【厚生労働省】私の医学の先生は、駿河敬次郎先生でした
子供の頃から「体に良くない薬を売っている現代医学」に反発を覚えていた私は、いろんな有名な医者の講演会に行って医者の実態をたくさん見聞きしましたが、どんなことを話すのか聞いていると、ほとんどが「腕の自慢」と「自分だけは特別だ」と感じさせる自慢大会だったので飽き飽きしていたところに、母が旭川市で「長寿の現役医者の駿河敬次郎先生がいると言う人の話を聞いてきたけど、医学の話は全く言わない先生だし、「人生勉強」になったからあなたも聞きなさい」と言われました。
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当時、私は42歳で「解脱後」だったので、「すべての欲もやる気も失っていた時」だったからこそ、何かのためになるならと次の講演会情報のチラシを頼りに「札幌の講演会」へ行きました。
駿河敬次郎先生は、私より39歳も年上の81歳でした。
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講演が始まると、ヨレヨレの白衣を着て現れ、
「これが現役時代に来ていた白衣で、もう何度、洗っても汚れが落ちませんが、着やすいんですよねえ。
新しい白衣はパリッとしすぎて体が辛いので、私はいつもどこに行く時もこの白衣を着て仕事をします。」
と、最初の話の「つかみ」がうますぎたので、この人は「頭が良くてできる人」だとわかりました。
だって、大した言葉を言わずに、満員の会場の全員の心を一掴みにしたんですもの。
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駿河敬次郎先生の話は医学の話を質問されるまでは、「自分がいかに足らない人間なのか?」と淡々と体験談を語り続け、「聞けば聞くほど自分の足りなさが気づくお話」をしてくれたので、もう参りました。
後半は、病気の家族を抱えた人たちが医学の質問をしましたが、駿河敬次郎先生は同業の医者をあまり良くは言いません。
「できるだけ、薬を飲まず、医者にかからないようにしないと、病院へ行き続けると、本当に大きな病気になりますよ!」
と言う人なので、もう大賛同で一人で拍手してしまいました。
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失礼とは思いながら、講演会が終わる最後に「握手の時間」があったので、サラリーマン時代の残っていたダイエーの名刺の裏に、「吉岡一門 頭領」と「携帯の電話番号」だけ書いた名刺を受け取ってくれました。
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サラリーマンのダイエーは14年間勤めたあと37歳で辞めたし、Amwayビジネスも3年半で辞めた理由はいろいろありますが、つくづく、「お金儲けだけに生きることができない人間なのだ」と自分で良くわかったから辞めました。
「Amway商品」は本当に素晴らしいのでビジネスは辞めて、商品だけは使い続けているので、もう30年近く愛用している世界一素晴らしい商品ばかりで最高です。
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だからこそ、次に取り組む「本物で他人に喜ばれるやりがいのある仕事のテーマ」を探していた時期でした。
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帰りの準備をしていると、駿河敬次郎先生ご本人から電話を下さり、「ぜひ、会いたいのでホテルの喫茶店に来て欲しい」と言われ、一緒にサンドイッチを食べながらをしながらいろんな話をしました。
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「吉岡一門」についての質問も多かったですが、昔、官僚の仕事をしていたことを話すと、「厚生労働省は最低ですよね?」と同意を求められたので、「最低ではなく、最悪です」とお答えしました。
そこで、二人は大笑い!
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駿河敬次郎先生は81歳のわりにはお元気で、サンドイッチを食べながらビールをガブガブ飲むし、私がタバコを吸いにレストランを出ると、「私も行きたい」と一緒に喫煙室でタバコをふかしてくれました。
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「こんな姿を私のファンに見られらた、私の人気はガタ落ちでしょうね?」と笑顔で言うので、
「いえいえ、先生の年齢になれば何をしても、大丈夫ですよ。
それくらい「医者」という職業の位置は高いし偉いので、私みたいな庶民の生き方とは違いすぎますが、もし、私が81歳なら最後までタバコは吸っていると思います。
昔のお爺さんたちは、タバコを吸えることが「豊かになった証」だと言って、どんな時でも、健康を崩してでもタバコはやめない人が多かったですからね!
私は、それで「ガン」になってもいいんですが、官僚の時に、本当に「タバコでガンになるか?」を細胞の専門家に調べてもらうと、「ガンになる人の細胞にニコチンはない」と教えてもらい嬉しくなりました。
その人は当時は有名な医者で、医学界とは違う意見を持っている人だったので、官僚時代にはよくいろんなことを相談していました。
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もしかして、〇〇先生ですか?
あーやっぱり、あの人も「変わり者」で有名だし、私も医学界では「とても変わり者」と呼ばれています。
今はただ歳を食ったので、知り合いの医者がどんどん死んでいくので偉く扱われますが、私はまだまだ「小僧」だと思っています。
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すいません、いい話の途中ですが、喉が渇いたので、缶コーヒーを買いに行きます。
先生は、何かお飲みなりますか?
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じゃあ、私は「ブルーマウンテンコーヒー」をお願いします。
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ちょっと待って下さいね、缶コーヒーにブルーマウンテンコーヒーは無かったはずだけど・・・見てきます。
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コカ・コーラ社の「ジョージア エメラルドマウンテン」のことだと思って買って喫煙ルームに持って行くと、
「それそれ!ブルーマウンテンコーヒー!」
と言うので、「先生違いますって、ほれ、「エメラルドマウンテン」って書いてあるじゃないですか?
いやあ、似たようなものでしょ。
名前なんてどっちでもいいことだし、結局、あなたは私が欲しいものをわかったので、あなたのほうがすごいと思います。
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この前なんか、同じことを言っただけなのに、その女性は喫茶店に走って行って、本当にブルーマウンテンコーヒーを注文して、お盆で運んできたんですよ!
もう、「順応力がない女性」だったので、あとで厳しく教えましたがね・・・。
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ほほう、それだけで順応力がわかるんですね、さすが、人生経験が豊富だこと!
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いやあ、81歳は「ただの年寄りばかり」で大変なんですよ。
だってね吉岡さん、今日やることさえ忘れるんですもの・・・、もう自分で嫌になりますよ!
だから、私は「手帳を3冊」持っています。
すべての予定を3冊に書いておけば、どこかで見つかるだろうと思っていたのに・・・
吉岡さん、歳をとるとですねえ・・・、
書いたことも・・・、
3冊買った手帳のことも・・・、
全部、忘れちゃうんですよ!!(^^)
もう、だめだー!ってなるんですよ!
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私は笑いが止まらず、大声で笑ってしまいました。
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吉岡さん、いい笑顔ですねえ・・・。
あなたはやっぱり、笑っていた方がいい男だと思うな。
もともと、いい男なのに、なんで、講演会の時は「しかめっ面」をしてたんですか?
僕は壇上からすべての人の顔が見えるので、目立っていましたよ!
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何か、相当、辛いことがあるのか、それとも辛い思いを抱えているのか、考えたくらいです。
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だから、講演の途中で、自分が何を言おうとしていたのかを忘れたので、大変でした。
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自分が書いた紙の通りに進めないと、自分が今どこにいて、何をしてるのかもわからない人間なので、僕はもう「最低の痴呆症の老人」なんです。
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私が全国の講演会に行くのも、「自分を必要としてくれる人がいる」と自分に言い聞かせて、やる気にするためなんです。
そうじゃないと、もっとボケちゃいますから、大変なんですよ!
トイレ行きたいと思って、夜中に起きるでしょ!
でも、なんで起きたかわからず、また寝ると、オシッコを漏らすんです。
もう最低ですよ・・・、自分一人で夜中にオシッコが付いたシーツを洗ってる自分て・・・・。
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私は大笑いしすぎて、お腹が痛くなりました。
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いいですね、さっきより、いい!!
やっぱり、あなたは「笑っているべき人間」です。
人はね、吉岡さん。
生まれた時に、もう人生は決まっているんですよ。
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僕はただその通りに生きてきた人間ですが、吉岡さんは逆らって生きているでしょ!
だから、苦しいんですよ!
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さあ、笑って生きて下さい。
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すいません、あと1本タバコをもらえますか?
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吉岡)え、まだ吸えるんですか?
肺が悪いと聞いていましたが・・・。
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僕はねえ、吉岡さん。
昔は実はヘビースモーカーで、一日に3箱も吸う人間でした。
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でも、どこの病院もタバコはダメと言うので、自分の院長室だけはいいだろって順天堂大学の人に言って、僕の部屋だけは「喫煙可」にしたんです。
そしたら、他の我慢していた医者たちの溜まり場になったので、僕はいつも外でこっそりタバコを吸っていたんですよ。
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でもね、自分の肺に小さながガン細胞が見つかったので、他の医者に相談すると「タバコをやめないと治療はしません」と言われたのでタバコをやめたんです。
そこからガン細胞が大きくなったので、もう大変でした。
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自分が知ってる最も体に悪い薬を飲み続けて、ガン細胞は小さくなりましたが、細かい病理検査でガン細胞を調べても、ニコチンなんて全くないんですよ!
だから、「私はタバコはガンに影響しない」と言い張っている数少ない医者なんで、今でも医者をやっているんです。
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僕がもし医者をやめたら、せっかく、「ガンとタバコを結びつける医者たち」をボロクソに言っているのに、私のあとを引き継げる人間がまだ育ってないので、頑張っているのです。
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医学の世界では、「無駄なあがき」と言われていますが、これが自分の年齢になっても医者を続けている本当の僕の気持ちです。
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だから吉岡さん、1本だけタバコを恵んで下さい。
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僕は、この1本のタバコを部屋に飾って、「次はもう絶対に自分が正しいと思ったことをやり通すぞ!」と決断するために飾らせ下さい。
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きっと、僕にガン細胞が出たのは、「タバコはガンに良くないかも?」と一瞬、思ったこともあったので、その「罪」を問われてできたと思っています。
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だから、吉岡さんは死ぬまでタバコを吸って下さい!
僕はもうこれ以上タバコは吸えない体ですが、気力だけは負けません。
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だから、僕のウイキペディアの写真は、一番元気な若い時の写真にしています。
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まだ、たった81歳ですよ!
僕は100歳まで生きます!
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そう決めたので、きっと生きると思います。
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だから吉岡さんも、笑顔でまた楽しいことをたくさんして人生を楽しんで下さい。
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それが「この世に生まれた人間の役割」だと私は思っています。
じゃあ、帰りますね。ありがとうございます。
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僕を一目見て、この話をするために待っていてくれたんだと思った時、泣けてきました。
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すごい医者です。
そして、神様の使いだと思いました。
駿河敬次郎先生、ありがとうございます。
ご冥福を祈ります!
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駿河 敬次郎 (するが けいじろう、1920年7月28日[1] – 2023年3月21日[2])は日本の医師。現在、順天堂大学医学部名誉教授、ノアクリニック院長[3]。
経歴
石川県金沢市出身[2]。1944年(昭和19年)、東京帝国大学医学部卒業。
1944年~1945年、陸軍短期軍医。
1946年(昭和21年)、東京帝国大学医学部第2外科副手。
1949年(昭和24年)、賛育会病院外科部長。
1959年(昭和34年)、米国ピッツバーグ大学医学部留学。
1963年(昭和38年)、東京大学医学部外科学講師。順天堂大学医学部外科学講師。
1966年(昭和41年)、順天堂大学医学部外科学客員教授。
1968年(昭和43年)、順天堂大学医学部小児外科教授。
1986年(昭和61年)、順天堂大学医学部名誉教授、公立葛南病院院長。[4]
2023年3月21日に死去、102歳没[2]。