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【吉岡一門】日本を愛する心がある人は、映画「峠 最後のサムライ」を観て下さい。

1990年代に札幌で行っていた「社長会」に、映画会社の松竹で監督をしている小泉堯史さんが来られて、「死ぬまでに当たる映画を1本作りたい」と相談されたので、今まで作った映画を聞いてみると、武士や歴史物があったので、私が「吉岡一門の武士」として子供の頃から経験したことと、最後の最後まで薩長連合の明治政府に追い詰められて苦労した母の先祖地である「南部藩」の祖父の岩渕安治さんから聞いた実話をしてあげました。

小泉堯史監督と役所広司さん

 

話を聞いていた小泉堯史さんは、「今、閃きました。司馬遼太郎の名著「峠」を映画にします!」と、その場で司馬遼太郎さんに電話して映画化の許可を取り、松竹の社長にも電話しましたが、「映画を作るのはいいが、制作資金が足りない」と言われたので、社長会のメンバーで出資したい人たちが支えてくれてできた映画ですので、本気で日本を支えてきた人たちの「武士の魂」がわかる映画ですので、ぜひ、ご覧下さい。

 

撮影中に何度も小泉堯史監督から、「吉岡一門」の名前と「最後の頭領の吉岡学さん」のことを何とか記録に残す許可を下さい」と頼まれましたが、

「まだ、世の中には日本刀で吉岡一門の頭領に戦いを挑みたい人がいるので、剣勝負になると遊びでは無く、本気で相手を斬り殺さないと終わらなくなるので絶対にダメです!」と断り続けました。

 

「では、制作現場くらいは見に来て下さい」と言われたので出資者として撮影現場を見てみると、役所広司さんの「武士の立ち所作や座り所作と目線」が間違っていたので、ガチンコを手に持って、「カット!」と何度も叫びながら細かく出演者全員の所作を指導したので綺麗な武士の所作が映像に残りました。

静岡県の浅間神社で撮影したシーンで、武士同士が斬り合う殺陣(たて)を見ていると、真剣勝負ではありえない「陣形」だったので細かく指導し、脚本も少し書き直させた結果、「予定していた人が急に来れなくなった」と言われたので、「数名で敵を襲うシーン」で顔が写らないようにそっと参加しました。

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映画で使う日本刀は、竹に銀色を塗った「竹光(たけみつ)」を使うことが多いのですが、折れやすいので、しっかり重さがある「安物の北朝の刀」を購入したり、役所広司さんだけは「南朝の本物の刀」を購入して使ってもらいましたが、「吉岡さん、この刀は重すぎて手が吊って物が持てなくなります」と言われましたが、「その重さが無いと首を刎ねられないので頑張って訓練して下さい。プロですよね?」と役者魂の火をつけたので綺麗な武士の所作の映画が完成しました。

この映画の出演者の「役所広司さんの表情と気迫」が気に入ったので、「映画 VIVAN(別班)」の主役をお願いしたのも私です。制作費は、「吉岡一門の裏資産」から拠出しました。

https://www.tbs.co.jp/VIVANT_tbs/

 

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映画 「峠」のSTORY

幕末の動乱期、百年先の世界を見据えた作品。

敵軍50,000人に、たった690人で挑んだ“最後のサムライ”

慶応3年(1867年)、大政奉還。260年余りに及んだ徳川幕府は終焉を迎え、諸藩は東軍と西軍に二分していく。慶応4年、鳥羽・伏見の戦いを皮切りに戊辰戦争が勃発した。越後の小藩、長岡藩の家老・河井継之助は、東軍・西軍いずれにも属さない、武装中立を目指す。戦うことが当たり前となっていた武士の時代、民の暮らしを守るために、戦争を避けようとしたのだ。だが、和平を願って臨んだ談判は決裂。継之助は徳川譜代の大名として義を貫き、西軍と砲火を交えるという決断を下す。妻を愛し、国を想い、戦の無い世を願った継之助の、最後の戦いが始まった……。

役者

役所広司
松たか子 香川京子 田中泯 永山絢斗 / 芳根京子 坂東龍汰 榎木孝明 渡辺大 AKIRA / 東出昌大 佐々木蔵之介 井川比佐志 山本學 吉岡秀隆 / 仲代達矢
– スタッフ –
監督・脚本:小泉堯史
音楽:加古隆
原作:司馬遼太郎「峠」(新潮文庫刊)
配給:松竹/アスミック・エースhttps://youtu.be/FSiropYIklY?si=RRGaOSDMd7JJvfYR

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