【社長会・特許】Amazon ジェフ・ベゾスCEOとジャスパー・チャンにアドバイスしました!
1993年にアメリカで書籍販売のAmazonを成功させたジェフ・ベゾスは、日本へ進出しようとしましたが、なかなか「法人化の許可」が降りず、友人知人を探し回って私に辿り着き、「札幌の社長会」に突然、やってきました。
ツルッ禿げの潔い男で5歳年下だったし、日本語が上手だったので、他の社長たちにアドバイスが終わったあとに、「1対1」で話をしました。
その時、同席したのは日銀の三重野泰総裁と「テレビ東京の人間」だけいたので、「カンブリア宮殿」に出れたのです。
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ジェフ・ベゾスの写真を見るとわかると思いますが、右目が少し潰れているのは、「左脳を使いすぎ」だと分かったので、よほど困っていると分かったからこそ、無料で相談に乗ることにしました。
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ジェフ・ベゾス)すいません、吉岡学さん、突然やってきてこんなことを聞くのは失礼だと思いますが、日本国の官僚たちにコンタクトを取ろうとしても、「いくらお金を出せるの?」しか言わないので嫌になり、他の方法を考えていたら、ある知人があなたのことを教えてくれたのでやってきました。
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吉岡)アメリカ大統領補佐官のジョン・ボルトンでしょ?もう、俺のことは言うなって言ったのに・・・。
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ジェフ・ベゾス)はい、私も、ジョン・ボルトンのおかげでアメリカの商売は成功したのですが、日本の法律も商慣習というか商売の仕方が全くわからないので、吉岡学さんを紹介してくれました。なので、どうすれば、日本でAmazonというビジネスをできるのか教えて下さい。
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吉岡)まあ、ジョン・ボルトンの紹介なら断ることもできないので、いいよ、簡単に言うからメモってね!
1、まず、日本の官僚は「お金のこと」しか考えていないし、政治家も同じなので、「正攻法」では絶対にうまくいきません。
ではどうやって日本でAmazonという会社を起こすのかというと、「日本企業と合弁企業」にしておけば大丈夫です。
経営者が外人であろうと、日本の企業との合弁であれば日本に税金が落ちるので、それなら外務省も法務省も文句は言わないので上手にやりなさい。
もし、書類で手こずることがあるなら、私の知り合いの官僚を紹介するので簡単に終わるはずです。
官僚の仕事っていうのは、どこの省庁でも書類を持っていくと1ヶ月間ほど放置しておいて、催促の電話が来たら「今、立て込んでいるので順番にやりますのでお待ち下さい」と、また数ヶ月、放っておかれます。
なぜ、そんなことをするかというと、「お金を持ってこないと書類は通さないよ!」というのが、受付の女性も、ヒラ官僚も「常識」なので、とても面倒なお役所仕事なんですわ。
上級官僚(キャリア官僚)に知り合いがいるか、それとも力のある政治家に知り合いがいれば書類はすぐに通りますが、また、これもまた「裏金」がたくさんかかるので、とても面倒な業界なんです。
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でも、私が言うとすぐに動く人間はたくさんいるので紹介しますね。
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私とジョン・ボルトンとの信頼関係は、アメリカと日本の最大の「裏の繋がり」になっているので、彼の紹介のあなたを助けるのは当然です。
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まあ、バカなキャリア官僚ですが、言われた仕事はできる人間なので電話しますので、ちょっとお待ち下さい。
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吉岡)おい!俺だ!
アメリカの企業が日本で会社を起したいらしいので、書類をすぐに通してくれ!
もし、すぐやらないと、奥さんに「あのことも、このことも」を言うからな!すぐやれよ!
明日、書類を持って行かせるので、お前の電話番号を教えておくから「特別対応」してすぐに書類を通せよ!じゃあな!
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翌日、知り合いの官僚から電話がきて、こう言われました。
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キャリア官僚)吉岡さんがアメリカの企業の進出を止めるための「裏ルール」を法務省で作ったので、なかなかうまく書類が通りません。
でも今、必死に頑張っているので、必ず、通しますが、時間がかかりますので、先に会社や工場を作っておいて下さい。
あとは、合弁企業の許可を出すだけなので、必ず、通しますので信じて下さい!
くれぐれも、あのことと、このことは奥さんに言わないようにお願いしますね!!
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結果的に、先に「合弁企業の会社」を作って稼働させておいて、工場も物流センターも建設したあと、やっと、2000年に合弁企業の許可が降りました。
「日本法人」を先に作る必要があったので、ジェフ・ベソスの親戚の「ジェフ・ハヤシダ」を紹介してもらい、日本国籍があったので「日本法人」を立ち上げてから、日本法人の社長に抜擢された「ジャスパー・チャン」と合弁企業を作ったのが、Amazon Japanの始まりです。
アマゾンジャパン合同会社/Amazon Japan G.K.
3年間ほど、ジェフ・ベソスは日本に住んでいましたが、食事が合わず、ホームシックなり、お母さんの手料理を食べたいからと、しょっちゅう、アメリカに帰っていましたが、香港にいた「ジャスパー・チャン」をヘッドハンティングして日本に連れてきて社長にしたあと、アメリカに帰ってしまいました。
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これから世界的に最速で人口が増えるインドのモディ首相も紹介してあげたので、ビジネスが大きくなり、株価も一気に上昇しました。
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ちなみに、「カンブリア宮殿」でジャスパー・チャンが話していることは、すべて私がタダであげた私の特許で作ったものやアドバイスですし、「品揃えと低価格」はダイエーの私のおすすめフレーズです。
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アメリカは「本の安売りが普通」ですが、日本は当初の販売価格を変えてはいけない「再版制度」があるので、最初は日本の古本をたくさん売らせて単価をあげて利益を取り、その間に日本国内に25ヶ所の物流センターを作らせて、私が作らせた「ダイエーの物流センター」を何度も観に行かせて機械の配置をマネをさせましたし、「商品選別プログラム」も、「配送先までの商品到達予測時間リスト」も作ってあげたので、「関東内当日配送、全国3日以内配送」を実現させました。
この配送システムは、ヤマト運輸の社の社社長にも教えてあげたのに、自分でお金を出した外注システムを使いたいと言い張ったので、結果的に、「JANコード識別エリア選択システム」だけ取り入れたみたいで、いまだに配送効率が上がらない理由は、私に言うとおり素直にやらなかった結果で残念な社長でした。
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私が「アメリカのAmazon」を支えた理由は、Amazonで使うパソコンの中に顧客情報を盗む「搾取プログラム」があったので、それを阻止するためにアメリカ本部のコンピューターも、日本法人のコンピューターも、物流センターのコンピューターも、顧客リストを盗もうすると搾取プログラムが動くと、「自動的に停止する」ように再設定したし、いくらパソコンを買い直しても、絶対に、壊せないようにしておいたので私がいた時は大丈夫でしたが、2019年10月11日に「Amazonの注文履歴流出騒動 11万件のアカウントに被害が及んだ」ことが明らかになり、Amazon社員の中に 個人情報を売っている人間がいたので、もう「個人情報は売買されている」と思って諦めて下さい。
https://internet.watch.impress.co.jp/docs/news/1212501.html
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Amazonは知っていても、ジェフ・ベソスCEO(1964年生まれ)を知らない人のために人物像を紹介します。
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Amazon起業
1993年になり、ベゾスはオンライン書店を始めることを決める[33]。ヘッジファンド出身でプログラミングの知識が無かったため、自らはコードを書かなかった[34]。1993年7月5日、ベゾスはCadabra, Inc.という名の会社をワシントン州の法人として登記した[35]。1994年1月、ある弁護士が「Cadabra」を「cadaver(死体)」と聞き間違えた出来事を受けて、ベゾスは社名を変更することになった[36]。
その後、彼はD.E.ショーを退職して、ニューヨークからシアトルへの移動中に事業計画を書き上げ、自宅のガレージでAmazonを起業した。1994年1月のことだった[37][38]。新しい会社の名前は南アメリカのアマゾン川にちなんだもので、アルファベットの最初の文字であるAから始まるという意味合いも一部にはあった[39]。
両親が30万ドルともいわれる金額を都合してくれたため、彼はそれをアマゾンに投資した[38]。彼は初期の投資家の多くに、アマゾンが潰れたり自分が破産する可能性は70パーセントあると告げていた[40]。Amazonはもともとオンライン書店であったが、ベゾスは常にその業務を拡大する計画を温めていた[32][39]。
株式公開により競合買収
Amazon創業から3年後に、ベゾスは株式の公開(IPO)を行っている[41]。フォーチュンやバロンズには厳しい観測の記事が掲載されたが、ベゾスはインターネットの成長によって、ボーダーズやバーンズ・アンド・ノーブルのような巨大な書店チェーンとの競争に勝てると譲らなかった[39]。
1998年、ベゾスは音楽と映像もオンラインで販売を始めた。この年の終わりには、彼の会社はさまざまな日用品も扱うようになった[39]。1997年の株式公開で調達した5,400万ドルを資金として小規模な競合他社を積極的に買収した[39]。
ITバブル崩壊を乗り越えて快進撃
21世紀初頭のITバブル崩壊により多くのIT企業が倒産に追い込まれ、2000年にはAmazonの株価も113ドルから6ドルに暴落したものの、堅実なビジネスモデルを選択したAmazonは生き残り、IT不況を乗り越えて電子商取引における大手企業となった。
2002年には、天気予報チャンネルとウェブ・トラフィックからデータを集積して、アマゾン・ウェブ・サービスをスタートさせた[39]。しかしこの年の後半に、大規模な投資が続いていたAmazonは収益の伸びがとまった段階で財政難に陥ってしまった[42]。2000年にベゾスは銀行から200億ドルの融資を受けているが、Amazonのキャッシュバランス(現金残高)はわずかに3億5,000万ドルに減少していたのである[43]。
会社が破綻間近になったため、ベゾスは複数の物流センターを閉鎖し、Amazonの全従業員の14%にあたる人数を解雇した[43]。Amazonは2003年には財政的な安定を取り戻し、この年は4億ドルの黒字となった[44]。
ハード・ソフト事業の開始
ベゾスがAmazon Kindleをスタートしたのは2007年11月である[45]。2008年のタイム誌の記事によれば、彼はビデオゲームと同じように読書でもフローな状態をつくりたいと考えていた。つまり読者が完全に本へ没入できるようしたいと思っていたのである[46]。
2013年にはアマゾン・ウェブ・サービスについてアメリカ中央情報局(CIA)と6億ドルの契約を結んでいる[47]。この年の10月に、Amazonは世界最大のオンライン小売企業として認められた[48]。
2017年5月、3日間で10億ドルのアマゾン株を売却したとOnebox Newsが報じた[49]。
2021年2月2日、CEOを2021年7〜9月期(第3四半期)に退任すると発表[50]。2021年7月5日にCEOと社長を退任した。