お盆玉
今年のお盆の感動話し、第二弾です!
お盆に、子供達へお金をあげる「お盆玉」という習慣は皆さんにあるでしょうか?
私には、ありません。
というか、お年玉でさえ、親以外からもらったことがないのです。
その理由は、従姉妹(いとこ)の数が多すぎて、親がお年玉のお返しを返す金がないからと親族からもらったお年玉は、すべて「親が没収」するシステムだったからです。
そんな私の子供の頃とは違う妻の家族は、お正月以外にお盆に子供達へお金を渡す習慣がありますので、両親と最後の姉が亡くなった妻は、姉の孫たちへ毎年、「お盆玉」を渡しています。
昨日、たまたま嫁の実家に行っていて不在だった甥っ子(38歳)から今朝、電話があり、お盆玉のお礼を二人の子供の口から言わせてくれた。とても、嬉しかったです。
この甥も男二人兄弟の弟で、小学生の頃はよく遊んであげたし、親にも言えない高校生時代や大学生時代の女性問題や金銭問題の解決方法を教えてあげたのも私なので、甥の子供たちは親と同じく、私たちを一歩引いて尊敬してくれています。
子供たちが大人にこのように接することができるのも、甥の妻たちが賢いからだと思います。
昨日は、妻の実家で今年、妻を亡くしたばかりの義兄(68歳)を連れて三人で小樽の山の中をドライブしたが、毎日寂しいとしか言わない真面目な義兄の子供たちの成長ぶりを感じられて、感動しました。
小樽の山々はとても美しく、神戸に負けない港町を見下ろす「毛無山」からの風景は抜群です。
自分たちに子供がいないからこそ、甥っ子たちは自分たちの子供のように接していますし、その子供たちは自分の孫のようにも感じています。
親や祖父母が言わない大事なことを教えたり、時に、厳しいことを言うのはいつもの吉岡家くらいですが、子供たちは泣きながらその意味を考えることで成長するものだと思います。
一歩、社会へ出たら理不尽なことばかりだし、誰にも甘えられない厳しい時代を生き抜かなくてはいけないからこそ、都合の良いおじさんやおばさんになるつもりなど私たち夫婦は一切、考えていません。
相手がいくつの人間であっても、人に接する時に嫌われるほど厳しい面で接するべき時と、優しい面で接する時の意味をどう伝えるか、私は子供たちの態度と視線を見て、親にもアドバイスしています。
甥の子供たちは、「また甥、また姪」と呼ぶらしいのですが、彼らの将来の為にも都合の良い大人になるつもりなどありません。
きちんと育ててくれて、ありがとう、甥っ子たち!(^^)
亡くなったお母さんも、きっと、あなたたちの成長を喜んでいると思うよ。
残されたお父さんを、よろしく頼みます。