ったら、「始めからやり直さなければいけないんじゃないですか?」と言われました。
ここは「熱田神宮の東守り」は大事なのですが、東西南北の一番大事なのは北です。
東は、陽が昇る、光を入れる重要な方角だからこそ、一番大事な希望とか神格の強い神とか大事な役目をする場所ですが、それを「稲荷神」にさせてるというのはすごい事です。
でも、神気はでっかいですよ。大事にされてるし、心も大きい。
無理やり「下で守れ」と言われた稲荷社とは全然違って、とても大事にされていることを感じました。
国魂 幸魂 神魂 守りしこと 国の盛えとなりにけり
結びし神魂 一重(ひとえ)に揃えて 神結び
賜われば 我 大き幸と 歓び申す
御身 見ながら計らい賜いて おわします国の守り玉
預けたもうて 守りしこと また運びしこと
よろしく願いいたしまする
さき魂 国魂 さき御魂
さきや さきやの 花咲や
花咲かせやと われ 願いまする
多分、この言葉を話したのは「日本武尊(やまとたける)」です。
国を守るため、皆を導くため、大事な玉を守っておりますと言ってます。
そして、「この玉をどうぞ、熱田神宮にお繋げお運び下さいませ」と言って地元の女性に渡したんだけど、僕の分もあって、男と女、宮簀媛命の分と両方、二つ守っておりますよ、という意味で魂を繋いでくれれば、また、本来の神力が繋がるからこそ、「熱田神宮にお運び下さい」という意味で神様にお願いされて預かったんですよ、神様の魂を。宜しくお願いしますね。
この諏訪社は、もともとは熊野社を氏神として祀っていました。(当然、神社の名前は諏訪社ではなかった)。のちに、本多右馬充助定という人物が、自分の信仰の厚い諏訪社を勧請し、社を創りました。相原郷が熊野、諏訪と二つの神様を持っていたので、熊野社を徳重の村のほうで貰い受けたと人間の都合で神様をあちらこちらに動かしたようです。徳重の熊野社と分村し、アマテラスを分霊した様です。
私どもがここに運ばれて来た理由はご存じの通りでございますが、熊野については言い分もございましょう。
それぞれの意味を分けて考えてあげて下さいませ。よろしくお調べ下さいますようご理解承りましてよろしくお願い申し奉ります。
はや幸魂(さきたま)へ むしたまへ
さきはやたまへのこと こと はやさきに
賜えまするは わが友の仲間の思いなればこそ
ここにおわしまする共どもの 神の思い引き連れまして
ここにおわしまする神の力 鎮座させましてのこと
これ願いわくば 多くの思いあればこそとの
変わりましてのこと おくみとり下さいませ
時はばからず 時おりしもこと
ゆえにはばからず 心治めよと われ申す
これは、男の子の魂が入って神力を守っている場所だという意味ですが、諏訪神事でわかった原初キリストの儀式に関わった人たちのなかで、時の勢力に負けて愛知県まで下がらなければいけなかった民族の思いがあるという意味です。
過去のいろんな思いがあってここに移り住んだ者達の思いが集まっているからこそ、言葉にできない深く悲しみを汲み取って下さいませと申されております。
ここまで出た色々な過去の思いや背景を理解する為に話し合いの時間を取りましたが、結果として、愚かな人間の欲望で作った物であっても、その土地の上に生きる私達は「過去全ての行いに感謝するしかない」という点にまとまりました。
徳重熊野車の山はとても素晴らしい自然界のある山だからこそ、人間界の思いを包み込む大きな自然界の守護力を上げる祈りをするために、湧き出ている「霊水」を頂き、社の裏の小道を15分ほど歩いた先の「毘沙門天様」の石像で祈りました。
山の尾根 つたいまくるはこの山の
守りの気の流れ その端守りは われの役目
おのずとそれ 天地の守りとして守り
禍い起こさず 収めし尾の守りとなりにけり
「龍の山」を守りしこと これ地震の収め
禍いの収め すべての疫病の収めも含め
守りし願いありきもの祀りしこと
この思い今も守りし民よりて
お守り奉りたて祀られておる
頭を守るは違う社の神となり
あの場所こそが「龍の頭」となりにけり
目を見張り 両目を開けて
見渡す限りを守る「龍の山」と思い知れ
時に この地を治め守りし者の欲得もあれど
しかしながら 守りし神山の扱いなればこそ
それも仕方ないと われ思う
治め守りし人の思い願い託されれば
その思い収め守りし神運び伝え渡るは 龍の山
繋ぎ渡りて 神の力の合わせと共に
行いし者達が居たこと忘るなければ
思い思いの 思いを立てて
この地を守る思いを合わせたまえ
われ その思いを束ねる役目なり
無死厄 御柱(みはしら)
また 立てまえや
神柱(かみはしら) 立てまえや
あまぎ むしやのすさみむしや
月夜見の光も 内なる光
おわす所 これ神の所在なり
歩いている時にそうだなと思ってましたが、龍の尾が暴れるといろいろな災難や禍いが起きるからこそ、龍尾の抑えが大事だし、龍頭抑えも大事なんです。
昔から自然神(龍)に拝みをするのも、一番初めに修験者が神を繋いでいるからです。
メッセージを降ろしながら感じたことは、この場所の龍を見つけたのは、伊豆の修験者がやったことだとわかりました。
それが本来の「自然神信仰」の姿です。
龍の背中道を戻りまして、まずは、龍の頭を守っている「靇神社(ろうじんじゃ)」にお礼のご報告をしました。
やくわもしさま はちや かくむしたまえ
やきむしや むしたまや 神たまや
おさめ賜いし 神守り 御自らお越し下さり ありがとうございまする
海の力を束ね守り 山の力を束ね守り 水の力を束ね守り 風の力を束ね守り
収め守りて 龍の頭となすべき この地の役目となりて
お守り下さいまするは 神々の心の奥底守りし先祖一縁の
古き民の思いの力によりて 龍を守りし 運びし
繋ぎし役目の者たちの心思いは すべては 民の為となりしこと
これ 山の神の念ずることではなく 恵み多かれと溢れん幸を与えしことは
生類すべての命 はからい続く永久への願い
食べ物朽ちること無く 続きたまえて つばむこと
赤子の口に運ぶ食べ物の意味もあり
命を繋ぐ 命を繋ぐ 神の役目となりにけり
とこはや 結び賜いて 神の心
おわしまするはゆえ 我々が口を挟むことでは出来ません
時に わが軸 神を整えし心を持つ者達が来ることこそ
この地の民を立てることであればこそ 時の思いの結びを紐解くことを
この場所においては、してはなりません
時収めし言葉となればこそ 時 下々のこと愚かな思いと踏まえて
下の社にてお聞き下さい どうぞよろしくお願いいたします
今回の私達の祈りで、完璧に左側にある靇神社が「龍の社」として復活し、この山の神力に龍球王国十五神も加わりましたので、我々のような土地に降りた神が喋れる段階ではないと言っています。
ここに本来の神力が戻ったからこそ、人間の思いを聞くのであれば、どうか、下の社で聞いて下さいと言っています。
何とぞ、お許し下さい。
わたくし達が愚かなことをしたのだと反省しております。
時に何が起きたと言えば、色々なことがありますが、一つは、土地の者のわたくしめの愚かな思いによる部分が一つありますが、しかし、それを願ったのも土地の民の思いであると言い訳をさせて頂きまするが、それは土地が分村して別れた後に誰がそこを管理するのか、それを支えるのかということも含めて、どうしてもその願いをする者たちおりましたからこそ、そうさせて頂きました。
しかしながら、その祀り方がそれほどの問題があるとそこまでの知恵は無く、その部分をどう扱うか、聞くこともできぬほど愚かな者達であったことをお詫び申し上げます。
その山の力、御神体の力は本来の物が何であったかは聞いておりましたが、そのことを祀り神として書けぬ思いは、その後に来た者達の願いや、また上からの力によって祭神の名を明らかにせよということもありましたがゆえに、その名前をおのずと、どうするか争った揉めた思いもあるからこそ、千木の件、名前の件、上に乗せた神の件、色々な思いが複雑に葛藤しております。
我々が願いたしますのは、民、百姓の願いと共に、時に神、共に心、手を合わす場所の守りが長く続くよう知恵を出したつもりでございまするが、今そのことを大切に伝えることが出来ていないことが我々の恥であり、また、その思いを正しく伝えることが出来なかったことをここまでご理解下さったこと、心より感謝申し上げます。
氏子代表、総代の方々に伝えますべきこと、また、神の心を持つ土地の子たちにお伝え願えれば幸いでございます。
どうぞ、よろしくお願いいたします。
龍の神子、水が湧き出ずることについても、いずれ話して下さると思い、この神の山よりいずる神力、霊水の意味、力もどうぞ多くの方にお伝え下さいまして、この水、山、土地、神の力に、また手、心を合わす民が増えることを心から願っておりまする。
ご協力頂きました愛知県の仲間達に、心から感謝します。
これは土地の神様と龍が、天へご報告している様子です。