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1995年 阪神・淡路大震災から学ぶこと

●1995年1月17日、午前5時46分頃に淡路島を震源地として起きた阪神淡路大震災 マグニチュード7.3 犠牲者6,434人」は、それまで「関西には大きな地震は来ない」という関西の人たちの神話を一気に打ち砕きました。

しかし、自然界からの事前通達は2年前に起きており、1993年7月2日に起きた「北海道南西沖地震(奥尻島地震)マグニチュード7.8 死者202名」の死者数は少ないですが、地震、津波、火災、停電と被害は多種にわたり、この時の体験から多くのことを日本人は学ぶべきでした。

奥尻島

苫小牧 出光タンク爆発

この当時の日本人の多くは、「対岸の火事」として捉えていたと思います。

1993年当時は、北海道で大手スーパーのSV(スーパーバイザー)をしていたため、札幌、苫小牧、岩見沢、函館の従業員に電話してみると、函館店の知り合いが奥尻島で被害にあい、悲しんでいることを知りました。

「自分たちに何ができるか?」を仲間と考え、支援金を送り、今、出来る支援体制と今後の対応を話しあいました。

▶️2008年9月25日にやっと、北海道の仲間達と奥尻島の祈りを捧げることができましたことを感謝いたします。

●1995年1月17日の午前5時46分は、千葉県佐倉市ユーカリが丘で毎朝6時に目は覚めていましたが、ニュースで、震源地の淡路島に妻がいることを思い出し、携帯電話が繋がらなかった不安を抱えたまま、出勤した記憶があります。

東京都港区浜松町に東京本部があり、神戸には本社といくつものお店を持っている会社のバイヤーでしたので、出勤後、すぐに通達がまわり、神戸救済の第二陣として三日目に神戸市内に入りました。

大学時代の同級生の父親が、三宮駅前に洋服店を営んでいたので、お店を訪れて現地の様子を詳しく聞きました。

話しの内容は、マスコミでは流れない人間のドロドロした感情の醜さばかりで、嫉妬、暴力、陰口、強姦、略奪が毎日、起きていました。

●想定外のことが起きると人間は、もっとも”弱い部分”が露呈することをここで学びました。

奥尻島の大地震は北海道の行政や自衛隊が、救済対応を学ぶチャンスとなり、その結果、阪神淡路大震災の救援物資の搬入や避難テントの設置がスムーズに対応できたことはあまり多くの人が知りません。

奥尻島の大地震が起きるまで、日本全体で大きな地震災害がなかったからこそ、世界中から集まった支援金は、地元の人たちの再興に大きな力となりましたし、阪神淡路大震災にも多くの義援金が送られました。

このあと、「三度目の正直」のように2011年3月11日に起きた東日本大地震で、私たちは何を学んだのでしょうか?

●また、過去のこととして忘れ去り、自然破壊をし続ける愚かな行動を人間はやめようとしていません。

地球の自然を破壊し続けることを人間がやめなければ、さらに大きな災害が来ることを感じているからこそ、私は20年間、自然界の神々にお詫びし続けながら皆さんに祈りや生き方を変えることをお話し続けてきました。

今日、考えるべきことは、過去を悲しむだけでなく、未来に対して、私たち大人が”自然破壊行動をやめること”なのです。

一人でも多くの人が、自分ごとに物事を考えて、今までの習慣と選択を変えて生き方を変えて欲しいのです。

自然災害で亡くなった御霊たちも、生き残った人たちが新しい希望を持って生きてくれることを心から願っています。

どうか、今日という日を、あなたが変わるチャンスの日にして下さい。

今、選択を変えることで、未来は、必ず、変えることができます。

どうぞ、よろしくお願いいたします。

 

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