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過去の出会いの御礼参りのハシゴ

昨夜は、生まれて初めて4軒も「夜のはしご」をしてしまいました(^^;

私を知ってる人は「飲ん兵衛」だからいつも飲み歩いていると思ってる人も多いと思いますが、普段、私は飲み歩きません。

特に、ススキノなんて、全然、行きたくありません。だって、人の念や波動がキツイんですもの。

昨夜の最初のお店は知人の紹介で初めて入ったお店でしたが、女性オーナーのあまりのこだわりの強さに嫌気がさしたうえに、1杯の日本酒の値段の高さに腹が立ち、ボロクソ文句を言いながら店を出ました。

「飲みなおし!」と思うと、すぐ目の前に昔、何度か行ったお店を発見!

初めてそのお店に入った理由は、私を導いてくれた最初の天使さん(青森県)の名前と同じ「まどか」だったからです。

 

入ってみるとお客はいないし、寒々としてる地下の狭い居酒屋。

お店を始めたばかりでお客もいない地下のお店のご夫婦に話しを聞いてみると、サラリーマンを退職後、夫がお店をやりたい❗というので、「仕方なく」、奥様も付き合ってお店を開いたご夫婦でした。
 

 

不安と不満いっぱいの奥様と話しをしていると、笑った顔に”菩薩の光”が見えたので、私はこのご夫婦にこうアドバイスしました。

「奥様、あなたの笑顔は人を癒やす素晴らしい笑顔ですので、ご主人に不満はたくさんあると思いますが、ここは疲れたお客様の為のお店ですので、常に、笑顔でお掃除しながら「ありがとうございます」を言い続け、あなたの愛の氣でこの店をいっぱいにして、お店に来た人たちを癒やしてあげて下さい。

そしてご主人、あなたは自分の夢を叶えてもらえたのは奥様の影の力だとわかっているはずですよね。

でしたら、仕入れにお金がかかり、ロスも多いと思うので、残った材料で翌日の付きだしに使える調理を奥様に作ってもらって下さい。

あなたは頑固で、上手を言えないタイプだと思いますが、このお店は奥さんの笑顔で必ず、流行りますので、家で色々あっても、お店に来る時は、お互いに笑顔になるよう心がけて下さいね。

それだけで、このお店は必ず、一杯になり繁盛しますよ!」と伝えました。

結果、とても繁盛するお店になり、10年ぶりのご挨拶が昨夜、できました。

「覚えてますか?」と聞くと、奥様は鮮明に思い出して下さいましたので感謝を伝えて、1杯だけで店を出ました。

 

◎酒房 まどか  TEL 011-622-1248

 

 

北海道札幌市中央区南1条西22丁目1-18 ビルド裏参道B1F地下鉄東西線円山公園駅4番出口から徒歩5分

営業日:火~土、祝前日: 17:30~23:30、日、祝日: 17:30~22:30、定休日:月

 

 

なんだか、もっと過去のお店のオーナーに御礼をしたくなり、ススキノの手前にある「日本酒バー」のオーナーに電話をしました。

「ダイエー時代にお世話になった〇〇です。わかりますか?お店に行ってもいいですか?」「はい、〇〇さん、お待ちしています。」

素敵なカウンターバーの後ろには、彼がセレクトした一流の日本酒がずらりと揃い、男たちの癒やし空間として24年も経営している老舗のお店になっていました。

 

 

◎日本酒バー もろはく  TEL 011-232-0689

 

北海道札幌市 中央区南3条西6丁目 インフィニ桂和22ビル 6F

日曜(祝日の場合は翌日)・月1回不定休

18:00~24:00 (L.O 23:00)、夜10時以降入店可

 

 

「今日は二杯、飲むので、最初の一杯をお願いします」「はい、かしこまりました」

そこで出てきたのは、「新政 限定ボトル」、そして、バカラのグラス・・・

輝きと美しさは、彼の心遣いを感じさせます。

彼とは20年前のダイエー時代に出会い、入社したてのおもちゃの取引先の青年でしたが、自信もなく上司に厳しく言われやすいタイプだとわかったので、彼にチャンスをあげました。

「お前の好きな売り場にしていいから、トコトン、お客が喜ぶ売り場を作りなさい。失敗しても、いいよ。俺の責任だから(^^)」

結果は、社内でも評判になるほど北海道一番の売り場を作り、上司にも褒められ、彼にも自信が付きました。

お互いに会社を辞めてしばらくすると、「お店を始めたのでぜひ、見に来て下さい❗」と電話があり、日本酒バーに足を運びましたが、そのあと、10数年間は行きませんでした。

 

僕は、お店が流行りだすと、行かないことにしているからです。

「今の彼」に魅力を感じてる人たちに、昔を知っている古い人間は邪魔になるからこそ、僕はお店がうまくいくと必ず身を引きます。

女性たちには理解しがたい心理かもしれませんが、これが、「男の美学」なんです。

「言わずに伝わる相手」には、余計な言葉はいりません。

最後のお店は、36歳でジャズ・バーを始めたいと相談された女性のお店に6年ぶりに行きました。

16年前、相談の電話があり、直接、会ってから無理だと言うつもりだったのに、話しを聞いていると「光がひとつ」みえたのです。

 

ススキノでNO1(つまり北海道でNO1)のジャズピアノの豊口健先生の名前を聞いた時、私は彼女にこう伝えました。

◎豊口健ホームページ http://ken-toyoguchi.com/

 

「その先生が力を貸してくれるならいけるけど、あなたは、これから言う10個の難題を全てクリアしなければ絶対に無理だよ。できるかい?」「やります!」
1年間に三度も入院を繰り返すほど体が弱い女性でしたが気持ちだけは温かい女性でしたし、もともと私の知り合いの友達なのでまったく知らない他人でしたが、自分を変えたい本気さにチャンスをあげることにしました。

私は全力で彼女のお店が開店するまで物件まわりや食器の購入もにも付き合い、もてる全ての力でサポートしました。(すべてボランティアで)

開店してから16年も立ったことをすっかり忘れてましたが、たくさんのお客様に支えられている結果だと思います。

でも「毎日、どうやって生きていくか悩んでるので、今度、相談しにいっていいですか?」というので、「じゃあ、今度、家にお酒を飲みくればいいよ。」と伝えて、店を出ました。

彼女は、またさらに大きく飛躍すると思います。

 

◎jazz & booze Harf Note   TEL 011-261-5880

http://halfnote.zero-city.com/

北海道札幌市中央区南三条西5丁目 三条美松ビル  B1  

17:30~翌1:00(LO0:30)、ハッピーアワー(17:30~20:30)、夜10時以降入店可、日曜日(特別ライブ・貸切時は営業)

次々に、昔、お世話をしたお店をまわり、皆さんから「昔は、本当にお世話になりました」と御礼を言われている時、僕はふと気づきました。

あー、「自分が御礼」をしにきているのだと。

僕は、この人達の商売がうまくいっていることで、とても自信をもらいました。

今の仕事を本業にする前に5年間のボランティア生活でたくさんの人にアドバイスやサポートをしましたが、僕が「御礼」を伝えられる人はお店を持ってる人だけです。

でも本当は、自分がたくさんの人の思いに支えられてきたからこそ、「恩返しの御礼参り」をさせてもらっているのだと気づきました。

 

すると、心がとても静まり、暖かくなりました。

「恩返し」、させていただく相手がいる幸せ。


与えたつもりが、与えられている歓びに気づきなさい。

と、神様に言われたみたいな気持ちでした。

・・・・・・・・・・

一昨日も20年間、関わり続けている67歳の男性から連絡があり、入院してる病院に呼ばれて行きました。

末期がんステージ4の最後の思いを聞き届けるためかと思っていたら・・・

「昨日、医者からもうあなたの体力ではできることがないので、あとはホスピスケアの病院に転院して下さいと言われました。もう、僕には寿命がないのかな・・・」

「○○さん、これでもう医療や薬では何もできない世界に来たので、あとは、あなたの「生きる意志」だけです。さあ、両手をつなぎましょう。

 

俺は生きる❗俺は生きる❗


俺は生きるからご先祖、守護神たちよ、力を貸して下さいと言って下さい。

彼は20分間、この言葉をつぶやき続け、私はつないだ両手から全力でエネルギーを体全体に流し続け、生きる意思に生命エネルギーを与えるヒーリングを続けました。

 

すると・・・
「久しぶりに、体が楽になりました。もう、こんな苦痛がない時間が来るとは思ってなかったので、うれしいです。」

「じゃあ、生きましょうね❗

僕ね、ちょっと前に気づいたんです。

あなたと20年以上、関わってきて、ご両親を見送る時も、15歳で白血病で亡くなった息子の時も、ガンで亡くなった奥様の時も、今も、そのすべての体験が・・・・

「すべて僕のため」だとわかったんです。

僕に自信をつけさせるために神様が出会わせてくれた人だし、その体験のおかげで仕事にする覚悟もできました。

だから、お金のことでも、ヒーリングでも、僕にできることは何でもしますよ!

「だって、神様が僕の為に出会わせてくれた人だから。

「そんな事言われると申し訳ない・・・」

「いいんですよ、人はどうせ死にますが、だからこそ、どう生きたかが大事じゃないですか!

僕はたくさんあなたにもらっていますので、できることは何でもしますからね(^^)

家族の次々の死から会社の倒産など、ありえないほど辛い体験をしてきたこの男性を20年間、支え続けることを決めた理由は、最初から「自分の使命」のように感じたからこそお金は一切、頂いていませんが、その体験から私は多くを学びました。

やる気を出させる為にキツイことも時には言いますが、最後は、「元気になった!また、やってみますわ!」と言って帰る背中を何度、見たことか・・・

 

寿命も、75歳とわかったので、すぐに本人にも伝えました。

あと8年、生きるかどうかは、彼の信念が、過去の思いを超えるだけ。

私は、そのお手伝い役。

なんか年末の今がね、「昔の恩返しの時期」みたいなのでいろいろ書き綴りましたが、あなたの何かの参考になれば吉岡学もうれしく思います(^^)

過去、出会った全ての皆さんのおかげで、「今の私」がいます。

2017年は、皆さんにたくさん「恩返し」しますからね!

一緒に、ステージあがりましょうね❗❗❗

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