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【防衛省】1月28日の東京湾の地震は「中国のICB M爆弾」の 可能性あり、「第三次大戦」の準備をして下さい。

2024年1月1日に起きた大地震は、「中国のICBM爆弾攻撃」だとお伝えしましたが、1月28日の東京湾の地震も、さらに日本を脅すための「中国のICBM爆弾攻撃」ですので、<第三次対戦の準備>をして下さい。

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以前のブログを読んでいない人は、こちらをまずお読み下さい。

「2024年1月1日16:10 震度7 能登半島地震は、中国のICBM爆弾です!」

https://earthtscu.jp/2024/01/02/earthquake-80/

【防衛省】2024年1月1日16:10 震度7 能登半島地震は、中国のICBM爆弾です!

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まず最初に、東京湾の最大水深は「700m」ですので、日本政府が「普通の地震だ」と思わせるために深さを80km変更した可能性があります。

もし、そうでなければ、東京湾の海の底を「中国の海底ドリル」を使ってICBM爆弾を爆発させた可能性もあるので、そうとう、ヤバイ状況になっていると考えられます。

30年前にも同じように、日本領域の200カイリ内の深い海の底を中国の海底ドリルが進んでいたのを発見し、私の指示で爆破させたことがあります。

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30年前の特別統合幕僚長の時にも同じように日本政府が勝手に「国民の不安が大きくなる可能性がある場合、経済活動が停止する可能性があるので「報道規制」を全てのマスコミにかけて、テレビ新聞マスコミに対して、「報道規制法違反」になった場合は、全ての報道権を剥奪するという書類にサインさせられていますので、国が一言言えば、どんな事実でもすぐに書き換えたり消したりするので、庶民が全ての事実を目にすることはありませんので自分で判断して行動して下さい。

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通常の地震だと判断した時、以下のような報告が上がっています。

「関東直下の新しいプレート構造の提案」

2005年5月26日幕張で開催された2005年地球惑星関連合同大会で、従来とは異なる関東直下のプレート構造を提案しました。概要は以下の通りです。詳細については講演要旨をご覧ください。

従来関東平野北縁にかけて深く沈み込んでいるとされていたフィリッピン海プレートは、実際は東京湾北縁部までしか延びていません(図1)。そのかわり、そのフィリッピン海プレートと太平洋プレートの間にもう1枚プレート(以下、ブロック)が存在します。そのブロックは約100x100km、厚さ25km、深さ30-100kmの範囲で、太平洋プレートに平行に乗った形で分布します(図2)。このブロックの正体は過去に破断され深く沈み込めなくなった太平洋プレートの残存物と考えています(面白いことにブロックと関東平野の形が同じです)。

図1
図1 従来のプレートモデル(左)とここで提案する新しいプレートモデル(右)。それぞれのコンターと数字はプレート上面の深さを示す。
図2
東京湾北部では、
 1)沈み込んだ太平洋プレート
 2)ブロック
 3)フィリピン海プレート
 4)ユーラシアプレート
の順でプレートが4枚重なります。
図2 関東直下の新しいプレートモデル

この破断されたプレートは関東直下の地震発生の鍵を握っていると考えています。通常頻繁に発生する茨城県から千葉県北西部を震源とする地震の多くは、このブロックの上面、東端、下面で発生しています(いわゆる「地震の巣」の1つ)。

江戸に多大な被害を与えた1855年安政江戸地震(M7.0-7.3)など、関東直下の規模の大きな地震は、このブロックとフィリッピン海プレートもしくは、ブロックと太平洋プレートの接触面から発生した可能性があります(図3)。詳細は現在検討中です。

図3
図3 プレート構造の模式断面図と被害地震の想定震源。従来のモデル(上)と新しいモデル(下)

プレート境界型地震は通常海域で発生しますが、関東では陸域直下で発生することになります(図4)。また、1枚プレート(ブロック)を余計に挟むことにより、プレート接触面が増え、東北や伊豆以西のプレート境界部分よりも余計に地震が多くなります。

また、発生する深さも深くなります。従来プレート内地震と考えられていた地震のいくつかはプレート境界に再解釈される可能性があります(ただし、1987年M6.8千葉県東方沖地震などは従来どうりフィリッピン海プレート内)。

図4
図4 1885年以降のプレート境界型地震の震源の分布(推本、1999)とブロックとの関係。関東地域だけプレート境界型地震が陸域直下で発生する。

モデルの検証は難しい問題です。地下数10kmの構造を直にみることはできないので、モデルを実証することは基本的に不可能です。ただし、この新しいモデルでは従来複雑な説明を要した現象が、比較的すっきりと説明できます(講演要旨を参照してください)。モデルの正当性は、いかに多くの地学現象を合理的に説明できるかだと思います。

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また、違う人が公開している情報としては、以下のものもお読み下さい。

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これは東京湾の湾口の海底地形です。

東京湾g

横須賀沖から観音崎の南へ。東京湾の湾口、浦賀水道といわれるところの西側(左側)が深くなっているのがわかりますよね。これも実は川の跡なので断層ではないのです。

東京湾c

NHKのブラタモリ横須賀編でやってました。

直線を見たら断層と思え!
曲線を見たら川だと思え!

ブラタモリの格言です。(笑)

<http://kawagoekk.blog.fc2.com/blog-entry-13.html より転載>

今回は、この海底地形について調べたことを書きたいと思います。

http://kawagoekk.blog.fc2.com/blog-entry-13.html

東京湾ブラタモリ

東京湾とは、三浦半島の剣崎と房総半島の先端の洲崎を結ぶ線の北側をいいます。
また三浦半島の観音崎と千葉の富津岬とを結ぶ線より北側を狭義の東京湾と呼ぶそうです。
図のピンク色の部分です。
なせ狭義のというかというと、海底の地形が全く異なるからです。
東京湾2g

東京湾奥の海底地形です。
このあたりの水深は平均17mと浅く、下の方、南側は横浜沖から深くなっているのがわかるかと思います。

東京湾湾奥b
スジ状に見えるのは人工的に作られた(浚渫された)航路です。

東京湾の神奈川側は、図のように蛇行しながら深くなっています。
実は約2万年ほど前、東京湾(狭義の東京湾)が陸地だった頃、ここは多摩川、荒川、江戸川が合流して太平洋に流れ込んでいた川だったのです。
これが現在の浦賀航路というわけです。

東京湾bkawa中ノ瀬

この川の一部は分岐して中ノ瀬 の東側(右側)も通っていました。
中ノ瀬は昔、中州だったのです。

この中ノ瀬の東側の川の跡を利用して浚渫されたのが中ノ瀬航路という訳です。

千葉側を見ると台地のような広い浅瀬が広がっていることがわかります。
大型船が神奈川側を通るというのはこういう理由なのです。

この河川跡は古東京川と言われています。
この古東京川の存在が江戸の末期にペリーが来航後に浦賀、横須賀に港が作られた理由で、その後の港の発展に繋がったのだそうですよ。
大型船は水深が浅いと座礁する危険があるからです。
だから黒船は江戸前に来なかったのです。

ペリーは東京湾の海底をある程度把握していて、浅瀬である千葉側ではなく、また湾奥でもなく、水深が深い浦賀(久里浜)に来航したという訳です。

もし古東京川が千葉側を流れていたら、ペリーも富津あたりに来航してたのでしょう。
千葉側が大型船の航路となり、富津あたりに船のドックも出来て港町として発展したかも知れません。
木更津が横浜みたいな港町になって、横浜が木更津になってたかも知れませんね。

IMG_4447b.jpg
ブラタモリ横須賀編より。

IMG_4449b.jpg

古東京川は観音崎沖の南側で太平洋に注いでいました。さらに昔は深い渓谷になっていました。

水深が浅いのは横須賀の沖までで、そこから先、南側は急峻な谷になっています。

これが水深500m以上と言われる東京海底谷です。

toukyouwankaiteig.jpg

太古の昔、この古東京川が東京海底谷に注ぎ込む地上の風景は、どんな感じだったか想像してしまいます。
滝になっていたと思いますが、高低差は数百メートルはあります。
タイムマシンがあったら見てみたいですよ。
きっと雄大な風景だったでしょうね。

剣崎沖、そして観音崎沖、久里浜沖、その手前の走水沖が良い漁場と言われるのは、この急峻な海底谷と、それに注ぎ込む水深100mの深場、古東京川があるからです。

浅瀬から深場になる落ち込みには、多種多様な魚が数多く住んでいます。

このあたりでは走水のアジが有名ですが、古東京川の深場から海底谷に落ち込むあたりが魚場になっています。
ここは観音崎と富津岬に挟まれた狭いところで、潮の流れが速いこともあり美味しいアジが捕れるポイントになっています。

タチウオが観音崎と猿島あたりで釣れるのも、海底谷から立ち上がったところだからかも知れませんね。
海底谷の深海がタチウオの棲家なのかも知れません。

カワハギが観音崎と富津岬を結ぶラインより南側にしか居ないのは、北側の狭義の東京湾が海面の上昇により平野部(扇状地)が沈下したことで出来た海であり、堆積物のために沿岸に岩礁が少ないことが関係しているのだと思われます。
東京湾の南側の海岸線は岩礁が多く、産卵場が多いことがカワハギの生息域にも関係しているのでしょう。

東京輪の入り口に位置する剣崎は、千葉側に向かって南東に瀬が伸びていることがわかると思います。
瀬の両側は落ち込んだタチになっています。
瀬は硬い岩盤で、岩礁地帯(根)になっています。
この落ち込んだタチと根が魚の集まるポイントです。

東京湾剣崎g

剣﨑沖のこの瀬(松輪瀬)の先端が、沖釣りで有名な吉野瀬です。
kenzaki3g.jpg

川は丘を削り、それが渓谷になりました。その渓谷が海面下に沈下することで、海底谷を作りました。
川の流れは陸上では扇状地を作ります。扇状地が平野となり、そこが海底に沈下すれば浅い海となります。

東京湾の特徴は、海底谷という深海と、広くて浅い海があるということです。

浅場には浅場の魚がいて、深場には深場の魚がいます。このような理由で東京湾は、実に多種多様な魚種が宿る魅力的な海になっているという訳です。

相模湾ブラタモリ

さて、相模湾はどうなっているでしょう。

相模湾立体g

相模湾の沖には水深1000mを超える相模トラフ(海底盆地)が存在します。
その手前には、相模海丘三浦海丘があります。

そしてこの海丘には、昔陸地だった頃に川によって作られた海底谷が何本も伸びています。
海底谷にはさまれた部分が海脚と呼ばれる高まりになります。

海岸付近で最も急峻な部分が小田原沖で、沖合100mから1kmで水深100mに達します。
相模川の延長にあるのが平塚海底谷で、谷の肩部分が水深100mになります。

この複雑な海底地形が、相模湾が良い魚場である理由なのです。
平塚海底谷の西側にある 瀬の海 は海脚となっており、釣りでは有名なポイントになっています。

相模湾東側g

瀬の海から葉山の長者ケ崎の沖にある葉山海底谷までの間は広い海底丘になっていて、水深100mの地点は沖合7kmほどのところになり、小田原側よりも遠浅になっていることがわかります。

この遠浅の地形は、川からの土砂が堆積した扇状地の名残もありますが、陸地の浸食により徐々に時間をかけて海底を埋めていき、もともとあったタチ、岩礁地帯が覆われることで完成します。

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最後に、二度、戦争に行って右足を失い、生きて戻ってきた私の祖父・岩渕安治大日本帝国陸軍中将の言葉を送ります。

「物事を判断する時の基準は、最悪の準備をして、最善の努力をすることだ!」

 

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