【岐阜県】 伊吹山(美濃国)
岐阜県美濃国は、戦国時代の関ヶ原の合戦でも有名ですが、どこかで御霊上げをすることになると覚悟はしています。
美濃国府の跡地(奈良時代710~平安時代794年)祭神:金山姫命(南宮大神の御后神)相殿 豊玉姫命、埴山姫命
守護に付けまする者達、お仕えお供いたしまするが故にその名、おおき者、ひとえに一神づつ付けまするが故に、その名思い汲み取りたまいて心に納めと我申しまする。
それぞれ使命申しまする御役目心に入れ、道、歩き賜えてよろしくお願い申し奉り申す。この地、愛にして下され、よろしくお願い致しまする。
岐阜県不破郡垂井町 岐阜県西部、南宮山の山麓に鎮座。崇神天皇の時代に創建。1600年 関ヶ原の戦いで焼失。1642年 徳川家光が再建。1868年 神仏分離により神宮寺が分離・移転。
・境内後方:荒魂社・伊勢両宮・東照宮・南宮稲荷神社・金敷金床神社・石船社・引常明神 湖千海神社。
・境内前方:数立神社・落合神社。
ここに、どうかテラヘルツを入れて下されば幸いでございます、よろしくお願いします。
この地おわします守りし神々共々、この地の神たたえ神となりまして、たたりとならず、たたえ神となるよう心治めたまいて 国守りし事、お治め下さいませ。よろしくお願いします。
国守りしたたえや、この地守りし民の思いに守りし心支えし事、神霊(かみたま)、やおろずんば、その思いひとりにあらず。七重八重に重なる思い、治めよという意味で祀られておりまする。よろしく頼みまする。
己の魂、神霊(かみたま)と思いたまいて扱えよ。
我がおのずの霊と思えば、それ、愚かな思いなり。
神の霊と思えばこそ神の人となり。
神の働きができるものぞ。
己は神なりぞ、と思いたまえてよろしく頼む。
その力、たくさんの者たちの思いの上でのせてありますこの事、問うものつくらん。
しかしながら、国の戦い多かればこそ、その思い抑え込まねばならぬのも辛いこと。
その事もお見知りおき下さいませ。
この山をめがけ、この裾野に集まりまする民たち、その群れ数多く古き時代より山の恵みを奪い合うがごとく、土地を利用し隠れ家にしたり、さまざまな者達が住みついたものでございます。
その後にやって来た者が、この地、神の山とし、守りし場所とするが故に、この地を守り治めよという命を受け、ここに鎮座ましまする。
その思いはかばかしく、世の連れ倣いならわねば、わが身危うくなるが故に、幼きわが子を守らんごとく、その思い束ねし事、この土地の民・百姓の思いも含め、この地で守りをしておりまする。
伊吹山の意味については、また様々な思いがありまするが、山の神の恵みがあったからこそ、この地に住まい出来た事、そして水がある事・・・食べ物と水があれば人は生きていけまする。
そのこと、とてもありがたく思い、感謝をいたしておりまする事、思いのはせ、魂の奥にお治め下さいませ。よろしくお願い致しまする。
袖もぎさん (そでもぎさん)または袖もぎ様(そでもぎさま)は、主に中国・四国地方の民間信仰における路傍の神。その前で転んだときは、片袖をもぎとって手向けてこないと災いに遭うとされる。行路の安全を祈願するために片袖をちぎって袖の神に供える風習ともいう。実際にそうした神が路傍に祀られている例は少なく、坂、橋、樹木といった特定の場所にそのような習俗が伝えられていることが多い。ウイキペディア
※この土地には四国中国地方に広く住み着いていた中国から逃げて来た人たちが居た事をこの「袖神信仰」でわかりました。時代はとても古い時代です。
女性の声で、「ありがとうございます、豊玉姫命様と女の神様の思いをここに繋いで下さい」と言われたので牧野巫女に付いている神様の思いを繋ぎました。
◎二宮・伊富岐神社
伊富岐神社の祭神ははっきりしていない。幾つかの説があるが、古代、この地域に勢力があった伊福氏の祖神を祀っていると書かれている。他説として、多多美彦命(夷服岳神、気吹男神、伊富岐神ともいう 伊吹山の神)、 八岐大蛇、天火明命(アメノホアカリ)、草葦不合尊(ウガヤフキアエズ=神武天皇の父)などがある。 by ウイキペディア
私たちが守っている神はアメノホアカリだけでなく、もっと他の神もたくさんおりまするが、そのすべてをまとめ上げる力が・・・大きな神の思いがここにはありまする。それをどうか、わかって下さいませ。
(解説)
この社の配置は、樹の精霊を守り神とし、境内外に池で囲んで置く意味を考えると、通常は弁天、もしくは稲荷社の意味になりますので、古い時代にここの住んで居た人たちが樹の精霊の神気を繋ぎ自然崇拝をしていた人たちがいたと思われます。人の思いと自然界の両方の思いが残っていますので、ここは天地の繋がり、命の繋がりが強い大事な場所です。
アメノホアカリと共に、神魂(かみたま)おわしまする神々、その魂、霊力・権力あらたかなるもののふ、神の守りし民の思いなればこそ、その火の玉のごとき、この神の思い奉りて、鏡、例えまするは、それ内鏡の光の灯となりとて、おわします神問うことなく、我の内光、炎燃えさかる心焼き尽くすことなく、命の炎立てたまえと我願い申し上げ奉り申す。
命元守りし その産土の神の炎のごとく 命守りしそのホアカリの意味 たとえ守られしことの思い 馳せたまいて汲み上げたまいて 心合わせたまいて願わくば それ神の元の名のとおり、おわします神の心ひとつとなりましょう。
おわします心、それ民の心、ひとつとなりましょう。
このあと、総社、一宮、二宮の神々の思いを携えて、伊吹山に向かいました。
◎伊吹山
伊吹山ドライブウエイの長い道を登り始めると、目を開けていられないくらいの数の御霊達の思いがやってきたので「頂上付近で土地の御霊を上げるから待って!」と伝え、冷たくなる身体を我慢しました。
9合目の駐車場に着き、そこから40分の緩やかな道を登りますが、カーブにある守り石にご挨拶しながら御霊上げの場所を探していると、頂上手前に岐阜県と滋賀県が両方見える場所を見つけました。
そこから見える全ての土地で戦い命を落とした人たちの御霊と、巫女達の身体にも御霊が乗っているのを感じていたからこそ、私の身体を使って全ての思いを天へ上げる祈りを円陣を組んで行いました。
◎伊吹山(山頂・日本武尊の神言葉)
たつみ むしたむしやさ かむし いやさ むしたまえや むしたまえや
おわす宮簀媛の想いなればこそ、この地運び給いて、おわします剣の元の鞘、納めのごとく、心の賜い納まりまして、国賜えて守りしこと、それ、神、民、ひとつの想いとなりまして、拝み倒し、組み倒し、合わせ給いて祈りあわせ、これ心給いて感謝申しまする。
おわします国の元の父母の想いなればこそ、この地より繋ぎ給いて下されば、ありがたく思いまする。
伊吹山山岳信仰の中心的な施設で、18世紀前半の絵図にもここを目指して登拝する修行の人々が描かれています。かつて、ここに多くの石塔・石仏が祀られていました。現在、伊夫岐神社(米原市伊吹)の対岸の秋葉さんに移されている弥勒の石仏は、もともとここに祀られていたものです。山麓上野地区の雨乞いでは、弥勒堂の前の窪地で松明を焚く「千束焚」をおこない、雷踊りを踊って降雨を祈りました。雨乞い唄では、山頂を「弥勒の庭」と唄っています。
明治45年に、尾張国御嶽照王教会員の方々によって日本武尊の石仏一体と、弥勒仏の石像とこれを安置する石室が建設され、大正元年11月21日に開眼供養が行われました。日本武尊石像は岐阜県関ヶ原町の石清の一大プロジェクトだったのです。また、大正9年には4合目の高屋に日本武尊遭難の地の祠と木像が安置されました。
山を下る時にとんでもないことがわかりましたが、それは、また次回のご報告とさせて頂きます。