これからどう生きるか、悩んで弘前(ひろさき)へ
37歳でやりがいのあったダ◯エーという会社を辞めることになり、amwayという自営業をスタートして、一応、最短コースで成功ラインに乗りましたが、「お金儲け」に人生を捧げることに喜びを感じない時に、「地球を救いなさい」と声が聞こえてから、寝れない、食べられない、動けない三拍子揃った「3年修行」のあとに、解脱しました。
2001年1月10日の解脱体験をしたあと、それまで経験した全ての過去の記憶が消えてしまい、これからどうするか悩んでいると、知り合いの女性が「青森県弘前市に、天使さんがいるので一緒に行きませんか?」と誘われました。
解脱の合図として「左足の甲の骨」を骨折したので、松葉杖を付きながら、妻と知人の3人で私が車を運転して、函館港から船に車を乗せて弘前市まで運転して行きました。
紹介された「天使さん」と呼ばれる女性は、会った瞬間、「この人は人間なのか?」と思えるほど波動が高くて、食べ物を食べてもどんどん痩せていくし、体の比重が軽すぎて自動ドアが開かず、マンションの廊下を走っても音がしないくらい、「魂が半分、体から抜けている」可愛らしい32歳の看護師の女性でした。
「このままでは、この子は死ぬ!」
とわかったので、一日中、彼女がして欲しいことを全てやり切った最後に、2人で人生を生きる意味をとことんか話し合いました。
創造主マスターが作った人間の存在意味を悩み苦しんだのは同じですが、彼女は看護師だったので、自分で死ぬことは考えたことはないと言いました。
他人の為に生きることは喜びだけど、自分の喜びは何かわからないと言いました。
私は死にたくても、死ねない人間だと言うと、「辛かったでしょうね」と一言、言いながら、ポロポロと大きな目から涙を流してくれました。
彼女も人の過去が見える人でした。
ずっと、子供の頃からの私の思いを感じてしまい、大きな声で泣くほど官能したので、抱きしめて、二人でベランダへ出ました。
「もういいよ、僕の為に泣くことはしなくていいから、自分の喜びを考えて生きなさい」と言うと、今までそんなことは考えたことは無いと言いました。
これまでの彼女の人生の過去を見ると、私と同じように、未来がわかるので、周りの大人たちに、「それは辞めて、こうしたほうがいいよ」と言い続けると、親が彼女を家に閉じ込めて、人に会わせてもらえない子供時代だと分かりました。
家にいて時間があるので、人の為になる看護師の本を買ってもらい、辞書を引きながら自分一人で看護師試験を受けて合格したので、18歳で弘前市に来て看護師学校に入って、そのまま看護師になったそうです。
この薬は飲まないほうがいいですよとか、自分で作った食べ物を食べさせてあげたので、病院には居られなくなり、介護の仕事に就きましたが、あまりに患者の為に尽くすので、そこも首になり、「訪問看護師」になりました。
神様のメッセージも全て聞きましたが、最近、神様に言われたことは「りんごを救いなさい」でした。
意味が分からず、りんごの木に一本づつ聞いて回ると、「農薬の回数が増え過ぎて、りんごさんが苦しい」と聞こえたそうです。
最後に私に彼女が聞いたことは、
自分の魂は、今世で終われますか?
と私に聞きました。
私はあまりにその繊細な言葉の波動に涙しながら、「魂の大元マスター」に聞いてみると
「今世次第です」と言われました。
そうですか・・・
と寂しそうに話す彼女も、「地球を救いなさい」と言われた一人でした。
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そんな体験を思い出した2022年11月に、久しぶりに弘前市に行くと、自分が過去、忘れていた大事な記憶をどんどん思い出し始めました。
解脱するまでの42年間、どれくらい自分が辛かったのか、その「自分の辛さ」を周りに知られたくないあまりに、多くの人を傷つけていた自分を思い出し、涙が止まらなくなりました。
「自分は何のために生まれてきたのだろう?」と悩み続けた42年間の過去の記憶を全て消し去って今日まで生きてきたのに、また今、過去の記憶が「フラッシュバックする理由」を考えました。
すると、ふと、こんな言葉が思い浮かびました。
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時にありて、時になし。
風にありて、風になし。
思いにありて、思いになし。
ならば、その思いはどこからくるものなのか?
人間一生、はかなきかな。
ならば、自分の力で喜びにせよ!
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20年前に、守護存在に言われた言葉でした。
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そして、中学生の荒れていた頃、「父の立場」になって考えると、「俺みたいな子供を育てるのは大変だろうな」と思った瞬間、赤ちゃんの時に、父と対話した言葉を思い出しました。
お前が生まれた意味は、「俺を制する」ためだったんだな。
だから、わかったよ。
もう、これからは一生、誰も殺めないし、必ず、人を助けることをすると、ご先祖と神様に誓ったから、死ぬまで見守っていてくれな・・・。
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兄には「長男」として厳しく接していた父でさえ、私に言葉を話す時は、必ず、一呼吸、置いてからゆっくりと話し、自分の感情を抑えるのが、やっとだったことも思い出しました。
本当に辛い小学生の頃、父にこう言い放った自分も思い出しました。
父さん、僕を殺して!!!
こんな嘘つきな大人の世の中は、生きられないよ!!!
父は、目からボロボロ涙を流しながら、こう言いました。
すまん、すまん、全部、俺たち大人が悪いんだな・・・。
すまん、すぐに大人たちは変わらんけど、変わるように努力するから、もう少し、生きててくれな。
俺は、お前を殺せないんだ・・・。
もし、お前が先に死んだら、俺も、俺の家族も、親族も誰も生きていけなくなると思うんだ・・・。
だから、頼むから俺が死ぬまで生きててくれな!
どんな生き方をしてもいいけど、絶対に、俺より先に死ぬなよ!
な!頼むぞ!!
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母もうしろで、私の言葉を聞いていたようで、目から大粒の涙を流しながら、こう言いました。
あんたは、今すぐにでも、家を出たいんでしょ?
でもね、まだ小学生だから、もう少し我慢しなさい。
中学生になったら、どこへ行ってもいいし、どこで死んでもいいから、それまでは、真剣に生きなさい!
もし、お前が女だったら、結婚は3食昼寝付きの「監獄」さ。
でも、男に生まれたのだから、死ぬまで働くしかないんだよ!
それまでは、辛抱しなさい!
もう少し大きくなって、女を犯りたくなったら、若い女を犯してから殺しなさい!
そして、山に埋めればわからんから・・・。
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この時、母が言ってくれた言葉の意味はわかりませんでしたが、
「お前が何をやっても、他人に迷惑をかけても、私はあんたを守るからね!」
という意味だと中学生になってからわかりました。
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2022年11月、青森県弘前市から戻って、母に電話して、
「僕みたいな子供を育てるのは大変だったでしょ!?」と電話で聞いてみると・・・
あの時代は、全てが苦しかったので、ただ、必死に、生きていただけさ・・・。
だから、お前も苦しかったかもしれないけど、私も父さんも、必死に生きるしかなかった時代なだけさ・・・。
すまんかったね、きっと、私が足りないんだね・・・。
まだ、生きてて、すまないねえ・・・。
なかなか、お迎えがこないので、私も生きるのが大変なのさ・・・。
自分一人で死ぬことも許されないし・・・。
いつ、お迎えが来ていいのにね・・・。(涙)
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2023年1月30日で「満90歳」を迎えた母に、こんな言葉を言わせたことに反省しました。
生きる意味と、死ぬ意味を、もう一度、考える時間になりました。
母よ、まだ、生きててくれて、本当にありがとうございます。
大切な気づきを与えてくれた弘前市の皆さん、本当に、ありがとうございます!