【霊視】日月神示・岡本天明との対話
日月神示(ひつきしんじ)をご存じでしょうか?
日月神示(ひつきしんじ、ひつくしんじ)は、神典研究家で画家でもあった岡本天明に「国常立尊」(国之常立神)という高級神霊からの神示を自動書記によって記述したとされる書物。昭和19年から27年(昭和23・26年も無し)に一連の神示が降り、6年後の昭和33、34年に補巻とする1巻、さらに2年後に八巻の神示が降りたとされる。昭和33、34年に何かが発生。非公開の神示がこの前後に降りた物なのかは不明。(ウイキペディアより)
日月神示が降ろされたとされる麻賀多神社。写真は本殿。日月神示の最初の第一帖と第二帖は第二次世界大戦中の昭和19年6月10日に、この神社の社務所で書記された。
2011年2月13日に、麻賀多神社に行って岡本天明と話をしました。
あなたはなぜ、「日月神事」という啓示を降ろしたのですか?
これは私の意思ではなく、ある日、突然、夢の中に神様が現れて、これから伝えることを書き留め、世の中に公開しなさいと言われたのです。
あなたは生まれつき、神様と対話する体質だったのですか?
いいえ、違います。突然、そうなったのです。
それは、選ばれたのですね。
私、天無神人は子供の頃から神も霊たちも同じように見え聞こえして育ったのですが、とても苦しい時間を過ごしてきました。
そして、あなたが日月神示が降りた時期に生まれ、1998年には「地球を救いなさい」と言われました。
あなたが降ろした「日月神示」から、ちょうど、40年が経ちましたが、そちらから見ていて、この現実世界は如何ですか?少しは「日月神示」を読んで未来のために働いている人たちはいるのでしょうか?
その質問は、私にとっても、神にとっても、辛い思いを感じています。
多くの人たちが「日月神示」の本を読んで下さり、たくさん感動のお手紙を下さいましたが、頑張って下さいと書いてあるだけで、自分で何かをしようとは誰も書いていませんでした。
肉体を離れたあと、お手紙をくれた人たちの人生を見ていましたが、何も普段と変わらず、ただ、理想を語るときだけは私の名前を出して説明するのに、行動は何も変わっていません。
それも私の責任だと感じているからこそ、あなたに神が啓示を降ろしたことも納得いたします。
40年というサイクルの中にも、きっと、同じような啓示やメッセージを伝えた日本人がいると思いますが、どうですか?
私はこの世界に入るまで、一切、宗教も精神世界にも興味がなかったので知識がありません。
私も最初の指導霊(神)が、「国常立尊」なので、に必要なことがあれば、教えて下さい。
私からは何も言えません。ただ日本人の精神性がどんどん弱くなり、自分や家族の命以上に大切なものを忘れているようにしか見えません。
この「麻賀多神社」にも、多くの人たちがきましたが、今は、ほとんど人が来ない神社になってしまいました。
私が世の中の人に伝えたことは、何かの役に立ったのでしょうか?
私は必要だったと思います。
戦争に負けた日本人たちは、生きる自信を失い、誰もが迷っていた時期だからこそ、必要な啓示だったと思います。
私たちのように、啓示を受け取る人たちは、過去にもたくさんいたし、これからも必要な時期に現れると思っています。
だからもし、あなたのところにやってきた人で、未来を喜びにできる人たちが来たら、こう教えてあげて下さい。
一人ではできないいことも、多くの人の繋がりによって動かせるのが「祈り」なので、まずは、自分一人で祈る習慣から始めて下さいとお伝え願います。
国を動かすのも、人を動かすのも、未来を変えるのも「意思」だからこそ、祈りの中で自分の意志を明確して神々とやりとりすると、この現実を変えることができるのです。
どうぞ、よろしくお願いいたします。
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