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【吉岡一門】「吉岡憲法・吉岡一門の恥」を終わらせました

2023年5月20日、「G7広島サミット」の二日目、群馬県にある「赤城山」に登りましたが、実は、私は3回目の登山であり、20年以上、続けた「地球創生神事」として、最後の時間になりました。

なぜ、あんな険しい山に三度も登ったのかというと、実は、我が「吉岡一族」は、日本中の武士に日本刀の剣術を教えた「吉岡道場」の直系一族であり、「吉岡道場 吉岡一門の武士」として「最後の頭領」が、私なのです。

その「吉岡一族」の内輪揉めと赤城山が関係していたことがわかったので、三度も山に登って、過去の「先祖の誤ち」を自分の行動で示す必要があったのです。

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子供の頃の記憶を遡ると、10歳の時に、本家の「次の家長」に真剣で果し合いを挑む時期が来て、北海道の武士をまとめる吉岡一門の分家の「次の家長」である私の兄が中学1年生になった時、両家の息子たちは全員、正式な吉岡家の家紋が入った紋付袴を着て、「3本刀」の日本刀を腰にぶら下げて、本家の「次の家長」に戦いを挑みに行きました。

▶︎詳しくは、「父が日本刀を磨いていた日」をお読み下さい。

日本刀の真剣勝負で勝って、吉岡家の「頭領」となった私に、父は「次の家長」にだけ渡す「大事な書類」を見せてくれました。

ひとつは吉岡家だけの「吉岡菊花紋」、つまり、天皇家の血筋であり、「神武天皇の直系子孫」として記録された古い書類に、命を繋いだ父母の名前が全て書いてある書類でした。

一番古い父親は「神武天皇」であり、母は、九州・沖縄をまとめた「豪族の親分の娘」であり、その豪族の親分一団は、娘を嫁に出した後、九州を出て行き「出雲国」を作ったそうで、大国主命は、「吉岡家の血筋」の人間なのです。

「吉岡一族の家系図」の原本は、皇室だけの保管庫にあり、これはその「写し」だからこそ、原本を見たければ、国立図書館か、国立博物館に行けば見れるはずだと言われ、30代の労働組合の時に、国立図書館の裏に隠された部屋の「原本」を見せてもらったことがあります。

綺麗に毛筆で描かれた書類には、関わった全ての父母の名前と年齢、そして、ご両親の戸籍を全て調べた「調査書類」も添えてありました。

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最後に、「吉岡道場 吉岡一門の頭領」しか知らない門外不出の「吉岡家の恥」を聞かされ、驚きました。

父も祖父に聞いただけだし、祖父も曽祖父に聞いただけなので、本当かどうかを「霊視で見てくれ!」と言われたので、過去に何が起きたのかを霊視して、正確に父に伝えました。

話を聞いた父は、涙を流しながら、「そうかそうか、命は奪っていなかったのだな。」と言ったあと、全ての書類と、吉岡一族の家紋が入った羽織袴を自分の手で燃やしながら、「もう、先祖の因縁はたくさんだ!!!」と泣いていました。

 

父も、子供の頃から見え聞こえする人間だったそうですが、誰にも何も言わずにいたのに、私が生まれてきた時、「自分の足りなさを問われている」と思い、毎日、日本刀を振り回して腕を磨いていたそうです。

ちなみに、古代の日本人が守り続けてきた「いにしえの日本」という書籍が、「日本の本当の歴史書」であり、「古事記」も「日本書紀」も全てGHQの命令で書き直されていますし、「国譲り神話」も全て作り物だと父は教えてくれて、ボロボロになった古い本を見せてくれました。

実際に、天皇家だけが見れる「ある場所」に保管されていたので、私にだけは実物を見せてもらった経験があります。

本来、日本に生まれた武士の男子は、「神武天皇の神札」を武士の「頭領」から授かり、神棚に祀ったものだ。

俺が「頭領」になった時から、小作農たちには、俺が自分で「神武天皇」と紙に書いて渡し、それを小作農たちが自分で作った神棚に祀ったものなのだ。

天照大神は、「お母さん女神」だし、上から産んだ男たちを見守る役目だからこそ、神棚に祀るものではないのだ!

だから、ほらみろ、これが「俺が吉岡一門の頭領」になった時に、天皇様から直接、頂いた最後の「神武天皇の神札」だから、俺のものは、今日を最後に、燃やす!

神社の神職たちもこのことを知っているが、一切、真実を語ってはいけないとGHQに言われたので、奴らは「真実の歴史」さえ、口にすることを禁じられているのさ。

もし、家族に話しただけで、すぐに捕まって殺されたんだ!

だってな、天皇様は「神職のトップ」なんだぞ!

そのお方の「真実の歴史」を語れない奴らの言葉なんて、一切、信じるなよ!!

 

あとは、お前が自分で「吉岡一門の恥」の因縁が終わった時に、時期を決めて、世の中に「神武天皇の神札」を作って配ってあげなさい。

日本全国の武士の小作農たちは、「お前が、吉岡一門の頭領」になったことは、もう通達で知っているので、きっと、どこにいても探してくれるはずだ。

もともと「日本全国の領地」、つまり、「日本全体の土地」は全て「吉岡一門の土地」だったが、天皇家が日本にやってきた時、武力で敵わないと思った「吉岡一門のご先祖」は、全て天皇家にお渡しして、小作農たちの命を守ったそうだ。

だから、お前も、決して、喧嘩で勝ってはならん!

日本人は、最後の最後まで「和合」の為に戦うもので、決して、相手を殺したくて日本刀を振り回すものではないのだぞ!

どうしても戦わなければいけない時だけは、相手の息の根を必ず、止めるくらいしっかり鍛錬して、一気に切り殺せよ!

さあ、これで「俺の家長の役目」は終わりだ!

あとは、お前の好きにしろ!

俺を切り殺したければ殺してもいいし、お前のお母さんも兄貴も、お前は自由に殺していい立場にいることを忘れるなよ!

 

それが、「吉岡道場 吉岡一門の武士の頭領」の重責だ。

じゃあ、あとは頼んだぞ!

 

お前の霊力と日本刀の力を使って、「吉岡一門の恥」を必ず、終わらせてくれよな!

そのために、お前は生まれて来たのだと、俺のご先祖たちは言っていたぞ!

 

俺は、これでやっと「普通の農民」になれて嬉しいんだぞ!

これからは、「お前の小作農」として米と野菜を作るから、「最後の武士の頭領」として、全ての責任を全うしてから死んでくれな!

あ!そうか、お前は殺しても、死なない人間だったな・・・ハ、ハ、ハ!(^^)

あとは、お前の好きにしろ!じゃあな!

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こんな言葉を10歳の時に言われてから、自然な流れでいろんな人たちに誘われて、「吉岡家の恥」を全て終わらせる為に群馬県の「赤城山」に登ったわけですが、山を登る時も降りる時も、ずっと、体の血肉の中にいる存在が、「兄貴!もっとこうして下さい!」と、私の弟の魂の声が聞こえ続けていました。

無事に3回目の登山を終えたあと、群馬県の吉岡町にある最も古い庄屋さんの家の前で正座して神事の報告をすると、

「あいわかった!全ての因縁をここで終わりにする!」

声が聞こえて、正面から二つの書状と、左からひとつの書状、右からもひとつの書状を頂き、「割れた魂の納め」が認められ、正式に「吉岡一門の恥」のカルマが終わりました。

 

南北朝戦争の時に、「吉岡一門の武士たち」が南朝と北朝の二つの別れた理由が、「吉岡一門の恥」のせいだと父に言われてから54年後に、やっと、「日本中の武士のカルマ」が終わりました。

 

これは、「ある人」に調べてもらってわかったことですが、私が関わった「財務省官僚の鈴木◯康」は、「武士の刀」を国の命令で奪うことを命令させた一族であり、一番最初の日米交渉の書類の中には、日本人の刀は「日本人の魂」だから持っていて良い!」と書いてあったものを書き直し、アメリカ側の文章さえも消した一族でもあることもわかりました。

武士の魂

どうか、日本を本気で守る覚悟がある「吉岡一門」の武士の子孫は、日本刀を正式に登録して、万が一の為に、日本刀の修行をして下さい。

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ちなみに父が亡くなった時は、母が、

「吉岡一族の頭領のお前の父さんは、あまりに有名すぎる人だから、新聞にも載せないでさっさと葬儀をして骨にしてしまおう!」

と言ったのに、通夜に150名が集まり、告別式で250名も集まり、その翌日から毎日、150名以上の人たちが自宅の玄関の土の上に土下座して祈っていた日が、一週間以上、続いたほど有名な父でした。

北海道の石狩地方と空知地方と上川地方に広がっている田んぼを作ったのは、全て「吉岡一門」の武士だからこそ、日本人の命を守るお米を作り続けている「元武士の農家」の人たちに、感謝の気持ちをお伝え下さい。

東京の江戸前寿司職人が買いあさる「ゆめぴりか」を初め、北海道の美味しいお米を作った一番最初の人間が、私の父の「吉岡忠」であり、北海道農業試験場と北大の微生物学者たちが、我が家の田んぼに来て、微生物がいる泥と水を持っていって研究し、新しい品種改良のお米をたくさん作った結果が、今の美味しい北海道米になったのです。

 

10歳の時から54年かけて日本全国を自分の足で歩いて回り、過去の歴史で戦いをした「吉岡一門」の武士たちに心の底から「過去の思いを和合」する為に続けてきた地球創生神事の20年間の祈りも、これでやっと終わりました。

 

以上で、「吉岡一門の頭領」として、日本全国の武士の皆様にこの場を借りてご報告させて頂きます。

これまで私の活動を支えて下さった地球創生の皆様や、ご支援金を送って下さった皆様、本当にありがとうございます。

「吉岡一門」の新しい頭領になった人間は、日本刀を3本を持って「赤城山」を登りながら、あちこちから斬り込まれるのを避けながら、昼間と夜中に、二度、頂上まで辿り着いた人間だけが、「頭領」として正式に認めらた場所だからこそ、

「三度、登らなければ、吉岡一門の恥は終わらないぞ!」

と上から声が聞こえたのが、「赤城山」だったこともご報告させて頂きます。

これからは、「正しい本来の日本人」に戻すための大きな仕組みを動かす仕事に就きますので、皆様にお会いできる日も少なくなると思いますが、どうぞ、「強い日本人の男たち」を支えた賢い女性たちは、これからの日本の未来の為に、「女性」としてなすべきことをして下さい。

男が敵にやられたあとは、妻が子供たちを刀や薙刀(なぎなた)で守ったからこそ、大東亜戦争に負けるまでの「日本人の女性」は、とても強かったのです。

3歳の頃から夕食前に、「両手で1000回の素振り」をさせられて、小学1年生になった時は、「両手で3000回の素振り」をさせ続けられた「武士の頭領」の私からのお願いです。

日本人は、自分から相手を責めて戦いをしたことは一度もありませんし、戦争が始まれば、最後の一人になるまで戦う強い男たちばかりだったし、その命をかけた男たちを支え続けてくれたのが、「日本人の妻」だということをどうか、思い出して「戦いの準備」だけはして下さい。

 

2023年の「G7広島サミット」で、まだ「アメリカ側」についている官僚たちがいる場合、必ず、世界の官僚が話しあう場で、「日本の立場が悪くなる条件」を飲むことになりますので、その時は、「最終手段まで考えた準備」をして下さい。

7カ国の首脳たちが日本の首相と、最後に「両手」で握手した場合は大丈夫ですが、相手の首脳が「片手」で握手した場合、それは「裏取り引きが成立」した意味になりますので、経済も、政治も、全て日本国が弱い立場になるからこそ、私が30年前に計画した「全ての特許と権利」を有効に使えていない結果ですので、「日本を動かす官僚たちの力」を奪わねばならなくなります。

 

日本人の全ての魂の力は、天皇様にあるからこそ、京都御所に「上皇天皇」に移って頂くことで、新しい日本政府が「西」に動きます。

「東西融合の日本」にしなければ、いつまでも関西の人たちは関東を嫌い続けますので、どうぞ、「新しい日本国の国家指導力」を「西」へ移すためにお働き下さいませ。

日本全国の「武士の魂」を持つ人たちに、心からお願い申し上げます。

吉岡道場 吉岡一門 頭領 吉岡学

 

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