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<正しい世界史 1>:世界の先住民を束ねたのは「吉岡一門の頭領」です

「吉岡一門 頭領のルーツ」は、父親のルーツが日本中の先住民を束ねた「薩摩隼人」であり、妻は中国からやってきた「卑弥呼」だとブログでご紹介したと思います。

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1990年に「外務省官僚」になった時は31歳だった時に、「1992年の地球サミット」が国連で開催されるので、日本で一番古い先住民の血筋の頭領である吉岡学さんにも出席して欲しいです。」と国連担当の外務省官僚の仲間から言われ、「1992年 地球サミット」の国連総会の資料を見せてもらい、出席するべきかどうかを父に聞きました。

https://www.unic.or.jp/activities/humanrights/discrimination/indigenous_people/

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「1992年の地球サミットの趣旨」

「先住民族は自分たちの土地、領土、環境が悪化していることに懸念を表明し、世界の指導者たちは先住民族の集団の声に耳を傾けた。国連開発計画(UNDP)、ユニセフ、国際農業開発基金(IFAD)、ユネスコ、世界銀行、世界保健機関(WHO)など、国連のさまざまな機関が先住民の健康や識字力を改善し、また彼らの先祖伝来の土地や領土の悪化と闘うための事業計画を実施した。

ついで国連総会は、1993年を「世界の先住民族の国際年(International Year of the World’s Indigenous People)」と宣言」

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吉岡一門の頭領は、明治18年(1885年)3月に、函館の五稜郭から入った日本政府より先に、富山県砺波郡東五位村より「北海道芦別市常磐町」に入り芦別市全体を開墾して農業を始めていた時に、北海道全てのアイヌ(人間)を束ねていた「葛野辰次郎(くずのたうじろう)エカシ」が家にやってきて話し合い、「吉岡一門に北海道の土地を支配することを許しますので、共に仲良く暮らそう」と約束しあった仲なので、函館の五稜郭」だけを支配して勝手に「北海道」と名付けた大嘘つきの日本政府が書いたウイキペディアの内容は誤りだとご理解下さい。これが政府と手を組んだ「北朝のやり方」です。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E6%B5%B7%E9%81%93

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1885年に、富山県砺波市から500名以上を連れてたくさんの「船」で荷物と人を運び、苫小牧市の海側に最初に作った「樽前山神社の最初の場所」に全員が無事に芦別市までつけるように「観音菩薩堂を祀ってしばらく生活したそうです。

苫小牧市の海側の観音菩薩堂

 

苫小牧市の海から芦別市まで三日間かけて歩いた集団が「南朝の吉岡一門」であり、和人と最初に仲良くなったのは「白老アイヌ」だったからこそ、天皇に呼ばれて二度、アイヌの踊りを天皇家の前で披露したほど和人との付き合い方を学んだ一族です。

 

芦別市常磐町に入った吉岡一門の頭領に、北海道アイヌをまとめていた葛野辰次郎くずのたつじろう)エカシ」が芦別市常磐町まで挨拶にきてくれて「自然を大事にしながら共に生きる為に力を貸し合おう」と固い握手をしたそうです。

 

北海道アイヌを束ねていた葛野辰次郎エカシ(酋長)たちと仲良くなったことで、「北海道を最初に束ねた一族が吉岡一門の頭領」だからこそ、「1992年 地球サミット」の資料を父に見せて判断をあおぐと、タンスの奥に隠してあった「アイヌの正式な衣装」を見せてくれて、「これを着て出席して北海道アイヌの思いを世界に伝えてやりなさい。」と言われました。

こんなに立派な衣装を誰にもらったのかを聞いてみると、北海道アイヌを全てまとめあげて和人と交渉した「葛野辰次郎(くずのたつじろう)エカシ」ご本人でした。

「吉岡一門の頭領」がアイヌと和合する前は、日本政府が北朝の武士を使って勝手にアイヌとの物々交換の条件を10倍、100倍にして怒らせて、勝手にアイヌの土地を攻めこんだため「コマシャインの戦い」や「シャクシャインの戦い」が函館付近であったからこそ、葛野辰次郎エカシが「和合の証」と私の父に着物をくれたそうです。

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「1457年 コマシャインの戦い」 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%9E%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84

「1669年 シャクシャインの戦い」

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84

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北海道のアイヌの人たちとは幼稚園の頃から父と一緒に付き合っていましたし、熊の子供の魂をお母さんの元へ送り届ける重要な儀式の「イオマンテ(熊送り)」を北海道芦別市が最後となったお祭りを二度も真冬に「生」で見た時に、北海道中のアイヌのエカシたちに野菜とコメを持って行ってお礼をたくさんくれた人が、当時から北海道アイヌでは有名な「葛野辰次郎エカシ」でした。

真冬に猟銃でウサギや狐を撃つ練習をしていると、視力2.5と動体視力を鍛えた私は父よりも上手にウサギや狐を撃ちましたが、「撃った人間が解体しないと魂は成仏できない」というルールがあるので、感謝して皮を剥いでセーターの中に着ましたが、それはもう最高に暖かいので母にも1枚、差し上げました。

殺した動物の肉は私は食べませんが、父とアイヌのおじさんが美味しそうに食べていたし、少しは食わないと動物の魂が成仏しないと言われ、ちょっとだけ食べると、「クマの肉も食うか?」と生干しの肉をかじった経験もあります。

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「1992年の地球サミット」に行った時にも「葛野辰次郎エカシ」と息子の葛野次雄さんが参加していたので、アイヌ衣装を着て一緒に写真を写してご挨拶させてもらいました。

葛野辰次郎エカシ」は、1944年(昭和19年)6月に徴兵された経験を持つが2002年に亡くなった時は、葬儀が4回行われたほど有名な人でした。(地元 二風谷アイヌ葬儀、北海道全体のアイヌ葬儀、日本全体の先住民葬儀、日本の国葬)

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私は西暦2001年から水を汚し、大地を汚した人間の行いを詫びる「北海道の自然界と先住民のお詫びの祈り」を北海道の仲間たちとしていたので、まずは先住民のアイヌに筋を通すべきだと考えた結果、仲間にアイヌと混血の女性がいたので、二風谷(にぶたに)まで行って、故葛野辰次郎エカシの息子さんの「葛野次雄」さんと会っていろんな体験談や霊的な話をした経験があります。

その時、最後に葛野辰次郎エカシが「エカシだけに伝承」されている地球に人間を降ろした話や、いろんな古い時代からの伝承をアイヌ語から日本語に書き換える作業をしていたので、自費出版した最後の1冊の「キムスポ」という本を頂きました。

「子供の頃から差別されて大変だったからこそ、俺はアイヌのエカシにはならん!」と言っていたのに、札幌のアイヌのお祭りの「アシチェノミ」(新しい鮭を迎える儀式)」で特別祭祀として祈っていた時に、天の奥の奥から神様が降りたきたので、さすが「エカシの息子はエカシ」だと思いました。

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先住民族とは?

https://www.unic.or.jp/activities/humanrights/discrimination/indigenous_people/

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先住民族は世界のもっとも不利な立場に置かれているグループの一つを構成する。国連はこれまでにも増してこの問題を取り上げるようになった。先住民族はまた最初の住民、部族民、アボリジニー、オートクトンとも呼ばれる。現在少なくとも5,000の先住民族が存在し、住民の数は3億7000万人を数え、5大陸の90カ国以上の国々に住んでいる。多くの先住民族は政策決定プロセスから除外され、ぎりぎりの生活を強いられ、搾取され、社会に強制的に同化させられてきた。また自分の権利を主張すると弾圧、拷問、殺害の対象となった。彼らは迫害を恐れてしばしば難民となり、時には自己のアイデンティティを隠し、言語や伝統的な生活様式を捨てなければならない。

1982年、人権小委員会は先住民に関する作業部会を設置した。作業部会は「先住民族の権利に関する宣言(Declaration on the Rights of Indigenous Peoples)」の草案を作成した。1992年、地球サミットにおいて、先住民族は自分たちの土地、領土、環境が悪化していることに懸念を表明し、世界の指導者たちは先住民族の集団の声に耳を傾けた。国連開発計画(UNDP)、ユニセフ、国際農業開発基金(IFAD)、ユネスコ、世界銀行、世界保健機関(WHO)など、国連のさまざまな機関が先住民の健康や識字力を改善し、また彼らの先祖伝来の土地や領土の悪化と闘うための事業計画を実施した。ついで総会は、1993年を「世界の先住民族の国際年(International Year of the World’s Indigenous People)」と宣言し、それに続いて、1995‒2004年が「世界の先住民の国際の10年(International Decade of the World’s Indigenous People)」、2005‒2014年が「第2次世界の先住民の国際の10年(Second International Decade of the World’s Indigenous People)」に指定された。1997年、人権センターの異なる支所や国連システムの他の部局での経験を得たいと願う先住民を支援するために先住民族フェローシップが設けられた。

こうした先住民問題に対する関心が強まっていることを受けて、2000年、経済社会理事会の補助機関として「先住民問題に関する常設フォーラム(Permanent Forum on Indigenous Issues)」(https://www.un.org/development/desa/indigenouspeoples/)が設置された。フォーラムは政府、先住民代表同数の専門家の計16人の専門家で構成される。先住民族問題について経済社会理事会に助言し、国連の関連した活動を調整し、また経済社会開発、文化、教育、環境、健康、人権など、先住民の関心事項について審議する。さらに、「先住民問題に関する機関間支援グループ」が設置された。

2007年、画期的な「先住民族の権利に関する宣言(Declaration on the Rights of Indigenous Peoples)」が総会によって採択された。宣言は、文化、アイデンティティ、言語、雇用、健康、教育に対する権利を含め、先住民族の個人および集団の権利を規定している。宣言は、先住民族の制度、文化、伝統を維持、強化し、かつニーズと願望に従って開発を進める先住民族の権利を強調している。また、先住民族に対する差別を禁止し、先住民族に関係するすべての事項について完全かつ効果的に参加できるようにする。それには、固有の生活様式を守り、かつ経済社会開発に対する自身のビジョンを追及する権利も含められる。2014年、総会はハイレベルのイベント、世界先住民族会議(World Conference on Indigenous Peoples)を開催し、宣言の目標達成のコミットメントを載せた成果文書を採択した。

国連人権高等弁務官事務所(OHCHR)は、宣言の実施に関してきわめて重要な役割を果たしてきた。現在でもこのことはOHCHRの優先課題である。同事務所は「先住民問題に関する機関間支援グループ」を積極的に支援している。国連の国別チームやOHCHRの現地事務所のために先住民問題に関する研修を実施している。また、「先住民のための任意基金評議員会」にサービスを提供している。任意基金は、先住民コミュニティの5人の代表から構成され、先住民社会と団体の代表が先住民問題に関する常設フォーラムと先住民族の権利に関する専門家機構(Expert Mechanism on the Rights of Indigenous Peoples)の年次会期に参加できるように支援する。専門家機構は2007年に設置され、5人の専門家で構成される。先住民の権利に関連する問題について人権理事会を支援する。OHCHRはまた、「専門家機構」を支援するとともに、先住民族の人権と基本的自由の状況に関する特別報告者を支援する。さらに、先住民族の権利を向上させるために特定の国や地域を対象にした活動も行っている。立法イニシアチブを支援し、資源採掘産業や孤立した先住民族の権利などのようなテーマ別の作業を進めている。

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結果的に、2002年の国連総会に「日本の先住民代表」として出席した時、一番最後にそっと並ぼうと思っていたのに、一番最初の先住民だから一番最初に出なければいけないと言われ、ステージ上に出ると世界の先住民たちが立ち上がり、一斉に拍手して私に感謝のエールで拍手してくれました。

なぜ、そうなるのかを通訳に聞いてみると、日本を束ねた最初の民族は九州の熊本県に住んでいた「薩摩隼人」であり、熊本県にある「幣立神社(へいたてじんぐう)」には世界の先住民が集まって神祈りをした記録として「五色祭」が残っていることを世界の先住民が知っていたからです。

初めて集まった世界の先住民たちの前で「あなたが最初のスピーチをして下さい」と言われたので、自分が幼稚園の頃から食べる物がなかったことや、ミミズやヘビや犬やネコや鳥やあらゆる動物たちや、「自然界にある木や植物」と対話した体験を話すと全員が驚いていました。

理由を聞いてみると、「動物と話せる先住民」はいますが、「植物と話せる先住民は世界にはいない」と判明したため、さらに世界の先住民の代表たちが興奮していました。

 

最後に添えた言葉は、「私の願いは自然界に命を授けてもらいながら人間を生かしてもらっていることを忘れている今の時代だからこそ、ぜひ、世界の貴重な海や山や空気や水と大地を守る活動を一緒に始めませんか?」  と言うと、また、世界の先住民たちは立ち上がり拍手が止まない状態が続きました。

 

このままでは終わらないと思ったので、「次に、この国連に世界の先住民が集まる機会もそうそうないと思うし、今の長老たちも次の世代になれば伝承が難しくなると思うので、次の世代に残すべきものが何かを明確に表すマークみたいなものがあるといいですね」とメッセージを添えました。

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その結果、1993年を「世界の先住民族の国際年(International Year of the World’s Indigenous People)」と宣言することになり、「記念バッチ」を作ることになりました。

私たちの世界を変えるための17の目標」を掲げた世界の先住民の国旗と肌の色を合わせた「SDG’sバッチ」を作りました。

持続可能な開発目標は、貧困層、富裕層、中所得層のすべての国が、地球を守りながら繁栄を促進するための行動の呼びかけです。彼らは、貧困を終わらせることは、経済成長を構築し、気候変動や環境保護に取り組みながら、教育、健康、社会的保護、雇用機会など、さまざまな社会的ニーズに対処する戦略と手をつないでいなければならないと認識しています。

SDG’sマーク

この時にもらった国連バッチとSDGS’sバッチも、日本の裏切り者の財務省官僚の鈴木友康にプライベートジェット機と一緒に盗まれてしまいました。

つづく

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