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  3. ◯2001年(42歳〜)解脱体験者・スピリチュアル大学校・世界神智学協会永久名誉会員・作家
  4. もともと人間に、「思考」はなかった。

もともと人間に、「思考」はなかった。

「人を問う心」・・・

今、自分は・・・?

裸で暮らせる温度まで、素直になってみる。

思考がない人間に「思考」をもらせたのが、支配者たち。

ただ感じる、ただ、受け入れる・・・。

幸せな部族の壊し方は、「平等」を教えることと、自分だけ「優位」にすること。

「裸族」にTシャツを与えた結果・・・誰もがそのTシャツを奪い合った。

化粧品、食べ物、そして、お金の「個人の欲望」を強くすることで支配できた。

つまり、「思考と我欲」のコントロールが、支配の始まり。

本能的に奪いあう動物と、本能的に分け与えあう動物がいる。

現実には無い「幸せの概念」や、「神の概念」を与えることで、支配できた。

ある幼稚園児が神様に聞いた・・・「人間はなぜ死ぬのか?」

死は、ただ受け入れるのみ。

そこに、「欲求」を強くするために、医療、薬、個人主義を導入した・・・。

本能欲は、「察知」する力。

人間支配が目的の宗教には、「聖地」がある。

メッカが聖地のキリスト教、イスラム教・・・。

ヒンドゥ教のインド・・・仏教のインド、釈迦・・・。

では、日本神道に「聖地」はあるか?

伊勢神宮は、「聖地」ではない。ただ、神様をおいた場所なだけ。

つまり、日本神道には、「聖地」はないからこそ、宗教支配はしていない。

返り咲きの「宗教支配」というものがある。

「ある」とするもの・・・「ない」とするもの。

「ある」と思うからこそ、苦しみ、「無い」と思うからこそ、手放せる。

つまり、「ある」と思わせることが、「支配」の始まりなのです。

「貧乏」を苦しみと思うか、「金持ち」を喜びと思うかが、支配するための思考の始まり。

唯一、支配できないものが、性欲、食欲、支配欲。

だから、「宗教」は、この三つを禁じることで「支配」することを考えた。

全てを許せば、全てを認めれば、「支配の呪縛」は外れる。

多くを持つものを羨む心と、嫉妬、執着させることで、庶民は支配下に入る。

「美」は他人との比較概念。

健康も、長生きも、「比較概念」で生まれた欲求・・・。

さらに、「何とかできる」と思わせる欲求を与え続けることで支配できる。

多くのものを持つ人生と、持たない人生を経験させる意味は、何か?

「比較」、これが「欲望」を作り出す重要な要素だから。

比べる、優位に立つ、相手に「勝つ心」は、誰かが欲求を与えた結果。

「戦争」は奪いあいの、極地。

奪って殺すことしか考えない人間だからこそ、「大巫女」たちは、日本に「理想の国」を作った。

定住、分かち合う、助け合う、施す、お布施。

「布施」とは「もらう者が愚か」だという意味だから、もらったら「恩返し」が定住文化の進化形態になった。

性に愛はあるか?性に善悪はあるか?

「性」だけは、支配できないからこそ、性欲をもっとも「悪いもの」にすり替えて、性欲がないものが、知的だと勝手なイメージを作り、「聖者」を作り上げた虚像崇拝が、宗教の原理。

この世は、「虚像のゲーム」。

では逆に、「実像のゲーム」を楽しみましょう。

「欲求を無くすコース」と、「欲求を満たすコース」、さあ、あなたはどちらを選ぶのか?

人間は、いづれ、全てを失うことを知っているのに、この「欲求支配」から抜け出せずにいる。

あなたは、まだ、この価値観を抜け出せない人間なのか?

あなたは、自分の子供にも、この価値観を教え続けるのか?

それは、親が子供を「支配」しているのと同じだ。

人間を創造した存在は、「欲求」は、与えなかったはず。

だから、「人間の細胞」は常に同じ形だし、同じ機能をしている。

「違い」を正しいことだと教えることで、人間はコントロールされている。

しかし、全てが「同じ」では、いけない。進化しないからだ。

コントロール、されていることに気づけるかどうか、今の自分の「欲求」の真意を見つめて欲しい。

自分の欲求を、子供たちに「洗脳」することも、やめて欲しい。

子供たちは、大人にできないことをするために生まれてきた天使。

天使を「悪魔」にした親たちは、その罪を問われることになるだろう。

親を「悪魔」だと思っている子供も、同罪だ。

全ては創造主の「創造物」だからこそ、同じものを持っているのに、違いがあるのは「教育」の違いだけなのだ。

だから、人間は死ぬまで学び続けるようにできているのだ。

学び続けることをやめた時、人は、「ボケ」て死の「準備期間」に入る。

周りにたくさん迷惑をかけてまで生きる意味は、何なのか?

それは創造主の設定ではなく、「人間の欲求」の結果なのだ。

さあ、「新しい価値観」へ移行しよう。

「死」を受け入れられる新しい生き方こそ、「生」を尊ぶ聖なる生き方なのだ。

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