もし、あなたが「この世界を一人で変えられる力を与えられている」としたら?
みなさんは、自分を感じる時って、どんな時ですか?
楽しい時?うれしい時?
いや、素敵な風景を見た時ですか?
中には、素敵な人に、出会えた時という人もいるでしょうね。
私は、少し変なのかもしれませんが、物事が自分の思うように行かない時に、それを感じます。
自分の身の回りに起きることで思い通りにならないことは、いつも”自分のため気づき”だと知っているからです。
思うようにいかない時は、基本的に、自分からは何もしないようにして、自然の流れに身を任せながら、ゆっくり時間が流れていくのを感じることにしています。
皆さんも桜は好きだと思いますが、私が一番好きな桜は、実は、普通の家の軒先にある1本の木なのです。
それは、家主が長年、大切に手をかけているせいなのか、木の精霊たちの喜びが違うんです。
一生懸命、期待にこたえようと、エネルギー全開で、笑っているようにさえ見えてきます。
そんな時間をすごしながら、少しゆっくり生きてみると、大切なことが見えてきたりします。
「自分らしさ」を探していた若いころのことを思いだします。
場所や人を変えて、探してみた時もありました。
でも、どうにもうまくいかなくて、ちょっとだけゆっくり生きてみた時に、本当は自分の中にあったことに気づかされたりします。
●『自分に、「ありがとう」を言ってくれる人がいるおかげで、自分の存在価値が見つかる』
こんなことを気づいた時、自分の人間臭いところや嫌な部分を少しだけ許せたりできます。
人生のテーマは、『出会う人が、すべて自分の鏡』ですので、出会う人とつまずいたり、転んだりしながら生きていると、ふと、人間らしさや男の愛嬌だと自分で許してあげます。
本当は自分は、人間として、とてもちっぽけなんじゃないだろうかと思ったりすることもあります。
だって、相手が私に期待していることを感じているのに、その相手自身が”自分のちっぽけさを許せていない人”だからです。
そういう人が幼い魂だとわかっていても、自分の何かの鏡となってくれていると思って、出会いや出来事の意味を感学んでいます。
●人間として、ちょっとだけ傷ついたりする時が、一番、自分を感じる時なのです。
孤独で、人生を暗く生きている人に、今までたくさん出逢ってきました。
反対に、明るさを装いながら、心の奥底に、深い悲しみを押し殺している人にも、たくさん出逢ってきました。
でも、そういう人に出あった時こそ、自分の存在価値なんだと思って、つい、相手のために一生懸命やってしまいます。
その理由は、自分自身が誰よりも、その苦しさを長く深く感じて生きてきたからです。
霊的な感覚をお持ちの方の心の苦しみは、普通の人がこの世で感じる苦しみの比ではありません。
でも、その感覚さえ、「他人ために役に立つため」だからと、自分を言い聞かせています。
悩んだり、苦しんだり、辛いと感じる時は、先の自分の喜びをどこに置くかを決めなければいけません。
愛のすべてを知っていても、愛を実践できる人があまりに少ないこの世の中は、いつまでたっても、”愛の奪い合い”なのかと、思ったりします。
愛は、与えて与えて、与えあうことからしか、感じられないものなのに、もらってばかり、欲しがってばかりでは、あまりに辛すぎます。
「あせるんじゃないよ」と、心の中から声が聞こえてきても、実践する自分が、愛の循環を感じられなければ、それ以上の愛をこの世に降ろすことができなくなってしまうからです。
これを読んで下さっているあなたに、ひとつだけ質問させて下さい。
●もし、あなたが「この世界を一人で、変えられる力を与えられている」としたら、あなたは、今、何をしますか?
世界を変える方法と、今、自分の目の前にいる人にしてあげることが、もし、同じだとしたら、あなたは今、何をするのでしょうか?
それが、人の出会いの本当の意味だと気づいて、行動してほしいと心から願います。
愛をいつも、ありがとうございます。