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パナソニックグループの経営再編中!

まずは、こちらをお読み下さい。

松下幸之助社長にグループ企業の再編をアドバイス!

松下幸之助社長にグループ企業の再編をアドバイス!

 
 
パナソニックグループの経営状態は、大規模な「黒字リストラ」による構造改革の真っただ中です。
 
2026年3月期の連結決算は売上高8兆487億円、純利益1895億円となり、構造改革費用(約1574億円)の計上により減収減益(純利益は前期比約48%減)でした。 
 
しかし、オートモーティブ(車載電池・部品など)の非連結化影響を除けば実質的には増収増益を達成しています。具体的な経営状態のポイントは以下の通りです。 
 
  • 業績指標: 売上高は8兆4,087億円(前年比4.8%減)、営業利益は2,364億円(前年比44.6%減)。
  • 構造改革の断行: 早期退職を含め国内外で約1万2,000人の人員削減を実施し、強靭な収益構造への転換を図っています。
  • 成長事業の躍進: データセンター向け蓄電システムなど「AIインフラ関連事業」の販売が大幅に伸長しています。
  • 次期の見通し: 構造改革費用の一巡により、次期(2027年3月期)は純利益が前期比2.2倍の4,200億円水準に回復する見通しです。
詳細な決算資料や今後の成長戦略については、パナソニックグループ 決算・IR情報 で確認できます。
 
 
 
 
 

 

 

パナソニックが示す成長阻害の4つの「病」

パナソニックの売上高は約四半世紀もの間、停滞を続けている。そもそもなぜ長期にわたって停滞しているのか。歴史をひもとくと、成長阻害の4つの病があった。

売上高はこの25年間ほとんど伸びず、損益は乱高下した
●パナソニックの約30年間の業績推移

 
 
1990年代のパナソニックグループ(旧・松下電器産業)は、多角化しすぎた組織の効率化を図るため、バブル崩壊後の収益低下に対応する統廃合や事業整理を進めました。
 
主な動きとして、不採算部門の整理や貿易会社の吸収合併が挙げられます。 
 
1990年代に行われた主なグループ統廃合の動きは以下の通りです。
 
  • 1988年(平成元年を挟む時期): 海外事業の強化・合理化の一環として、松下電器貿易株式会社を本体に合併し、国際部門を再編。 [1]
  • 1990年代半ば以降: バブル期の投資による業績低迷を背景に、事業部制による社内の重複投資や非効率の解消に着手。各事業部のスリム化と統廃合を模索しました。
  • MCA社の買収(1990年): 1990年11月に米国のエンターテインメント企業MCA社を買収し、ソフトとハードの融合を目指しましたが、後の2000年代の経営改革において最終的に売却されました。 
※1990年代の組織整理は、2000年代に就任した中村邦夫社長による「破壊と創造(事業部制の事実上の廃止と主要5社の完全子会社化)」の構造改革、およびその後の社名・ブランドの「パナソニック」への統一へとつながっていきます。 
 
 
  • 特定の事業領域(AV家電、白物家電、半導体など)における統廃合の歴史
  • 2000年代の中村改革(事業部制の廃止や主要5社の完全子会社化)に関する詳細
  • 社名およびブランド統一(ナショナルからパナソニックへの移行など)の経緯
 
 
 
  • 沿革 – パナソニック ホールディングス

    1988年4月. 松下電器貿易(株)を合併 ; 1989年4月. 創業者 松下幸之助 逝去 

  • 1990年(平成2年) – 社史 – パナソニック ホールディングス

    パナソニックは、1990年11月にアメリカの総合エンターテインメント企業であるMCA社をグループに迎え入れました。

  • パナソニックが示す成長阻害の4つの「病」 – 日経ビジネス

    00年6月に社長に就任した中村邦夫氏による中村改革。「破壊と創造」を掲げ、創業者、松下幸之助氏以来の事業部制を廃止。

 
 
 
子会社と工場の統廃合
 
 
1990年代のパナソニックグループ(旧・松下電器産業)における子会社と工場の統廃合は、バブル崩壊後の業績低迷への対応と、創業者以来の「分社・独立経営」から生じた二重投資の解消を目的に行われました。 
 
1990年代当時の森下洋一社長時代に土台が作られ、2000年就任の中村邦夫社長による「破壊と創造」と呼ばれる大規模改革へと引き継がれました。主な動きは以下の通りです。 
 
 
1. 主要子会社の集約と完全子会社化への布石
 
1990年代は、それまで独立性の高かった大手子会社の資本関係の見直しが進められました。
 
  • 松下電子工業の完全子会社化(1993年)

    オランダ・フィリップス社との合弁会社だった松下電子工業(半導体・ブラウン管製造)の合弁契約を解消し、株式を買い取って完全子会社化しました。これにより、グループ内での最重要部品(半導体など)の内製・統制が強化されました。
  • 松下住設機器の本体合併(1995年)

    住宅設備を担っていた松下住設機器株式会社を松下電器産業本体に吸収合併し、事業の効率化を図りました。
  • 松下冷機の上場廃止・完全子会社化(2000年)

    冷蔵庫などを製造していた松下冷機を株式交換により完全子会社化しました。
 
2. 国内外工場の統廃合と生産集約
バブル期の過剰投資の反省から、1990年代半ば以降、国内外の工場拠点の再編が始まりました。 
 
  • 国内工場の重複解消と再配置

    本体の事業部と子会社(九州松下電器や松下通信工業など)が、例えばデジタルカメラなどで別々に類似製品を開発・製造するような「社内重複」が深刻化していました。1990年代後半からは、これらの開発・製造拠点を同一事業領域へ集約する調整が始まりました。
  • 海外製造拠点の見直し

    円高対策として急拡大させたアジアを中心とする海外子会社・製造工場について、収益性の低い拠点の閉鎖や、近隣の大型拠点への生産集約(統廃合)が議論・実施され始めました。
 

 
💡 1990年代の統廃合がもたらした影響(2000年代の「大手術」へ)
 
1990年代の緩やかな統廃合ではバブル崩壊後の業績低迷を完全には食い止められず、2000年代初頭の本格的な構造改革へとつながります。 
 
  • 2001年〜2002年の「創生21」計画

    2001年には松下電子工業を本体へ吸収合併し、2002年には「聖域」とされていた主要上場子会社5社(松下通信工業、九州松下電器、松下精工、松下寿電子工業、松下電送システム)を株式交換により一斉に完全子会社化しました。
  •  
  • 国内工場の本格閉鎖と人員削減

    この時期に事業重複が完全に撤廃(14ドメインへ再編)されたことで、開発・製造が一元化され、国内工場の閉鎖と約1万3,000人規模の大規模な早期退職(リストラ)へと発展しました。
 
 
  • 統廃合の対象となった特定の子会社(九州松下や松下通信など)のその後の歩み
  • 1990年代に合弁解消した松下電子工業(半導体・ディスプレイ事業)の変遷
  • 2000年代初頭に断行された工場閉鎖や1万人超のリストラの具体的な内訳
 
 
  • パナソニックの組織変革と財務への影響

    一方,海外の連結子会社のうち,製造子会社約130社と傘下の工場を含め. た約170の製造拠点を対象に統廃合を検討している。

  • 松下電器産業(株)『松下電器変革の三十年 : 1978-2007 …

    2―円高の克服とグローバル経営体制の構築, 〔1-〕142. 円高で全社あげて緊急経営対策を実施。

  • パナソニック ホールディングス【6752】のストーリー・沿革

    1988年4月. 松下電器貿易㈱を合併. 1989年4月. 創業者 松下幸之助 逝去. 1990年12月. 米国の大手エ…

  • 「松下の半導体」が歩んだ60年を振り返る(最終回) – PC Watch

    2020/08/19 — 第2回では、1993年に松下電子工業が松下電器の完全子会社となり、2001年に松下電器に吸収されたこと。

     

 

「パナソニック製品だけ値下げ禁止」と日本中の家電は売店に通達

パナソニック製品が値下げしない最大の理由は、メーカーが主体となって販売価格を統一する「指定価格制度」を導入しているためです。

過度な価格競争による製品の価値低下やブランドの毀損(きそん)を防ぎ、開発費や高品質なサービスを維持する目的があります。 

指定価格制度の主な仕組みと背景は以下の通りです。

指定価格制度の仕組みと特徴

  • 価格の全国統一: メーカーが販売価格を決定し、家電量販店などの小売店は値引きをして販売できません。どこで購入しても基本的に同じ価格になります。 
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  • 在庫リスクの負担: 通常、小売店が背負う「在庫リスク」をメーカー側が負担する仕組みにすることで、独占禁止法に抵触せずにメーカーが価格を指定することが可能になっています。
  •  
  • 対象商品: 主にフラッグシップモデル(上位機種)や、高い技術が詰まった付加価値の高い製品(ドラム式洗濯機、オーブンレンジ、ヘアードライヤーなど)が対象です。 

なぜこの制度を導入したのか

  • 安売り競争からの脱却: 以前は店舗間で激しい値引き合戦が行われ、製品の「本来の価値」よりも「安さ」が重視されていました。これにより利益率が低下し、新たな機能開発への投資が難しくなる悪循環に陥っていた背景があります。 

••ブランド価値とサービスの維持: 値段を固定することで、販売員は価格交渉ではなく「商品の詳しい機能」や「生活に合わせた使い方」を丁寧に説明することに集中できます。これにより、顧客満足度の向上と長期的なブランド価値の維持を目指しています。

 

 

私が日本中の家電販売店とメーカーに出した業務命令

同じメーカーの製品を扱う家電販売店が「安売り競争」だけ走ると必ず倒産するので、「お金を貸す条件」として以下の対策を決めました。

 

1、「ヤマダ電機を家電販売のトップ」にして全ての在庫センターにすること。「物流コストの削減」と「在庫データの瞬時把握」による販売ロス(チャンスロス)の削減

 

2、各社ごとの「ポイント制制度」を義務付け、「各社の販売メリット」を明確に打ち出すことで、余計な値引きをしなくてよい経営に変更

 

3、無駄な人員削減と配置転換による「収益改善」、残った利益を「新店舗投資資金」に回すこと

 

4、「ネットで購入」する比率が増えるのは当然なので、お店は現物を見て触れるメリット訴求のため「徹底的な商品の品揃えメリット」と販売のプロにする教育を家電メーカーに義務付ける

 

5、家電メーカーや販売会社が経営悪化になった場合、海外の企業に乗っ取られる前に日本企業がお互いの店を買うことを条件とする

 

 

AI)ヤマダ電機(ヤマダデンキ)が実質的にメーカーや量販店業界の「在庫保管場所(倉庫代わり)」のようになっている理由は、強大な販売力を背景にしたメーカーとの取引契約と、圧倒的な店舗網(敷地面積)の広さにあります。

主に以下のようなビジネスモデルと物流上の仕組みが関係しています。

 

1. 売れ残りリスクをメーカーに負担させる契約(返品・補償制度)

  • 在庫の価値低下を補償: ヤマダ電機は、売れ残った在庫の価値が下がった際、その損失(値下げ分など)をメーカー側が補償・負担するような強い取引契約を結んでいるケースが多いとされています。 [1]
  • 実質的な「委託販売」状態: 店頭に大量の在庫を並べていても、売れなければヤマダ側の大きな赤字にならない仕組みになっているため、メーカーが自社の倉庫ではなく「ヤマダの店頭や倉庫」に在庫を先送りして保管させているような状態が生まれます。

2. 圧倒的な店舗数と巨大なバックヤード(倉庫機能)

  • 「店舗=倉庫」の利便性: ヤマダ電機は全国の主要都市や郊外に大型店舗を多数展開しています。各店舗には広い売り場だけでなく巨大なバックヤード(倉庫スペース)が備わっています。 [1]
  • メーカー側の物流メリット: メーカーからすると、自社で高い保管料を払って物流倉庫を維持するよりも、日本全国に網羅されているヤマダの拠点に商品を納品(保管)してしまった方が、出荷の手間や物流コストを抑えられます。

3. 「家電製販」による物流の共同化

  • 業界全体の効率化: 家電量販店やメーカーは、物流の人手不足(2024年問題など)に対応するため、共同で倉庫を運営したり、在庫管理を一元化したりする仕組みを強化しています。これにより、ヤマダの物流ネットワークが業界全体の在庫の「ハブ(中継・保管場所)」として機能しやすくなっています。[1]

4. まとめ買いによる大量仕入れ(ボリュームディスカウント)

  • 仕入れ規模の大きさ: 業界最大手であるため、一度に大量の製品をメーカーから買い付けます。メーカー側もまとめて引き取ってもらえるため、自社の倉庫を空けるためにヤマダへ前倒しで大量の商品を送り込む結果となり、ヤマダ側が在庫をストックする場所になります。 

 

私はどんなことがあっても日本を代表するパナソニックグループを存続させる覚悟で「家電業界の経営」をサポートしています。

日本の電気通信産業の牽引車として頑張ってくれた松下幸之助さんは、兵庫県西宮市に建てられた和風建築「光雲荘」に私を招待してくれて、「奥様の松下むめのさん」の手料理を食べさせてくれたし、奥様と二人で幸之助さんの悪口を言いながらお酒を飲んだほど親しいお付き合いをさせてもらいました。

あまりにも料理が美味しかったので、「これはプロの料理人が作った味ですね。でも奥様の愛情が伝わってきたので十分、ありがたく頂きます。」と伝えると、大笑いしながらお酒を飲み交わしました。

 

仕事が終わった松下幸之助の娘は長女の幸子(さちこ)さんもやってきて大さらに大宴会になりました。

松下幸之助さんは亡くなる最後の最後まで病院のベットの上から電話をくれて、「おい!吉岡!俺の松下一族の財産の金も家も女もやるので社長になってくれ!」と電話が来たのでこう言いました。

 

幸之助さん、やはりボツボツ脳みそがボケ始めたようなので、わけのわからない言葉を口にしたようですが、いいですか・・・

幸之助さんが囲った女全員にお金を持っていったのは私なので、全員の顔も体も知っていますが、「私が欲しい女」は一人もいませんでした。

それに松下グループの資産も家も魅力ですが、私が父親から引き継いだ「吉岡一門資産」から比べると、「スズメの涙」にもならないくらい少ないので、どうぞ、ご家族に大事に残してあげて下さい。

 

幸之助さんが天国に行けるように今、天上界からお迎えの馬車を走らせるので、もう少しゆっくり生きて下さい。

 

日本や世界に大きな影響を与えた松下幸之助という人間が、こんな愚かな吉岡学という人間を信じてくれただけで私は十分、満足でございます。

短い時間でしたが、楽しいことしか思い浮かばないので、ボツボツ、「家族一人一人にお別れの言葉」を伝えて下さい。

 

最後の最後まで私のことを覚えていてくれてありがとうございます。

では、失礼します。

 

翌日、中内功社長から電話で来て「今、幸之助が死んだぞ!」と言われましたが、

「当時は私のクビに日本の3重スパイのキャリア官僚から6000万円の懸賞金」がかかっていたので、私が葬儀に行くと参列した人たちに迷惑がかかるので行きたいけど行けません。だから、たっぷり私の名前で香典を出しておいて下さい。」

と中内功社長に頼みました。

 

戦後の日本経済を大きく動かした経済人の松下幸之助と中内功は、「共に敵であり味方の同士」なので、月に一度は私に会いに来るほどの関係でした。

 

「人生の出会いはとても面白い」と思う反面、相手の流れに乗ると「調子をこく自分」がいるので、いつも私は「貧乏な普通の小作の次男坊」を通して生きた人間なので、ダイソーもユニクロも大好きです。

まさか、「防衛省と全ての省庁のキャリア官僚のトップ」になっているとは誰も知らないことなので、みなさんと同じように自分で仕事をして貯金をして「平民の生活」をしてきました。

 

ブランド品は見栄えはいいですが、流行りスタりが激しいし、値段が高いし、洋服ダンスがいっぱいになるので邪魔だと思う人間です。

それに「ブランド品」の洋服も靴も私に合うサイズはないので、やっとオーダーシューズと、オーダーのスーツを作れるような貯金が貯まったので、特別な時のための用意はしてあります。

「見栄で着るブランド品」、「品質と買いやすさで着る洋服」、どちらも着ている人は同じなので、「にわか金持ち」に間違われるのが嫌なので、全てもらった「世界のブランド品」は妻に捨てられたので何も残っていません。

 

「物が増えると管理が面倒」なので、「女も素直に言うことを聞く間だけ」付き合っておいて、「生意気な言葉を口した瞬間」、次の人に交代してもらいます。

いくらでも「代わりの女」はいるし、「子供」ができても自分で育てる女ばかりなので特に困ったことはありませんが、「怒った時」にどういう態度をするのかを早めに把握して、「次の準備」をしておけば大きな問題にはなりません。

 

「お金持ちだ」と女に思われるとトコトン嘘をついてでも「お金にぶら下がる女」が多いので、「気持ちと体とセックス」は別々に扱うことが重要だと思っています。

私はお金持ちではなく「資産持ち」なので、自分が稼いだお金で普段はとても質素に貯金で生きています。

 

男も女も自分が追い込まれると、人を裏切るし、嘘を尽くし、人を騙す奴もいるので、私と親しくなった「人間の全ての調査」を部下にさせておいて時期を待って処分するのが私のやり方です。

 

「人生は出会いと別れの連続」なので、どんなことが起きても「あと腐れ」がないように付き合うことがポイントです。

 

「永遠に理想の人には出会えない」ようになっているからこそ、人間は努力し、成長する動物だと思っています。

 

鬼滅の刃の原作者「吾峠呼世晴」に「私の体験談」を話した結果が大ヒット漫画になりました。

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