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「バブル経済」が始まっていますので今後の日本がどうなるかを教えます!

「バブル経済」とは、不動産や株式などの資産価格が実体経済とかけ離れて高騰すること

価格上昇の根拠が乏しく、下落基調に転じると過熱状態が一気にしぼんで持続性に欠けることから、泡(バブル)になぞらえられます。 日本では1980年代から低金利を背景に地価が高騰し、株価も急伸しました。

「日本のバブル景気」は、1986年12月から1991年2月頃までの期間を指し、1988年頃から好景気を一般の人々が実感、株価の急上昇、不動産価格の上昇、また個人資産なども増大し、社会全体が今までにない好景気を実感した時期でした。

 

「バブル崩壊」を止める役目になった流れ

1989年10月に「ダイエー労働組合の中央執行委員」になったあとすぐに、「北海道経済と本州経済界と労使交流会」の席で「全国の一部上場の社長」たちから経営相談をされたことが「札幌の社長会」となり、約3年間で150回の社長会を開いて全国の社長たちに無償でアドバイスし続けて「バブル崩壊」を食い止めました。

それ以外にも、「東京の社長会」と「関西の社長会」と「九州の社長会」も頼まれたので、「日本中の一部上場企業の現場の問題」を現場の人たちと一緒に考えながら経営アドバイスを無償でしている時にたくさんの「特許」も企業にプレゼントしました。

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「1991年度の一部上場企業の数は1223社」でしたが、北海道は下請け企業や工場が多かったので、「中小企業の社長たちだけの社長会」でアドバイスしていたし、それ以外にも「技術職人」や「歌手」や「役者」や「インターネットビジネス」を始めたい人たちなどが毎週やってきたので、のべ約3500人以上にアドバイスした経験もありますし、日程調整ができれば「一部上場企業の社内講演会」にもよくゲストで呼ばれていました。

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吉岡学は生まれつき、相手が話をしている声を聞いているだけで同時に相手が「口にしていない思っていること」や、家族や会社の従業員や取引先の人たちの思いを瞬時に読み取る能力があるので「3分間以内で問題点」を聞いて、「1分以内で対応策をアドバイス」するようにしていたので、述べ「1万件以上の企業特許を無償」であげた結果、企業の収益改善によって「バブル崩壊」にブレーキをかけました。

もし、1990年に「社長会でバブル崩壊の話し合い」をしていなかった場合の「経済試算」を日本銀行の三重野泰総裁に計算してもらうと、「1991年の年末までに日本経済は破綻していたし、日本国自体が他の国の持ち物になっていたと思います」と教えてくれました。

 

北海道拓殖銀行とカブトデコムの精算処理

1989年に最初に集まった北海道の社長たちは、今まで数十年以上続けてきた「親の会社が無くなる可能性」があるほど銀行やサラ金から「多額の借入金」が膨らんでいたので、「何人リストラするのがいいか?」とか「会社を潰して自分の金だけ残す方法」や「もっと銀行から融資を受けるための方法」ばかりを質問されたので「自分のことしか考えられないのか!!もっと従業員のことを考えた経営をしろよ!」と怒鳴ったことがよくありました。

中小企業も大企業も同じですが、バブルがもっと長く続くと思ったバカな社長たちが多かったので、「多額の事業拡大資金の融資」を受けている企業が多かったので財務諸表と裏帳簿を見せてもらいましたが、「各銀行の支店長」を呼び出して話をしてもあっさりこう言われました。

 

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支店長)銀行同士も「融資額の競争」をしているので企業にいくら多額のお金を貸したかが私たちの仕事だし、「バブル」がこんなに早く終わると思っていなかったので「融資額を決める審査も甘くして良い」と上から指示が出ているので私たちだけ怒られても何もできませんよ。

文句があるなら「各銀行の頭取」たちに文句を言って下さい。でもいくらバックにヤクザが付いているダイエーさんでも東京の都銀の頭取たちを呼び出すことなんでできないと思いますので、せいぜい頑張って下さい。じゃあ、私はこれで失礼します。

(北海道拓殖銀行の支店長談)

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あー、やっぱり銀行側にも「ダイエーとヤクザの深い関係の情報」は流れているんだな・・・。

でも、中内功社長は「全ての都銀から莫大な金額を借入しているダイエーは、お金はいくらでも貸してくれるさ。それが奴らの仕事だからな。」と笑っていたので、直接、中内功社長に電話して「都銀の頭取たちを北海道に集めてもらえますか?」と頼み、実現しました。

 

私と中内功社長との関係は、1982年4月に私が開発した「オリコンとカゴ台車の特許」を取締役の物流本部長の手柄にしてあげたので一気にダイエー全店に波及したし、「運送業の社長」たちにも「図面を渡して特許使用料もタダで配った」ので、一気に日本中の輸送トラック会社に広がったため、中内功社長からも「お礼の電話」が来ましたし、1982年の10月にアメリカで「最新式の物流センター」を見てきた中内功社長が「日本にもアメリカみたいな物流本部を作るぞ!」と言ったせいで、また物流本部長がお店にやってきて「二人だけで話したいことがある」と店長室で話を聞くと、「回収計画がない約6000億円の投資額」やめさせて、「収益が出る物流センターの企画書」に書き直してあげたので、中内功社長本人がお店にまできて一緒に食事をする機会が増えたほど個人的に仲良くなりました。

北海道の土木建築業の社長たちの問題は「大口の仕事」を回してくれる「本州の一部上場企業」のおかげなので、誰も都銀の頭取に文句を言える立場ではないと言って「北海道の社長全員が行けません」と全員から電話が来たので、「日本中の都銀の頭取が札幌に集まるので仕事をくれる建設業の一部上場企業の社長たちに電話をして集めて下さい」とお願いしました。

 

一週間後の「社長会」に「全ての都銀の頭取」が来るかどうかは半々でしたが、「大口の貸付先」に嫌われると銀行も潰れるので日本全国の都銀の頭取が「ボロなススキノのスナック」に全員集まってくれました。

さすがお偉いさんたちが集まると、「経団連でお会いしましたね」とか、「先日の多額の融資をありがとうございます」とか言いながら名刺交換をしていましたが、

最も北海道で大きな問題は「北海道拓殖銀行」が多額の融資をしたせいで、北海道の土木建築業の社長たちが借りたお金を返せず苦しんでいますので何とかして下さい。

と私が言うと、すぐに、「北海道拓殖銀行の頭取と支店長」を呼び出して事情を聞くことになりました。話を聞くと、多額の融資先のトップが「カブトデコム」だったのですぐに電話して呼び出してくれました。

 

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1989年はまだ、「北海道拓殖銀行が経営破綻か?」とニュースで流れる前だったので、「北海道拓殖銀行の頭取」と、もっと多くの不正融資を受けていた「カブトデコムの社長」を呼びつけて、全国の都銀の頭取の前で借金が膨らんだ理由を説明させてから、「執行役員全員クビ」+「カブトデコムの経営陣全員クビ」を条件に、「北海道拓殖銀行の回収可能な債券だけを集めてを買うよう指示」を出し、当時の大蔵省とごちゃごちゃありましたが、数年かけて「優秀な社員だけと回収可能な債権をセット」で「北洋銀行」として再スタートを切らせて大きなニュースになりました。

 

1997年(平成9年)11月17日に経営破綻

北海道拓殖銀行は、1998年(平成10年)11月に「北洋銀行」および「中央信託銀行」(中央三井信託銀行を経て現:三井住友信託銀行)へ事業を譲渡した。 1999年(平成11年)に法人解散、2006年(平成18年)に清算結了。 経営破綻するまでは、東京証券取引所一部と札幌証券取引所に株式を上場していた。

▶️北海道拓殖銀行の道内事業譲受」をお読み下さい。

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誰も買いたくないヤクザが絡んだ「ブラック債権の処理」は私が一人で処理しました。

だって、中内功社長と松下幸之助社長は「神戸山口組の田岡一雄組長と兄弟分」だからこそ、何かあれば「神戸山口組の井上邦夫組長」に電話すれば済む話だから簡単でした。

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1989年で30歳の私は、「金融の不良債権処理」などしたことはなかったので、同席していた▶️「日本銀行の三重野泰総裁」に教えてもらいながら自分で勉強して翌週には「決定事項」を示す形で「全ての銀行や企業の不良債権処理」を都銀の頭取と北海道の全て銀行の頭取の前で一人で処理方法を決めて大企業全ての銀行の「債権処理とブラック債権の処理」を行いました。

毎回、出席してくれた「日本銀行の三重野泰総裁」の立場から一企業や銀行へのアドバイスは「金融誘導になり違法」なので、私がこっそり一般的な例としての体験談を聞き出してから、その場で判断して債権処理をするという危険なアドバイス方法でしたが、「未来に起きること」と「従業員や家族の思い」まで霊視で見える私にとっては好都合でした。

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「企業は人なり宝なり」と有名な言葉を残した松下幸之助社長の紹介で来た「日本銀行の三重野泰総裁」ですが、私の理解の速さと処理の的確さに驚き、松下幸之助社長からこう怒られたそうです。

「吉岡学さんは、お前に足りないものを学べる必要な人間だから、ゴチャゴチャ言わずに吉岡学さんに会いに札幌へ行け!どうするかは直接、会ってから自分で決めろ!」

と言われてきたそうですが、私の現場のアドバイスを見ていて、「松下幸之助さんが怒った意味がやっとわかった」と言って下さいました。

 

「パナソニックの松下幸之助社長」と「ダイエーの中内功社長」は、「戦後の大阪の闇市」からの付き合いらしく兄弟のようにいつも喧嘩するほど仲が良いお二人でしたが、「ダイエーの不良債権を2兆円近く消した私」を中内功社長が松下幸之助社長に自慢したらしく、

結局、「松下電器産業グループ」の全ての不良債権処理と、工場閉鎖、従業員解雇の数と、取締役や執行役員の解雇まで私がアドバイスすることになりました。だって、自分の可愛い部下を自分で切ることなんてできないと泣いて私に頼むのですから、嘘泣きだとわかってもやるしかない状況だったのです。

「パナソニック」とグループ企業名を変更させてグループ全体のイメージチェンジをしたり、海外の工場の売却と人員整理を私一人で決めたので、「100億円で吉岡学と契約したい」とか、「松下グループの全ての取締役会」に呼び出されて全員一致で「代表取締役社長の満場一致の承認」も頂きましたが、あっさり断りました。

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男が一度、惚れた男(中内功社長)の会社に自分から入った私なので、どんなに上司がバカでいい加減な上司であってもできることは最後までやり尽くしますのでありがたくお断りさせていただきます!!

と全員の前で宣言したので、取締役全員があっけに取られた隙に会場を出て行きました。

自分が惚れた人間には最後までついていくのが、「一兵卒の役目」だと戦争に二度行って生き残った祖父の教えがあるからです。

 

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「企業と人は一心同体が私の持論」だったので、松下幸之助社長と65歳の歳の差を超えた熱い信頼関係を築けたのもお互いに自分の利益以上に、「日本の戦後の復興」を真剣に考えていた人だからこそ、ご家族や筆頭番頭にも会わせて頂き食事をしたほど仲良しになりました。

そんな「松下幸之助社社長の紹介」で社長会にやってきて日本銀行の三重野泰総裁も私より35歳も年上なので気を遣いましたが、すぐに私のアドバイスの速さと的確さに驚き、全てのアドバイスを録音して保管していたので、途中で相談に来た「テレビ東京」の「ガイヤの夜明け」と「カンブリア宮殿」のディレクター二人私が直接、会えない起業家たちへのアドバイスになればと思い、無償で「録音データと名刺」を全て渡して番組にしてもらいました。

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こんな流れがあったので、毎週、三井、住友、三菱の頭取と、日銀総裁の三重野泰さんが札幌まで来て「社長会」に出てくれましたが、私は「経営コンサルタント」の勉強などしたことはありませんが、従業員の家族の顔と、従業員のお友達の顔や性格までわかるので「最終判断をするべき社長」が迷っている時は最も厳しく言いますが、私の言うとおりにやった企業は全て生き残りましたし、最低限のリストラの人数まで減らしたし、自主退職する人たちには規定の退職金以上の上乗せをして自主退職を勧めたので再雇用をしやすくしてあげました。

そうするためには、日本全国の大企業にお金を貸している「都銀や地銀のトップ」に合う必要があったので、全員に札幌まで来てもらい、1企業ごとに不良債権の中身の企業の洗い出しをして、「ホワイト債権、グレー債権、ブラック債権」と三つに債権を分けて順番に処理方法を決めてから、1社15分位内で2時間で8社の不良債権処理を毎週しました。

日本銀行の三重野泰総裁に「私の処理基準を参考にしたい」と言われたほど「不良債権処理」については銀行家以上に詳しくなり、都銀や地銀の頭取が隠していた「裏帳簿」も全て見たので、最終的に今の「都銀の合併・統合・精算・整理」も全て私一人で決めることになり、責任重大でした。

 

新しい都銀の頭取たちに決めたルールは、一人づつが判断すると同じ間違いを犯すので、「都銀の頭取だけの交流会」を極秘で行い、次の頭取に引き継ぐことを約束させました。

ポイントは、「外資」に日本の銀行が喰われないようにするために年間取扱高と顧客の預金資産、そしてヤクザや大口の裏口座の金額を全て見て判断したので、都銀の頭取たちは誰も私に文句を言う人はいないからこそ、今日まで「都銀」は続いてきたのです。

さらに、私は1989年から「国の全ての省庁の官僚たちの仕事を無償で手伝っていた」ので、「経済産業省のマルサの課長」とも仲良しだったので、違法にならないギリギリで不良債権処理をして日本のバブル崩壊にブレーキをかけて「デフレ」に持ち込みました。

バカな経済評論家はごちゃごちゃいいますが、「デフレ」を長く続けさせた理由は、「バブルをもう一度!」とか思うバカな国民の頭を冷やす目的と、ヤクザが経営していた「サラ金」にお金を融資していた「全ての悪徳銀行家たち」の首を絞めるために、あえて「デフレ」を長引かせながら、バブルで作った「架空経済」を「実態経済」に近づけることが目的でした。

 

縮小した日本経済の牽引役は誰?

1990年代は「自動車産業」が日本経済の主力経済だったので、「日本とアメリカの貿易摩擦」を問題にしていたアメリカの対抗馬として「社長会」に来ていた優秀な若者の「畑中 恵三さん」を動かして、アメリカのデトロイトにあったゼネラル・モーターズ(GM)と、フォード(FORD)と、クライスラー (CHRYSLER)の買収劇に揺さぶりをかけて、「これから世界は低コスト・低燃費が売りになるのでアメリカの車は売れなくなります」とぶちまけさせて、「日本のTOYOTA」がアメリカに出やすい環境を作りました。

日本の自動車メーカーがアメリカで製造販売をするためにはたくさんの各省庁の許認可が必要だし時間もかかると知り合いの官僚に言われたので、「既成事実」を作る必要があったので、日本で作った「TOYOTA自動車の新車」をアメリカの中古販売店に並べてたくさん安く売りまくり、次に、「どこのメーカーの自動車も直します」とうたい文句を横断幕で下げた修理工場を作りました。

最後に、アメリカの友人の「ジョン・ボルトン大統領補佐官」にお願いして、「日本のTOYOTA自動車を買いたい」と言っているアメリカ人が増えたことを理由に、「TOYOTAの新車を製造できる工場」を作らせたので、立派にアメリカに日本車の素晴らしさを認知させた結果、アメリカの低所得者たちの愛用車が「TOYOTA」になるまで「国の補助金」をつけてあげたので、T OYOTAの豊田達郎社長はとても喜んでくれました。現在は、

アメリカ仕様で作った「レクサス」が大人気で歌手のビヨンセも買って乗っています。

 

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バブル崩壊を食い止めるためには、日本国内の政治も経済も大混乱だったので、政治家の切込み隊長は「小泉純一郎」と決めて、サイドガードに「小泉首相の金庫番」と呼ばれた「竹中平蔵さん」を「経済財政政策担当大臣とIT担当大臣」にして「表舞台の踊り子」になってもらい、裏では「社長会たちの不良債権」の切り売りをして日本経済を立て直しをしました。

竹中平蔵さんは「やりたくない、本当にやりたくないです」と何度も泣きながら断ろうとしましたが最後は、「本気で日本の未来を考えて行動している吉岡さんの頼みだからやります」と、イヤイヤながらも「経済財政政策担当大臣とIT担当大臣」を引き受けて下さり、綺麗に「汚れ仕事」をして国民の不満を吐きださせてくれて、ご本人がやりたかった「慶應義塾大学名誉教授」になれました。

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最初に竹中平蔵さんにお会いした時に、彼の「経済政策理論」を論破したあとだったので、「新しい日本の舵取り」を政治家を動かして裏で支えていたのは私ですし、小泉純一郎首相の「スピーチ原稿」を書いたのも私ですが、そんなことは誰も知りません。

だって、私が動かなくても知り合いの官僚を通して自宅にFAXを送り、国会やテレビで話す言葉をチェックして電話でアドバイしていただけですから・・・。

 

小泉純一郎さんが首相なる前は、森派閥を抜ける為には郵政民営化を何としてもやり遂げて、「郵政のぶら下がり議員」たちが郵貯銀行の運用益から抜いている多額の賄賂を何とか消したいと本気で言ったので、タイミングを狙って小泉純一郎首相が殺されない程度に「森喜朗首相の派閥」を切り崩し、裏から手を回して「郵政民営化」も実現させてあげました。

 

そんな私が皆さんに「まもなくバブルがくるので自分の大切なお金を「外資」で回す「株やFXやNISAやビットコインや先物取引」には手を出さないように」と全国で伝えましたが、小金持ちほどお金を増やそうとするのでやめた方がいいですよ!

 

界経済を自由に思うがまま動かせる「魔物のマーゴおばちゃん」が相手なので、「株に素人の皆さん」が勝てる相手ではないし、私が世界の経済界で「マーゴと知り合い」と言うだけで世界のどんなことでもできる立場になっていたので、上手にマーゴの邪魔をして日本の経済危機を何度も食い止める対策はしましたが、あとは「自己責任」です。

 

「2024年はもうバブルの入り口」に立っているので、皆さんもお金の勉強をして下さい。

 

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変な噂が流れているので言っておきますが、2024年に出る「新紙幣」は旧紙幣と交換しなくても全く問題ありません。

日本銀行の三重野泰総裁は、「100年前の紙幣でも日本銀行が発行したものはいつでも同額で交換しますので安心して下さい」と教えてくれました。

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バブルの起こし方とバブルを止める方法>

まず、「不動産の値上げ」がバブルのキッカケを作ります。

金融庁から各銀行の頭取に国の指導が入り、「貸出経済を活発化せよ」と指示が出ます。

当然、銀行は国民の金を貯金で預かっているので従うしかありませんので、「新しい金融資産商品(NISAなど)」を乱発します。

同時に、国は「土地の売買活性化」、「株価高騰」、「為替誘導」、「金利上昇」に持っていく指示を出しますので「円高円安」と株主と大企業を刺激しながら、「個人情報流出」を促進させて「高額納税者のターゲット調査」を行い、「窃盗、事故、怪我、退職金、遺族年金、親御兄弟の相続贈与、預金高調査」をニュースで流して「国民心理」を不安にさせて、「外資」に誘導させようとします。

 

この目的は日本銀行に「公定歩合誘導」と「日本国債の株価変更」をさせるためですが、日本銀行は話は聞いてもやるかどうかは「日銀総裁次第」ですので大丈夫です。

 

30年前に私と三重野泰総裁とで「次のバブルを食い止める策」を作って、「日銀総裁の引き継ぎ書」に入れたので安心して下さい。防衛省と違って絶対に「日銀総裁は引き継ぎ書を読まないといけないルール」があるそうです。

だから、植田和男(うえだかずお)総裁は、きっと上手に情報を流して日本経済の誘導をしてくれるでしょう。

 

「次のバブルを食い止める策」の書類には、三重野泰総裁のサインと印鑑のあとに、私の名前と印鑑を押して、「頑張って下さい」と書いたので日本経済は植田和男総裁に任せてあげて下さい。植田和男総裁は、三重野泰総裁が育てた秘蔵っ子ですので、必ず、やり遂げてくれるはずです。

もう、「皆さんの小金の心配」などどうでも良い時期になっているし、「日本国が取られるかどうかのマーゴとの戦い」なので、真面目に働いて「日本の銀行」に貯金をして食べ物を備蓄して下さい。

 

マーゴが仕掛ける「経済攻撃」は、「バブルの底が抜けると終わり」ですので、どんなことがあっても「経済の底」を抜かしてはいけません。

 

「経済の底」とは、皆さんが持っている円の預貯金額を外資(外国債権)にさせることと、「タンス預金」を表に出して金を見える化させることです。

同時に「軍事攻撃」で「ふいをつく行動」をしますので、「軍事協定の乱発」、「核拡散防止条約の見直し」、「核保有国から攻撃においてのみ使用許可に変更」し、「政治攻撃」としては「だまし交渉の乱発」、「友好同盟、和平条約の乱発」、「外資との企業合併」、「海外の株取引急増」、特に、「アメリカ、イギリスとの提携多発」するはずです。

もう、多くの企業が外資からのお誘いを受けている情報がどんどん入ってきているので、ご注意下さい。

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マーゴに会うずっと前の20代の頃に、「誰が日本のバブルを引き起こしてるか霊視した結果」、「男が二人」と「もう一人の女」の顔が見えましたが、日本人みたいな顔していたので「マーゴ本人」に会って驚きました。

残りの男二人は、イングランド銀行の頭取と、モルガン・スタンレー銀行の頭取です。

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マーゴは、世界の隠し口座と呼ばれる「スイス銀行頭取」や世界のブラックマネーを洗浄する「香港上海銀行頭取」「アメリカのFRBの総裁」ともお友達ですので、必ず、2024年のオリンピックで舞い上がっている馬鹿者たちのお金を一気に飛ばして日本人を借金地獄に落としますのでご注意下さい。

 

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マーゴがある時、こんなことを私に聞きました。

マーゴ)ねえ、吉岡学さん、1990年代の日本のバブルを誰が止めたのか知ってる?日銀総裁だと思って調べたけど、日銀総裁の後ろで手綱を握っている人がいるみたいなの。ねえ、本当に知らないの?噂では、日本の吉岡一門の最後の頭領の吉岡学さんだと言う人もいたけど、あれはデマよね?

 

吉岡)誰がそんなデマを言ったんですか?日本のバブル崩壊を止めるなんて私ができるわけないでしょ!だって、あの当時、私は「スーパーのダイエーのサラリーマン」ですもの、何を馬鹿なこと言ってるんですか?ボケたんですか?マーゴも年だなあ。

と答えておきました。

 

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1990年代にバブル崩壊のブレーキをかけた方法

1、銀行と一部上場企業と二部の上場企業に「マルサの調査」を予定通告調査して、各企業の在職期間の脱税金額の3倍を回収

2、アメリカFRBとは「逆の金利誘導」

3、外資企業本体からの高額税収を徴収

4、個人の預金金利アップと公定歩合の引き下げにより、実質経済の安定化

5、個人の「長期借入分」を短期返済できる他の借入先に誘導し、「国債」を担保

6、日本銀行は、日本人だけ国債を買えば、120%の国債になる通告を各銀行に通達

7、翌年の賃金闘争の大幅値下げと、経団連の赤字予測を先に通達して企業の内部資金を保護

8、新規の「生活保護者認定」を1年間保留

9、長期借入金の返済ができない不良債権を1年間、処理しないことで外国に売却禁止

10、「企業の年間解雇人数」を1年間ストップ

11、日銀、都銀、財閥、上場企業、マルサ、財務省、外務省、総理大臣、天皇に通告して行なった対策を認知してもらいます。

 

 

バブル崩壊の最後の大手術

国が作った倒産会社の不良債権を処理するための「日本長期信用銀行」の初代頭取は大蔵省出身の「原邦道」だったが、「国のお金をっ全部使い果たしてしまいもう自分ではどうにならない」と泣きの電話が入った。

国のお金という意味は日本銀行の資産(吉岡一門資産」を勝手に使ってマイナスにしたので、「日本長期信用銀行」のマイナスを返すために、「ダイエーのマイナス債権」を「プラス債権」に変更して資金を集めた。

私が作った「ダイエー物流センター」は無限に収益を生み出す仕組みにしたので、「多額の資産価値があると海外にも評価」されたので、「イオン」にレンタルリース料を払わせて使用できるようにした。

毎年、ダイエーも売上もないと「トンネル会社」だと思われてまずいので、毎年数店舗だけ出店して銀行に返す売上を作ることで既成事実を作った。

ダイエーの不採算店舗は、マルサが細かく判断し、「イオン」にリースバックして収益をえる仕組みにした。

もともとあった「イオンの負債」と「ダイエーの負債」を合わせて、「違う債権」として銀行に貸出したので、銀行は新しい債権価値を得たので収益も安泰した。

「都銀全てが持っていた大きな負債」も「マルサの課長」に調査させて、「都銀が隠していた裏金を現金」でマルサに渡す代わりに「銀行を潰さない約束手形」を書かせて全ての不良債権企業と銀行の統合合併を成功させた。

 

さらに、「ダイエー物流センター」と「ダイエー商品部」を欲しがっていた「イオンと西友」に貸出してリース料を払わせ、「収益が出ていた店舗」の社名は「イオン」にして、「リースバック契約」をした。

「流通業の全ての借入金(除く生協)」も統合して、「別会社」を作り、その会社から支払う方法をが吉岡学が編み出したので、ダイエーという会社は今も存在できています。

 

(2024年の重要ポイント)

1、全ての「人情」を捨てて自分の大事なお金と家族を守ること

2、企業と個人の生き残り合戦なので、お金がないなら働け!!

3、「親の金」を当てにするな!

4、「ボーナス払い」は禁止!「夏冬ボーナス2回払い」は必ず、財産を失います!

5、「家の売却」は今が潮時!早く売って「現金」にして、北海道に移住することです!

 

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