今日は、「沖縄本土復帰の日」から50年目!

沖縄返還(おきなわへんかん)は、1972年(昭和47年)5月15日に、沖縄(琉球諸島及び大東諸島)の施政権がアメリカ合衆国から日本国に返還されたこと)
ヤマトの人は全く気にしない人が多い中、沖縄では朝からニュースが流れているはずです。
50年前は、今、53歳の人でも3歳なので、よく覚えていないと思いますが(^^),、親や祖父母たちは何かしらの思いを抱えて子供達に伝えています。
2007年の沖縄の最初の神事仲間である大城幸子さんの体験談を聞くと、「19歳でこの日を迎えたけど、アメリカの方が楽しかったよ!」と言われました。
私は12歳でこの日のニュースを見ましたが、ヤマトと沖縄の人の捉え方はそうとう違うだろうなあと思っていました。
それはなぜか?
「被害者意識」を持っている人は、「俺たちはヤマトの捨て駒さ!騙された」と言います。
実際に、宮古島であった先輩は、飲みながら本音を私に教えてくれました。
「じゃあ、どうしてヤマトの私と今、飲んでるんですか?」と聞くと、
「俺の友達がさ、吉岡さんは本気でこの沖縄に頭を下げて回ってるからきっと俺たちの思いはわかると思うから会ってみなよ」と言われたそうです。
確かに、この男性を紹介してくれた人は、どうなるかわからないけど、よろしくね!とだけ言ってました。
どんなに罵倒されても、頭にきても、親御さんたちを日本の戦いに巻き込んだのは、私たちヤマトの人間です。
そして、多くの尊い命を失う結果になりました。
島津藩が琉球王朝を支配下においた時から、私たちヤマトの人間は「侵略者」だと思って、私は沖縄に通っています。
第二次大戦で、沖縄に次いで、亡くなった人の数が多いのは、「北海道」なのです。
その理由は、明治政府になり、廃藩置県が行われ、領地を持っている地主は、小作に土地を開放しなければいけなかったからです。
食べ物が減った領主は、長男は家に残し、次男以降は、北海道に追い出されたのです。
全く作物が育たない場所に移住した人たちの苦労は大変でした。
本土にいる本家から見捨てられた北海道の人間たちばかりだからこそ、私の親や祖父母は、沖縄の人たちの不憫さを自分たちの体験を添えて話してくれました。
だから、痛いほど、沖縄の人たちが抱えている思いがわかります。
だからこそ、ヤマトの人間が沖縄にはお礼をしなければいけないのです。
行政がいくらお金を注ぎ込んでも、沖縄は一部の利権者に多くのお金が落ちていく仕組みがあります。
その仕組みは、琉球王朝時代に庶民を支配していた王族と氏族が、今も、沖縄のマスコミ、政治、金融、利権を握っているからです。
貧乏庶民は、自分で身を立てるにはとても厳しい世界だからこそ、常に、相手を見て、上手に表と裏に付き合いをできなければ、沖縄でも田舎でも、生きてはいけません。
お互いに「生かし合う」には、過去の思いではなく、「新しい価値観」が必要です。
私が大事にしている根本的な価値観の中心は、絶対に、
1、先祖がありき
2、神ありき
3、そして、自分の周りの人たちのおかげで「自分ありき」です。
「新しい価値観」を創造するのが、私たち子供の役目なのです。
だから、自分で歴史から学んで下さい。
そして、先人たちの体験談を聞いて下さい。
過去の辛い思いを希望に変えるのが、私たちの役目なのです。
これからの道を共に希望を発信する人たちで作りましょう!
沖縄の皆様、ご先祖さま、多くの命を失わせて、たくさんのご迷惑をかけて本当に申し訳ありませんでした。
だからこそ、今、私たちは沖縄の人たちと手を組み、新しい価値観を後世に残せるように頑張っております。
どうぞ、ご支援、ご協力をよろしくお願いいたします。