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【島根県】二年目の出雲神事 二日目 八重垣神社・荒神谷遺跡・美保神社

12月14日

この日の最初は、縁結びで有名な「八重垣神社」へ行きました。

 

1、八重垣神社

祭神

素盞嗚尊櫛稲田姫を主祭神とし、大己貴命、および『出雲国風土記』意宇郡大草郷条で須佐乎命の子として記載される青幡佐久佐日古命(あおはたさくさひこ)を配祀する。

●五柱の石の社(天照大神、倉稲魂(ウカノミタマ)、埴安姫命、少彦名、大巳貴)

お社を建てる前に、土地に最初に持って来た神の名前が五面体の石に彫られた石碑を祀っていましたが、祭神が変更された多くの神社では、こういう石碑は神主だけで守り、一般公開されない場合が多いものです。

 

(埴安姫命の神言葉)

やっぱりあなたたちが来てくれたのですか・・・。

生まれ変わることができれば、その役目を果たしたいと思うので、その役目の意味を与えて下されば働きますのでよろしくお願いします。

どうしてこうなったのかはまだ言えませんが、そのことをもう少し理解して下さいませ。

 

(吉岡の判断)

天照大神は日本に最後にやってきた天照族(現在の天皇家)の意味ですし、大巳貴はその前に住んでいた出雲族の意味ですし、倉稲魂(ウカノミタマ)はさらにその前に住んでいた秦氏の意味ですし、少彦名は渡来の一族の意味まではわかりましたが、「埴安姫命」の意味がわかりませんでした。

しかし、他の神々と同列で祀られるということは、この土地において強い信仰の対象になっていたことは確かですので、調べると、以下の情報が出てきました。

土御祖神 「埴安姫命(ハニヤス)」は、日本神話に登場する「土神」である。「ハニ」(埴)とは粘土のことであり、「ハニヤス」は土をねって柔かくすることの意とされる。神産みにおいてイザナギとイザナミの間に産れた諸神の一柱である。『日本書紀』では埴安神と表記される。

『 古事記』では、火神を産んで死ぬ間際のイザナミの大便から波邇夜須毘古神波邇夜須毘売神の二神が化生したとする。他に、神社の祭神で埴山彦神埴山姫神の二神を祀るとするものもあり、これは埴安神と同一の神格であり、彦・姫の二神を一神の名として称したのが埴安神であるとされる。地鎮祭で、土の神として他の神とともに祀られることがある。

※土偶の土器、皿、甕、埴輪も土から作りますし、壁の下地や、国王の墓など想像のはるか上の位置で讃えられいたことでしょう。つまり、土器文化の時代の古い神だと思って良いでしょう。

 

 

 

○山神神社

○道祖神信仰

男根を祀る「道祖神信仰」は、特に四国全域に広く残っていますが、ここ出雲の土地にも根強く伝わったということは、四国から出雲周辺まで文化や信仰が行き来していたことを表しています。

※道祖神信仰は、自然界に感謝する意味と同じく、男女の性交によって命が続く事を感謝する民間信仰であり、日本全国でも石や貝や木を男性器や女性器の形にして祀る風習は今も残っています。

※年末によく行われる「餅つき」のウスは女性器を表し、キネが男性器を意味しますので、性行為に似た餅つきの動きや音も面白いですね(^^) ウス(子宮)の中でひとつひとつのお米(精子)が餅(命)となって生まれ変わり、餅を食べる事で長寿を願い、子孫繁栄を願うのが餅つきの本来の意味なのです。

●奥の院 夫婦杉(男杉)(神言葉)

やまむろむし賜え、さき賜え、神賜え。

むしろ、お前たちのほうがそのことをわかっているのではないか?

この山に降りた木(気)の意味、そして、ここにその場所を作った意味がわかるのであれば、その木(気)の意味の使い方もわかるであろう。

命の始まりの地とし、陰陽和合、そして、子宝授かり、いろいろな意味でこの木を使っているようだが、本来はそんなものだけではない。

もっと大切なものがここに繋がっておるからこそ、その力をわかるものが来ればその力を繋ぐことができるのだ。

だから、そのためにお前たちを呼んだのだ。

よく覚えておけ。

この地に繋がる神の意味は、お前たちが思っているよりも、100倍も1000倍も力があるのだ。

だがその力をどう使うかがわからないからこそ、それほどのことになっておるのだ。

そのことをわかるならば、その巫女たちの力を使ってその想いを馳せ給えと、我、繋ぎ給いて、神給いて願い奉りまおす。

よろしくお願いいたします。

 

※全員一列に並び、頭を下げて手を開く。

神立ちませぬ、神立ちませぬ、神たちませぬ〜〜

我立ちませぬ、神たちませぬ、神たちませぬ、神たちませぬ~~。

 

(解説)
今、皆さん一人一人が違う「神のお役目」を頂きました。

この木を伝わってエネルギーが自分に入ったために、「神立ちませぬ」と言った意味は、自分に今、降りた神の役目を果たしなさいという意味です。

それぞれの人に入った神の意味をわからなければいけません。

降りた言葉は、全部ひとりずつ違います。

皆さん一人一人に、「新たなる力」を下さいました。

ここは本来、そういう場所のようです。

○良縁占い(銭占い)を行う池
※池の後ろの天鏡神社に参拝しないと効果はありません

天の神が降りた一対の夫婦木の後ろ側に「天鏡神社」で櫛稲田姫命を祀り、池もある意味は、池の水は「櫛稲田姫の羊水」という意味になるからこそ、命を産み出す水、命を繋ぐ池、命を繋ぐ男女の性行為、命を繋ぐ良縁の出会いとなるのです。

もうひとつの意味は、この池が人間のための「命の出入り口」、つまり、この池は男の神水ではなく、女の子宮の羊水の池という意味になりますので、とても素晴らしいと思いました。

 

●奥の院 天鏡神社(祭神:櫛稲田姫命の神言葉)

山津、海津、川津、渡りつ、納め賜りますること、感謝奉りまおす。

美しの世作るは自らの美し鏡なれど、その鏡うつし世の思い、囚われもはばかりも多くあるからこそ、自らの玉洗い、水清め、天鏡となるようこの場所で祈ることが、本来の目的でございまする。

うつし世の鏡、天鏡、内に合わせ給いてその光合わせられば、この世美しとなるからこそ、天なる内なる鏡の御光を上げ給いて、御光強く輝き賜わせれば、その玉の光、この世にはばかりなく光繋がること、我、願い賜りますることよろしくお願い申し上げ奉りまおす。

 

わかりました?幸せになりたければ、世の中を幸せにしたければ、色んな思いに囚われるのではなく、まずは自分自身の心(内鏡)を清らかにして磨き輝かせることによって良縁、幸せを感じる世の中になりますよと教えてくれました。

もう一カ所、とても素晴らしい陰陽、男女の愛のエネルギーが溢れているポイントを見つけたので、その前で記念撮影しました。この場所から木へ向かって感謝の祈りをすれば、結婚や愛の願いが叶うと覚えておいて下さい。

帰り道でも、女性器の樹の中に男根を祀っている祈り場所を見つけましたが、これは自然崇拝と男女和合のとても素晴らしい祈り場所ですので、愛のエネルギーに満ちあふれたい方はここで拝んで下さい。

●貴布祢神社 神言葉

この地の恵みを与えることができるのは、やはり、この神の地の力を持つものがいるからである。
そのものを守っているからこそ、ここに置かれていることをわかっておくれ。

●手摩乳(てなづち)社(母神)神言葉

神さかえ奉り、神祀りしこと、この母の地守りしこと、これ、我の思いなればこそ、馳せ給いて産み出し全ての神の元、
神の子たちの繁栄願いたくばこそ、ここにおわしますこと、思い馳せ給いて、神の思いと繋がりしこと、
これそれぞれの母の思いと同じなればこそ、その思い違わず思い汲み取って下さればありがたく思いまする。

ありがとうございます。むし給え、神給え、くみ給え、幸さき給え、神給え。

●手摩乳社(父神)の裏手の木

手摩乳社の後ろにある樹の下で祭事を行った跡を見つけましたが、この樹は南方からやってきた民族が持って来た外来種ですので、古い時代にこの地に南方から渡ってきた民族がいたことに神主達も知っているからこそ、「荒神さま」の祈りをこの樹の下で行っています。

※この樹の神様からは先ほど女性達に加わった「神の役目」の意味を教えて下さいました。

 

美しいですね、あなたたちのその心はとても美しいですね。

私たちがこの地にやってきた頃にはそういう方々はあまりいなく、ひとつひとつ物事を教え、生きる道を教え、神の御心を教えることがとても苦労しましたが、やはり人の心は山川の水の流れと同じように、繰り返し、繰り返し、繋がり流すことで思いが洗われ、心が洗われ、研ぎ澄まされ、さわやかに美しくなるものでございます。

その命の繋がりの水と同じように、山の水のせせらぎを合わせ持つ鏡のように、そこで身を洗い、身を削ぎ、思いを削げばそれは美しき心の始まりとなりまする。

お祝いいたしまするは、あなた方のその後ろにつかれた神々でございます。

一人一人の後ろに神が立っておられます、そのことをお分かり下さいませ。

一番端のお母様(Yさん)の後ろには、男性が立っておりまする。
二番目の女性(Iさん)の後ろには、青年が立っておりまする。
三番目の女性(Lさん)の後ろには、幼い子が立っておりまする。
四番目の女性(Mさん)の後ろには、大きな男性が立っておりまする。
五番目の女性(Iさん)の後ろには、大きなお母さんが立っておりまする。

どうかその力と心を合わせて下さいませ。よき日にお越し下さいましてありがとうございます。

 

※この神様たちのもっと深い意味は、あとでわかりました

(本殿)

(道祖神の神輿)

お宮の祈りが終わったあと、道祖神の神輿の前で、今回の出雲聖地ツアーの朝に見た夢を皆さんに伝えました。その内容は、今回の出雲で神々がやって欲しい事だとわかっていたからです。

 

(吉岡学への夢知らせ)

どこかの田舎の道を歩いていると、吉岡の右肩に突然、蛇が噛み付き、怒った私はその蛇を振り払って、「お前は土地を守る神だが、動物の命を食らう事ばかりしておるが、今後は草を食べても生きられように力を与えるので、もう、人間を襲う事はやめなさい!」と言って蛇を解放しました。

そのあと、蛇に噛まれた傷を治そうと村の中を歩いていると、村人たちが宴会をしている家に招かれ、さあ、酒を飲みなさい飲みなさいと歓迎されますが、私は早く傷を直したいのと思っていると、1人の小太りな女性がやさしげに近寄って来て、「あなたの傷を治して差し上げますので、どうか、私の願いも聞いて下さい」と言われて、その女性の家に行き、傷の手当をしてもらいました。

この夢の意味は、この出雲の土地に住んでいた古い民達が私を歓迎してくれていることを伝えてきている意味なのですが、同時に、私の神力を使って「やって欲しい事」を伝えてくれています。

私は、その小太りな女性が「奇稲田姫」だとすぐにわかりましたので、今回、出雲に入ってもっとも印象に残っている総社の樹の根元に祀られていた「荒神(こうじん)さん」について、仲間達と調べました。

出雲の神職達は、この荒神さんを抑える祈りを必ずしますが、本来の荒神の意味は、出雲民族の前にこの土地に住んでいた強い神力を持つ人たちのことを意味しているとわかりました。

昨年の出雲神事で、物部一族が四国や出雲一体をまとめていた事はわかりましたし、その物部一族を制圧し、仲間に取り入れたのが大国主だということもわかりました。

昨年の出雲神事では、ある男性の前世記憶と私の記憶が出て来て、彼は物部一族の重要な神職でスサノオを守っていた人物でしたが、その男性を脅して物部一族の巫女たちに協力させたのが、当時、大国主であった私だとわかりました。(^^;

さらに、秦氏達が祀っていた道祖神信仰と物部一族が守っていた巫女やスサノオの神力を全てを出雲族が制圧して奪ったからこそ、出雲族はとても大きな自然界を動かす力まで手にいれたわけです。

私は今回、そのことに気付きましたので、心の底からお詫びをする決意をして、参加者と一緒に、「荒神さん」のもっとも重要な場所である荒神谷遺跡」へ向かうことにしました。

この祈りは、滅ぼした相手の御霊の供養ですし、先ほど巫女達の後ろに着いた神の一人一人が、私(大国主)が滅ぼした魂の化身だとわかりましたので、新しい命が生まれるためのお供え餅を巫女全員分用意し、埴安姫命の思いを汲み取るために、土器で出来た器でお神酒を回す必要があるとわかり、用意しました。

 

2、荒神谷遺跡

着いてすぐに、博物館で勉強すると、銅剣358本、銅鐸6個と銅矛16本が山から出土した時の様子がビデオで見れました。

発掘場所へ立ってみると、銅剣358本、銅鐸6個と銅矛16本の意味もわかりました。

銅剣358本は、当時の戦いで命を落とした人の数であり、銅鐸6個は命を落とした神巫女の数であり、銅矛16本は一緒に命を落とした神職の数だとわかりましたので、当時、私が命を奪った380名の命に対して心からのお詫びの祈りと御霊を故郷の地へ送り届ける祈りを全員で行いました。

銅剣358本、銅鐸6個と銅矛16本をこの小さな山に祀った理由は、ここに住んでいた民は、中国や朝鮮から逃れて住んでいた民だからこそ、故郷の地の方角である北へ向けて祈りができるように埋めたこともわかりました。

全ての御霊たちとそのご家族、そして、現世に繋がる子孫の方達の思いが愛に転生されることを心から願い祈りました。

●荒神谷遺跡の祈り言葉

幸むし給え、神給え、国魂守りしこと、納めしこの御霊たち380体の思い。

また、さきそめ、はやえ給えた民の思い、ここにおわしまする神々の思いとともに、故郷の地に繋がりましてのこと、この御霊の思い、歓びの転生となりますよう、父母の元地に魂返しとなりして、そのあと共に働く神の思いとなりしこと、これ計らい給いて国守りて納めたもうもののはばからず、心あらたかな心あれども、それ愚かな思いもあるにも関わらず、思い馳せ給いて「荒神」とし祀ること、これ心よりお詫び申し上げ奉りまおす。

国魂守りし事、これさき玉の思いあらずんば、それあらずんば神の思いとなりしこと、恐れ多きかな先人の思い、繋がり給えて、国魂の荒魂となりしこと、これ御信仰の光となりしこと、また国支えの思いの民の力となりしこと、心さき給えて、国さき給えて、心よりお詫び申し上げ奉りまおす。(土下座・平伏)

 

◎三宝荒神社

もう一カ所、どうしてもお詫びの祈りをしなければ行けない場所が、「三宝荒神社」でした。

三つの大きな石を祀っていますが、見るからに、物部一族が祀ったとわかる場所ですが、中国や朝鮮から移り住んだ民族信仰がこの土地に住んでいた民だからこそ、四国から広まった「地主神」の信仰と併せて、地域でもっとも古くから大切にされていた神様が「荒神さま」だということを今回、学びました。

私自身(大国主)の過去の一切の行いを心からお詫びし、今後、御霊たちが「歓びの神」として働いて下さるための願い言葉を唱えると、無言で見守り、共に歩んで下さると感じたことを皆様にご報告させていただきます。

●三宝荒神社 祈り言葉

さきはやに、荒波立ちますること、この我の心願わず。

なればこそ、この思い、人並みに、呑み込み給えて丸めこみ、その思いひと思いに母のうの中、意の中、腹の中に収まりし、「産み出しの神」の思いと共に人、新たに玉を丸め直し、神の玉、改め直しの母の命玉、子宮の玉となりしこと、これ願わくば、神の思いとなりて、人の思いとなりて、先人の思いとなりて、心より、心より、お詫び申し上げ奉りまおす。

海山の儚きを持ちて、儚きを持ちて生きながらえる民の思いのその中に、おわしまするは神の心、先代の人の心、問い問わず、思い馳せ給いて災いなく、心穏やかに納め守りしことも、これ、荒神様の思いあればこそと、心より、心より、感謝申し上げ奉りまおす。

産み出づる果てのさきやのその思い、心晴れやかなる日が来るならばと、母の思いと父の思い携えまして、神のお詫びと人のお詫び、重ね合わせましてのこと、荒魂、奇魂となりしこと、神の思いの祓い神の力と共になりまして、その思い櫛稲田姫の力となりまして、思い馳せたもう心の民の思い束ねまして、国納めしスサノオウ様のお力になることで、神の思いと命を収め守り下さりしこと、これ、たおやかに感謝申し上げ奉りまおす。

産み育ての父母の思いとともに、関わる全ての人の荒魂、奇魂、和魂となりまして、全ての思い櫛(奇)玉の、新たなる世を創るためにお力をお貸し下さいますよう、心より、心より、願い致しまする。

 

※土下座・平伏のお詫び祈りの神言葉を唱えている最中、強い風が何度も私達の身体を包み込みながら吹き抜け、竹やぶを動かしてはカラカラ、カラカラと鳴り響く音が、この土地に住んでいた民の声のように感じましたし、私達が拝んでいる姿を誰かが後ろからハッキリ見ていたことも感じました。過去世のこととはいえ、本当に申し訳ないことをしたという思いに苛まれたからこそ、私は、今一度、心を改め直して、心を平にして、地球創生神事で過去の全ての思いを愛に変えることを誓いました。

この祈りによって、私の心も身体も過去の思いに押しつぶされ疲労しましたので、近くに見つけたとても美味しいおそば屋さんで癒されました。

 

◎出雲そばとうどんが美味しい「鶴華 波積屋(つるがはずみや)」 

TEL 0853-72-0770 島根県出雲市斐川町沖洲1630

美味しい出雲そばで癒されたあとは、大国主のお妃神がいらっしゃる「美保神社」へ行きました。

美保神社は、2006年12月の沖縄神事 で沖縄本島の西側を守る最大の龍宮神である「備瀬龍宮(びせりゅうぐう)」に繋がっている事もわかりましたし、2008年10月の出雲繋ぎの時に写った写真の赤い神オーブのすごさに驚きましたが、自分自身が大国主だったことを考えると、祀られている后や神巫女たちの歓迎の思いがよくわかりました。

◎美保神社

末社宮御前社(埴安姫命)と御霊石
合祀 宮荒神社
奥津比売命,土之御祖神,奥津彦神
合祀 船霊社(天鳥船神
合祀 稲荷社(倉稲魂神

二棟並んだ本殿。中央には、大后社という末社があるらしい。
大后社 神屋楯比売命沼河比売命
合祀 姫子社 媛蹈鞴五十鈴媛命五十鈴依媛命
合祀 神使社 稲脊脛命

●本殿右後ろにある若宮社 神言葉

天日方奇日方命
合祀 今宮社(政清霊)
合祀 秘社(神号不詳)

この地、惑うことなくおわします神々の元地、収め守りし事、知恵のある者、心ある者、神心ある者。その全ての者たちによる後ろ守りによって神が支えられております。

それはひとえに神を、そして人を、そして世の中を守り支えようとする時に大切な思いでございます。人の心を支えようとするならば、神の心に近づきなさい。

人がたてようとするものを立て支えようとするならば、その陰において身を制してその対なること、これいかんせんと何があっても倒れず、抑え守りの役目をしてこそ人を立てるというものでございまする。

おわします神柱のひと柱、ひと柱、その後ろにいらっしゃる神々を支えようとする者たちの思い、それこそが、民が、人が、土地が、全てが纏まる力であり、それこそが信じる心となりまする。

思い馳せましてこの地までやって来られた方々のその思いの奥にあるもの汲み取りたければ、まずは自分の心の足らなさに気付き、その思いの浅はかさを知ることから学ぶべきではないでしょうか。

自ずの奥にあるものがなんであれ、それは自らの幼き魂の思いでありましょうし、これから進む道において、必要なものかどうかも判断するべきことは多くございまする。ことによってはいらないものは捨てなければいけないものもございましょう。

それは先祖の思いであり、神の思いであり、土地の思いであり、自分の思いであるかもしれませぬが、新たなる世を創りあげたければ、また、新たなる生き方をしたければ、その道に正しく自らを導く素直な心と、支え守りし者たちとの心支えの力によってなすものであるということを学べるならば、まず自らひとりにおいて何をなすべきか、何を支えるべきか、誰を支えるべきか、どうするべきかを常に心穏やかに考えることによって、道は開かれるものでございまする。

時においてこの時、日納めしこの月、やがて来る新たなる年のためにも、どうぞ心納め、この池の水とともに清らかに、ここに納めさるならば、新たなる年も清らかな日とともに迎えられいれましょうぞ。

思い馳せ給いて神の思いひとつとならば、それ、神の思いとある皆々の心と同じであると感謝し申し上げ奉りまおす。

別号二御前 事代主神
別号大御前 三穂津姫命

●本殿 神言葉

花咲や~ 花咲かせや~
事はや さき給えて
神の道を進む者
おわします神の心に耳を澄まし給え

今回、美保神社の神様達は、参加者一人一人に必要なことを気付かせて下さいましたことを心から感謝いたします。

つづく

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