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【吉岡一門】父が日本刀を磨いていた日

小学3年生の頃、裏玄関で「日本刀」を磨いている父を見つけました。

どうして、今、日本刀を磨く必要があるの?

そうか、お前は「次男」だから、日本刀を見たことはないのか・・・。

いいか、日本刀はな、「武士の魂」だから、俺が吉岡の本家の父さんからもらった刀を、お前の兄にやる時期が近づいているので、綺麗に磨いてすぐに切れるようにしているだけさ。

いつ、兄ちゃんにその刀を渡すの?

中学1年生になったら、昔なら「元服」なので、その時に「父の刀」を「次の家長」に渡すのが、我が家の「しきたり」なのさ。

そうやって、代々、親が子供に刀を渡すことで、「武士の魂伝承」がされるものなのさ。

へえー、じゃあ、父さんも、中学1年生になった時、刀をもらったの?

そうさ、二つ上の兄は、「本家の跡取り」として、正式に父さんからすごい名刀をもらったが、ほら、俺の刀にも名前が二つ彫ってあるだろう。

これはな、日本刀を作った「刀鍛冶の名前」と、歯をつけた「磨きのプロの名前」なんだが、どちらも吉岡一族の人間だし、今は、こういう名刀を作れる奴は誰もいないので、俺が富山県まで行って、日本刀の磨き方を習ってきたので、こうしてお前の兄貴の為に刀を磨いているのさ。

 

「天皇の三種の神器」って、知っているか?

あれを作ったのも、「吉岡一族」の鍛冶職人と歯をつけた人の名前が入っているのさ。

 

だってな、昔から天皇家をお守りしていたのは「吉岡一族」だし、全て「吉岡道場」の人間なのさ。

まあ、この刀を売れば、たぶん150万円くらいにはなるだろうな。

※現在では、数億円の価値の刀

「本家と分家の跡取り息子」が引き継ぐ刀には、名刀の中でも名刀で、手で掴むところの中にも刀を作った職人の名前が3つ彫ってあるほど、有名な人が作ったものさ。

サヤの漆塗りも、富山県で一番有名な職人が作ったもので、俺の12人兄弟姉妹は、全員、名刀をもらっている一族なんだぞ!

え!そんなに!?刀が隠してあるの?

普段、見えないけど、どこに隠してあるの?

床の間に飾ってあるものは、ニセモノで、誰かが忍び込んできて盗む奴も多いから、安物の刀を置いてあるのさ。

家の軒下には、100本くらいの日本刀が隠してあって、もし、戦いになれば、本家の近くの農民は全て「吉岡家の小作農」なので、全員で本家を守るために集まってくるのさ。

 

我が「吉岡一族」はな、富山県では一番、有名な武士だったので、どこに行っても、うちの名前を知らない奴はいないんだぞ!

だってな、二十以上の村を束ねていた武士だったし、吉岡家の上には、☞「後醍醐天皇」がいたので、もうそりゃあ、すごく有名な人だったのさ。

 

吉岡家のご先祖は、「天皇家をお守りしていた武士」だったんだぞ!

「南朝の後醍醐天皇」は戦いで最後は負けて死んだが、南朝の武士も、北朝の武士にも全員に「剣術」を教えたのは、我が吉岡家の「吉岡道場」なんだぞ!

よく、テレビのチャンバラで「吉岡道場」の看板が出ているだろ!

「吉岡道場」の道場破りのシーンとかも、よく出るだろ!

伊賀者も甲賀者も、「くのいち(女)」も、全ての流派の忍者も、全て「吉岡道場」で学んだ奴らなので、剣術のどの流派も、全員「吉岡道場」で学んだので、絶対に戦っても敵わなかったと父から聞いたなあ。

 

南北朝の戦争では負けたが、あの戦争も本当は「南朝の天皇」が立つ時期だったのに、「北朝」の奴らが裏切ったうえに、賄賂をつかませて、後醍醐天皇を裏切った武士たちがいたのさ。

「武士の風上」にも置けない奴らなので、もし、見つけたら、俺がぶった斬ってやる!!!

お前も中学1年生になったら渡す刀があるので、あとで「お前の分の刀」も磨いておくわ。

 

俺のは、お前の兄ちゃんに渡すが、俺は、親父の弟からもらった刀があるので、いつでも戦いに行けるように磨いているのさ。

「母さんの刀」もあるが、アイツ、本気で怒ると、俺も殺しかねない女だから、結婚した時、渡そうと思っていた刀を隠して、「お前のはない!」と言ってやったのさ。

そしたら、その日からご飯は作らないし、おかずはないし、しばらく、水だけ飲んで暮らしたものさ。

お前、ああいうタイプの女だけは、嫁にもらうなよ!

俺は仕方なく見合いで結婚したが、俺と結婚したかった女は山ほどいたんだが、武士だけは、いくら好きでも、勝手に結婚できない理由は、「結婚は家と家の結婚」だから、相手の家の先祖をよく調べろよ!

さあ、これがお前の刀だ!

素振りして、練習しておけ!

私の日本刀

少し短めの刀を見せてもらい、テレビのチャンバラのように振り回そうとしても重たいので、腹に力を入れ、少し屈んでみると、しっくりきたので、あとは、チャンバラの手の位置をしっかり決めてバランスを取り、体の力を抜いて素振りをしてみました。

本当は重い鉄の棒を振り回して練習するそうですが、ちょうどいいのがなかったので、本物の「真剣」を私に渡してくれた父でした。

・・・・・・・・・・・

父から離れた場所で大きな円を描き、テレビのチャンバラで見たように縦横斜めといろんな角度で振り回していると、父が私を呼んでこう言いました。

 

おい、そこにある薪を思いっきり切ってみろ!

人間の骨を砕くように、本気でやらないとケガをするから、気をつけてやれよ!

薪を川の字に木の台の上に置いて、真ん中の1本だけ横にして、息を止めて、思いっきり振りかざすと、薪と一緒に木の台が切れて、倒れました。

怒られるかと思っていると、父は、もっと太い10cmくらいの太い木を持ってきて、「これを切れ!」と言います。

自分が殺られるかどうかの瀬戸際に追い込まれた気分を想像すると、もう目は真剣ですが、気が立っていると、ふらつくので、息を吐いて、吸った瞬間に大きく切ると、一気に太い木が真っ二つに切れました。

父さん、これでいいの?

もっと、太い木で練習しないと、相手を殺せないかなあ?

 

お前、その呼吸法はどこで覚えた?

俺は、その呼吸法を身につけるのに、だいぶかかったが、テレビではそんな呼吸法は、やってないだろ?

誰かに聞いたのか?

 

いいえ、これなぜか、刀を握った時に、「次はこうしろ」と、声が頭の中で聞こえたので、その通りにしただけです。

このやり方は、誤りですか?

 

そんなことはない!

お前の今の呼吸は、絶対に相手を切り殺せるし、さっきの太い木は、人間の骨より太いので、お前なら、大人でも一気に殺せると思うな。

よし、合格だ!

あとは、修練だぞ!毎日、練習しろよ!

・・・・・・・・・・・・

小学校に行かせてもらえなかったので、毎日、朝ごはんを食べたあとからお昼ご飯まで、刀を振り回していましたが、郵便屋さんが来てもやめないので、郵便物は玄関まで持ってこないで玄関前に置いて逃げていきました。

そんなことはお構いないしに、刀を振り回していると、ふと、何かを切ってみたくなり、自分で太い木を集めて、「人の形」にして大きく切っていると、どんどん切った切れ味が悪くなったので、父にまた、研いでもらいました。

 

お前、これだけ歯が、こぼれるということは、何を切ったんだ?

えっと、藁(わら)と木とだけだけど、藁(わら)は軽くて切りづらいので、束ねて縛って紐で吊るして、切る練習をしていました。

 

あの納屋にぶら下がっている藁(わら)の束を切ったのは、お前か?

はい、最初は10cmの藁の束を切りましたが、すぐに切れたので、30cm、60cmと太くして、最後は、80cmの幅の藁の束を切れました。

藁なのに、なぜ、こんなに歯がこぼれるんですか?

 

武士の刀はなあ、本当は「一太刀」で相手を殺す道具なので、テレビみたいにチャンチャン、バラバラ、と振り回したりは、誰もしないのさ。

一瞬で、「一太刀の間(ま)」を測って切らないと、相手が次の間(ま)で切ってくるので、もうそうなると、逃げるしかないのさ。

でも逃げるのも悔しいので、歯を食いしばって、もう一回、振り回すんだが、必ず、どこかを切られているので、それも覚悟のうちさ。

でもな、お前がさっき、切った藁の中には、実は、「鉄の棒」が入れてあって、兄ちゃんの練習用に作っておいたのに、お前、切ったな!

あれを切れば、そりゃあ、歯は溢れるさ。

でもよく、あんな太い「鉄の棒」を切れたな?

お前、相当、練習したんだな、いい子だ、いい子だ(^^)

 

父が初めて笑顔で私を褒めて、なぜてくれた瞬間だったので、涙が溢れました。

子供の頃から誰も抱いてくれないし、父は、怖いものを見るかのように私を睨んでいたので、「初めてのナゼナゼ」に涙が止まりませんでした。

 

もういい、男は泣くな!

今度、本家で「刀の練習試合」があるので、お前も一緒に来いな!

あ、そうか、お前、学校には行ってないんだものな!

じゃあ、その日も朝から練習して、体を温めておけな!

最初は「木刀」だが、最後は、「真剣」でやるので、お前はその刀を持ってこいな!

・・・・・・・・・

数日後、兄の「家長代替わりの儀式」を家の中の仏壇の前で挨拶を終えてから、吉岡家の家紋が入った紋付羽織に上下(かみしも)を家族4人が身につけて、父と兄は3本の刀、私と母は1本の刀をさして、本家までの1kmの道のりを歩いて行くと、近所の農家の人たちが全員土下座しているし、自分達の刀を手にして、私たちのあとをついてきました。

本家に着くと、従兄弟二人も「紋付袴」で待っていてくれました。

これは、分家が本家に正式に挑む形らしく、その戦いぶりによって、今後の「コメの割り振り」が変わると父が教えてくれました。

「本家」には、私により2歳年上と6歳年上の従兄弟が二人いますが、「分家の我が家」は元服したばかりの兄と、小学生の私なので不利ですが、本家の祖母に父が聞くと、「それで良い!」と言ったので、「2対2の真剣勝負」が始まりました。

最初は木刀で、相手の木刀を飛ばしたら勝ちですが、兄が負けたので、僕が二人の木刀を一気に飛ばして勝ちました。

次は、「真剣」ですが、本家の刀は大きくて長いため、支えるのが大変ですし、従兄弟は、腰に二本、刀を刺しているので、動きづらいのか、手に持った三本目の刀と短い刀に取り替える許可を祖母にもらっていました。

「情けない!」と一括した祖母の声を聞こえると、もう、誰も引き下がれません!

4人とも目は真剣ですが、体の震えが止まらずに、誰も打ち込めません。

これではいつまで経っても勝負にならないと思ったので、私が刀をひっくり返して、「峰打ち」の歯にして、一気に、二人の刀のツバ近くに振り下ろしたので、従兄弟の二人は刀を下に落としてしまいました。

・・・・・・・・・・

「参りました!」と言えば終わる場面だったのに、従兄弟の一人が悔しくて、落とした刀を拾って振り回したので、仕方なく、思いっきり腹を「峰打ち」しました。

・・・・・・・・・

あとで聞きましたが、実際に日本刀の歯で切るよりも、「峰打ち」は骨が折れるか、筋肉と内臓を傷つけるので相当痛いと教えてくれましたが、「命を取るよりもマシだろ!」と思った私の思いやりなのに、従兄弟の二人は、「いつか、また、やろうぜ!」と悔し涙を溜めて家の中に腹を押さえて入っていきました。

・・・・・・・・・・

私の父は、正式に祖母に「戦いの報告」をするために、玄関の前に座り込み、

「分家として、ご迷惑をかけましたが、これからも、本家をお守りするために働きます!」

と言葉にすると、祖母がこう言いました。

 

お前さん、よくここまで子供を仕込んだね。

それでこそ、「吉岡家の武士」の子供だわ。

これは私が大事にしていた「私の主人の刀」だけど、お前にやるから「本家を守る時」に使っておくれ。

ここにいる「家督長」のお前の兄さんは、刀の練習をしないので、これは用無しさ。

だから、お前さんがこの刀で、吉岡の家を守ってくれよな!

それと、今日の戦いでお前たち「分家」が勝ったので、この家を乗っ取ってもいいし、全員を殺してもいいが、どうするつもりだい?

 

滅相もございません!

この「吉岡家の御陵地」の全てを頂くつもりはありませんし、全ての農家の米を支配したいと、思ったことはございません。

自分達の「分相応の田んぼとコメ」だけ分けて下されば、十分でございます。

兄の家族もおりますし、嫁に行った姉たちも、私が「本家の家長」となれば、全員、打ち首にもできまするが、それはあまりにも人情がないと思いますので、「吉岡家の家督長の権利」は、放棄いたします。

なので、今までどおりに、どうぞ、奥方様は、この家に鎮座していて下さいませ!

どうか、お願いします!母上様!

 

お前は昔から優しい人間だから、そう言うと思ったけど、本当はお前が「吉岡家の本家の家督長」になることを私も望んでいたんだよ!

お前は子供の頃から剣術も、スポーツも、芸術も全てがピカイチで、どこに出しても恥ずかしくない成績だったから、本当によく努力をする人間だと感心していたのさ。

 

でもね、あんたがそう言うなら我慢するけど、お前は勝ったんだから、あのバカな兄貴を斬り殺してもいいんだよ!

そうしないと、きっと、「吉岡家の先祖の思い」と「後醍醐天皇の思い」を守れる人間はいなくなると思うよ!

お前の長男も同じように優しいが、男は優しさだけだと、すぐに殺られるよ!

同級生でも後輩でも、戦いになれば、本気で相手を殺さないと殺られるから気をつけなさいね!

 

もう、今日の「吉岡家の分家と本家の戦い」のことは、芦別市内の武士たちにすぐに聞こえてしまうと思うし、芦別の周りの空知地方(赤平市、歌志内市、滝川市、滝川市、美唄市、三笠市、岩見沢市)と、上川地方(旭川市や富良野市など)と、石狩地方の全ての武士は、「南朝の吉岡家の配下の武士」だから、お前の命を狙うと思うから、覚悟しなさいよ!

南朝 三十二菊花紋(裏菊花紋)

本当は、兄に勝ったお前は、私も含めて、全て「本家の血筋の人間」は全員斬り殺さないと、「敵に塩を送った甘い人間」と噂されるから、十分、注意しなさいよ!

きっと、刀を持っている奴ら全員が、お前の命を取りに来ると思うので、剣術の訓練を怠るんじゃないよ!

それと、マナブ、近くに来なさい!!!

・・・・・・・・

怒られるのかと思って、父に許可をもらって玄関戸をくぐり、20畳もある広い玄関の土間を歩いて行き、囲炉裏の前に座っている祖母の下に土下座すると、祖母はこう言いました。

 

お前の腕前は、私が見ても惚れ惚れするほどいい腕だから、私が「自分用」に隠していた刀をお前にやるわ!

お前が座っている玄関の上がり台の右から六番目の板を思い切り、叩いてご覧なさい!

ほら、出てきたでしょ!

その刀はね、私の夫が結婚した時に、私にくれた物で、大事にしていた刀だけど、お前だったら命を預けてもいいので、お前にやるわ!

もし、この婆さんが死にそうになったら、その刀で一気に殺しておくれ!

私も武士の嫁なので、苦しんで死ぬのは嫌なので、いいかい、本気で一気に殺しておくれね!(^^)

・・・・・・・・

自分がもらった刀は、「他人を切るため」じゃなくて、自分のおばあさんを斬り殺すためとわかって、悩みました。

家に帰ってから父に聞きましたが、こう言われました。

 

あの気が強い婆さんが、ああ言うのだから、きっと、本気で、お前に殺してほしいんだろうなあ。

武士っていうのはな、最後は「一番信頼した奴」に殺されたいものなのさ。

あの婆さんは、身体は女だが、「心は男」と一緒なので、俺が子供の頃は、あの婆さんに刀の練習をしてもらったくらい、いい腕をしていたんだぞ!

薙刀(なぎなた)も上手いし、剣術も上手いので、怒らせたら大変だから、俺も、いつ殺されるかと思って真剣に生きていたのさ。

そのおかげで、こうやってお前に大事な「吉岡家の魂」を伝承できて、嬉しいぞ!

 

その母親からもらった刀は、お前が自分で大事に手入れして、いつでも「婆さんが危篤」の時は、この刀を持って飛んでこいな!

これは、「吉岡家の武士の伝統」なので、一番、信頼している人間が、死ぬ間際に、体のどこかを刀で切って殺すのが、ご供養なんだ。

だから、お前はその役目を任命されたんだから、日本中でも、世界中のどこにいても、「婆さんの危篤」の時は、刀を持って飛んでこいな!

そうじゃないとあの婆さん、死んでからも、お前を許さないからな!

・・・・・・・・・・

実際に、吉岡家の本家のおばあさんが危篤になった時は岡山県で大学生だったので、「祖母危篤の電報」が来た時は、大家さんからお金を借りて電車に飛び乗り、夜行列車で実家へ行くと、もう全員が「本家」に集合していたし、父が私の刀を持って行っていたので、本家に行ってみると、息絶え絶えになっていたので、「ばあちゃん!」と声をかけるのが精一杯でした・・・、

マナブかい、遅かったね、早く殺しおくれよ・・・。

と、必死に声を出してくれました。

・・・・・・・・・

紋付羽織袴を着ていた「父の袖」から私の刀を出してくれて、

「婆さんの左手首をこの刀で早く切れ!」

言うので、父に鞘を持ってもらい、自分で刀を引き出し、スッと祖母の左手首を刀で切ると、頸動脈から綺麗な赤い血が流れてきたので、懐に持っていたタオルで「母の手首」の頸動脈を抑えて、父は泣いていました。

これでいい!これでいいんだ・・・!

これで婆さんは、本懐(ほんかい)を遂げられて、成仏でするさ!

ありがとうな、マナブ!

・・・・・・・・・・・

父の従兄弟姉妹たち10名とその子供たちと、父の生き残りの兄弟姉妹の叔母さんやご主人たちも全員がその場に揃っていたし、男は全員、紋付袴を着ているし、嫁に行った叔母さん達も、この時だけは子供の頃に着ていた「吉岡家の御紋入りの紋付」を着ていて、全員、真っ黒な着物姿だったので、そのまま、お通夜になりました。

・・・・・・・

祖母の遺体を隣の「180畳の和室」の縁側に移してから、吉岡家の家紋付のお膳が60名分用意され、小作農たちを束ねる「男衆」たちが紋付袴で私の横にずらっと並び、先に亡くなった「祖父の御膳」を私の前に置いてくれて、隣にお婆さんのお膳が並べられました。

 

「夫婦一対のお膳」でございます。

どうぞ、お食べ下さいませ。

と、息子の私に父が日本酒を注ごうとしました。

でも、私が座った場所は、「子供が座る位置」だったので、父は気づいて、いつもいるお婆さんの縁側の席にお膳を移動して、「ここに座れ!」とお婆さんが座っていた位置の「左側」に座らせられました。

 

私が座った位置は、「吉岡家の本家の家督長」のおじいさんが座っていた場所らしく、60膳以上のお膳が綺麗に並べられている様子を一目で見れる最高の席に座りました。

「分家」に負けた「本家」の叔父さんは、亡くなったお婆さんの手を握りしめて泣きつづけてましたが、「分家の次男」の私が、「自分のお父さんの席」に座っていたのを気がついて、私にお酒を注ぎにきて、頭を下げてから吉岡一族全員に「元家長」としての挨拶をしました。

・・・・・・・・・

さあ、みんな!

もう、泣くのは、やめて、今度はみんなで酒を飲もう!

この婆さんはなあ、俺が子供の頃から親父の酒を盗んで飲んでいたし、それも結構な量を飲んでいたので、大酒飲みなのさ。

だから、吉岡家の男も女も、みんな大酒飲みなのさ!(^^)

戦争や事故で亡くなった兄弟もいるが、今日は、仏壇にある全員の位牌を婆さんの枕元に持ってこい!

そして、俺の母親の介錯(かいしゃく)をしたマナブが「今日の立役者」だから、お前も酒を思いっきり飲んでいいぞ!

さあ、みんな一緒に酒を飲んで、婆さんを送るぞ!!!

いいか、乾杯!!いや、違った!

お母さん、今まで、本当にありがとうございます!!!

・・・・・・・・・・・・・

これが「後醍醐天皇の御領地」であった富山県砺波市の20の村を束ねていた一番大きな武士の「吉岡家の生き残りの葬儀」の様子です。

この時、いつか、「富山県砺波市の吉岡家の本家」に挨拶しに行こうと心の中で誓い、2008年に「ご先祖地の供養」に行き、全ての土地が「吉岡庄」と呼ばれていて、加賀藩でも特別に美味しいお米ができる米どころなのを知りました。

・・・・・・・・・

「廃藩置県」があったせいで、強制的に「武士の土地」を小作農に無償で分け与える法律ができたので、吉岡家の4男以降は全て北海道にやってきて農家を始めましたが、いつも「心は武士の家」だったので、本家にも私の実家にも、常に、刀は置いてありました。

・・・・・・・・・・・・

本家で執り行われていたお通夜の夕暮れ時に外へ出てみると、本家の周りの全ての農家の家族全員が、道路やあぜ道や田んぼの中にまで入ったまま、朝からずっと、土下座をし続けてくれていました。

乳飲子を抱えたお母さんが、「吉岡さんのおかげで、自分の田んぼが持てたの!」と泣いていたので、僕も、つい、泣いてしまいました。

その様子を見ていた父は、後ろから思い切り私の頭を殴り・・・、

 

武士は、平民に涙を見せてはならん!

コイツらの命は、俺たち武士が守ってやらねばならんのに、その武士の息子が泣いてどうする!!

おい、酒を飲むぞ!

今日は、ぶっ倒れるまで飲んでいいぞ!

お前も俺も、ぶっ倒れたら、コイツらが家までは運んでくれるから、思い切り飲んで暴れてやれ!!

 

本当は、この家も、家族も全部、俺のものにしても良かったんだが、俺の親父みたいに、常盤町の全ての「小作農たちに尊敬される人間」にはまだ、なれないと思っただけさ。

でもな、俺たち分家が「本家を負かしたこと」は、こいつら小作農たちは知っているので、裏では「分家を家長」として扱うと思うから、お前も、学校の同級生に対する「心の位置」を間違うなよ!

 

この空知地方と石狩地方と上川地方の全ての元武士は、「全員、吉岡一族の配下」であり、後醍醐天皇を守った武士なので、どこに行ってもお前は「吉岡家の家長の息子」として威張ってもいいんだからな!

ま、お前は賢いから、威張らんと思うけどな・・・(^^)

 

俺の父親、つまり、「先代の吉岡家の家長」が死んだ時は、俺の母が「介錯人」だったので、そのあとの葬式は大変だったんだぞ!

泣くは、怒るわ!刀を振り回すわで、みんな、押さえつけるに大変だったんだぞ!

しかし、今日は良い仕事をしたな!

ご苦労だったな!!!息子よ!

 

と、また、頭をナゼナゼしたので、嬉しくて涙が出ると、また、父に殴られました。

殴った父の目からも涙が出ているのに、「大人はズルい!」と思いました。

どっちの感情に合わせたらいいのかわからなくなったので、涙を抑えながら、笑顔で最高の席のお膳の前に座り、日本酒を飲み続けていた「小学3年生」でした。

・・・・・・・・・

この「吉岡家の家督相続」のあと、「吉岡の家長」になるはずの私の父の命を狙う者が出てはいけないと、空知地方と石狩地方と上川地方の全ての警察から命令が出て、警察官数名単位で一件一件の家に押し入り、ありとあらゆる刀や薙刀を没収し、最後に、私の家の前に10台以上のパトカーが止まり、「偉そうな滝川市の警察署長」と各市の署長たちが、私の父の前にひざまづき、こう言いました。

本当の「吉岡家の家長殿」、私は空知地方と石狩地方と上川地方を束ねております、北海道方面本部の警察署長の〇〇でございます。

空知地方と石狩地方と上川地方の全ての警察署長も、ここに同席させて頂いております。

私の先祖たちも、富山県砺波市で「吉岡道場」に通った武士の血筋だと先祖に聞いておりますし、私の警察の先輩もたくさん「元武士の家柄の者」がおります。

その節は、本当に「吉岡家のご先祖にお力をお借りした」と親たちに聞かされており、今日、こうして初めてご挨拶をさせて頂くことは感謝の極みでございます。

今回の「吉岡一族の家長の世代交代劇」を耳にしましたので、これを最後に、空知地方と石狩地方と上川地方の「元武士」が持っていた全ての刀と薙刀を回収いたしました。

北海道は本州から離れた場所なので、「吉岡家の世代交代の時期」を待って、刀を集めることを遠慮しておりましたが、今日のご挨拶を持って、日本刀を家に隠し持つことをやめていただけませんか?

・・・・・・・・・・

昭和20(1945)年8月15日のポツダム宣言受諾に伴い、GHQより日本国内の一切の武器を連合国軍指定の場所に集めるよう命令が下されましたが、私どもの判断で、「吉岡家の家長の世代交代」を待つよう指示を出しておりました。

できますれば、最後に、吉岡家に家宝として置いてある刀を含めて、全ての刀をこちらに渡していただけませんでしょうか?

どうか、よろしくお願いいたします。

 

お前は、いつ、滝川市の所長になったんだ?

どうして、その時に、俺の家に挨拶をしにこないんだ!!!

今までの全ての警察署長は全員、吉岡家の本家と分家のところに手土産を持って、「交代の挨拶」をしにきたが、お前は、手土産も持たずに、ただ、勝手に刀を集めて、俺の刀を出せだと!!!

 

お前、斬り殺してやろうか!!

もし、俺が空知地方と石狩地方と上川地方の全ての「元武士に命令」を出せば、すぐさま、全員が刀を持って、お前たちを斬り殺しに行くんだぞ!

わかっているのか!!!

「武士」を語る立場なら、失礼にもほどがある!!!

さ、そこに土下座して、首を差し出せ!!!

・・・・・・・・

こういう場面では誰も口を出せないし、いくら父であっても、子供が言えることはないので、警察署長全員が、土下座して首を差し出していました。

このままでは家の前に、首がゴロンゴロン並ぶことになるし、怒った時の父は、誰の指図も聞かないので、「自分しかいない」と思って、父の刀の前に身を出して、土下座しました。

父上、大変申し訳ありません。

私は、あなたの「母を介錯した男」でございます。

どうか、その私に免じて、その刀も、家にある刀も全て、この警察官たちに渡して下さいませ。

もし、許されるのであれば、「警察官の非礼」も、全て水に流して下さいませ!

 

父は、小声で、「バケツに水をもってこい!」と言ったので、走ってバケツに水を汲み、父の刀の前に差し出し、柄杓で刀に水を流しました。

「介錯(かいしゃく)」をする時のマナーは、私も知っているからです。

 

雨でも、降ったのかのう???

こうして刀が濡れると、切れが悪くなるので、お前たち全員を斬り殺してやりたいが、そうもできんなあ・・・。

知らぬ間に、刀が濡れたことも、きっと、「御先祖様の指示」だろうから、今回だけは許してやろうかの?

さ、この刀も寿命がきたみたいだから、お前たちにくれてやる!

大事な吉岡家の家宝の刀だが、焼くなり、溶かすなり、好きにしろ!!

そう言うと、父は背中を向けて、家の中に入ってしまいました。

・・・・・・・・

警察署長たちは、深々と頭を下げて、持ってきた多くの刀と薙刀をパトカーに積みこんでいる中、滝川市の警察署長が、私にこう言いました。

 

あんたが、吉岡家のあの婆さんの「介錯をした人」か?

小学生だろう?

すごいなあ、刀の腕も、相当、いいんだろうから、いつか、滝川警察署に「剣術の指導」に来てくれんかのう?

美味しいものをたくさんご馳走するぞ!

 

おじさん、あまりに私をバカにしないで下さい!

なぜ、「下級武士」のあなたに、吉岡の頭領の息子が、「剣術指南」に行かなくてはならないのですか!!!

そのお礼が、ただの「食い物」ですって?!!

子供だと思って、バカにするのも、ほどほどにして下さい!!!

あなたが首を出してくれれば、俺が一気に、叩き切ってやります!

さあ、首を出して目を瞑りなさい!!

今後、吉岡家の一族に対して、2度と無礼なことを口にしないと誓いなさい!!!

できないのであれば、殺しますよ!!

・・・・・・・・・・

片付けをしていた他の署長たちも、慌てて土下座して、首を長く出して土下座していました。

切るか、切らないか、考えましたが、「知り合いのお父さん」もいたので、やめておきました。

・・・・・・・・

それに、こんなにたくさんの人の首を一気に切るなら、「たくさんの刀」が無いと「血のり」がついて切れ味が悪くなるので、自分の刀だけでは、「全員分の首を切れるわけない」と判断したからです。

家に戻ると、父がその様子を見ていてこう言いました。

 

お前、本気で、奴らを殺そうとしていたろ!

怖いなあ、お前!

子供とは、思えんわ!

もし、お前が誰か一人でも首を落としたら、あそこの刀を取りに行って、お前に渡そうと思っていたが、無事に終わってよかったな!

誰も殺さないで終わったんだから、さあ、腹が減ったから飯にしようや!

また、お前の美味しいご飯を作っておくれ!

・・・これは、実話です。・・・

 

👉「廃藩置県」で、吉岡一族のご領地を奪われて、富山県を追われるように出てきた吉岡家の四男以降のご一族一縁の皆様、本当に北海道の開拓、ご苦労様でした。

富山県砺波市から北海道へ出た本家から数えて「五代目の吉岡学」ですが、後醍醐天皇も、どこかで見てくれていると思うので、今日の祖母と父の魂を天へお返し下さいますようお願い申し上げます。

命を授かり、ここまで育ててくれた全ての人に、心から感謝いたします。

 

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