1. HOME
  2. ブログ
  3. ◯【地球創生神仏心大学】真実の日本史・地球創生神事
  4. 【苫小牧市】母と子が輝くお産(2005年)

【苫小牧市】母と子が輝くお産(2005年)

 2005年11月20日、北海道の苫小牧市で、新しく立ち上げた「響き(ひびき)」という素敵な奥様たちの主催する講演会に特別ゲストで参加させていただきました。

今回の講演のメインゲストは、”自然なお産”を推奨している助産師(お産の家 吉村医院 元婦長)のスライド写真を見せながら説明してくださるお話がメインです。

私も初めて助産師さんのお話と、出産を終えたばかりのお母さんと子供のスライドを見せていただきました。そこには、言葉にならないくらいに輝いている、子供の深い瞳の輝きと、お母さんの安心した顔で一杯でした。

そして、こんな印象的な場面がありました。

○妊娠中に「無能症」と宣告されて、周りの医者・助産師から、堕胎を勧められても、あくまで自然に産むことを決意し、16時間だけの子供の命を、この世で、まっとうさせてあげたお母さんの愛の決断。

○17歳の母になる女性は、シンナーづけで、社会的にも無理と思えるこの出産を、しっかり自然分娩の準備過程から学習していき、周りのみんなに、愛と生きる勇気を与えた女性。

○妊娠中の子供に、”安心”を与えてあげられなかった母は、出産後、あまりに泣きやまない子供の姿から、その不安の原因を反省し、もう一度、子供との愛と感謝を確認した女性。自然分娩では、みなさん、素敵な経験をしています。そして、その周りのみなさん全員が、命の扱い方を一緒に、学んでいます。

 

助産師さんがもっとも、強く言われていたのは、「お産は、病気じゃないんです!」
だから、「産科」と、「婦人科」は、まったく違うので、病院だけに頼りきらないでください!出産とは、生き延びれない子供が死ぬ可能性もあることを、受け入れる覚悟が必要だと。」

私も、同感です。一人で生きられない弱い人間をどうにかしようとすると、その人間は、本当に大切な自分や周りの人さえ傷つけたり、苦しみに落としいれる危険があるからです。
動物社会では、群れの足並みについていけない弱い動物は、群れから置きざりになって、他の動物の餌になるか、餓死します。

そのおきざりになる子の母親は、当然、深く悲しみますが、その分、今、生きている他の兄弟や家族を必死で守り、早くひとり立ちできるように、その責任をまっとうします。
どの動物社会も、群れで暮らしている動物は、一番、弱いものにあわせて生活しています。(人間も同じです)

だからこそ、ある時期が来たら、一人で生きることができるかどうかを判断して、本人に、その後の決断をさせていかないと、群れ全体が、生き残ることができなくなるのです。
私がよく、「愛と、愛情は違います」という理由も、この一番大切な弱い生き物に合わせて生きているからこそ、”自立”を教えなければいけないのです。

たくさんの愛情で育てた子供を、愛に導くためには、まず、あなた自身が、愛そのものになることが必要なのです。愛には、情けがありません。

そして、愛には、甘えがありません。だから、ある一面、冷酷にも見えるところがあります。でも相手を信じて、ただ見守るその強さを持つことから、本当の愛は、始まるのです。
そして、命の大切さを学ぶということは、出産という「光」と、死という「闇」を、受け入れることでもあります。

どんなに短いこの世の命でも、亡くなったあとは、魂は、天にあがり、次の転生のための準備に入ります。それは、この世に生まれることの最初の意味が、親の魂の学びためであり、それが、さらに、強く大きな愛の学びになるからです。

だから、人間の自由裁量の領域を超えている”死”という意味は、この世でその人の魂の役目をまっとうしたことを表しています。だからこそ、今、生きていることのすべての意味を、愛に、変えていくことが、私たちの役目なのです。

私たちは、今、生きていることに感謝して、どんなに苦しいことでも、愛に転換して、より大きな光を生み出す人になることが、人間としての努めなのです。

今回の講演の最後に行った、”今後の活動に向けた座談会”の参加者は、学校の先生・市議会議員・セラピスト・現在、母の立場や、おばあちゃんの立場の方など20名ほどが集まり、熱い意見交換ができました。

そこで出たある問題定義は、今、産院の医者が激減しているということです。理由は、産科の訴訟が一番多いことと、勤務が24時間体制になるからです。

これは、社会の問題です。

子供の命を、誰の責任でまっとうするのか?誰が支え見守るのか?それは、やはり、産む母親が、ひとときも子供と離れず、その周りには、家族が見守り、すべてその家族の愛の中で、出産や死を受け入れることが、大切なことなのです。

昔々の産婆さんたちは、この現実を見守る人たちでした。そして、命の有無を、誰かのせいには、決してしませんでした。それは、天が決めていることだからです。

訴訟をするよりも、子を失った親が、もっとも学ぶべき大切なことは、命の出産には、死ととなりあわせだということを、お互いの信頼と責任の中で、まっとうすることなのです。

そういう命の大切なことを伝えていくことは、男性も、子育てを終えた方も、高齢の方でも、社会のみんなで、若い世代に伝えていくことが、これから一番大切なことなのです。
今から新しくセックスを経験する子供たちにも、今、男女の付き合いをしている人たちにも、誰かが伝えていかなければいけないことなのです。

どうぞ、みなさま、あなたがその一人として、「自然分娩という愛の形」を伝えていってください。すべての生きる命にも、亡くなる命にも、大きな愛と感謝を込めて。

 

ご案内)地球創生 神仏心大学

 

 

アーカイブ