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【吉岡一門】武士の真実!織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の歴史の真実を初公開します!!

1990年の「バブル崩壊」が始まっていた39歳の時に行っていた「札幌の社長会」に、当時、ソニーの副社長の盛田正明(もりた・まさあき)さんが、やってきました。

「日本の経済界のどんな問題も全て1発で解決してくれる人が札幌にいる」と言う噂を聞きつけて、パナソニックの松下幸之助社長の紹介で札幌までやってきてくれました。

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結果的には、「SONYのベータマックス 対 日本VICTORのVHSの戦い」を決着させて、どちらの会社も倒産しないようにアドバイスしましたが、そこに至る過程で、今まで誰にも話していない「吉岡一門の頭領」しか知らない「日本の武士の歴史事実を初公開」したことで、問題の糸口が見えて解決に至りました。

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今日のブログは、「日本の武士」に関係する人たちや、「SONY」や「日本VICTOR」の関係者たちにとっては「保存版」ですので、ご家族と一緒に読むことで「先祖カルマ」も外れますので、ぜひ、コピーして読ませてあげて下さい!

 

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元ソニー副社長 盛田 正明(当時は63歳)
1927年5月29日生まれ。愛知県出身。ソニー創業者の一人・盛田昭夫を長兄とする盛田兄弟の三男として生まれる。1951年東京工業大学を卒業し、東京通信工業(現在のソニー)に入社。常務取締役、副社長などを歴任し、ソニー・アメリカ会長も務める。1992年にソニー生命保険の社長兼会長に就任。1998年にソニーグループ引退後、2000年に日本テニス協会会長に就任。同年に、私財を投じて「盛田正明テニス・ファンド」を設立し、錦織圭をはじめ多くのジュニア選手の育成に尽力。
現在は、97歳で「日本経営合理化協会」の会長をされていて、「ソニー生命保険名誉会長」でもあります。「日本経営合理化協会」を立ち上げた理由は、「吉岡学の社長会」を150回で終了したので、出会った社長たちとのご縁を終わらせてはいけないと思いましたと、あとから電話で教えて下さいました。
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盛田正明SONY副社長)吉岡さん、今、SONYのベータマックスのシェアは45%で、日本ビクターのVHSは55%でどんどんシェアを食い潰されているのので、このままだと私の会社は潰れてしまうので、どうか、助けて下さい。
吉岡)私もテレビ映画の録画用の「ビデオデッキ」を買う時に迷ったんですが、結果的に録画時間が長い「VHS」を買ってしまいました。なぜ、SONYのベータマックスは、録画時間が「45分」と短いのですか?
盛田正明SONY副社長)それはですね、ここがSONYの素晴らしいところで、ものすごいレベルの技術者がたくさんいるので、最高に綺麗な画像で録画できるビデオレコーダーを作った結果、テープの回転スピードが早いので、「45分間以上録画」できるようにすると、企画サイズのケースに録画テープが入らなくなるし、長い時間録画できるように再生スピードを遅くすると、「日本ビクターと同じレベルの画像になるので2番煎じ」と言われるのがオチなので、開発のプロたちの意地で頑張った結果、「45分間」が精一杯なんです。
うちの「ソニーの技術者」たちは、音と画像が綺麗でカラオケに使える「レーザーディスクプレーヤー」でパイオニアと勝負しましたが、あの時も開発が遅れたので「2番煎じ」と業界で言われてしまい、悔しい思いをしたので今回は絶対に負けたくないのです。
吉岡)私も画像が綺麗なのは好きだし、実際に、私の実家では父がカラオケ用に「レーザーディスクプレーヤー」を買ってカラオケをして楽しんでいましたが、私は北海道内の全てのテレビチャンネルも、ラジオチャンネルの社長たちにもアドバイスしたことがあるので、テレビ業界の問題や機材の問題も現場を見て全て知っています。
NHKでもどこのテレビ局でも、番組を録画する「マスタービデオデッキ」は全て「SONY」だったので驚きましたが、全員が「SONYは画像は綺麗だけど高い!」と言ってましたよ!もっと安くはできないのですか?
盛田正明SONY副社長)あのう、吉岡さん、あの価格が技術者たちに給料を払って技術者が望む機材を用意した「投資額」を回収する精一杯の価格なので、ダイエーさんみたいに「勝手に」安く売られると困るんですよ。
「ダイエーさん」にSONYのビデオデッキを扱ってもらおうとすると、まず、徹底的に原価を叩かれたあとに、「バックマージン」を納入価格よりも安い値段で「2つ作れ」と言われるので、たまらんのですわ。
私を紹介してくれた松下幸之助社長も、「ワシは中内功は嫌いじゃないが、商売の仕方がメチャクチャだ!」と怒っていたほど、取引するにも価格交渉が安すぎるので、ダイエー担当の営業マンは全員、精神的にボロボロになって困っています。この問題も、どうにかできませんかねえ?
吉岡)あー、メーカーが指定した価格で販売しない小売業者等に対して卸価格を高くしたり出荷を停止したりして、小売業者等に指定した価格を守らせることを「再販売価格の拘束」と言いますが、その ▶️公正取引委員会の▶️「再販防止条例」のことですね。あれは問題ですよね?
吉岡)だから私は「ダイエーの電気売り場」に行って担当者に詳しく話を聞きましたが、「再販売価格の拘束」があるために他社よりも安く売りたいのに値段を下げられないので、責任者のマネージャーにその都度、「値下げ価格の範囲を聞くしかない」と言うんですよ。
電気売り場のマネージャーは仲良しなので、各メーカーごとにあとから「バックマージンが振り込まれるリストはある」と聞いたので、見せてくれと言うと「見せられない」と喧嘩になってしまいました。
だって、売り場の担当者はお客様に売る時に、必ず、「イトーヨーカドーではこの最新テレビを98,000円で売っていたので、どうしてダイエーさんは高いのですか?」と聞かれるので、そのたびに「バックマージンの表」を見ながらいくらまで値下げしていいのか「売り場のマネージャー」が決める仕組みなんておかしいでしょ。
表向きはお客様のために国が作った「再犯防止条例」が、少しでも安く買いたいお客様たちを混乱させているし、売るほうも品物によって「バックマージンの値段」が違うので、大変だと担当者は言ってましたよ!
ダイエーもただ安く売るだけじゃなくて、お客様に少しでも喜んでもらおうとメーカーと交渉しているので、ただむやみに安売りをしているわけじゃありません。
売り場の責任者のマネージャーは週に2日休みがあるので、「各電気メーカー別のバックマージン表」をマネージャーが隠していると安く売れないので、その2日間は「売り上げゼロ」になる日があるほど面倒な仕組みでした。
だから私が電気売り場のマネージャーの休みの日を狙って、どこに隠すかを部下に見張らせてから、
担当者だけに、「各電気メーカー別のバックマージン表」をコピーして渡し、売り場の担当者に「POPの下か後ろに各電気メーカー別のバックマージンの数字を書け!」
と教えたので、今は、マネージャーがいなくても売り上げは地域一番のままです。
ダイエーの最大のライバルのイトーヨカドーの労働組合の委員長にもお願いして、イトーヨーカドーに出している「各電気メーカー別のバックマージン表」を見せてもらいましたが、ダイエーより高かったので可哀想だと思いましたが売上がNO1じゃない会社なので仕方がないと思いました。
結局、一番台数を売るダイエーに安く卸すのは当然のことなので、この問題は結局、「国の公正取引委員会」が現場の人たちの問題もお客様の実態も知らずに、「勝手に理想で作った再販防止条例」なので、どこかの国会議員が、電機メーカーから賄賂をもらっていると思いますが、まさか、SONYさんはそんなことはしてないですよね????
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盛田正明SONY副社長)えーと、私の先祖はソニーを作った大元の家系ではありますが、私は「ソニーの社長」にはなりたくなかったし、テニスが好きなので自分が好きな仕事しかしませんので、そういうことは「井出伸之社長の問題」だと思いますのでお答えできません。
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吉岡)あらあ、綺麗に逃げましたね・・・。
松下幸之助社長からあなたが「社長会」に来ることを事前に聞いていたので私なりに「ソニーの先祖ルーツ」を調べましたが、もともと、ソニーは愛知県知多半島の中央部の愛知県小鈴谷村(現常滑市小鈴谷)で初代盛田久左衛門が「酒造業を創業した」とネットに書いてあったので、武士の酒を作った作り酒屋の「南朝」だったはずです。
愛知県の「尾張藩主の徳川慶勝」は、江戸の「徳川家康」の命令で「江戸幕府長州征討軍総督」として「長州藩」を成敗したはずなのに、なぜそのあと、「南朝の吉岡一門の頭領の命令」に背いて「北朝」と手を結んだのですか???

徳川 慶勝(とくがわ よしかつ)は、日本の幕末から明治初期にかけての大名・政治家。尾張徳川家(尾張藩)第14代・第17代当主。明治維新後に議定、名古屋藩知事。尾張藩支藩(御連枝)であった美濃高須藩主・松平義建の次男。

系譜と名前

弟に15代藩主・徳川茂徳、会津藩主・松平容保、桑名藩主・松平定敬などがあり、慶勝を含めて高須四兄弟と併称される。幼名は秀之助、元服後(高須松平家時代)は松平義恕(まつだいら よしくみ)を名乗る。尾張徳川家相続後は将軍徳川家慶より偏諱の授与を受けて、初めは徳川慶恕(よしくみ)、のち慶勝と改名した。

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吉岡)徳川家康公は、「吉岡一門の頭領の命令」で、暴れ者の「織田信長を監視する役目」を守っていたのに、織田信長が勝手に小作上がりの「豊臣秀吉」を側近にした結果、明智光秀は「三日天下」で殺され、まんまと織田信長も殺して「豊臣秀吉」が日本一になり、目一杯、「金儲け」に走りましたよね?
でも、実際は「織田信長」は生きていて、「吉岡一門の配下」になり、最後まで安らかな暮らしをしてたくさん子供を残しましたよ!
その子孫が、アイススケートで活躍した「織田信成くん」です。だからウチの父は、よくぞ戻った!織田信長の子孫!と織田信成くんの大ファンなんです。

織田信成 1987年3月25日生まれ (年齢 37歳)

こういう事情だからこそ、「徳川家康公」は最後まで「豊臣秀吉」のそばについて「豊臣秀吉」を見張っていたのですが、「織田信長」が死んでから肩身が狭くなったので、一旦、江戸へ逃げてから「大阪の陣」で「豊臣秀吉」を打ち負かして、やっと「天下泰平の世」に戻しましたよね。
当時の戦国時代になる前は、日本の平安を維持するために「吉岡一門の頭領の指示書」がいつも全国の殿様に出されていたし、刃向かった殿様はすぐに殺されてご領地を奪われたた時代ですので、一番日本が平和で安定した時代が「武士の世」だったのです。
吉岡)私の前の頭領だった父も、よくこう言っていました。
「徳川家康公」は、よくやった。
だから、あいつにだけ亡くなったあとに公家と同じ「公」をつけてやったのよ。
他に「公」がつく殿様なんて一人もいないんだぞ!
「征夷大将軍」と言う言葉も、武士で一番強い奴の意味なので、「征夷大将軍」を任命できるのも、「吉岡一門の頭領」しかできないのに、いつもNHKの大河ドラマを見ていると、勝手に「天皇」が決めたみたいに表現しているが間違うなよ!!
天皇が任命できる職位は、国を守る公職の意味の「太政大臣(だじょうだいじん)」だけなので、戦いに勝った殿様が勝手に国を渡したり奪ったりなんかできるわけないのに、そんなことも知らないNHKは、「勝った殿様に褒美としてお前にこの国をやろう!」なんて言っているが、そんな「権利」は持ち合わせていないんだぞ!!
国を任せるという意味は、その国の「百姓(小作)をやる」という意味だし、そこで取れる米の石高(こくだか)」を全て渡す意味なので、日本中の全ての土地を持っている「吉岡一門の頭領」の許可なく国を渡すことなんてできるわけないだろう!
「いつだ誰が最初に殿様の石高を決めたのか?」なんてどのドラマにも出てこないし、歴史書物も宮内庁も全て嘘ばっかりなので、信じるなよ!!!
テレビばかり見ていると、頭がバカになるぞ!
武士の時代は、誰がどれくらいの「石高」をもらうか渡すかは、勝った殿様も負けた殿様も「言い分」を文書で「吉岡一門の頭領」に送って、こっちで判断してから決めたので、勝手に一国の殿様が決められるわけないだろう!!!
お前(吉岡学)の時代には「武士」と言う言葉さえ無くなるかもしれんが、日本国全部の土地も、国定公園、国立公園も、第一次大戦で植民地を解放した土地も全て「吉岡一門の資産」なんだぞ!!
つまり、ロシアが管理している「北方領土」も、「中国」が管理している全ての領土も、「北朝鮮も韓国」の土地も、「全て吉岡一門の土地」だからこそ、「吉岡一門の資産」というのは、今まで戦って勝った「全ての領地」のことなんだぞ!!!
いいか、植民地解放のために戦った第一次大戦も、大東亜連合を解放するために一緒に戦った大東亜戦争も、結局は「昭和天皇」に騙されて戦争を始めて日本は負けたが、もし、「武士」が昔のようにいたら絶対に勝てた戦争なんだぞ!!!
日本は「大東亜戦争」には負けたが、アメリカが進行して領土支配したのは「沖縄本島だけ」なので、「沖縄本島以外は全て吉岡一門の領地」なので、アメリカも怖くて九州や四国や本州を攻めてはこなかったのさ。
当然、吉岡一門の頭領も、アメリカにも、イギリスにも、フランスにも「戦いたくないので戦争は始めるな!!」とFAXや手紙を送ったのに、無視しやがって、俺はアメリカは許さん!!!
と父は申しておりました。
「戦国の世」を作った日本中の全ての殿様たちからの「詫び状」も全て私の家に保管されていたので見たことはありますが、古い字体で、「出来心で申し訳ない」とか、「騙された」とか、「俺はやりたくなかったが他の奴に巻き込まれた」とか、まあ大人の言い訳はいつの時代も同じで愚かだと、「12歳の吉岡一門頭領就任式後の引き継ぎ書」を読んで大笑いしました。
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戦国時代の最大の問題は、「吉岡一門の頭領の命令」に背いた「長州藩毛利家(山口県)」と同罪の、土佐藩を脱藩した「坂本龍馬」と、その口車にのさられた「薩摩藩の西郷隆盛」が、「薩長連合」を組んで「江戸城の無血開城」をしてから「明治政府」を開いた結果、盛田正明さんのご先祖みたいな「商人」が、「明治政府の北朝」と手を組んで「お金儲け」に走ったことが今の時代の大きな問題なのです。
「大日本帝国憲法」にも「士農工商」という制度があったことは記録されていたし、今の学校でも教わるように、「商人」はいつも自分勝手に親分を裏切り、「極秘情報」を他の人間に教えて「金儲け」をする人間なので、「士農工商」の「商」は最低の身分だし、「商人」は本当に口が軽くて覚悟もない馬鹿者だと言われて私は育ちましたが、私がダイエーに入社したことを父に報告すると、
「お前が商人にまで落ちて、何をしたいんだ?」
と聞かれたほど「商売人」を信じていない父でした。
でもですね、これでも私は30歳で「ダイエーの売り場の責任者でダイエーの借金を2兆円近く返した人間」だし、「労働組合の中央執行委員」だし、「ゼンセン同盟の評議委員」だし、「経団連」にも好きにものを言える立場の人間なのですよ!
さらに内緒ですが、私は「国の仕事」もタダで手伝っているので、外務省やら何やら幾つもの省庁の「特別上級国家公務員」という資格を総理大臣からもらっているので、国の官僚のヤバい仕事も、国会議員の裏ごとも、ヤクザごとにも詳しいし、世界の国王たちや首相たちとも仲良しなので、「吉岡一門の最後の頭領」として、ご先祖がどういう人間か相手を見ればすぐにわかる人間なので、私に嘘を言っても無駄ですよ。

長州藩

土佐藩

薩摩藩

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いつの時代も、「貧乏人や商人はお金に弱いし汚いし、さらに「公務員」と名のつく人は仕事をしたふりをするプロだし、すぐに人を騙して嘘をつくので、今回の問題はどうしましょうかね???
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(ソニーの盛田家のルーツ)

ソニーの創業者盛田昭夫の実家は、江戸時代初期にさかのぼる。盛田昭夫は第15代久左エ門にあたる。知多半島の中央部の愛知県小鈴谷村(現常滑市小鈴谷)で初代盛田久左衛門が「酒造業」を創業した。

天和元年(1681)の尾張藩の酒造調査によると寛文5年(1665)より造っていたことが記されている。小鈴谷の庄屋をつとめ尾張藩の保護のもとで酒造業を拡大していった。

その後、宝永5年(1708)味噌溜の醸造を開始。7代目、8代目久左衛門の頃、江戸に清酒を販売し家業の拡大がされた。しかし天保6年(1835)9代目の頃、年々、灘、伏見の巻き返しに合い、大幅に落ち込んだ。10代目久左衛門英親(ひでちか)と第6子の弟、久左衛門命祺(めいき)(1816~1894)は醸造法の改良を行い、灘、伏見に負けない品質の清酒を醸造して挽回を図った。この命祺の醸造法革新は後に福沢諭吉が自著「時事小言」の中で命祺の直話を記し、事細かに書き残している。

 

尾張の幕末維新(愛知県)

「幕末の尾張藩」をリードしたのは、前藩主徳川慶勝(1824~1883、藩主在任は1849~58)でした。文久年間(1861~63)には、朝廷・幕府・諸藩間の調整に努めました。元治元年(1864)、慶勝は幕府から第一次長州征伐の総督に任じられました。しかし「長州藩の処分」をめぐり幕府と対立し、慶応3年(1867)の王政復古に参加して、新政府(明治政府)の議定職となりました。朝幕間における慶勝の微妙な立場のため、翌年1月青松葉事件が起こりました。これは「尾張藩」の佐幕派と称される藩士14名を処刑した事件で、不可解な点も多いです。その後「尾張藩」は戊辰戦争の政府軍に参加し、北越(越後)や奥羽まで出兵しました。

 

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コピーしたご「先祖の紙」を見せながら・・・

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吉岡)私の母方の祖父は、岩手県の南部鉄器で有名な「南部藩(盛岡藩)」の奥州市丹沢区小山出身で、戦争に2回行って右足を失ってまで戦い続けたので、天皇陛下に二度、軍刀をもらった「傷痍軍人の岩渕安治陸軍中佐」ですが、ご存知ですか?

 

 

ご存知のとおり、「南部藩(盛岡藩)は京都で「天皇」をお守りして時に、長州藩が南部藩を逆賊扱い」にして裏切り、京都でたくさん武士を斬り殺したあと、「南部藩(盛岡藩)」の武士の家族を陸奥半島の先端まで追いやり、「そのまま海に飛び込んで蝦夷地(北海道)まで渡って蝦夷の国を開拓しろ!」と命令されたので、たくさんの男女の命が亡くなりましたが、私の祖父の家族は波が静かな日に青森県の大間崎の「弁天島」から北海道の「汐首岬」まで必死に泳いで渡りましたが、多くの人の首が岸に流れ着いたので、「汐首岬」と名前がついたそうです。

 

 

地元に残された「南部藩(盛岡藩)」の武士の男の子達が「白虎隊」を結成して家族を追って北へ向かった時に、誰もいないはずの「南部藩(盛岡藩)」の家を全て焼き払われ、残った女子供も全員殺されたので当時中学生くらいの子供たちが山の上で自害したのはご存知ですよね?

 

 

1868年(明治元年)に「仙台藩」が中心となって作った「奥羽越列藩同盟」に加盟した、陸奥国(奥州)・出羽国(羽州)および越後国(越州)の諸藩のうち、「越後国の武士」は誰も行かなった理由は「吉岡一門の頭領の命令」が出ていたからです。

 

明治19年(1886年)に家督を相続した「吉岡文吉頭領」が明治28年(1895年)3月に北海道芦別市常磐町に入植するまでの18年間は、

「全ての戦いを辞めて今の場所に留まるように!」

と命令書を全国の武士に伝えたからです。

 

その目的は、本州で果たせなかった「世の平安を北海道で成し遂げたい」と思ったからこそ、「吉岡一門の先祖は先住民のだった」からこそ、北海道のアイヌのトップである「葛野辰次郎エカシ」に許可をいただいて、300人から500人単位の武士とその家族が日本海から船で苫小牧の砂浜に建てた「観音菩薩堂」を目印とし、そこから徒歩と馬で芦別市常磐町まで荷物を担いで33時間歩いて行ったと私は父に聞いております。

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しかし、父はあまりに「吉岡一門の頭領が背負う責任が重いので終わらせたい」と、子供の私を殺して自分の代で終わらせるつもりで何度も殺されかけましたが、なかなか死なない人間なので、3歳から毎日朝昼晩のご飯前に「1000回腕を振る訓練」をさせられたので、腕が震えてほとんどご飯を食べられない毎日だったので、「生米」をかじって水だけ飲んで生き延びていました。

 

 

「5年間毎日腕振り修行」をしたので、8歳の時に父との「真剣勝負」で勝ってしまい、12歳で正式な「元服の日」を迎えるまでは、父を殺しに来る「北朝」の人間たちを私が全員斬り殺す日々でした。

 

 

「12歳の元服の日に吉岡一門の頭領に正式になった日」に、「吉岡8人衆」を通して全国の武士たちに「書状」を書いて伝達したので、18歳で芦別市を離れるまではたくさんの「北朝の武士」たちが日本刀を持って私を斬り殺しに来たましたが、何人殺したのかわからないくらいたくさんの人を切り殺して山に埋めて第三国人の食糧にしていました。

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以上、こういうことですので、今回の相談事を解決する前に、まずは私に、「正式にご先祖がしたことの詫びの土下座」をして謝って下さい。

 

そうじゃないと、私は吉岡一門のご先祖様に挨拶ができないし、私が「あなたを許す!」と口にすれば全ての過去の因縁は終わらせられますので、どうぞ、心してここで詫びて「腹を切って」下さい。

 

 

ここで、あなたが腹を切ってお詫びしてくれれば、ご先祖がやったことも全て許しましょう。
私が「吉岡一門の最後の頭領」なので、どんな人のご先祖ごとでも「私が許す」と言えば、全ての名字をつけたのは「吉岡一門の頭領」ですので苗字を持つ「日本人の先祖カルマ」は終わるので、どうですか?ここで腹を切る覚悟はありますか?
それとも、ここで私があなたの「ご先祖の裏切り」のまま、「VHSとベータマックスの問題」を解決しましょうか?
きっと、それじゃあ、吉岡のご先祖たちが許さないので必ず、会社は潰されると思いますよ!!
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ソニーの盛田正明元副社長は、じっと椅子に座ったまま考えていました。
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吉岡)おーい、ママさん、一番、長い包丁とまな板とサラシを持ってきてくれるかな?
今、ここで指を落とすか、腹を切る人が出るので、洗面器も必要かも?用意してくれる?
ママ)はーい!!楽しみです。初めての「腹切りライブ」!!
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ソニーの盛田正明元副社長は、覚悟したようで、椅子から立ち上がって、靴を脱いで、背広を脱いで、床に土下座をして腹を切る用意をし始めました。
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すると、その場にいた20名の社長たちが、「俺の先祖も北朝と手を組んで吉岡一門に恥をかかせたので、俺も一緒に腹を切る!」と立ち上がって背広を脱いでソニーの盛田正明元副社長の後ろに座りました。
一人、また一人と椅子を立ち上がって背広を脱ぎ、太い腹を出して、
ママさん、ありったけの包丁を持ってきてくれ!!俺もここで死ぬわ!!
ここまで恥ずかしいことをしていた先祖がしたことは悔しいが、俺は長男なのでこの責任を取る責任がある人間だから、もうここで死んでもいいだろ!
なあ、みんな一緒に腹を切って死のうぜ!!
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50代、60代の一部上場企業の社長たちは、さすが「覚悟」だけはあるようでかっこ良かったです。
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11名が腹を切る用意をしていた時、日銀の三重野康総裁が立ち上がり、
「私の先祖も吉岡一門との約束を裏切ったので、一緒に腹を切ります。
ママさん、包丁が足りなかったらコンビニで全員の分の包丁を買ってきて下さい!」
と1万円札を出しました。
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吉岡)あのう、三重野総裁、あまりにあなたは庶民の現実を知らないのか、1万円で全員分の包丁を買うには無理がありますよ。
せいぜい、買えて「果物ナイフ」ですので、痛いですよ!
「果物ナイフ」で腹を切ると、ただ刺さるだけなので痛くて、のたうちまわりますよ!!
それに正式に腹を切るなら「解釈人」が必要なので、私でもいいですが、「日本刀」がありません。
そうだ、ママ!あの組長の拳銃と俺の拳銃も預けたはずなので、今は、何丁、隠しているかな?
全員分の弾はあるかな?
俺が拳銃を撃てば外さないので、一気に2、3人の頭を拳銃でぶち抜いて介錯してやろうか?
さあ、ママさん、隠している拳銃と弾を全部出しなさい!!!
ママ)すいません、吉岡さん。
ちょうど昨日、「組長がお金が無い」と言って、拳銃2丁を質屋に入れに行ったので、今は、弾しかここにありません。
急ぐなら組員を呼んで、全員、撃ち殺してもらいましょうか?
吉岡)それじゃあ、苦しまないし、覚悟させた意味がないので、「腹切り」の方がいいと思うな。
やっぱり、1万円で果物ナイフをたくさん買ってきて!!
お金が足りないなら俺がもう1万円出すから、コンビニを走り回ってたくさん果物ナイフを買ってきて!!!
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ある社長)すいません、吉岡さん、私は10万円でも100万円でも出しますので、どうか、「新品の包丁」を買ってきて下さい、お願いします!
他の社長たちも「果物ナイフ」より、包丁のほうがいいよな!!
さ、吉岡さんに金を出せよ!!みんな早く出せって!!!
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もう笑うしかありませんでした。
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正座した社長たちは、足が痺れてきてコケそうだし、そこにお金を出す財布を取りたくてもよろけて倒れるし、もう、「腹切り」どころではなくなりましたが、さすが、「ソニーの盛田正明元副社長」だけは目を瞑って自分でお経を小声で唱え続けていました。
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さあ、このあとはどうなったのでしょう????
次回をどうぞ、お楽しみに!!

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