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奇跡のピアニスト「フジコ・ヘミングさん」にドイツの自宅に泊めてもらいました。

 
世界の支配者マーゴと一緒にドイツへ一緒に行った時、マーゴと同じ年でお友達の「フジコ・ヘミングさん」のコンサートへ連れて行ってくれた時の体験談を公開します。
 
フジコ・ヘミングさんが弾くピアノの音はとても繊細な音を奏でるのでコンサートのあとご本人に「感動しました」と話すと、「どの曲が感動したの?」と聞かれたので、一番最初に弾いてくれた「ラ・カンパネラ」でやられましたと伝えました。
 
「湖に浮かぶ水鳥」が、澄まして水の上をスイスイ移動しているのに、実は足元はバタバタしている様子が思い浮かぶ音だったし、とても繊細で魂に響く音だったので、コンサート中はずっと目をつむり聞いていましたが、いろんな風景が見えたので気持ちいい時間でした。
 
 

 
F・H)そんな表現をしてくれる人は誰もいなかったし、そんなに繊細な感覚を持っているあなたは本当に日本人なの?
 
 
 
私の本当の父親は、歌手のエンヤのおじさんの「ケルト人の酋長の血」が入っています。
 
 
ケルト島の最後の先住民の酋長が「自分の先祖ルーツを遡る旅」に出て、私が生まれた北海道芦別市常磐町までやってきて私の母と交わった結果、「米農家の次男」に生まれたのが私です。
 
 
私の母は私が妊娠している時から真冬に冷たい水風呂に入って流産させようとしたり、いろんな薬や下剤を飲んだそうですが、何をしても死なない私は自然分娩で生まれてしまいました。
 
 
生まれた時から「過去の魂記憶」を持つ赤ちゃんだったので、生後100日で自分で立ち上がり歩く赤ちゃんだし、自分で大人の会話を聞いて言葉を話す子供でした。
 
 
毎日、母親が私を殺そうとしましたし、父が日本刀で私を切ろうとしても硬い刀が折れるし、大きな石で頭を潰そうとしても石が割れたので、父は殺すことを諦めたのに、母は高校を出る最後の最後まで私を殺そうといろんな毒を飲ませてくれました。
 
 
だから私は、0歳から3歳までの自分で山まで歩いていき、「冬眠している熊の穴」に入り込んで、熊のお母さんのおっぱいで育った子供だし、夏でも冬でもいつも山に隠れて過ごす生活でした。
 
 
 
子供頃から普通に動物や精霊達と一緒に暮らしていたので、「見えないはずの魂」が見えたり「動物達と普通に会話」できた子供だったので、自然界の全ても木々や鳥の囀りの会話もわかるし、全ての音の中にある「メッセージ」が聞こえて意味がわかる人間です。
 
 
 
3歳になると、日本の武士の最後の生き残りとして父から「日本刀の修行」をしたので強くなり、12歳で「武士の吉岡一門の南朝の頭領」になったので、たくさん子供の頃から私を殺そうとする敵を切り殺していた男です。
 
 
 
F・H)じゃあ、普段は「剣術の指導」で食べているの?
 
 
 
私)いえ、若い頃はスーパーのダイエーの店員をしながら、「防衛省の仕事」と「官僚の仕事」を無償でしていましたし、今は、「スピ系の仕事」で何とかご飯を食べています。
 
 
 
F・H)面白い経歴を持っている日本人ハーフね。気に行ったので、ドイツの私の自宅にいらっしゃい。ゆっくり、お酒でも飲みながらもっといろんな話を聞かせてちょうだい。
 
 
そう言うと、「ドイツのご自宅」に連れて行ってくれて、私も大好きな猫と一緒にお酒を飲みながら楽しい時間を過ごしました。
 
 
 
フジコさんは、私一人のために「ベートーベンの第9」や「モーツアルト」のいろんな曲を弾いてくれたあと、「私もお酒を飲みたいのでピアノはもうやめるわね」と言って「お酒のつまみ」を自分で調理してくれたので、その間、ピアノを弾く許可をもらい、即興で思いつくイメージを音にして弾いてました。
 
 
すると、料理の手を止めて私の音に真剣に聞いていたフジコさんに「どこかでピアノは習ったの?」と聞かれたので、こう答えました。
 
 
私)子供の頃からピアノの音は好きでしたが家にピアノはないので、小学校の時に「猫ふんじゃった」を同級生に教えてもらい、そのあと時々、隠れて学校の音楽室で「ピアノの即興」を弾いて楽しんでいました。
 
 
フジコさんと一緒に手料理を食べながら、ほろ酔い加減で超感覚のまま自由に鍵盤を叩き音を奏でると、フジコさんが泣き出して、「あなた相当、辛い思いを抱えている人なのね」と言われたので、誰にも言っていない生まれてすぐから今まで経験してきた「人間を信じられなくなる経験」の全てを話してしまいました。
 
 
 
偶然、日本にいる弟さんの「大月ウルフさん」もドイツに来ていたので、フジコさんが家に呼んでくれて一緒にお酒を飲みいろんな体験談を聞きましたが、大月ウルフさんも父親から相当厳しく育てられそうでいろんな話を教えてくれました。
 
 
 
大月さん)「良い種の雄(おす)」と書いて「よしお」と呼ばせる父だし、自分が稼いだ金で育ててやったのにどうしてそんな売れない役者になったのかとよく怒られたまま父親は死んだのさ。だから、俺も親父は嫌なんだ。
 
 
 
と言うので、私の兄も父親が大嫌いだったので、長男は父親の期待が大きすぎるので大変ですよね。
 
でも、私は次男だし、父は日本刀の訓練をしてくれた「師匠」なので尊敬しています。
 
母親には恨みしかないですが、表面は上手につくろう女だし、「女の浅はかさ」をそのまま女にしたような自分勝手な人間なので「人としてはあきらめています」が、マーゴと一緒の昭和8年生まれの酉年なのでうるさくてたまりませんよ。
 
 
あ!すいません!フジコさんも同じ年に生まれた人でしたね、すいません。
 
 
日本の漫画の「ルパン三世」に出てくる美人でボンキュッパの「峰フジ子」のイメージとはだいぶ違いますが、「私はフジコさんのピアノの音が好きなので許して下さい」と、本音で3人で語り大笑いした楽しい時間でした。
 
 
 
 
(生成AI)フジコ・ヘミングさんのドイツの自宅は、ベルリンにあります。
 
彼女はスウェーデン人建築家の父と日本人ピアニストの母のもと、ベルリンで生まれました。
 
幼少期を東京で過ごした後、東京芸術大学を卒業し、ドイツに留学して欧州各地で演奏活動を続けました。
 
より具体的に言えば、彼女の母の父親は、明治時代に印刷用のインキを発明し、財を成した人物でした。
 

フジコ・ヘミングさん自身は、スウェーデン国籍です。

 
彼女は、サンタモニカ、パリ、東京にも家があり、愛するペットに囲まれながら音楽活動を続けていました。
 

2024年に亡くなるまで、世界各地で演奏活動を続けました。

 
要約すると、フジコ・ヘミングさんは、ベルリンで生まれ育ち、ドイツに留学して欧州で演奏活動を続け、後に日本にも移住しました。
 
彼女の活動拠点は、ベルリン、サンタモニカ、パリ、東京など多岐にわたります。
 

 

翌朝、フジコさんは朝食を作ってくれて、ねえ、私の弟の大月良雄に私の遺産をあげようと思って話した時に、「俺は芸術家なのでそんな金はいらない」と言われたので、仕方なく、フジ子・ヘミングさんの世界の家と遺産と全ての楽譜を私が譲り受ける書類にサインしました。

フジコ・ヘミングさんは、2024年4月21日に(92歳)で亡くなったので、もし、関係者が私の連絡先を探している場合は、私のスタッフまで連絡下さい。

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