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【厚生労働省】医療と薬の長所と短所

医療の良い点・悪い点

誰も口にしないので、私が代わりに代弁します。

医療現場で働く多くの看護師や医師たちと、本音で話し合った私の結論は、

医療と薬は、「あって良いもの、無くても良いもの」だと答えがでました。

つまり、望む人にとっては良いものですが、高価で買えない人や、払えない手術代を聞いたら、もう、それは「死」を宣告されたことと同じだという意味です。

いつから「自分の死」を医師に任せるようになったのか?

本来、「死」は最後に自分が決められる「重要な要素」だったはずなのに、「死を尊ぶ心」を学んでいない人たちは、「理想の死」を追い求めて宗教にハマったり、高額医療にお金をつぎ込み続けています。

私たち人間には「理想の死」など、一切、与えられてはいないという「死生観」が日本人にあったからこそ、死を尊び、生を尊び、性も自由に楽しむ心があった国だったのです。

それを壊したかったのは、誰なのでしょうか?

あなたの「死」は、もう自分では決められない時代になりました。

医療や薬を受け入れるのか、拒否するのかだけは、最後に人間に与えられた「尊厳」なのです。

「尊厳」とは、お金や地位で作るものではなく、人間として誇らしく生き、「誇らしく死ねる価値観」のことを言います。

そのことを教えるのが、「学校の道徳」の時間だったのです。

3歳で亡くなった子供の「尊厳」と、98歳で亡くなった人の「尊厳」の違いを説明できない人の心には、「生きたいという欲」しかありません。

全てを受け入れる民族が、日本人だったのです。

自分で何とかできるところまでは必死に生きる努力をし、自分でどうにもできないことは、家族や他人に「力を借りる勇気」を持つことを教えたのも、「道徳」の時間でした。

本来、「道徳」の時間には、宗教思想は持ち込んではいけませんでした。

一人一人が違いを認め合いながら話し合って、「新しい価値観や考え方」を生み出すために学び合う時間を誰もが最も大事にした時代が、50年前の日本にはありました。

収入が増えて、自由に使えて、たくさん食べて、たくさん物を買い続けた結果、その全ての物を捨てて、肉体を離れる最後の時に残るのは、「生きる執着」だけなのです。

だから、昔の人たちは、「執着」を最も下等なものだと教えました。

「あたわり」という言葉を知っていますか?

肉体も、命も、身の回りの物も人も、全て、「創造主」に与えられたものだという日本人の共通した教育のことです。

つまり、「自分のもの」など、この世の中には存在しないと教えられました。

「あるものに苦しみ、無いものに苦しむ一生」の人生を、どう楽しく生きるかを学ぶ時間だからこそ、人間にとって、最も尊い時間だと誰もが知っていた時代が日本にはありました。

「神に与えられたもの」と「先祖に与えられたもの」を、誰もが知っている時代でもありました。

それは、同時に、「この世に自分のものなど何も無いこと」を気づかせる時間でした。

そこには、執着も、嫉妬もなければ、嫌がらせもありません。

人生の全てが「助け合いの時間」だという共通認識が日本人は学んでいたからです。

人生は、もともと一人では弱いからこそ、「助け合い」が必要なのです。

持つものは、持たざる者を救い、持てるものが無くなった人は、全てを「他人に託す心」を一緒に学びました。

誰一人、自分のものでは無いと学んだ人は、最後に、自分を助けてくれる人が、誰かを知っていました。

お金が無くても、友人がいなくても、関係ありません。

まず、あなたがその「助け合いの心」になることが、未来を希望にする「始まり」なのです。

「尊厳無比」という言葉をご存知でしょうか?

「個人の尊厳」に勝るものは無いという意味です。

そのことを正しく学んだ人は、必ず、「恩返し」の人生を生きているはずです。

自分だけの「尊厳死」を望む人は、地獄コースが待っています。

「他人の尊厳死」を支える人は、神様の使いのお仕事をしている人なのです。

「家族の尊厳死」を支える人は、親や家族に「恩返し」をしている最中の人なのです。

「死」こそ、誰にでも平等に与えられた「尊厳」なのです。

 

死を尊び、生をはばからんとす生き方をせよ!

 

命に向き合う心を共に学び、現実を喜び生きるための考え方を「神仏心大学校」で学んで下さい。

 

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