これからの「日本の教育」をどうするのか?
家庭教育、学校教育、社会教育・・・、日本に今、一番、欠けているのは「教育」です。
●自分達で変えていけるのは、「家庭教育」だけです!
日本人として「根幹の柱」となるものは、日本人としての「思想」を正しく理解することです。
2000年以上前に神武天皇が即位し、日本という国家宣言をしたことで、日本国の歴史は始まりました。
それ以前は、「出雲風土記」にもあるように、様々な民族が共に暮らす複合国家だったからこそ、対外的に、国家として交流できるものがなかった時代が長く続きました。
当時、北海道と沖縄は日本には入っておらず、本州、四国、九州を「ヤマトの国」として諸外国と交流していました。
●「日本人」として最初に尊敬の念を持つ対象は「天皇」であり、そして、先住民を束ねて一つの国家を形成した「八百万の神」や、出雲神の全てを含む意味の「日本国旗」の白地に赤くが、「民族の血」を合わせて作った国家という意味なのをご理解下さい。
天皇家のルーツは、様々言われていますが、本来は「新羅系」だったものが、「百済」に攻められた結果、天皇家のルーツも、「百済」ということになっています。※秋篠宮妃殿下から直接、お言葉を聞いた人から聞きました。
●日本に生まれた人間として、まず、何を教育するべきかですが、共に、共通で大事にしあうものが同じであることが必要なため、先祖を含む「神」と呼ばれる先人に。感謝する心を教える「神仏心」を日本教育の柱にすべきだと私は思います。
●神と仏(先祖)を同一視しても良いし、先祖を神格化させて「神」と呼ぶ沖縄の風習に沿っても良いですが、もともと「土着信仰」が強い国だからこそ、「庚申信仰」や「性器」を尊ぶ「道祖心信仰」も全てを認め、地域ごと神や仏の概念を無理に統一する必要がないのも、日本神道の最も素晴らしき点だとご理解下さい。
●現在の日本を見てもわかりますが、「宗教の自由」が認められているからこそ、家庭ごとの信仰は違っていても、「国家神道」、つまり、国家として、他者に自らの国の尊厳を持って大切にする心を教えなければ、この国の未来は明るいとは言えません。
●「教育」とは、本来、命を守るものだからこそ、家庭生活の中で、日本国旗を掲揚し、天皇に感謝する心を教えることが日本という国を愛する心を育てることを親になる人たちは理解すべきだと私は思っています。
●世界に、自国の国旗を掲揚しない国民もいないし、国旗や国家に嫌悪感を持つ国民などいない理由は、今、自分が生きているまでに、多くの先人たちがいたことに感謝する心を「教育」で教えてきた結果だからこそ、どうか、日本に生まれた子供たちに、「希望を持てる国民」としての教育をわかりやすく家庭の中で伝えて欲しいと願うものであります。
●70年以上、「左寄りの学校教育」の教えは、先祖が大切にしてきたものを全て破壊していますので、今からまともな大人たちが新しい教育を自分たちで教えないと、日本の未来に希望は生まれません。
「教育」とは、人が生まれ、育ち、生き続けるために、もっとも重要な精神性を教えるものですが、日本の学校教育にはもう、その精神性がないうえに、先祖たちが国を守ったことを誇りに思えない人たちが多すぎます。
それは、自分で学べば良いことですが、過去の事実を語る人たちも、もういませんし、さらに、「生の戦争体験」を聞いたことがある人たちもほとんどいません。
●人のことを批判する前に、まず、あなた自身が「正しい日本人」としての過去の歴史を学び、どうやってこの国を守り続けたのかを真剣に考えてから子供たちに教えて下さい。
「自由、平等」だけを主張するガキみたいな20代、30代、40代が多すぎるからこそ、私はあえて、わかりやすく言葉にしているだけなのです。
もし、本気で「日本国家の未来」を考える人たちがいるのなら、「国旗と国歌と日本神道」を大切にできる教育をあなたがして下さい。
2000年以上、続いた日本教育の根幹を知らない人間が、教育者になっていることさえ、私は、とても残念に思っています。
宗教もひとつの「教育組織」ですが、教義や目的が違うからこそ、日本は、「八百万の神」の概念があるのです。
現代の子供たちは、「不平等な社会」が当然だという教育を受けていないため、「平等」を履き違えているからこそ、社会へ出てすぐ、つまずくのは当然なのです。
「教育」は、人間の本質を育てるものなのです。
時代や価値観や大切にするものが時代によって大きく変わっても、絶対に変わってはいけないものが、「歳上の人を尊敬する生き方と考え方」なのです。
それができな人たちは、日本の未来を破壊していることさえ、気づいていません。
どうか、あなたがまず、自分で何が正しいのか、何が間違えているのかを考えて、他人に言葉で言える人間になって下さい。
「個人の自由」よりも大切なことは、「先祖が大事にしたもの」だと、教えられる人が増えることを願ってお伝えしています。どうぞ、よろしくお願いいたします。